ホーム


マルクス生誕200年記念
特別報告 2018.10.20


     資本論の物神性について
   (1)


 

  資本論ワールド編集部 まえがき


  『資本論』生誕150周年では、
資本論のヘーゲル哲学貨幣形態の発生を証明するを行い、今回マルクス生誕200年を記念して「資本論の物神性」の探究・報告会を行います。
 「物神性Fetischismus」を中心テーマに行われた先月の合宿では活発な議論の成果もあり、本日はその報告とさらに新しい問題提起もありましたので皆さんと有意義な一日を過ごしたいと企画しました。
本日の進行役を務めます資本論ワールド編集部の小川です。よろしくお願いします。

 『資本論』の物神性には、「商品物神、貨幣物神そして資本物神」の3つがあると言われていますが、3つ目の資本物神は、他の二つとの関連性が理解しにくいとの指摘が以前から多くの方から出されていました。本日の交流会で、この点も含め一歩前進できるようにご協力をお願いします。なお、最初のレポーターには、北部資本論研の小島さんにお願いしてあります。早速始めますが、手元にメモを配布しましたのでご覧ください。ではよろしくお願いします。


 <
報告テーマメモ

 
『資本論』の物神性について
Ⅰ. 第4節商品の物神的性格とその秘密について
Ⅱ. 第3節
価値形態または交換価値の物神性論について
Ⅲ. 第2章交換過程の貨幣物神について
Ⅳ. 資本物神について
Ⅴ. 資本論の物神性について
第1回報告者:北部資本論研 小島
討議: 近藤、小川、小島、資本論ワールド探検隊メンバー


 
北部資本論研の小島です。
  編集部より自分の問題意識や疑問点で結構ですから、最初のレポート役をとの依頼でしたので、それなら自分の疑問をと思い、引き受けました。以前から「第4節商品の物神的性格とその秘密」が、第1章のなかで異質に思えて、全体とのつながり具合がよく理解できません。そのあたりを中心に報告してゆきますのでよろしくお願いします。


Ⅰ. 「
第4節商品の物神的性格Der Fetischcharakter der Wareとその秘密 について

 『資本論』第1章商品、第4節に「商品の物神的性格とその秘密」という表題のもとに、「物神礼拝Fetischismus」について解説が行われていますが、この第4節は、なんとなく違和感が残ります。分かったように感じられる箇所と、もう一度最初から読み直すと、「謎にみちた性質」の叙述で、最初に理解したと思った文脈の前後関係に不自然な説明が目立ってきます。モヤモヤしたわだかまりが残り、落ち着かない気分がずっと続いて、北部資本論研でも問題提起をして、議論を繰り返してきました。
そんな矢先、「資本論の物神性」が合宿テーマとなりましたので、力んで参加した次第です。その延長線で本日のレポーター役とお引きすることになりました。最初に、私の“わだかまり”の話から始めてゆきたいと思います。


  
A. 「商品の物神的性格の謎にみちた性質」-冒頭の不自然な論理展開の疑問


 第4節の最初の段落で、「商品の物神的性格」の解説が開始されています。

   
別ウィンドウで第4節商品の物神的性格を開きながら本文確認を・・・


 
(1)
 ① 第1段落「机が商品として現われるとなると、感覚的にして超感覚的な物に転化」し、
 ② 第2段落「
商品の神秘的性質はその使用価値から出てくるのもではない」とあり、次の第3段落で
 ③ 「それで、労働生産物が、商品形態をとるや否や生ずる、
その謎にみちた性質はどこから発生するのか?」自問自答して、「明らかにこの形態自身からである」と展開します。次の第4段落に入って、
 ④ 「それゆえに、商品形態の神秘に充ちたものは、・・・商品形態は、人間にたいして彼ら自身の労働の社会的性格を労働生産物自身の対象的性格として、これらの
物の社会的自然属性として、反映するということ」となります。そして、「人間にたいして物の関係の幻影的形態をとるのは、人間自身の特定の社会関係であるにすぎない」「商品世界においても、人間の手の生産物が〔それ自身の生命を与えられて独立の姿に〕見えるのである。私は、これを物神礼拝(Fetischismusフェティシズム)と名づける」ことになります。この第4段落において、第4節の主題である「商品の物神的性格」の定義づけが行われています。
さらに、第5段落では、
 ⑤ 「商品世界のこの物神的性格は、先にのべた分析がすでに示したように、商品を生産する労働の独特な社会的性格から生ずるのである。」と結論づけられています。


