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  ヘーゲル 『エンチュクロペディ』 第2篇 自然哲学 


  第3部 有機的な自然学 (Organische Physik)


                        
 有機的な自然学 337節

 

    C 動物的な有機体 (Der tierische Organismus)

 
 350節
 有機的な個体性は、主体性として現存する。ただしそれは、形態の固有の外面性が分肢へと観念化
され、有機体が、外へ向かうその過程において、自己としての統一を自分のうちに獲得するかぎりに
おいてである。これが、動物的な本性である。動物的な本性は、直接的な個別性の現実性と外面性の
なかにありながら、同時にこれに対抗して、自分のうちへ反省した個別性の自己、すなわち、自己の
うちに存在する主体的な普遍性
(第163節:注)である。

  〔編集部注:小論理学163節岩波文庫p.127〕
  「 A 主観的概念 (Der subjective Begriff) 
a 概念そのもの (Der Begriff als solcher)
  163節 
   概念そのものは、次の3つのモメントを含んでいる。(1)普遍(Allgemeinheit)―これは、その規定態
  のうちにありながらも自分自身との自由な相等性(Gleichheit)である。(2)特殊Besonderheit ―
  これは、そのうちで普遍が曇りのなく自分自身に等しい姿を保っている規定態である。
  (3)個(Einzelnheit)―これは、普遍および特殊の規定態の自己反省である。そしてこうした自己との
  否定的統一は、即自かつ対自的に規定されたものであるとともに、同時に自己同一なものあるいは
  普遍的なものである。
   個は現実的なものと同じものであるが、ただ個は概念から出現したものであら、自己との否定的
  同一としての普遍的なものとして定立されている。現実的なものは即自的にのみ、すなわち直接的
  にのみ、本質と現存在との統一であるにすぎないから、それは産出することもできるものにすぎない。
  しかし概念の個別性は、絶対的に産出するものであり、しかも原因のように、他のものを産出すると
  いう仮象を持たず、自分自身を産出するものである。―しかし、個は、われわれが個々の物や個々の
  人と言う場合に意味するような、単に直接的な個の意味に解されてはならない。こうした意味を持つ
  規定された個は、判断においてはじめてあらわれる。概念のモメントの各々は、それは自身全体的な
  概念なのであるが(160節)、しかし個、主体は、統体性として定立された概念である。」


 352節
 動物的な有機体は、生きた普遍性として概念である。概念は、推論として、概念の三つの規定を経過
する。推論とは、そのどれもがもともと自体的に実体的は統一性をもつ同一の統合である。これらの推論
は、同時に形式規定Formbestimmungの点では他の推論への移行である。そこで、こうした過程から
現存するものとしての統合が結果として出てくる。存在者としてではなく、もっぱらこのように自己を再生産
するものとして、存在しかつ自己を維持するものが、生命あるものである。生命のあるものは、自己を自己
が現在あるところのものにすることによってだけ、存在する。生命のあるものは、先行するものでありながら、
それ自身はただ結果であるような目的である。―したがって、有機体は次のように考察される。
a)個体的な理念として、すなわち、その過程の中で自己自身とだけ関わり、自己自身の内部において自己
を自己と推論的に連結する個体的な理念として考察される―これが形態である。つぎに、
b)自分の他者と、
すなわち、自分の非有機的な自然と、関わり、この自然を観念的に自己自身のうちへ措定する理念として
考察される―これが同化である。
c)有機体はまた、理念、ただしそれ自身生きた個体である他者と関わり、
したがって、他者の中で自己自身と関わる理念である。―これが
類の過程 Gattungsprozeßである。(注)
   〔編集部注:動物・植物の
属 Gattung (Art・種の上、Familie・科の下の分類区分)である。〕


 
補 論  動物的有機体は小宇宙、すなわち自然の単独的となった中心である。その内には無機的自然
全体が総括され理想化されている。このことはいっそう詳細に叙述しなければならない。動物的有機体は、
外面性の内でおのれ自身に関係するという主体性の過程であり、このことによってここにようやく、それ以外
の自然が一つの外的自然として存在する。なぜならば、動物的なものは外的なものとのこの関係の中で自己
を維持するからである。しかし植物のほうは、外部へと引っぱられるとはいえ、他者との関係の中で真に自己
を維持するものではない。それゆえ植物に対しては、それ以外の自然はまだ外的自然として存在していない。
― 動物的生命は、自分自身の産物として、自己目的として、目的であると同時に手段である。目的とは、
あらかじめすでに存在している観念的(ideell)規定である。そして次に、存在するこの規定に適合しなければ
ならない実在化の活動が入ってくると、他のものは何も現れ出ない。実在化とは同様に、自己への復帰である。
達成された目的は、活動的なものの内にすでに存在していたのと同じ内容をもっている。したがつて、生命的
なものはそのいっさいの活動をもってしても、それ以上は進まない。有機組織はおのれ自身にとって目的で
あるのと同様に、またおのれ自身にとって手段である。有機組織はなんら存立するものではないからである。
内臓、肢体一般は、それらが相互に能動的であることによって、つねに観念的に措定される。それぞれのもの
が他のいっさいを犠牲として、中心点としてのおのれを産出する。同様に、それぞれのものはただ過程を通じ
てしか現存しない。すなわち、止揚されたものとして手段へと引き下げられたものが、それ自身目的であり、
産物である。―動物的有機体は、概念を展開するものとして、ただ概念の区別だけを開示する理念である。
そこで、概念のどの契機も他の諸契機を包含しており、それ自身体系であり全体である。これらの統合は
規定された統合として、移行していくうちに、ちょうどそれぞれの体系がもともと自体的に全体であるように、
一つの全体としての、主体としての全体を産み出す。


 第一の過程は、自分を自分に関係づけ、自分を肉体化する(verleiblichend)有機体の過程である。つまり、
他者を自分自身のもとにもっているような有機体の過程である。これに対して、第二の過程は、無機的自然
に対して、すなわち他者としての自分のもともとの自体に対して向けられた過程であり、生命的なものの判断、
生命的なものの能動的概念である。第三の過程はもっと高次の過程である。すなわち個別性と普遍性、
個体が類としての自分に対する過程である。個体はもともと自体的には類と同一である。―これらの過程は、
完全な動物である
人間的有機体(menschlichen Organismus)の中で、もっとも完全でもっとも明瞭に形成され
ている。したがって、この最高の有機体の身についているという形で一般に普遍的な典型が現在している。
この典型[人間]の内でまたこの典型からはじめて、未展開の有機体[猿]の意義が認識できる。
未展開の有機体が身につけた形でこの典型を展開することができる。


 
 a 形態
 
 
353節
  形態 Gestalt とは、単に自己自身への関係の中だけの全体としての動物的な主体である。
      (Gestalt ist das animalische Subjekt als ein Ganzes nur in Beziehung auf sich selbst.)
 この主体は、自分の身についた形で概念をその発展した規定で、したがって、その主体のなかに
 現存している規定であらわしている。・・・以下、省略・・・