リチャード・リーキー

3脳と骨盤のパラドックス

 好奇心と想像力を刺激する最近の研究によって、いま、数年前には考えられなかった
方法で化石を利用し、絶滅した祖先の生物学的特性を知ることができるようになった。
たとえば、特定の人類の離乳時期、性的な成熟の時期、寿命などを無理のない範囲で推
定することが可能になっている。このような情報を発掘するすべを身につけたおかげで、
われわれは、ホモ属が最初に出現したときからほかとはちがう種類の人類だったことを
知るようになった。アウストラロピテクス属とホモ属が生物学的に見て無関係であると

いう発見は、人類の先史時代にたいするわれわれの理解を根底からくつがえした。
 ホモ属が出現するまで、(二足歩行の初期人類はみな小さい脳と大きな臼歯と突き出し
た顎をもち、類人猿的な適応戦略で生活をいとなんでいた。彼らは主に植物を食べ、そ

の社会環境は現在のサバンナヒヒのそれに似ていたと思われる。それらの初期人類

アウストラロピテクス-は、歩き方にかぎって言えば人類的だった。二五〇万年前よ
人類が出現した。歯も変化した。これは、完全な菜食から肉を含む食事への移行に適応
した結果であろう。
最初期のホモ属に見られるこの二つの特徴/最初期のホモ属に見られるこの二つの特徴

脳容量と歯の構造の変化/は、三〇年前にホモ・ハビリスの化石が初めて発見されてから
明らかになった。われわれ現生人
類は知能の重要性に目を奪われているせいか、人類学者たちは、ホモ・ハビリスの出現
と同時に起こった脳容量の飛躍的な増加 / 四五〇・から六〇〇・あまりに増加した /
にひたすら注目してきた。たしかに、脳容量の増加は適応的進化の重要な要素とし
て先史時代を新しい方向に導いた。しかし、それは一つの要因にすぎない。われわれの
祖先の生物学的特性に関する新たな研究で明らかになっているように、ほかにも多くの

要因が変化しており、われわれの祖先はそのために類人猿らしさを失って人類に近づい
たのである。
 ヒトの成長の最も重要な特徴の一つは、子供がまったく無力な状態で生まれてきて、
長い幼児期を過ごすことである。さらに、子を持つ親なら知っているように、子供たち
には成長加速期があり、またたくまに身長が伸びる。このような点でヒトは一風変わっ
ている。類人猿を含む哺乳類のほとんどは、きわめて短期間で子供から大人に成長する
のである。そして、成長加速期を迎えたヒトの子供は身体が二五パーセントほど大きく
なるが、チンパンジーは一定の速度で成長し、少年期から完全に成熟するまでの身長の
伸びは一四パーセントにすぎない。
 ミシガン大学の生物学者パワー・ボギンは、成長過程のちがいについて革新的な解釈
をしている。ヒトの子供の脳の成長速度は類人猿と同じだが、身体の成長速度は類人猿
よりも遅い。つまり、ヒトの子供の身体は、通常の類人猿と同じ速度で成長した場合よ
りも小さいということである。このことの利点は、ヒトの子供が文化のルールを習得す

る場合に高度な学習を完了しなければならない事情と関係があるのではないか、とボギ
ンは言っている。育ちざかりの子供が自分よりもずっと体格のよい大人の言うことをよ
く聞くのは、そこに生徒と教師の関係が成立するからである。かりに、幼い子供が類人
猿のような成長過程をたどって大きくなれば、生徒と教師の関係が成立するどころか暴
力沙汰が起こるだろう。学習の期間が終わると、子供の身体は成長加速期によって「発
育の遅れを取り戻す」のである。