 
(2)
  さて、どこにこだわりがあるかと言いますと、③「商品形態をとるや・・・その謎にみちた性質はどこから・・・?」や、④「商品形態の神秘に充ちたものは・・・」とありますが、「商品形態の謎とか神秘」と言われてもその具体的に現象している内容の説明がありません。ですから、第4節冒頭からスッキリしない気分がどうしても残ってしまうのです。
 その原因を自分なりに考えているのですが、どうもマルクスの議論の仕方や順番が違っているように感じていました。
“モヤモヤしたわだかまり”となった第一は、④の「物神礼拝と名づける」経緯のすじ道のことです。
 第4節で行われている「物神礼拝」の筋書きを端的に言うと、以下の具合となっています。
 ③「
商品形態の謎にみちた性質は・・・形態自身からで」、④「それゆえに、商品形態の神秘に充ちたものは、・・・労働生産物の社会的自然属性として、反映する」「生産物が独立の姿に見え、これを物神礼拝と名づける」論理の流れになっています。


 
(3)
 このようにして①から④の論理展開の中から、「商品世界の物神礼拝と名づけ」ているのですが、マルクスは不自然にも第5段落で「商品世界のこの物神的性格は、
先にのべた分析がすでに示したように、商品を生産する労働の独特な社会的性格から生ずるのである。」と付け足しをしています。ここで付け足されている「商品を生産する労働の独特な社会的性格から生ずる」という事柄と、第4段落④で言っている「彼ら自身の労働の社会的性格を労働生産物自身の対象的性格として、これらの物の社会的自然属性として、反映する」事柄が、同じことを指しているのか、または別次元の話かどうかの区別もつきにくいのです。重複した事柄が繰り返されているようにも読みとれ、前後関係が混乱してきます。

 
(4)
 さらにマルクスはここ第5段落で、⑤「・・・この物神的性格は、
先にのべた分析がすでに示したように、・・・」とも述べています。この「先にのべた分析がすでに示した」事柄が、「商品を生産する労働の独特な社会的性格から生ずる」のだ、と言います。では、「先にのべた分析」が一体どの箇所に該当するのでしょうか?文脈の流れからは、前段の④「商品形態は、人間にたいして彼ら自身の労働の社会的性格を労働生産物自身の対象的性格として、これらの物の社会的自然属性として、反映する」に該当するようにも思えますが、ここでも重複し繰り返して説明する必要があるとも思えません。
 他の『資本論』解説本を読んでみても、残念ながら疑問に感じていないようです。


 
 小川進行役
 
(5) なかなか鋭い指摘のようですが、私など疑問に感じたことなく、読み進んできました。小島さんが指摘された④と⑤の後に、マルクスは社会的総労働との関連で個別私的労働が置かれていることから発生する社会的性格について述べています。第7段落の後半で⑦「彼らの私的労働の社会的に有用なる性格を、労働生産物が有用でなければならず、しかも他人にたいしてそうでなければならぬという形態で―異種の労働の等一性の社会的性格を、これらの物質的にちがった物、すなわち労働生産物の共通な価値性格の形態で、反映するのである。」と説明しています。これが、マルクスが名づけた「物神礼拝Fetischismus」の内容を説明していると考えてきましたがどうでしょうか。


 
★ 小島レポーター
 (6) 第7段落の⑦についてだけ、単独に取り出された場合は、その通りだと私も思います。しかしながら、この⑦とその前に第6段落後半にも次のような説明があります。⑥「したがって、生産者たちにとっては、彼らの私的労働の社会的連結は、あるがままのものとして現われる。すなわち、彼らの労働自身における人々の直接に社会的な諸関係としてなく、むしろ人々の物的な諸関係として、また物の社会的な諸関係として現われるのである。」
 すなわち、⑥「物の社会的な諸関係」とは⑦「労働生産物の共通な価値性格の形態で反映」された関係を意味していると解釈できます。ですから、後半部分である⑥や⑦については、小川さんのご指摘のとおりだと私も考えています。

