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コラム9>資本論入門8月号 (資本論蒸留法

  
 『資本論』 第1章、「第1節入門」 について

    
      特集 
『資本論』価値分析に対する“蒸留法”批判について ― 序論 ―
         
        ・・・・
ベーム・バーヴェルクと日本のマルクス経済学者たち ・・・・
                                   八木紀一郎著 「ベーム・バヴェルク」 紹介・抄録
 
まえがき
 
   衝撃的な幕開けとなった北部資本論研レポートから、半年が経過しました。
   レポートの原稿整理が遅れていますので、その合間を縫って、
   <コラム9>『資本論』第1章 「第1節入門」 をご報告します。
 
 「第1節入門」という少々奇妙な「入門」篇ですが、『資本論』第1章読解には欠かせないものとなっています。
北部資本論研の皆さんから、『経済学批判』第1章商品と『資本論』第1章第1節の関連について、
私たち資本論ワールド探検隊に画期的な問題点を提供していただきました。
 それは、
マルクス価値分析の“蒸留法”批判 ―ベーム・バーヴェルクによるマルクス経済学批判―に対する
反批判であり、新しい『資本論』第1章読解への道案内ともなりました。
 北部資本論研レポートと現在掲載中である「ベーム・バーヴェルクと日本のマルクス経済学者たち」の簡単な
見取り図をとの要望もあり、サイドブックとしての手引きが計画され、<
コラム9>にいたりました。

 さて、「まえがき」は以上として、目次風に全体を見渡してみます。
  
第1章 『経済学批判』の使用価値と交換価値のキーワード
  
第2章 重商主義と商人資本について ・・・ウイリアム・ペティの時代背景・・・
  
第3章 『経済学批判』から『資本論』第1章へ
 まず第1章キーワードでは、「使用価値」と「交換価値」について 『経済学批判』ではどのように定義され、
用法として述べられているか報告があります。( 各定義と用法の詳細は、別紙にありますので後で参照して
ください。 『
経済学批判 「使用価値」の分析 「交換価値」の分析 )
これにより、ベーム・バーヴェルクのマルクス批判と比較対照することが可能となり、価値論を
めぐる論争を具体的な内容に沿って把握できるように配慮してあります。
 第2章では、重商主義についてのマルクスのコメントを簡単に引用しながら、『経済学批判』A商品分析の歴史を
たどってゆきます。『資本論』では、『経済学批判』との連続性が簡単に理解できるようにはなっていません。
経済科学の創始者である
ペティの紹介を兼ねながら、重商主義時代の「商品」分析の個性的特徴を紹介して
ゆきます。これについても、現在掲載中の予備資料として連動しています。
 最後の第3章で、『資本論』第1章「第1節入門」篇となります。
 第1章のキーワードの見通しから、『資本論』第1章全体に対する「第1節」の位置づけを読み取るための情報を
得ることが可能となります。
 
 
マルクスは、『資本論』第1版序文と第2版後書で『経済学批判』との関連について説明しています

 
第1版序文 「この著作は、1859年に公けにした私の著書『経済学批判』の続きであって、私はここにその
 第1巻を読者に提供する。初めに出したものとこの続編との間には永い中絶を余儀なくされたが、これは私の
 永年にわたる病気が、私の仕事をいくたびか中断させたからである。
 
 右の旧著の内容は、この第1巻の第1章に要約されている。この要約は、関連を明らかにし遺漏のないことを
 期すだけのためにしたわけではない。叙述が改善されたのである。事情が許すかぎりは、以前ただ示唆しただけに
 終っている多くの点が、ここではくわしく述べられている。他方、逆に
旧著では詳細に述べたところが、この著では
 わずかに示唆だけにとどまっているばあいもある。
価値理論と貨幣理論の歴史にかんする諸節は、新著では
 もちろん全部除いた。しかし、旧著の読者は、第1章の注で、これらの理論の歴史にたいする新たな資料が提供
 されているのを見られるであろう。」

 
第2版後書では 「私は第1版の読者にたいして、まず第2版でなされた変更について報告しておこう。
 目だった変更は、各篇をずっと見渡しやすいように分けたことである。追記した注は、みな第2版注と明記して
 おいた。本文そのものについては、
もっとも重要なのは次のようなことである。
 