ヒトは、生存のための技術だけでなく、習慣、社会道徳、親族関係、社会規範
なわち文化 / をひたむきに習得することによって人間になる。無力な乳児が保護され、

幼少年期に教育がほどこされるこの社会環境は、類人猿の特性よりもはるかにヒトの特
性に合っている。文化は人類の適応習性と言えるのであり、それは幼少年期と成熟期の
独特の成長パターンによって実現するのである。
 しかし、ヒトの新生児の無力な状態は、文化的な適応習性という点では、生物学的に
必要とされる状態を下まわっている。ヒトの乳児は早すぎる時期に生まれてくるが、こ
れは、大きな脳にたいする骨盤の構造的な制約のためである。生物学者のあいだでは最
近、脳の大きさが知能以外にも影響をおよぼすことがわかってきた。脳の大きさは、生
活史要因と呼ばれる多くの事柄 / 離乳の年齢、性的成熟の年齢、妊娠期間、寿命など
/ と相互に関係している。大きな脳をもつ動物では、これらの要因が延長される傾向
がある。小さい脳をもつ動物よりも、乳児の離乳期が遅く、性的な成熟が遅く、妊娠期
間が長く、寿命が長いのである。他の霊長類との比較にもとづく単純な計算では、平均
して一三五〇匹の脳容量をもつホモ・サピエンスの妊娠期間は、実際の九ヵ月よりも長
り一一ヵ月になることがわかっている。その結果、ヒトの乳児は、一年分の成長を残し
た無力な状態で生まれてくるのである。
 なぜ、こんなことが起こっているのだろうか? 自然界はなぜ、ヒトの乳児を時期尚
早の誕生という危険にさらすのだろうか? その答は脳にある。類人猿の新生児の脳は
平均二〇〇・・で、大人の類人猿の約半分であり、早い時期に急速に倍増する。
これにたいして、ヒトの新生児の脳は大人の三分の一であり、やはり早い時期に急速に
三倍の大きさに成長する。脳が早い時期に大人の大きさに成長するという点で、
ヒトは類人猿に似ている。したがって、類人猿と同様に脳が二倍になるとすれば、
ヒトの新生児の脳は六七五・・でなければならない。女性ならご存知のとおり、
現代の標準サイズの脳をもつ赤ん坊でも産むのはかなり大変であり、生命の危険を
ともなうこともある。実際、骨盤の開口部は人類の進化を通じで大きくなり、
脳容量の増加に適応した。しかし、開口部の拡大には限界があった・・二足歩行の
効率化という構造的な必要性によって生じた限界である。新生児の脳容量が現在の数値
・・385ccになったとき開口部の拡大は極限に達した。
  進化という観点から見れば、ヒトは原則として、成人の脳が七七〇・・を超えたところ
で類人猿的な成長パターンに別れを告げたと言うことができる。この数値を超えたとき
から、脳は誕生時の二倍以上に増加しなければならなくなったのであり、そのために乳
児が「早すぎる時期」に無力な状態で生まれるパターンができあがったのだ。成人の平
均的な脳容量が八〇〇・であるホモ・ハビリスは、成長のパターンに関しては類人猿と
人類の中間に位置するようだが、初期のホモ・エレクトウスの脳容量・・約900・・
は、かなりヒトに近くなっている。そうだとすれば、これはあくまでも「原則」論なのだが、ホモ・エレクトウスの産道は現生人類と同じ大きさだった
かもしれない。実際、この点でホモ・エレクトウスがどれほどヒトに近かったかについ
までも「原則」論なのだが、ホモ・エレクトウスの産道は現生人類と同じ大きさだった
かもしれない。実際、この点でホモ・エレクトウスがどれほどヒトに近かったかについ
ては、トゥルカナ・ボーイ・・・一九八〇年代半ばに、私が同僚だちとともにトゥルカナ
湖西岸付近で発見した初期のホモ・エレクトウスの骨格・・の骨盤の測定値によって、
