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新着情報2017.10月
      
分業とマニュファクチャ ・・・使用価値の分解と抽象化・・・
『資本論』第4篇相対的剰余価値の生産 第12章分業とマニュファクチャ(工場手工業)



 〔*
編集部まえがき: 今回の本文の(注50~59)は、特別に重要です。 これらの注は、
  8、9月号特集 
『資本論』‟蒸留法”解読使用価値の抽象化-に必須の文献となっています。

  また、
半製品」についての理解が不可欠ですので*編集部注2を参照してください。〕



    第12章 第4節
 マニュファクチャ (工場手工業) 内の分業と社会内の分業



1.
 われわれは最初にマニュファクチャ・工場手工業の起源を、次にその単純要素である部分労働者とその
道具とを、最後にマニュファクチャの全休機構を考察した。ここでは、マニュファクチャの分業と、
すべての商品生産の一般的基礎をなす社会的分業との関係に、簡単に触れておこう。
 ただ労働自体のみを眼中に置くならば、農業、工業等のような大部門への社会的生産の分割を
一般的分業、これらの生産部門の種および亜種への分割を特殊的分業、一作業場内の分業を個別的分業、
と呼んでいる。
(注50)

 (50)
「分業には、きわめてさまざまな職業の分割から、マニュファクチャのように、多数の労働者が、
  同一生産物の完成を分担する分業まである」(シュトルヒ『経済学教程』パリ版、第1巻、173ページ)。
  「ある程度の文明に達した諸国民のもとでは、3種の分業が見られる。第一は、われわれが、
  一般的分業と名づけるものであって、生産者を農業者、工業者、および商人に分かれさせ、国民的
  労働の三主要部門に対応する。第二は特殊的分業と呼ばれうるもので、各労働部門の諸種類への
  分割である。…第三の分業は、最後に作業分割、または本来の意味での分業と呼ばるべきもので、
  個々の作業および職業の内部で行なわれ、・・・たいていの工場・マニュファクチャや作業場で行なわ
  れるものである」 (スカルベク『社会的富の理論』84・85ページ)。

2. 社会内の分業と、それに対応する個人の特殊職業部面への限定とは、マニュファクチャ内の分業のように、
反対の出発点から発展する。一家族の内部に、さらに発展しては、一種族の内部に、性と年齢の差異から、
したがって、純粋に生理的な基礎の上に、自然発生的な分業が発生し、それは、共同体の拡大、人口の増大、
また殊に種々の部族間の闘争と一部族の他部族による征服にともなって、その材料を拡張する。他方、前に
述べたように、種々の家族、部族、共同体が接触する地点に、生産物交換が発生する。文化の初期にあっては、
独立して相対するものは、私個人ではなく、家族、部族等だからである。異なる共同体は、それらの自然環境の
うちに、異なる生産手段と生活手段を見出す。したがって、それらの生産様式、生活様式、および生産物は、
種々に異なっている。

3. 共同体の接触に際して、相互の生産物の交換を、したがって、これらの生産物の商品へ
の漸次的転化を惹き起こすものは、この自然発生的差異である。交換は、諸生産部面の区別をつくり出すので
はなく、異なる諸生産部面を関連させて、それらを一つの社会的総生産の、多かれ少なかれ、たがいに依存し
合う部門に、転化させるのである。ここに、元来相ことなる、また
相互に独立した諸生産部面間の交換によって、
社会的分業が成立する
。生理的分業が出発点をなすところにおいて、一つの直接に結ばれた全体の特別の
諸器官が、互いに分離し、分解し、この分解過程には、他の共同体との商品交換が主要衝動を与える。そして、
これらの諸器官は、独立化されて、種々の異なる労働の関連が、商品としての生産物の交換によって
媒介される点にまでたちいたる。一つのばあいは、前に独立していたものが非独立化されるのであり、
他のばあいは、前に独立していなかったものが独立化されるのである。


 すべての発展した、商品交換によって媒介された分業の基礎は、都市と農村との分離
(注51)である。社会の
全経済史が、この対立の運動に要約されると言いうるのであるが、しかし、ここでは、この対立には、これ以上
立ち入らないにする。