 第1章第1節で、一切の交換価値が表現される方程式の分析を通じて価値を導き出すことは、科学的に
 ずっと厳密にやっておいた
。同じく、第1版で示唆を与えただけにとどまっていた価値実体と社会的に必要なる
 労働時間による価値の大いさの規定との間の関連は、はっきりと強調しておいた。第1章第3節(価値形態)は
 全部書き改めた。・・・第1章の最後の節「商品の物神的性格云々」は大部分書き改めた。」
  これら二つの注意書きにおいて、
  
第1版序文では<1>「第1章の注で、これらの理論の歴史にたいする新たな資料が提供されているのを
 見られる」こと。
第2版後書では<2>「一切の交換価値が表現される方程式の分析を通じて価値を導き出す
 ことは、科学的にずっと厳密にやっておいた。」
 この<1>と<2>は、
『経済学批判』との連続性を示す結束点として重要な論点ですので、記憶しておいてください。


 <コラム9>資本論入門8月号

   
『資本論』 第1章 「第1節入門」

  第1章 『経済学批判』の使用価値と交換価値のキーワード


 はじめに
 マルクスは、
交換価値の労働時間による規定について、つぎのように強調しています。 
                                       
*注:()内の数字は段落番号を示す
1.
 「(8) 交換価値の労働時間による規定を理解するためには、次の主要な観点をしっかり理解しておかねばなら
ない。すなわち、労働を単純な、いわば質の差のない労働に整約すること。 交換価値を生む、したがって商品を
生産する労働を、社会的労働となしている特殊な仕方。 最後に、使用価値という結果を生む労働と、交換価値という
結果を生む労働との相違。商品の交換価値を商品に含まれている労働時間で測るためには、さまざまな労働自身が、
無差別の、一様な、単純な労働に、簡単にいえば、質的に同一であり、したがってただ量的にのみ区別される労働に
整約されていなければならない。」

 
そして、交換価値の「一般的に人間的な労働の抽象」について説明しています。

2.
 「(9) この整約は抽象として現われる。しかし、それは、社会的生産過程において毎日行われている抽象である。
すべての商品を労働時間に分解することは、決して、一切の有機体をガス体に分解する以上に進んだ抽象では
ないが、しかし同時に、それ以下に現実性の希薄な抽象でもない。このように時間によって測られる労働は、
実際には様々な主体の労働として現われるのではなく、むしろ
労働する様々な個人が、同じ労働の単なる器官
して現われる。あるいは、
交換価値に表われる労働は、一般に人間的な労働という言葉で表わされえよう
この一般的に人間的な労働の抽象は、一定の与えられた社会の各平均的な個人が行いうる平均労働として存在して
いる。すなわち、人間の筋肉、神経、脳髄等々の一定の生産的な支出である。それは、単純労働であって、すべての
平均的な個人はこれをなすことが出来るようになっており、また彼は、どんな形態かでこれを行うにちがいない。
この平均労働の性質は、それ自身国の異なるにしたがい、また文化時代の異なることによって、ちがっている。
しかし、一定の与えられた社会では与えられたものとして現われる。」


3.  
問題を複雑にしている最大の理由は
 
商品の使用価値が、交換価値に変換されて量的関係を形成する場合のメカニズムの解読です。
 そして、「交換価値の労働時間による規定」の形式と、交換価値が「一般的に人間的な労働の「抽象」となって
 現象するメカニズムの関連が、どのように展開されているか、― 探究課題となっています。

  第1節 労働の生産力増減と自然関係の制約・・・(『経済学批判』 第18段落

(18) したがって、商品の生産のために必要とされる労働量が不変であるとすれば、その交換価値は不変ということに
なろう。しかし、
生産の難易はたえず変化している。労働は、その生産力が増大するならば同一の使用価値を
より短い時間で生産する。労働の生産力が低下するならば、同一の使用価値の生産のために要する時間は多くなる。
一商品に含まれている労働時間の大いさ、すなわち、その交換価値は、したがって変化するものであって、労働の
生産力の増減に逆比例して増減する。
 製造工業で予め定められた度合で用いられている労働の生産力は、農業や抽出産業〔鉱山業など〕においては、
同時に統御しえない自然関係によって制約されている。同一労働を用いても、地殻中にふくまれる一定金属の割合が
少ないか多いかにしたがって、それぞれそれらの金属の採掘量は、大きくなったり小さくなったりするだろう。
同一労働が、豊年には2ブシェルの小麦に、凶年には恐らく1ブシェルの小麦に対象化されるだろう。
ここでは、自然関係として稀少であったり、過剰であったりすることが、
商品の交換価値を定めるように見える
というのは、
この稀少と過剰とが、自然関係に拘束されている特殊の現実の労働の生産力を定めるからである。
 