さらに明らかになった。
 ヒトの場合、骨盤開口部の大きさに男女差はほとんどない。したがって、われわれは
トゥルカナーボーイの骨盤開口部を計測し、そこから彼の母親の産道の大きさを正確に
予測したのである。友人であり同僚であるジョンズーホプキンズ大学の解剖学者アラ
ンーウォーカーは、ばらばらの状態で見つかった骨からこの少年の骨盤を復元した(図
3‐2参照)。そして、骨盤開口部を計測してホモーサピエンスのそれより小さいこと
を確認し、ホモーエレクトウスの新生児の脳容量を、現生人類の新生児の脳容量をかな
り下まわる二七五こと推定した。
 これが何を意味するかは明らかだ。ホモーエレクトウスの子供は、現生人類と同様に
大人の三分の一の脳をもって生まれ、現生人類と同様に無力な状態で生まれなければな
らなかった。親が幼児を手塩にかけるという現生人類の社会環境の一端はすでに、コ(
○万年ほど前に生存した初期のホモーエレクトウスのあいだに芽生えはじめていたと考
えられるのである。
 ホモー(ビリスの骨盤はまだ発見されていないため、ホモーエレクトウスの直系の祖
光である(ビリスについて司限の予則をすることはできない。しかし、がりにハビリス
らは、エレクトウスほど長くはないが、無力な状態にあり、エレクトウスほどではない
が、人類的な社会環境を必要としただろう。それゆえ、ホモ属の系統はそもそもの初め
から現生人類につながる道を歩いていたように見えるのだ。一方のアウストラロピテク
ス属の系統は、脳の大きさが類人猿なみであったため、類人猿に近いパターンにそって
初期の進化をとげたと思われる。
乳児が無力な状態にある時期 ・・親のゆきとどいた世話が必要とされる時期・・
が長いことは、すでに初期のホモ属の特性だったのであり、この事実は充分に立証されてい
る。しかし、その後の少年期についてはどうだろうか? 成長期に先だつこの時期が長
くなり、実用的、文化的な技術を習得することが可能になったのはいつなのだろうか?
 現生人類の少年期が長いのは、類人猿にくらべて肉体的な成長が遅いためである。結
果として、ヒトは歯の萌出などのさまざまな成長段階を類人猿よりも遅い時期に迎える
ことになる。たとえば、第一大臼歯が生えるのは、類人猿の三歳にたいしてヒトでは六
歳ごろであり、第二大臼歯が生えるのは、類人猿の七歳にたいしてヒトでは十一歳から
十二歳、第三大臼歯が生えるのは、類人猿の九歳にたいしてヒトでは十八歳から二十歳
である。人類の先史時代のどのあたりで少年期が長くなったかという問いに答えるため
には、顎の化石を観察して臼歯が生えた時期を決定する必要がある。
 たとえば、トゥルカナーボーイは、ちょうど第二大臼歯が生えはじめたときに死んで
いる。かりに、ホモーエレクトゥスがヒト的なパターンにそってゆっくりと少年期の成
長をとげていたとすれば、トゥルカナーボーイは十一歳くらいのときに死んだことにな
る。しかし、この種が類人猿的な成長をとげていれば、彼は七歳だったことになる。一
九七〇年代初頭、ペンシルヴェニア大学のアランーマンは、化石人類の歯をくわしく分
析し、アウストラロピテクス属とホモ属のすべての人類はヒト的なパターンにそってゆ
っくりと少年期の成長をとげたと結論した。彼の研究は絶大な影響力をもち、アウスト
ラロピテクス属を含むヒト科の人類のすべてが現生人類と同じパターンにそって成長し
たという従来の説を決定的なものにした。実際、トゥルカナーボーイの顎が発見され、
そこに第二大臼歯が生えているのを見たとき、私が死亡年齢を十一歳と考えたのは、彼