(51) 「サー・ジェイムズ・スチュアートは、この点をもっとも適切に論じた。『諸国民の富』の10年前に
現われた彼の著作が、今日ではいかに人に知られていないかは、なかんずく次のことからわかる。すなわち、
マルサスは、その「人口」にかんする著書の第1版において、まったく空疎な演説調の部分を別にすれば、
僧侶のウォレスやタウンゼンドのほかには、ほとんどステュアートを模写しているだけのことである、
ということをさえ、マルサス崇拝者たちは、知らないのである。」 ・・・


4.
 商品生産および商品流通は、資本主義的生産様式の一般的前提であるから、工場手工業的分業は、すでに
ある発展度まで成熟した、社会内の分業を必要とする。逆に、工場手工業的分業は、反作用的に、かの社会的
分業を発展させ、倍加させる。
 
労働用具の分化とともに、これらの用具を生産する産業もますます分化する(注54)
従来は本業または副業として、他の諸産業と関連しており、同一の生産者によって行なわれていた産業も、
マニュファクチャがこれを捉えれば、ただちに分離と相互的な独立化とが生ずる。それが一商品の一特殊生産
段階を捉えれば、
この商品の種々の生産段階は、種々の独立の産業に転化する

製品が、諸部分生産物の単に機械的に組み合わされた全休であるばあいには、部分労働は、それ自身を
再び独自の手工業として独立化しうる
ことは、すでに示唆したところである。一つの工場手工業の
内部において、より完全に分業を行なうために、同じ生産部門が、その原料の相違に応じて、または同じ原料の
とりうる種々の形態に応じて、種々の、部分的には全く新たなマニュファクチャに分かたれる。
かくして、すでに18世紀の前半には、フランスだけで100種類以上の絹織物が織られた。また、たとえば
アヴィニョンでは、「各徒弟は必ず一種類の製造にのみ従事し、幾種類もの織物の製造を、同時に修業すべ
からず」という法規があった。一国の特別の地方に、特別の生産部門を拘束する地域的分業は、
あらゆる特殊性を利用するマニュファクチャによって、新たな刺激を受ける
(注55)
マニュファクチャ時代の一般的存在条件の範囲の一部をなす、世界市場の拡大と植民制度とは、この時代に、
社会内の分業のための豊富な材料を供給する。いまはこれ以上論証すべきばあいではないが、
分業は、社会の経済的部面のみではなく、他のあらゆる部面を捉え、そして到るところで、すでに
アダム・スミスの師アダム・ファーガスンをして「われわれは奴隷のみの国民をなすのであって、われわれの
中には自由民はいない」とまで叫ばしめた、
専門、専業の形成と人間の細分との基礎を、置くのである。

 
(54) かくして、梭(ひ:杼)〔機(はた)織りで、よこ糸を巻いた管を入れて、たて糸の中をくぐらせる
     道具〕の製造は、すでに17世紀中に、オランダの一特殊産業部門をなした。
 
(55) 「イギリスの羊毛工業は、特別の地方に固定されたいろいろの部分、または部門に分かたれ、その
     地方では、専らあるいは主として、この部分が製造されているのではないか! 細布はサマセット
     シャで、粗布はヨークシャで、大幅物はエクセターで、絹物はサッドベリで、クレープはノリッジで、
     羊毛物はケンダルで、毛布はホイットニーで、というように」(バークリ『質問者』1750年、520節)。