同一の使用価値の生産のために要する時間は、絶えず変化してゆきます。したがって、その交換価値は、
   労働の生産力の増減に逆比例して増減してゆきます。
 
また、農業や自然 〔主として土地や海〕 から産出される産物などは、自然関係 〔農産物や鉱物などの自然環境〕
   に制約 ― 希少性や豊富さ ― され、生産物の増減に影響を及ぼします。 
(*注1)
  
  
(*注1)この自然環境によって左右されてしまうことから、「投下労働量による価値量が規定される理論」に疑念が
      生じることになります。
また、ペティなどの重商主義時代の「価値概念」に影響を及ぼす原因ともなります。


  第2節 社会的生産諸力の前進的な展開=諸使用価値の序列化
 
     ・・・生産の難易はたえず変化する・・・   ( 『経済学批判』第19段落 )

(19)  さまざまな使用価値は、その不等な分量の中に、同一の労働時間または同一の交換価値を含んでいる。
一定量の労働時間を含んでいるある商品の使用価値の分量が、他の使用価値と比較して小さければ小さいほど、
この商品の特殊な
交換価値は大きい。文化段階がそれぞれ遠く時をへだててちがっている場合に、
いろいろの使用価値がおたがいの間に特別の交換価値の系列をつくっており、それらの交換価値が、正確に
同じ数の比例をなしてはいなくとも、例えば、金、銀、銅、鉄、または小麦、裸麦、大麦、燕麦というように、相互に
上位下位の一般関係をたもっているとするならば、このことから生ずる結果は次のようになる外ない。すなわち、
社会的生産諸力の前進的な展開は、かの各種の商品の生産のために
必要な労働時間に作用して、これを均等に、
あるいは近似的に均等にしてゆく
ということである。

 
自然環境の制約のもとにあっても、商品生産の「社会的生産諸力の前進的な展開は」、「生産のために必要な
   労働時間に作用して、各種の商品を均等に、あるいは近似的に均等にしてゆく」ことになります。これによって、
   「商品の生産のために必要とされる労働量」は、均等化されるにつれて、「社会的に必要な一般的労働時間の
    一定量」が形成されてゆきます。 
(*注2)
   
   (*注2)
ペティの時代では、「商品生産」が産業全般にわたって一般的であったわけでない。農村部と都市住民の
        間の生産物交換では、一部に貨幣が使用されたが、“物々交換”も広範囲に行われていた。


  第3節  商品の使用価値は比例関係・Verhältnisに置かれる
 
           ・・・比例関係のもとで、社会性の商品世界が生成する ・・・

(20)  商品の交換価値は、それ自身の使用価値のうちに表われるものではない。だが、一商品の使用価値は、
一般的な社会的労働時間の対象化として、
他の商品の使用価値と比例関係におかれる
この一商品の交換価値は、このように、他の商品の使用価値で表明されている
実際上、
他の一商品の使用価値に表現された一商品の交換価値が 等価 〔Äquivalent:等価物〕である。(*注3)
                   〔(*注3)“等価”の性格を獲得したものが商品の交換価値を持つことになる〕

例えば、
1エルレの亜麻布は2ポンドのコーヒーに値するとすると、亜麻布の交換価値は、コーヒーという使用価値で、
しかもこの使用価値の特定の量で表現されている。
この割合が与えられているとすれば、亜麻布のいかなる分量でも
その価値をコーヒーでいい表わすことができる。一商品、例えば亜麻布の交換価値は、他の特別な一商品、例えば、
コーヒーがその等価をなしている比例関係でつきているものでないことは明らかである。