がホモーサピエンスと同類だった場合の歯の状態がそこに見られたからだった。同様に、
アウストラロピテクスーアフリカヌスの二貝であるタウングーベビーは、第一大臼歯が
生えはじめていることから、七歳で死亡したと考えられた。
 しかし、一九八〇年代末、これらの仮説は何人かの専門家の研究によつてくつがえさ
れた。ミシガン大学の人類学者ホリー・スミスは、第一大臼歯の生える年齢と脳容量を
相関させることによって、化石人類の生活史のパターンを推理する方法を開発した。ス
ミスはまず、人類と類人猿の資料を集めたあと、さまざまな人類の化石を観察して類似
の程度を決定した。その結果、三つのパターンが浮かび上がった。第一大臼歯の萌出が
六歳で寿命が六六年という現生人類型、第一大臼歯の萌出が三歳強で寿命が四○年とい
う類人猿型、そして中間型である。後期のホモ・エレクトウス・・すなわち、八〇万年
前よりあとの時代に生存した人類・・は、ネアンデルタール人とともに現生人類型にあ
てはまったが、アウストラロピテクスはすべて類人猿型に分類された。トゥルカナーボ
ーイのような初期のホモーエレクトウスは中間型だった。彼の第一大臼歯は四歳半すぎ
に生えたことになるし、こんなに早く死ななければ、五十二歳くらいまで生きられたこ
とになる。
 スミスの研究によれば、アウストラロピテクスの成長パターンは現生人類のそれとは
似ておらず、類人猿に近かっか。スミスはさらに、初期のホモーエレクトウスが、成長
パターンに関しては現生人類と類人猿の中間に位置していたことを示しか。したがって、
トゥルカナーボーイは、私か最初に推測し九十一歳ではなく、九歳くらいのときに死亡
したというのが現在の結論である。
 これらの結論は、人類学者によ亘二〇年来の仮説と矛盾するため、激しい論争をまき
おこした。もちろん、スミスが何らかの誤りをおかしている可能性もあった。こうした
状況ではつねに裏づけのための研究が望まれるが、この場合も対応は早かった。当時、
ロンドン大学ユニヴァーシティーカレッジの解剖学者だったクリストファー・ディーン
とティムーブロメージは、歯の年齢を直接的に決定する方法を開発した。樹木の年齢を
推定するときに使われる年輪と同様に、歯にも年齢を示す非常に細かい線がある。この
推定方法は見た目ほど単純ではない・・とりわけ、線のでき方がはっきりしないからだ。
それでも、ディーンとブロメージはまず、歯の成長に関してタウングーベビーと同程度
のアウストラロピテクスの顎にこの方法を応用した。その結果、この個体は、第一大臼
歯が生えはじめた三歳過ぎに死亡したことがわかった
とぴったり符合する。
 ディーンとブロメージは、ぞの他のさまざまな化石人類の歯を調べるうちに、スミス
と同様に三つの型を発見した。すなわち、現生人類型、類人猿型、中間型である。ここ
でも、アウストラロピテクスは明らかに類人猿型であり、後期のホキ・エレクトゥスと
 ディーンとブロメージは、ぞの他のさまざまな化石人類の歯を調べるうちに、スミス
と同様に三つの型を発見した。すなわち、現生人類型、類人猿型、中間型である。ここ
でも、アウストラロピテクスは明らかに類人猿型であり、後期のホキーエレクトゥスと
ネアンデルタール人は現生人類型、初期のホモーエレクトウスは中間型であった。この
結論はふたたび物議をかもし、とりわけアウストラロピテクスの成長過程は人類型か類
人猿型かをめぐる論争に火をつけた。
 この論争は、ワシントン大学(セントルイス)の人類学者グレンーコンロイと臨床医
学者マイケルーヴァニアーが、医療用の先端技術を人類学の研究室にもちこんだことで