5. しかし、社会内の分業と作業場内の分業とのあいたには、多くの類似と関連とがあるにもかかわらず、
両者は、程度のみではなく、本質をもことにする。類似が、もっとも明瞭に争いがたきものに見えるのは、
一つの内部的紐帯(ちゅうたい)が、種々の業種を組み合わせているばあいである。たとえば、飼畜業者は皮を
生産し、製革業者は皮を革(なめしがわ)に、製靴業者は革を深靴に転化する。このばあいには、各業者は、
一つの段階生産物を生産するのであらて、最終の完成態容は、彼らの特殊労働の結合生産物である。
さらに、飼畜業者、製革業者、製靴業者に、生産手段を供給する種々の労働部門がある。そこで人々は、
アダム・スミスとともに、この社会的分業は、ただ主観的にのみ、マニュファクチャ的分業と区別される、と考える
こともできる。すなわち、マニュファクチャ分業のばあいには、種々の部分労働が、一見して空間的にひとまとめに
見られるが、社会的分業のばあいには、部分労働が、広い面積の上に散在していることと、各特殊部門の従業者
数の大きいこととによって、関連が不明にされているというように、観察者にとってのみ区別される、と(注57)。
 しかし、
飼畜業者、製革業者、製靴業者のそれぞれ独立の労働のあいだに、関連を生ぜしめるものは何か?
 彼らのそれぞれの生産物の商品としての存在(ダーザイン)である

これにたいして、マニュファクチャを特徴づけるものは何か? 部分労働者が、何らの商品をも生産しないという
ことである(注58)。 

6. 部分労働者の共同生産物が、はじめて商品に転化する(注58a)。
 
社会内の分業は、種々の労働部門の生産物の売買によって媒介され、
マニュファクチャにおける諸部分労働の関連は、種々の労働力が、それらを結合労働力として使用する、同一資本家に売られることによって、媒介される。マニュファクチャ分業は、資本家の手中における生産手段の集積を前提し、
社会的分業は、多数の相互に独立した商品生産者のあいたにおける、生産手段の分散を前提する
マニュファクチャにあっては、比例数または均衡の鉄則が、一定の労働者群を一定の機能のもとに包括せしめる
のであるが、種々の社会的労働部門のあいだへの、商品生産者および彼らの生産手段の配分にあっては、
偶然と恣意とがさまざまな働きをする。種々の生産部面は、絶えず均衡を保とうとはする。
すなわち一方では、各商品生産者は一つの使用価値を生産し、したがって、一つの特殊の社会的欲望を
充足せねばならないのであるが、これらの欲望の範囲は、量的に異なっていて、一つの内的紐帯が、
種々の欲望量を一つの自然発生的体制に結びつける、ということによって、また他方では、社会がその処理し
うる全労働時間の幾何(いくばく:いくらぐらい)ずつを、各特殊商品種類の生産に支出しうるかを、諸商品の
価値法則が規定する、ということによって。しかし、この、種々の生産部面が均衡を保とうとする不断の傾向は、
この均衡の不断の廃棄にたいする反作用として、働くにすぎない。


7. 作業場内の分業にあっては、ア・プリオリにそして計画的に守られる規律が、社会内の分業にあっては、
内的な、無言の、市場価格の晴雨計(気圧計:気象観測用の気圧計では、気圧の変化は天気の変化と関係が
あること)的変動によって知覚されうる、商品生産者たちの無規律な恣意を圧倒する、自然必然性として、
ただア・ポステリオリ
〔*編集部注1〕に作用するに過ぎない。マニュファクチャ分業は、資本家に属する全体機構の
単なる肢体に過ぎない人間にたいする、この資本家の無条件的権威を前提する。社会的分業は、独立の商品
生産者を、相互に対立させるのであるが、彼らは競争の権威以外には、すなわち、彼ら相互の利害の圧迫が、
彼らに加える強制以外には、なんらの権威をも認めないのである。それは、動物界においても、すべての者に
たいするすべての者の戦いが、あらゆる種の生存条件を、多かれ少なかれ保持するのと同様である。
さればこそ、マニュファクチャ分業を、すなわち、細部作業への労働者の終生的拘束と資本にたいする部分
労働者の無条件的隷属を、労働の生産力を高める労働組織として讃美する、ブルジョア的意識が、同様に
声高く、社会的生産過程のあらゆる意識的社会的統制や規律を、個別資本家の不可侵の所有権、自由、
自律的「独創性」にたいする侵害として、非難するのである。