 
 商品生産のために必要とされる使用価値の労働量が、均等化されるにつれて 「一商品の使用価値は、
   一般的な社会的労働時間の対象化として、他の商品の使用価値と比例関係におかれる
」ことになります。
   比例関係の割合が社会的に習慣化されるにつれて、「例えば亜麻布の交換価値は、他の特別な一商品、例えば、
   コーヒーがその等価をなしている比例関係でつきているものでない」ので、 「 同時に他のすべての商品の
   使用価値の無限に多様な分量に実現されて」 ゆきます。 
〔拡大された価値形態の形成〕


  第4節 商品世界の成立は、価値方程式が形成される

                            (『経済学批判』 第20~21段落
(20)~(21) 一般的労働時間の一定量は、これを表示しているのが1エルレの亜麻布であるが、同時に他の
すべての商品の使用価値の無限に多様な分量に実現されている。あらゆる他の商品の使用価値が
等量の
労働時間を表わしている割合にしたがって
、それらの商品の使用価値は、1エルレの亜麻布の等価をなしている
したがって、
この個々の商品の交換価値を十分に表現するには、他のすべての商品の使用価値がその等価を
なしている無限に多数の方程式をもってくる外ない
これらの方程式の総計 連立方程式を形成すること
または一商品が他のあらゆる商品と
交換される種々の比例関係の総体においてのみ、
この商品は一般的等価として、あますところなく表現される。

(21) 例えば方程式の系列  
連立方程式で表示すると
  1エルレ 亜麻布 = 1/2ポンド 茶
  1エルレ 亜麻布 = 2ポンド コーヒー
  1エルレ 亜麻布 = 8ポンド パン
  1エルレ 亜麻布 = 6エルレ キャラコ
 は、次のように表わされうる、
 1エルレ亜麻布=1/8ポンド茶 + 1/2ポンドコーヒー + 2ポンドパン +1.5エルレキャラコ
(注4)、(注5)

(注1)
:〔1.5エルレキャラコ=(6÷4)エルレキャラコ〕 
(注2):「1エルレ亜麻布=1/8ポンド茶+・・・1.5エルレキャラコ」は連立方程式が形成されていることを示している。

 
 商品世界が成立するとともに、一般的価値形態は、価値方程式として完結して構築されることになります。



   第2章 
重商主義と商人資本について ・・・ウイリアム・ペティの時代背景・・・

 
はじめに
 ペティからアダム・スミスにいたるまでの時代―重商主義について、マルクスは次のように述べています。

 「(18) 近代的生産様式の最初の理論的取扱い―重商主義―は、
 必然的に、商業資本の運動に独立化されている流通過程の表面的諸現象から出発し、したがってただ外観だけを
 つかみ上げた。それは、一部は、商業資本が、資本一般の最初の自由な存在様式だからである。一部は、封建的
 生産の最初の変革期において、近代的生産の成立期において、商業資本の及ぼす優勢な影響のゆえである。
 近代的経済の現実的科学は、理論的考察が流通過程から生産過程に移るところで初めて始まる。」
                  
(『資本論』第3巻第20章 商人資本にかんする歴史的考察)

 マルクスは、『資本論』で「商人資本にかんする歴史的考察」を行っています。これにより、私たちは、近代経済学の
創始者である
ウイリアム・ペティの「商品分析」の源流を学ぶことができます。
商品分析の歴史を重商主義の時代から始めることによって、アダム・スミス以前の商品分析の特徴を克明に
追跡する
ことが可能となります。文末の()内の数字は、第20章の各段落を示しています。