あっさりと決着した。彼らは、コンピュータによるX線断層撮影・・三次元のCTス
キャン・・を用いて、化石化したタウング・ベビーの顎を透視し、ディーンとブロメー
の結論が正しいことを確証したのだ。タウングーベビーはもうすぐ三歳になるというと
きに死亡していた。この幼児は類人猿型の成長過程をたどっていたのである。
 人類学にとって、生活史の要因と歯の発達の仕方を調べることによって化石から生物
学的特性を推測できるという点がきわめて重要なのは、骨にた・いして比喩的な意味での
肉づけをすることが可能になるためである。たとえば、トゥルカナーボーイは四歳にな
る少し前に離乳しており、もし生きていれば十四歳くらいで性的な成熟をとげていたと
言える。彼の母親は、十三歳で、九ヵ月の妊娠期間をへて最初の子供を産み、その後は
三、四年おきに妊娠していた。このようなパターンからわかるとおり、初期のホモ・エ
レクトウスが生存した時代に、アウストラロピテクスが類人猿の生物学的特性にとどま
っていたのにたいして、人類の祖先はすでに類人猿の生物学的特性を離れて現生人類の
生物学的特性に近づいていたのである。

 現生人類の成長パターンへの移行というホモ属の人類の進化上の変化は、社会とのか
かわりの中で生じたものである。すべての霊長類は社会的な動物だが、現生人類は最も
高度な社会性を身につけている。初期のホモ属の歯から推理した生物学的特性の変化か
らは、社会的な相互作用がすでにさかんになりかけていたことと、文化を育む環境がで
きつつあったことがわかる。社会構造そのものが大きく変化したようにも見える。だが、
なぜそんなことがわかるのだろうか? それは、人類の男女の体格差と、ヒヒやチンパ
ンジーといった現代の霊長類のオスとメスの体格差との比較からもわかることなのだ。
 すでに述べたとおり、サバンナヒヒのオスの身体はメスの二倍も大きい。霊長類学の
分野では、交尾のチャンスをめぐるオス同士の激しい争いがある場合にこのような体格
差が生じることがわかっている。ほとんどの霊長類と同様に、成熟しかオスのヒヒは、
自分が生まれた群れを出ていく。彼らは、別の群れ・・しばしば近くめ群れ・・
に加わり、そのときから、群れの中での地位をすでに確立しているオスだちと競合する。こん
なふうにオスが別の群れに移動するため、ほとんどの群れのオスには血縁関係がないの
がふつうである。。そのため、彼らには、メスの獲得にさいして協力しあうダーウィン流
の(すなわち遺伝学的な)必要性がない。
 しかし、チンパンジーの場合、理由はよくわからないが、オスが自分の生まれた群れ
にとどまってメスが移動する。結果として、チンパンジーの群れの中のオスたちは、遺
伝子の半分を共有する兄弟同士であればこそ、メスを獲得するさいにダーウィン流の必
要性にもとづいて協力しあうことになる。彼らは協力して他の群れから自分の群れを守
り、狩りのときには、逃げ遅れた不運なサルを樹上に追いつめようとしたりする。争い
ごとが比較的少なく、協力関係が発達しているこの状況は、オスとメスの体格差に反映
されている。・・オスはメスより一五ないし二〇パーセント大きいだけなのである。
 身体の大きさに関しては、アウストラロピテクスのオ又はヒヒのパターンに当てはま
る。したがって、アウストラロピテクスの社会生活は現代のヒヒのそれに似ていたと考
えてさしつかえない。初期のホモ属の人類のオスとメスの体格を比較できたとき、われ
われは、ある大きな変化が起こっていたことにすぐ気がついた。チンパンジーと同様に、
オスの身体はメスより二〇パーセント大きいだけだったのである。ケンブリッジ大学の
人類学者ロバートーフォーリーとフィリスーリーが主張したように、ホモ属の出現とと
もに始まったこの体格差の変化は、社会構造の変化をも如実に物語っている。初期のホ
モ属のオスが兄弟や異母兄弟とともに群れにとどまり、メスが他の群れに移動していた
ことはまずまちがいない。すでに述べたように、血縁者であればこそ、オス同士の協力
関係は強まるのである。
 社会構造のこのような移行をうながしたきっかけについては定かではないが、オス同
士の協力関係が強化されることには大きな利益に通じる何らかの理由があったにちがい
ない。一部の人類学者は、近隣のホモ属の群れから自分の群れを守ることがきわめて重
要になったと主張してきた。変化というものは十中八九、またはそれ以上に、経済的な
必要性に集約されるからだ。ホモ属の人類の食料が変化したことを示す証拠もいくつか
あかっている・・肉が重要なエネルギー源およびタンパク源になったというのがその一
つである。初期のホモ属の歯の構造が変化したことは、石器づくりの技術の向上と肉食
の存在至裏づけている。さらに、ホモ属に特有の脳容量の増加によって、彼らはもっと
豊かなエネルギー源を摂取する必要に迫られたはずである。

 生物学者にとっては常識だが、脳は多くの子不ルギーを必要とす右臓器である。たと
えば、現生人類の場合、脳は体重のニパーセントを占めるにすぎないが、エネルギー全
体の二〇パーセントを消費している。霊長類はすべての哺乳類の中で最も脳が大きいが、
人類はこの臓器を桁はずれに拡大してきた。人類の脳は、同じ体格の類人猿の脳の三倍
である。チューリヒにある人類学研究所の人類学者口iベルトーマルティンは、子不ル
ギー摂取量が増えなければこのような脳容量の増加は起こらなかったと指摘している。
彼によれば、初期のホモ属の食事は、量的に充実していただけでなく、栄養にも富んで
いたはずだという。肉にはカロリー源であるタンパク質と脂質が凝縮されている。多量
の肉を食事に加えたからこそ、初期のホモ属はアウストラロピテクス属をしのぐ脳をつ
で5「汝丿一い一日まごつこちら。
 これらの理由から、私は、初期のホモ属が進化の過程で身につけた主な適応習性は肉
食だったと考えている。初期のホモ属の人類が生きた獲物を狩っていたのか、他の動物
が食べ残しか腐肉をあさっていただけだったのか、あるいはその両方だったのかという
ことは、次の章で取り上げるように、人類学界では論争の絶えない問題である。しかし、
われわれの祖先の日常生活に肉食が重要な役割をはたしていたことはまちがいない、と