 〔*編集部注1:ア・プリオリとア・ポステリオリ〕
・ブリタニカ国際大百科事典:ア・プリオリとア・ポステリオリ a priori, a posteriori 「ラテン語で,
「より先なるものから」と「よりのちなるものから」の意。普通「先天的」ないし「先験的」と「後天的」と訳される。
中世哲学では因果系列において,原因からの認識がア・プリオリな認識,結果からの認識がア・ポステリオリな
認識であるとされた。近世哲学では,生物学的,心理学的意味においては生得的なものがア・プリオリ,経験的
に得られたものがア・ポステリオリであり,認識論的意味においては経験に先行する認識がア・プリオリ,経験に
依存する認識がア・ポステリオリな認識であるとされた。カントでは範疇のような悟性形式がア・プリオリであり,
経験的内容はア・ポステリオリと考えられた。現代の論理実証主義では,論理学や数学における言語規則に
よる真理がア・プリオリなものであると考えられる。」


 *編集部注2半製品の用語について
 
半製品と仕掛品 「GLOBIS知見録」https://globis.jp/article/4783
 「たな卸資産には製品、商品、原材料、半製品、仕掛品、貯蔵品などが含まれています。それぞれの定義や
違いについて意外に難しく感じるものもあるのではないかと思います。今回はこの内、半製品と仕掛品の違い
について説明したいと思います。
 半製品とは、会社にとって中間的製品であり、既に加工が終わり貯蔵中で販売ができる状態のものです。
ある会社が製造販売している製品はA工程、B工程、C工程の3つの工程を経て完成されるとします。
例えば、A工程は完了してB工程に投入されるために一時的に保管されている状況のたな卸資産が半製品と
なります。なぜその状態で販売可能なのかと疑問を持たれるかも知れません。社会には様々な事業者が存在
します。A工程完了品を最終製品として製造販売している事業者もいますし、A工程完了品を材料として購入し
追加加工を加えた製品を製造販売している事業者もいるでしょう。
最初の例では、A~C工程を完了したものを、会社にとっての最終的な製品としてたな卸資産にしていますが、
A工程を経た状態でも販売することは可能ということです。また、製造工程は完了して外観や機能的には製品と
同様の状態にあっても、まだ最終の検査工程を完了していない、または梱包されていない状態のたな卸資産を
半製品と区分する場合もあります。
 仕掛品は、製品、半製品などの製造のために仕掛中の状態のたな卸資産を言います。先ほどの例で示すと、
A工程に投入されまだA工程が完了していない状態です。英語で仕掛品はwork in processと言いますが、
こちらの方がイメージしやすいのではないでしょうか?仕掛品は、特定の事業によっては別の勘定科目で
表されることがあります。例えば、建設業における未成工事支出金が該当します。建設途中で仕入れた工事
材料、労務費、建設工事に係る諸経費などを未成工事支出金として集計され貸借対象表に計上されます。
 半製品と仕掛品は、会社にとっての最終製品に至る製造過程にあるたな卸資産としては共通しています。
しかし、ざっくりしたイメージでは会社にとって最終製品ではないがそのままの状態で外部へ販売可能な状態で
保管されているものは半製品、これに対して、依然としてある工程内で仕掛中でありそのままの状態では長期
保管も外部販売もできないものは仕掛品となります。
 
<半製品> ウィキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E8%A3%BD%E5%93%81
 「半製品(はんせいひん)とは、工業簿記または企業会計において、製造途中にある製品のこと。原材料を
いくらかでも加工してあれば認識される仕掛品とは異なり、それ自体が製品として販売可能な状態であるが、
企業にとっては製造途中であるものが半製品として認識される。勘定科目としての半製品勘定は、棚卸資産に
分類され、流動資産である。」