 第1節 重商主義と商人資本の特徴  ・・・()の数字は段落番号を示す

 「16世紀および17世紀においては、地理上の諸発見に伴って商業において起こり、商人資本の発展を急速に進めた
 諸大革命が、封建的生産様式の資本主義的生産様式への移行の促進で、一つの主要契機をなしているということには、
 疑問の余地はない―そしてまさに
この事実が、全く誤った諸見解を産み出した。世界市場の突然の拡大、流通する
 商品の幾層倍加、アジアの生産物とアメリカの財宝とを、我がものにしようとするヨーロッパ諸国民間の競争、植民制度、
 これらのものは、生産の封建的諸制限の粉砕に本質的に寄与した。しかし、近代的生産様式は、その第一期である
 工業手工業時代においては、そのための諸条件が、すでに中世の内部で産み出されていたところにおいてのみ発展した。
 たとえば、オランダとポルトガルとを比較せよ。そして16世紀および一部はなお17世紀においても、商業の突然の拡張と
 新たな世界市場の創出とが、古い生産様式の没落と、資本主義的生産様式の興隆とに一つの優勢な影響を及ぼしたと
 すれば、このことは、逆に、すでにひとたび作り出された資本主義的生産様式の基礎の上で行なわれたのである。
 世界市場は、それ自体、この生産様式の基礎を形成する。他面、この生産様式に内在する、たえずより大規模に
 生産することの必然性は、世界市場の不断の拡張に駆り立て、したがってここでは、商業が産業をではなく、産業が
 たえず商業を革命する。今では商業覇権も、大工業の諸条件の大なり小なりの優勢に結びつけられている。
 たとえばイギリスとオランダとを比較せよ。支配的商業国民としてのオランダの没落の歴史は、産業資本への
 商業資本の従属の歴史である。
(13)


 第2節 封建制から商人資本の成長と発展

  封建的生産様式からの移行は、二重に行なわれる。生産者は、農業的自然経済と、中世都市工業の同職組合的に
 拘束された手工業と対立して、商人および資本家となる。これが現実に革命的な道である。あるいはまた、商人が
 直接に生産を支配する。後の方の道は、いかに歴史的には移行として作用するにしても―たとえば17世紀の
 イギリスの織物商人のように、彼は独立してままの織物業者を自己の統制化に置き、彼らのその羊毛を売って彼らの
 織物を買い取る―、それ自体としては、古い生産様式を変革するに至りえず、むしろこれを保存して、自己の前提と
 して維持する。たとえば、フランスの絹工業、イギリスのメリヤスおよびレース工業における製造業者は、今世紀の
 中頃に到るまでなお大部分は単に名目上の製造業者だったにすぎず、現実には、織物業者には、その旧来の
 分散的な仕方で作業を続けさせ、自分は、織物業者が事実上彼のために労働する、商人としての支配だけを行なう
 という、単なる商人であった。
(14)

 かくして、三様の移行が行なわれる。第一には、商人が直接に産業資本家になる。商業の土台の上に起こされた
諸産業のばあいがそれで、ことに、商人によって原料や労働者とともに、外国から輸入される奢侈品工業、たとえば、
15世紀にイタリアでコンスタンティノープルから輸入されたそれのようなばあいである。
第二には、商人が小親方を自分の仲買人(middlemen)とするか、あるいはまた直接に自己生産者から買う。
商人は生産者を、名目上は独立のままにしておき、その生産様式を変化させずにおく。
第三には、産業家が商人となって、直接に大規模に商業のために生産する。
(15)


 第3節 商業資本の役割とまとめ

  商業資本はもはや流通過程だけを行なう。元来、商業は、同職組合的および農村家内工業と封建的農業とを、
 資本主義的経営に転化させるための前提であった。商業は生産物を商品に発展させる。それは一部には、生産物の
 ために市場を作り出すからであり、また一部には、新たな商品等価をもたらし、また生産に新たな原料と補助材料を
 供給し、したがってまた、初めから商業を土台にして起こされる諸生産部門、すなわち、市場および世界市場のための
 生産に基づくとともに、世界市場から生ずる諸生産条件に基づいて起こされる、諸生産部門を開くからである。
(16)

  商業と商業資本の発展は、到るところで、
交換価値に向けられた生産を発展させ、その範囲を拡大し、それを
 多様化し、そして世界化し、貨幣を世界貨幣に発展させる。それゆえ、到るところで商業は、種々に異なるその形態の
 如何を問わず、主として
使用価値に向けられている既存の生産組織の上に、多かれ少なかれ分解的に作用する
 しかし、どの程度まで、それが古い生産様式の分解をひき起こすかは、まず第一に、その生産様式の堅固さと
 内部構成との如何にかかる。そして、この分解過程が、どこに帰着するか、すなわち、いかなる新たな生産様式が、
 古いそれにかわって現われるかは、商業にではなく、古い生産様式そのものの性格にかかる。古代世界においては、
 商業の作用と商人資本の発展とは、つねに奴隷経済に結果する。
(12)


