資本論ベーム・バヴェルク

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 ベーム・バヴェルク著 マルクス体系の終結』  (1) 1896年 

                             
未来社 1969年初版第1刷発行、1992年複刊第1刷発行


                                                    八木紀一郎著「ベーム・バヴェルク」紹介抄録



 
. 資本論ワールド編集委員会まえがき

  
ベーム・バヴェルクが批判する「蒸留法」による価値導出について
                -『資本論』第1章第1節-

 

 ◆ 目 次
 1. ベーム・バヴェルクによる「マルクス蒸留法」批判

 2. 
ベーム・バヴェルクが指摘してい蒸留法」個所 ―『資本論』第1章第1節



 
はじめに
Ⅰ. 「マルクス蒸留法」批判

  
ベーム・バヴェルクによる「マルクス批判」(『マルクス体系の終結』)は、つぎのような指摘に特徴があります。
  
 「交換関係において、マルクスが「共通なもの」として蒸留して取り出す論理的な方法的な操作の批判的な研究に向かう。
マルクスは、はじめから篩(ふるい)にかけて最後に「共通な」ものとして取り出したい属性をもっている交換される値打ちの
ある物だけを、篩の中に入れている。すなわち、労働生産物ではないあらゆる交換価値物をあらかじめ除去しておいたのち、
労働生産物だという属性を、この一範囲の共通の属性として、都合よく蒸留抽出しているのである。

 ① 「
交換の同等性」で、交換価値の実体を探究する範囲を、はじめから「商品」に限定している。「財」や自然の賜物を
    除外している。」
 ② 「交換関係において「共通なもの」としては、
交換される値打ちのある天然物においても「労働」以外に共通なものを
   仮定することは可能である。」
 ③ 「交換される値打ちのある財にとっては、これらの財が
欲求と供給との対象であるという属性は、 
   共通なものとして残っていないのか?」〔残っていないとの根拠が不明である〕
   注:バーボンの引用において商品と物との区別がけし去られる。バーボンの『交易論』価値規定参照のこと

 ④ 「いまもし商品体の使用価値を無視するとすれば、商品体に残る属性は、ただ一つ、労働生産物という属性だけで
   ある」とマルクスは言うが、この労働生産物自体が、「諸労働の有用な性格も消えてなくなり」の具合になっている。
   この抽象過程において、価値の原理の唯一の根拠は、
運よく捨象しさった使用価値が交換価値の原理ではないと
   いう消極的なもの
である。だが、この消極的な根拠は、ほかの共通な諸属性のすべて〔交換される値打ちのある財や
   自然物など〕に、まったく同じように帰属しないのか?〔帰属するだろう〕」


 Ⅱ. ベーム・バヴェルクが指摘している「蒸留法」個所 ―『資本論』第1章第1節

 (『資本論』第1章第11節:1-11。以下同様)

 
 いまもし商品体の使用価値を無視するとすれば、商品体に残る属性は、ただ一つ、労働生産物という属性だけである。
 だが、われわれにとっては、この労働生産物も、
すでにわれわれの手中で変化している。われわれがその使用価値から
 抽象するならば、われわれは労働生産物を使用価値たらしめる物体的な組成部分や形態からも抽象することとなる。
 それはもはや机でも家でも撚糸でも、あるいはその他の有用な何物でもなくなっている。すべてのその感覚的性質は
 解消している。それはもはや指物労働の生産物でも、建築労働や紡績労働やその他なにか一定の生産的労働の生産物
 でもない。労働生産物の有用なる性質とともに、その中に表わされている労働の有用なる性質は消失する。
 したがって、これらの労働のことなった具体的な形態も消失する。それらはもはや相互に区別されることなく、
 ことごとく同じ人間労働、抽象的に人間的な労働に整約される。

 (1-12) 
  
われわれはいま労働生産物の残りをしらべて見よう。もはや、妖怪のような同一の対象性いがいに、
 すなわち、無差別な人間労働に、いいかえればその支出形態を考慮することのない、人間労働力支出の、
 単なる膠状物というもの意外に、労働生産物から何物も残っていない。これらの物は、ただ、なおその
 生産に人間労働力が支出されており、
人間労働が累積されているということを表わしているだけである
 これらの物は、おたがいに共通な、この社会的実体の結晶として、価値―商品価値である。

 (1-13)
  商品の交換関係そのものにおいては、その交換価値は、その使用価値から全く独立しているあるもの
 として、現われた。
もしいま実際に労働生産物の使用価値から抽象するとすれば、いま規定された
 ばかりの労働生産物の価値が得られる。商品の交換比率または交換価値に表われている共通なものは、
 かくて、その価値である。研究の進行とともに、われわれは価値の必然的な表現方式または現象形態
 としての交換価値に、帰ってくるであろう。
 だが、この価値はまず第一に、この形態から切りはなして考察せらるべきものである。