9. (57) 「アダム・スミスは言う、本来のマニュファクチャにおいては、分業がより大であるように見えるのは、
 「各種の作業部門に使用される人々が、同じ作業場内に集められて、観察者の一望のもとに置かれうることが
 多いからである。これに反して、住民の大集団の大きな欲望を充たすべき、これらの大マニュファクチャ(!)
 においては、各種の作業部門は、すべてを、同じ作業場に集めることが不可能なほど、多数の労働者を使用する。
 ……分業はあまり明瞭ではない」(アダム・スミス『諸国民の富』第1篇、第1章〔第1巻、7ページ。岩波文庫版、
 第1分冊、99ページ〕)。同じ章における、「開化繁栄した一国における、もっとも普通の手工業者、または日雇
 労働者の家財道具を観察せよ、云々」の言葉で始まり、さらに進んで普通の一労働者の欲望を充たすためにも、
 いかに無数の種々の産業が協力しているか、を描写する有名な章句は、ほとんど一語一語、
 B・ドゥ・マンドゥヴィルが、その著『蜜蜂物語、私悪は公益』につけた注から、引き写されている」(初版、
 注なし、1705年。注つき、1714年)
      〔編集部注:『蜂の寓話―私悪すなわち公益』 法政大学出版局1985,1993年〕。


10. (58)「個々人の労働の自然的報酬と呼ぱれうるものは、もはや何もない。各労働者は、一つの全体のある
 部分のみを、生産するのであり、そして各部分は、それ自身価値または効用をもたないのだから、労働者が
 手につかんで、それは私の生産物だ、これを自分のものにして置こう、と言いうるものは何もない」
  (『資本の要求にたいする労働の防衛』ロンドン、1825年、25ページ)。
   このすぐれた書物の著者は、前に引用したT・ホジスキンである。


11. 
部分生産物 ー 使用価値の分解と抽象化

  (58a) 「第2版への注。社会的分業とマニュファクチャ的分業とのこの区別は、アメリカ北部諸州には、
 実際的に例証された。南北戦争中に、ワシントンで新しく案出された税の一つは、「あらゆる工業生産物」に
 たいする6%の消費税だった。
質問、工業生産物とは何か? 
 立法者の答え、ある物が生産されたというのは、「
それが作られた場合」であり、
 それが
作られたものであるといえるのは、売れるようにでき上がっているばあいである。

 多くの中から一例を挙げよう。ニューヨークやフィラデルフィアのマニュファクチャは、
 
以前には雨傘を、すべての付属物とともに「作って」いた。しかし、雨傘は、全く異質的な構成部分の組成物
 であるから、これらの構成部分は次第に、相互に独立にかつ異なる場所で経営される諸業種の製品となった。
 いまやそれらの
部分生産物は、独立の商品として雨傘マニュファクチャに入って行き、雨傘工場は、それらを
 一つの全体に組み立てるに過ぎなくなった。北部諸州は、この種の商品を“assembled articles”(集合品)と
 命名したが、それは租税の集合場所としてのこれらの商品には、とくにふさわしいものだった。
 かくて、
雨傘は、まずその各要素の価格にたいする6%の消費税を、それから、さらに、それ自身の
 総価格にたいする6%の税を『集めた』のである
。」


12. 資本主義的生産様式の社会では、社会的分業の無政府とマニュファクチャ的分業の専制とが、互いに
制約し合うとすれば、これに反して、諸産業の特殊化が、自然発生的に発展し、ついで結晶し、ついに法律に
よって確立された、以前の諸社会形態は、一方では社会的労働の計画的かつ権威的な組織の姿を示しながら、
他方では、作業場内の分業を全く排除するか、または、それをただ矮小規模においてのみか、あるいは
散在的かつ偶然的にのみ、発展させるのである。

13. (59) 「権威が、社会内の分業を支配することが少なければ少ないほど、ますます作業場内の分業は発達し、
 そしてそれはますます、個人の権威に従わしめられる、という一般的法則が立てられうる。かくて、作業場内の
 権威と社会内の権威とは、分業にかんしては、互いに反比例するのである」(カール・マルクス『哲学の貧困』
 130・131ページ〔山村喬訳『哲学の貧困』岩波文庫版、152ページ。新潮社版『選集』第3巻、105ページ〕)。

    ・・・以上、以下省略・・・