私は思う。さらに、植物性の食物だけでなく肉を入手するという新し
会的な秩序と協調をもかなり必要としたはずである。

 生物の世界では、ある生物の生活パターンが根本から変化すると、あとから他の要素
も変化することが多いと言われている。多くの場合、このような副次的な変化は、新た
な食物への適応が進行するにつれて、その生物の解剖学的な構造におよんでいく。すで
に考察したとおり、初期のホモ属の歯と顎の構造はアウストラロピテクス属のそれとは
異なるが、それはホモ属が肉を含む食物に適応した結果だと考えられる。
 ごく最近、人類学者たちは、歯のちがいに加えて、ホモ属の人類がはるかに活動的な
生物だった点でも、アウストラロピテクス属の人類とは異なっていたと考えるようにな
った。別個に行なわれた二つの研究から、初期のホモ属の人類が人類史上初のすぐれた
ランナーだったという同じ結論が導き出されたのである。
 数年前、チューリヒの人類学研究所の人類学者でローペルトーマルティンの同僚のぺ
1夕1・シュミットは、かの有名なルーシーの骨格を研究する機会を得た。シュミット
は、プラスチック製の骨の模型を使ってルーシーの身体を組み立てはじめた。ヒトそっ
くりの姿が現われるものと思いこんでいた彼は、目の前の骨格を見て驚いた。ルーシー

の胸郭は類人猿の胸郭のように円錐形をしており、ヒトに見られるような樽形ではなか
ったのである。ルーシーの肩、腹、腰もきわめて類人猿に近いことがわかった。
 一九八九年にパリで開かれた大規模な国際会議で、シュミットは自分が発見した事実
のもつ意味について語ったが、それらは非常に意義深いものである。彼は次のように述
べた。アウストラロピテクスーアファレンシスは、「われわれが走るときにするような
胸式呼吸のために胸郭をもちあげる(胸をふくらませる)ことができなかったはずだ。
また、太鼓腹でウェストのくびれがなかったため、ヒトらしい走りに欠かせない柔軟性
にも限界があっただろう」。ホモ属の人類はランナーだったが、アウストラロピテクス
属の人類はそうではなかったのだ。
 敏捷さをめぐるこの問題に一石を投じた第二の証拠は、レズリーーエイローによる身
長と体重の研究からもたらされた。彼女は、現生人類と類人猿の身長、体重を計測し、
人類の化石から収集した身長、体重のデータと比較した。現在の類人猿は身長のわりに
体格がよく、同じ身長のヒトの二倍の体重をもつ。化石のデータにも一つの明確なパタ
‐ン・・今やおなじみになりつつあるパターン・・があらわれた。すべてのアウストラ
ロピテクス属は身体の構造が類人猿に近く、すべてのホモ属はヒトに近かったのである。
エイローとシュミットの研究結果はどちらも、アウストラロピテクス属とホモ属では内
耳の構造が異なるというフレッドースプアーの発見と矛盾しなかった。つまり、二足歩
行に強く傾倒するにつれて身体の構造も変化するということである。
 前の章で少しふれたが、ホモ属の出現にともなって脳容量のほかにも大きな変化が起
こった。それが何であったかはすでにおわかりだろう。アウストラロピテクス属の人類
は二足歩行をしていたが、敏捷さには欠けており、一方のホモ属の人類は運動能力にす
ぐれていたということだ。
 面述のとおり、二足歩行はもともと、新しい自然環境での効率的な移動様式として発
達し、二足歩行の類人猿である初期人類が従来の四足歩行の類人猿に適さない環境で生
きのびることを可能にした。二足歩行の初期人類は、広い疎林に散在する食料源を物色
しながら、より広範囲に移動することができた。やがて、ホモ属の出現にともなって、
同じ二足歩行だが敏捷性と活動性に富む新しい移動様式が登場した。現生人類は、柔軟
な身体のおかげで継続的な歩行運動をし、熱を効率的に放散させることができるが、そ
れは初期のホモ属のように、樹木がまばらで気温が高い環境で活動する動物にとっては
重要な能力である。効率的な二足歩行は丿人類の適応習性の中枢をなす変化たった。そ
して、次の章で取り上げるように、この変化によって狩猟がかなりさかんになったこと
もたしかである。

 ホモ・サピエンスは、アフリカ以外にも分布を広げた最初のホモ属の人類だったこと
から、非常に繁栄した種だったことがわかる。したがって、初期のホモ属の人類は急激
に増加し、アウストラロピテクスたちの生存に必要な資源・・食料・・をねらう強力な
ライバルとなった。さらに、200万年前から100万年前にかけて、地上生活をするサル・
・ヒヒ・・も環境にうまく適応して急増し、やはり食料をめぐってアウストラロピテクス
たちと競争した。アウストラロピテクスたちぱ、ホモ属の人類とヒヒという二つの方向
からしかけられた競争に敗れたのかもしれないのである。