 (1-14)
  このようにして、
一つの使用価値または財貨が価値をもっているのは、ひとえに、その中に抽象的に
 人間的な労働が対象化されているから、または物質化されているからである。そこで、財貨の価値の
 大いさはどうして測定されるか? 
 その中に含まれている「価値形成実休」である労働の定量によってである。労働の量自身は、
 その継続時間によって測られる。そして労働時間には、また時・日等のような一定の時間部分として
 その尺度標準がある。


 (1-16) 
  同一の大いさの労働量を含む商品、または同一労働時間に製作されうる商品は、したがって、同一の価値の
 大いさをもっている。ある商品の価値の他の商品のそれぞれの価値にたいする比は、ちょうどその商品の生産に必要な
 労働時間の、他の商品の生産に必要な労働時間にたいする比に等しい。
 「価値としては、すべての商品は、ただ凝結せる労働時間の一定量であるにすぎない。」


 以上、ベーム・バヴェルクの重点的論点と当該『資本論』個所を報告しました。
   私たちは、
第2部 ‟蒸留法”批判の解読 において、詳細な検討と反批判を行います。


 ベーム・バヴェルク著 『マルクス体系の終結』 1896年 抄録
    
     
目 次
   1. 第1章 価値の理論と剰余価値の理論

   2. 第4章 マルクスの体系におけるあやまり
        ―その根源とその諸分枝


  ベーム・バヴェルク著 『
マルクス体系の終結』 (抄録)

   
1. 第1章 価値の理論と剰余価値の理論

                 〔以下の(注1)から(注4)は、ベーム・バヴェルクが‟蒸留法”と指摘している個所〕
1.
 マルクスの体系の柱石は、その価値概念と価値法則である。マルクスがしばしぱくりかえしていっているように、
 価値概念と価値法則とがないと〔仮定〕すれば、経済事象の科学的な認識はどれも不可能であろう。かれが価値概念と
 価値法則とを演繹する仕方は、かぞえられないほど何回となく、のべられ論評されてきた。しかし、われわれは、〔議論の〕
 きっかけをつくるために、かれの思考過程の、もっとも本質的な部分を、簡単に要約しなければならない。

2. マルクスは、かれが、「価値の足跡を見いだす〔価値をとらえる手がかりをつける〕」 (第1巻23ページ〔MELI版52ページ、
 MEW版62ページ〕)ために、くまなく探究しようと企てる研究分野を、はじめから諸商品に限定する。われわれは、これらの
 商品を、かれがいう意味においては、まさか、すべての経済財のことだと解してはならないのであって、市場のために
 〔市場で売買されることを目的として〕生産された諸労働生産物のことにすぎないと解しなくてはならないのである。
 かれは、この「商品の分析」から、はじめる。 (第1巻9ページ
〔MELI版39ページ、MEW版49ページ〕。)


3.
 商品は、一方において、その属性が人間のなんらかの種類の欲望を充足する有用な物としては、使用価値である。
 他方において、商品は、交換価値の素材的な担い手をなしている
〔その質料によって交換価値をになうものである〕。
 いまや分析は、この交換価値に移る。「交換価値は、まず、ある種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される
 量的な関係〔割合〕・比率として、あらわれる〔現象する〕。この関係〔割合〕は、時と処とに応じて、たえず、かわる。」
 〔MELI版40ページ、MEW版50ページ。〕 したがって、交換価値は、偶然なもののように見える。
 それでもなお、この変動のなかにおいても動かず持続しているものが存在しなげればならない。この変らず持続している
 ものを、マルクスは追求しようと企てる。このことを、マルクスは、かれの有名な弁証法的やりかたにおいてするのである。
 「
ふたつの商品、たとえば小麦と鉄とを、とってみょう。それらの交換関係〔比率〕がどうであろうとも、この関係
 〔比率〕は、つねに、ある与えられた量の小麦が何らかのある量の鉄と等置される等式〔11b〕において、あらわされる
 ことができる。たとえば、1クォータァの小麦=aツェントナァの鉄、というようにである。この等式は、なにを意味しているか?
 〔それは、〕おなじ大きさの共通のものが、ふたつの相異なっている物のなかに、すなわち1クォータァの小麦のなかにも
 aツェソトナァの鉄のなかにも、存在している、ということ〔を意味しているの〕である。したがって、両方とも、ある第三の
 ものにひとしいのであるが、この第三のものは、それじしんとしては、〔ふたつの物のうちの〕一方の物でもなければ
 他方の物でもないのである。それゆえに、この両方の物のどちらも、その物が交換価値であるかぎりにおいては、
 この第三のものに還元されることができるものでなければならないのである。」
[MELI版41ページ、MEW版51ページ。]