 第4節 商人資本から産業資本へ
 
  工場手工業・マニファクチャがある程度まで強固になれば、そして大工業がそうなればなおさら、それはまたそれで市場を
 作り出し、その商品によって市場を征服する。いまや商業は、市場の不断の拡張を生活条件とする産業生産の召使と
 なる。たえず拡大される大量生産は、既存市場に氾濫を起こし、したがってたえずこの市場の拡大を、その制限の
 突破を、はかりつつある。この大量生産を制限するものは、商業ではなく(商業が現存需要のみを表現するかぎりでは)、
 機能しつつある資本の大いさと、労働の生産力の発展とである。産業資本家は、たえず世界市場を前にして、彼自身の
 費用価格を、単に自国の市場価格とのみではなく、全世界の市場価格と比較しており、またたえず比較せねばならない。
 この比較は、以前の時代には、ほとんどもっぱら商人のことに属し、かくして商業資本のために産業資本にたいする
 支配を保証する。
(17)

 以上で、「重商主義と商人資本」の報告とします。
これらの時代背景を参考にしながら、近代経済学の創始者として、ウィリアム・ペティの『政治算術』や
小林昇著 「ペティからスミスまで―商品把握の形成」を参照して下さい。



  第3章 『経済学批判』から『資本論』第1章へ

 
はじめに
  第3章は、<コラム7>資本論入門8月号の最終目標である『資本論』第1章、「第1節入門」篇となります。
  なぜ、「第1節入門篇」が必要なのか?

1. この問いに答えること、・・・・
コラム9>冒頭の「まえがき」にありますように、
「 衝撃的な幕開けとなった北部資本論研のレポートから、半年が経過しました。
レポートの原稿整理が遅れていますので、合間を縫って、<コラム7>『資本論』第1章「第1節入門」をご報告します。
 「第1節入門」という少々奇妙な「入門」篇ですが、『資本論』第1章読解には欠かせないものとなっています。
北部資本論研の皆さんから、
『経済学批判』第1章商品『資本論』第1章第1節の関連について、
私たち資本論ワールド探検隊に画期的な問題点を提供していただきました」ことが、「「第1節入門篇」の背景にあります。

 この「関連の結び目」に、マルクス独特の「歴史的に、論理的に」方法論が形成され、「商品論」の分析で叙述されて
います。マルクスは『経済学批判』で、第1章に続いて「A商品分析の歴史」を解説しています。
この
「第1章」と「A商品分析の歴史」に相当する文脈の端緒として、「歴史的に、論理的に」エレメントを設定しています。

 『資本論』第1章、第1節の表題が「商品の2要素(Die zwei Faktoren der Ware) 使用価値と価値(価値実体、
価値の大いさ)」となっています。これに対して、
第2節は、「商品に表わされた労働の
二重性」( Doppelcharakter der in den Waren dargestellten Arbeit )となっています。
これは、「二重性」(Doppel
charakter)のDoppelは、例えば 「Doppelexistenz : 二重の存在、二重人格的存在 の
ように、「一つの実体の中に二つの実在が同居することなど」を示す概念を表現します。
これに対して、第1節の「2要素 zwei Faktoren」は、別々に独立性をもったまま、「2つの要素」として存在している場合を
想定することも可能である表現形式を示しています。

 第3節では、「価値形態または交換価値(Die Wertform oder der Tauschwert )」とあります。
 ここでは、「商品は使用価値または商品体の形態で、すなわち、鉄、亜麻布、小麦等々として、生まれてくる。これが
彼らの生れたままの自然形態である。だが、これらのものが商品であるのは、ひとえに、それらが、二重なるもの、
すなわち、使用対象であると同時に価値保有者であるからである。
したがって、これらのものは、
二重形態 〔Doppelform〕、すなわち自然形態と価値形態をもつかぎりにおいてのみ、
商品として現われ、あるいは商品の形態をもつのである。」 となっています。
 また、
 第4節 「商品の物神的
性格とその秘密(Der Fetischcharakter der Ware und sein Geheimnis)」では、
 「机が商品として現われるとなると、
感覚的にして超感覚的な物に転化する。労働生産物が商品形態をとるや否や
生ずる、その謎にみちた性質、商品形態の神秘に充ちたものは、単純に次のことの中にあるのである、すなわち、
商品形態は、人間にたいして彼ら自身の労働の社会的性格を労働生産物自身の対象的性格として、これらの物の
社会的自然属性として、反映するということ、・・・労働生産物は商品となり、感覚的にして超感覚的な、または社会的な
物となるのである。」
 このように、第1章第1節、当初の「商品の2要素」の規定である「使用価値と価値」は、2節、3節、4節へと進むに
つれて、多様な性格をもつことになります。マルクスの「商品分析」のあり方も、「商品」の分類体系の変化・発展ととに
感覚的にして、超感覚的な「分析」方法が導入されてゆくことになります。
 なぜならば、重商主義時代に語られている「商品」の概念規定と、産業資本の時代すなわちアダム・スミスが当面して
ゆく産業革命を迎える時代の商品生産が一般化した時代の「商品」は、人々が認識し理解する「商品概念」が変化して
ゆくからです。