 
「モヤモヤしたわだかまりが残る」原因は、違う観点の事柄です第4節冒頭の論理構成の問題と言い換えればよいでしょうか。端的に言えば、①第1段落「机が商品として現われるとなると、感覚的にして超感覚的な物に転化」し、②第2段落「商品の神秘的性質はその使用価値から出てくるのもではない」とあり、次の第3段落で③「それで、労働生産物が、商品形態をとるや否や生ずる、その謎にみちた性質はどこから発生するのか?」と自問自答しながら行っているマルクスの叙述の順番にたいして、疑問に感じているのです。
 要するに、①「感覚的にして超感覚的な物」、②「商品の神秘的性質」、③「その謎にみちた性質」など、最初の第4節冒頭、第1から第3段落までの叙述では、
これら語句が示している意味内容が読者には通じないのです。神秘的性質などの具体的な内容についての事前説明がありません。マルクスは指摘している用語の説明責任を果たされていない、と言いたいのです。なぜマルクスはこのような論理展開をしているのか?という問題で、永い間考え悩んできました。


 
 近藤座長

  (7) もしかして、小島さんが指摘したいのは、第4節冒頭①、②、③は、その前の第3節を前提にしないと論理的に成り立たないということでしょうか?


 
小島レポーター
  そうなんです。第3節価値形態または交換価値で、実は似たような議論を行っていることに、最近気がつきました。これまで第3節の中心テーマは、「貨幣形態の発生を証明する」ことにあるとの思いが強すぎるたために、他のテーマとの関連 ー例えば、第4節の商品の物神性ー については意識しないできました。これまでと違った観点がふと浮かんでから、いろいろな事に気がつき始めました。

 ・・
別ウィンドウで第3節価値形態または交換価値を開いてください。・・・・

 第3節第3段落で「同時に
貨幣の謎は消え失せる」と言い、第4段落では「したがって、二つの価値関係は、一つの商品にたいして最も単純な価値表現-貨幣形態の萌芽-を与えている。」とあります。これらは、まさに第4節の③「労働生産物が、商品形態をとる-単純な価値形態-や否や生ずる、その謎にみちた性質はどこから発生するのか?あきらかにこの形態自身からである。」に符号してゆくことに気がつきました。
 ③
第4節「商品形態の」「この形態自身」とは、 第3節「A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態- x量商品A=y量商品B」で現わされる二つの商品の価値関係のことを指示しているのです。

 このようにいったん整理してゆきますと、
第3節価値形態または交換価値の新しい課題、もう一つのメインテーマとして、「価値形態の物神的性格」という概念規定が形成されてきたのです。


 
 近藤座長
  いや~、小島さんは大変なことに気がつきましたね。「
価値形態の物神的性格」、う~ん、いいネーミングです。私も、以前から A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態の「3 等価形態」は、第4節の商品の物神性に通じる議論だ、と考えていましたが、小島さんに指摘されるまでは、第4節と密接不可分の関係とまでは断言できずにきました。

 
 小川進行役
  ということは、第3節の価値形態に立ち返って「商品の物神的性格」をやり直すということになるのでしょう?

 
 近藤座長
  当然そういうことになりますよね。なんだか、小島さんに乗せられてしまったようですが、
小島さんのレポートでは、この先の準備はどんな具合になりますか?

 
★ 小島レポーター
  第3節はとても長い文章ですから、「物神性」に関わる箇所(
小島レポート )を抜き出してきました。今から探検隊の皆さんにも配布しますので、ぜひ、ご検討をお願いしたいのですが・・・

 
■ 小川進行役
  それでは、区切りもちょうどよいので、ここで休憩とします。その間、
小島さんのレポートにざっと目を通しておいてください。では、午後2時を目途に再開します。
 なお、
「資本論入門」では、昨年10月号で「資本論“蒸留法”の解読と資本物神性の成立過程として使用価値の「抽象化(捨象)」過程と~資本物神性の成立~をテーマとした小論を掲出していますので、こちらも参照をお願いします。

  ・
*小島レポート価値表現の構造分析と価値形態の物神的性格について
はこちらをクリック
してください・・・