  (1) わたしは、つねに、マルクスの『資本論』の第1巻を、1872年の(第2)版によって、第2巻を1885年版〔初版〕に
     よって、第3巻を1894年版〔初版〕にょって、引用している。さらにまたべつに何も注意をつけていないばあいには、
     第3巻といっているのは、いつでも第3巻の第1分冊を意味している。
  (2) ・・略・・


4. マルクスは、つづけていう。
  「この共通なものは、諸商品の幾何学的とか物理的とか化学的とかの属性やそのほかの自然的な属性
 ではありえない。諸商品の物体的な諸属性は、ただ、それらが諸商品を、有用なものに、したがって使用価値に、
 するかぎりにおいてのみ、かえりみられる〔問題にされる〕にすぎないのである。ところが他方においては、
 
諸商品の交換関係〔比率〕は、あきらかに、諸商品の使用価値が捨象されることを特徴としている〔注1〕
 交換関係〔比率〕のなかでは、ある使用価値は、ただ適当な比率で現存しさえすれば、ほかのどの使用価値とも、
 ちょうど同じだけのものとして通用する〔見なされる〕。あるいは、むかしのバーボンBarbonがいっているように、
 「一方の商品種類は、その交換価値が同じ大きさであるならば、他方の商品種類と同じである。おなじ大きさの
 交換価値をもつ物どうしのあいだには、なんの差異も区別も存在しないのである。」 使用価値としては、諸商品は、
 なによりもまず、いろいろにちがう質であるが、交換価値としては、それらは、ただ、いろいろにちがう量でしかあり
 えないのであり、したがって、みじんも使用価値をふくんでいないのである。」
〔MELI版41-42ページ、MEW版51-52ページ。〕


 「
そこで、商品体の使用価値を見ないとすればそれらの商品体には、もはやただ、ひとつの属性すなわち
 労働生産物という属性だけしか、のこっていないのである
。 〔注2〕
 しかし、この労働生産物も、われわれの手のなかにおいては、すでに変えられている。
われわれが労働生産物の
 使用価値を捨象しているのであれば、われわれは、労働生産物を使用価値にする物体的な諸成分や 諸形態をも、
 捨象しているので
ある。労働生産物は、もはや、机や家や糸やこのほかの有用物ではない。労働生産物の感性的な性質は
 すべて消し去られている。労働生産物はまた、もはや、指物労働の生産物や建築労働の生産物や紡績労働の生産物や
 このほかの一定の生産的労働の生産物でもない。諸労働生産物の有用な性格とともに〔これが消えてなくなるのといっしょに〕、
 これらにあらわされている諸労働の有用な性格も消えてなくなり、したがってまた、これらの労働のいろいろの具体的な形態も
 消えてなくなる。
これらの労働は、もはや、たがいに区別されないで、どれもかもいっしょに、おなじ人間労働へ、
 抽象的人間労働へ、還元されているのである。
」 〔MELI版42ページ、MEW版52ページ。〕


5.
 「 そこで今度は、これらの労働生産物に残っているものを考察しよう。これらに残っているものは、まぽろしのような同じ
 対象性のほかの何ものでもなく、無差別の人間労働の、すなわち支出の形態を捨象された人間労働力の支出の、たんなる
 凝結物のほかの何ものでもない。これらの物は、もはや、ただ、その生産に人間労働力が支出され人間労働が積み上げら
 れていることを、あらわしているにすぎないのである。これらの物は、これらに
共通のこのような社会的実体の結晶として、
 価値なのである
。」 〔注3〕 〔MELI版42ページ、MEW版52ページ。〕
 
こうして、価値概念が見いだされ規定されたのである。この価値概念は、弁証法的な形態にしたがえば、交換価値と同一
 ではないけれども、交換価値と―わたしはもうここで確認しておきたいのであるが―きわめて内面的な密接不可分離な関係
 にある。すなわち、
この価値概念は、交換価値からの一種の概念的な蒸留物である。 〔注4〕
 マルクスじしんのことばでいえば、価値概念は、「諸商品の交換関係〔比率〕または交換価値において表現される共通のもの」
 であり、〔価値と交換価値との主辞賓辞関係を〕はんたいにして実際またマルクスじしんのことばでいえば、「交換価値は、
 価値の必然的な表現様式または現象形態」である。(第1巻13ページ)
(〔MELI版43ページ、MEW版53ページ。〕