 こうしてあらためて、『経済学批判』の第1章商品―『経済学批判』では、「節」の区分はありません―の「叙述と文脈の
編成」を『資本論』第1章と比較検討してみますと、「
関連の結び目」が確かに浮かび上がってくることが発見できます。
この論点の明確化として、『経済学批判』第1章
「使用価値」の抄録、「交換価値」の抄録を別々に作成してあります。
じっくりと参照していただければして頂ければ幸いです。とりもなおさず、ベーム・バーヴェルクの誤読批判の第1歩と
なる内容を読み取ることができます。

 
2. 「第1節入門篇」の位置付けは?
 ・・・それは、
マルクス価値分析の“蒸留法”批判―ベーム・バーヴェルクによるマルクス経済学批判―に対する
反批判であり、新しい『資本論』第1章読解への道案内」の課題に対応してゆくことになります。
 マルクスは、『資本論』第2版後書(1873年)で読者に注意を与えています。

 「第1章第1節で、一切の交換価値が表現される方程式の分析を通じて価値を導き出すことは、科学的にずっと厳密に
やっておいた」 との総括が、150年後の現在にいたってもなお、継続中ということです。すなわち、
 「一切の交換価値が表現される方程式の分析を通じて価値を導き出す」方法論に対して、
ベーム・バーヴェルクは、
“蒸留法”批判という形式でマルクス批判を行いました
。 近代経済学の古典として経済学史上、不朽の著作と
言われたベーム・バーヴェルクの著書 『マルクス体系の終結』(1896年)は、マルクス価値理論批判の古典的名著の
地位を今日なお維持しつづけています。日本のマルクス経済学者の間では、この批判を無視し続ける者、沈黙を
守る者、あるいは批判を全面的に受け入れる者等々、それぞれのアイデンティティで対応し現代にいたっています。
資本論入門8月号では、これらの現状についても、詳細に跡付けながら、ベーム・バーヴェルクのマルクス批判の内容を
検討・探究してゆきます。

 さて、それでは今回の
<コラム9>の目的を報告します。
 第3章の表題にあるように 「『経済学批判』から『資本論』第1章へ」 のつながりを明確にすることが第一の作業と
なります。その内容が、「第1節入門」の形式をとります。この形式は、『経済学批判』第1章商品分析を解明することに
示されます。この課題を、第1章「使用価値」の分析・抄録、「交換価値」の分析・抄録で行っています。

 第二に、『資本論』序文 「一切の交換価値が表現される方程式の分析を通じて価値を導き出す」方法論の読解です。
これは、資本論ワールド編集委員会で再三議論されてきました「
“価値方程式”の翻訳問題」とも連動する作業となり、
探検隊の皆さんとの共同作業が伴います。『経済学批判』では、マルクスの「価値方程式」が成立してゆく過程が克明に
叙述されています。マルクスによる「価値を導き出す」方程式が実行され、読者の共感が共有され、かつ賛同を勝ち取る
ことが達成されているかどうか、検証作業が要求されています。マルクスとの共同作業を通じて、
はじめて「価値を導き出す方程式」の解を発見する陣立てが構築されてゆくことになります。

 以上の見通しをたてながら、資本論入門8月号「
特集 『資本論』価値分析に対する“蒸留法”批判について
― ベーム・バーヴェルクと日本のマルクス経済学者たち
」 に入りましょう。
  大変盛りだくさんの資料集をともなっています。
  
Hic Rhodus, hic salta !  ここがロドスだ、 さあ跳べ!