6. マルクスは、価値の概念を確定してから、ついで、価値の尺度と価値の大きさとについてのべる。労働が価値の実体である
 ので、論理必然的にまた、すべての財の価値の大きさは、これらの財のなかにふくまれている労働の量によって、または
 労働時間によって、はかられる。といっても、その財をつくったまさにその個人が、たまたまそのために必要であったような、
 その個別的な労働時間によって〔はかられるの〕ではなくて、つぎのようなものとしてマルクスが説明する「社会的に必要な
 労働時間」によって〔はかられるの〕である。すなわち、かれは「社会的に必要な労働時間」を説明して、「現存の社会的・
 標準的な生産諸条件と、労働の熟練および強度の社会的な平均度とをもって、なんらかの使用価値を生産するために必要な、
 労働時間」であるという。(第1巻14ページ)
(〔MELI版43ページ、MEW版53ページ〕。)


 「ただ、社会的に必要な労働の量だけが、すなわち、ある使用価値の生産のために社会的に必要な労働時間だけが、
 その使用価値の価値量を決定するものなのである。ここでは、個別の商品は、いっぱんに、その商品種類の平均例
 として通用する〔見なされる〕。したがって、ひとしい大きさの労働量がふくまれている諸商品、または、おなじ労働時間に
 おいて生産されることのできる諸商品は、おなじ価値量を、もっている。ある商品の価値とほかの各商品の価値との比は、
 この一方の商品の生産のために必要な労働時間と他方の商品の生産のために必要な労働時間との比に、ひとしい。
 価値としては、すべての商品は、ただ、さだまった量の凝結した労働時間にすぎないのである。」

7. さて以上のすべてから、「商品交換に内在して」いて(第1巻141ページ、150ページ)交換関係〔比率〕を支配する偉大な
 「価値法則」の内容が、みちびき出される。価値法則は、諸商品が、これらのなかに体化されている社会的に必要な
 平均労働に比例して、たがいに交換される、ということ(たとえば第1巻52ページ)を、意味するのであって、いままでのべて
 きたところから見ても、こういうことのほかの何ごとをも意味することはできないのである。おなじこの法則は、つぎのような、
 ほかのかたちで、いいあらわされている。すなわち、諸商品は、「それらの価値どおりに交換される」(たとえば、第1巻の、
 142ページ、183ページ、第3巻167ページ)。あるいはまた、「等価物は等価物にたいして交換される。」(たとえば第1巻の、
 150ページ、183ページ。) なるほど個々のばあいには、供給と需要との一時的な変動にしたがって、その都度、価値を
 上まわったり下まわったりする価格も、あらわれる。しかし、この「市場価格のたえまない変動は、あいつぐない相殺される
 のであって、おのずから、その内的な基準〔規準〕としての平均価格へ還元されるのである。」(第1巻151ページ。注37)
 ながいあいだには、「偶然的な、たえず変動している交換比率〔関係〕において、」 けっきょく、つねに、「社会的に必要な
 労働時間が、規制的な自然法則として、強力的に、つらぬきとおっているのである。」(第1巻52ページ)マルクスは、
 この法則を、「商品交換の永久の法則」(第1巻182ページ)として、「合理的なもの」として、「均衡の自然法則」として
 説明している。(第3巻167ページ)すでにいったように、諸商品が、それらの価値から背離している〔偏差をもっている〕
 価格で交換されるようなばあいは、もちろん生じるが、これらのばあいは、基準〔規準〕にてらして「偶然なもの」
 (第1巻150ページ注37)として、見なされなければならないのであり、そして、この背離〔偏差〕そのものは、
 「商品交換の法則の侵害」として見なされなければならないのである。(第1巻142ページ。)

8. この価値理論を土台にして、ついでマルクスは、この上に、かれの学説体系の第二部―すなわちかれの有名な
 「剰余価値」説―を、うち立てる。かれは、資本家たちがかれらの資本から引き出す利得〔利潤〕の源泉を、探究する。
 資本家たちは、ある貨幣額を投資し、これを諸商品へ転化し、そしてさらに、これらの商品を―あるいは生産過程をここに
 介在させたり〔産業資本のばあい〕あるいは介在させなかったり〔商業資本のばあい〕するのであるが―販売することに
 よって、より多くの貨幣へ転化しもどす。この増加分、すなわち、さいしょに前貸〔投資〕された元本をこえて取り出された
 貨幣額のこの剰余、―マルクスの名づけているようにいいかえるならば―「剰余価値」は、どこから出てくるのか? 


  ・・・資本論ワールド編集部:以下、剰余価値と労働力の説明を行っているが、省略した・・・


 
 『マルクス体系の終結』 第4章 マルクスの体系におけるあやま ― その根源とその諸分枝 ―