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八木紀一郎著  ベーム=バヴェルク 抄録 20170821

  
『経済学41の巨人』第3章 限界革命の群像 日本経済新聞出版社 2014年発行

E・v・ベーム=バヴェルク ・・・資本理論の確立者


                                            ベーム・バヴェルク著 『マルクス体系の終結 


                                            資本論蒸留法批判について

                                                                 


忘れられた巨匠

 戦前の経済学文献を見ると、ドイツの経済学の影響が極めて大きかったことがわかる。日本の経済学者は、
ドイツの歴史学派から経済史の資料や社会統計の活用法を習っただけでなく、経済理論もまたドイツ語の
文献を通じて学んだのである。しかし、第二次世界大戦の後になると、マルクスを除けば、経済理論の分野に
おけるドイツの影響力は急速に薄らいだ。戦後の英米の経済学が、一般均衡理論の吸収とケインズ革命を
へて理論的装備を一新して登場したのに対して、優秀な経済学者を離散させてしまったドイツの経済学の方は、
ほとんど壊滅に近かった。(ハイエクやシュンペーターも英米経済学界の住人になったというのに何をいまさら
ドイツの経済学か、というのが戦後の理論経済学者の一般的心情であったのだろう。


 言うまでもないことだが、文化・学術のうえでドイツと言うときには、ドイツ語を基礎として成立する中欧の民族的
文化圏のことを指す。かつてのドイツ帝国や現在のドイツ連邦共和国の領土や国民に限られるものではない。
事実、忘れられたドイツの経済学の理論分野で、主要な流れをなしていたのはカール・メンガーに始まる
オーストリア学派であった。しかしメンガーは歴史学派を相手にした方法論争の後は理論的著作を生みださな
かったので、彼に代わってこの学派の頭目と見なされたのはオイゲンーフォン・ベーム=バヴェルクである。
 彼は限界効用価値論に立って交換における財の価格形成をわかりやすく説明しただけでなく、利子を異時点間
の交換におけるプレミアムと見なすことから出発して、搾取説によらない利潤論を提出した。利子を支払いうる
源泉となる利潤(本源的利子)は時間のかかる生産過程(迂回生産)の収益性によるものであり、したがって、
資本の本質は生産における時間的要素だというのが彼の学説である。


 これはオーストリア資本理論とも呼ばれ、ヴィクセルやハイエクによって継承された。しかし本家本元のベームの
主著『資本および資本利子』の方は読まれざる古典の代表と言ってよいだろう。
 ベームには、いま一つ、成功した財政担当者としての顔がある。現在のオーストリアの百シリング紙幣に彼の
肖像が用いられているのは、学者としての名声以上に、この方面での彼の業績によるところが大きいだろう。
彼はインスブルック大学で主著の完成に専念した1880年代の数年間を除けば、人生の盛りの時期を大蔵省で
過ごしている。1890年代に直接税改革と通貨改革を大蔵省幹部として手がけたほか、三度にわたって蔵相にも
就任した。とくにゲルバー内閣での在任時には、精糖業への補助金廃止や国債借り換えに敏腕をふるった。
しかし、ケルバー首相の野心的な産業基盤投資の構想を、健全財政を維持するために阻止したことについては、
評価が分かれている。


労働価値説の批判

 ベーム=バヴェルクの主著『資本および資本利子』は、先行する学説を総ざらいに批判した『資本利子論の
歴史と批判』(1884年)と、自説を積極的に提示した『資本の積極理論』(1884年)から成る。前者では、利子の
搾取理論としてロートベルトゥスとマルクスが取り上げられる。搾取理論に対する批判の骨子は、それが
現在財と将来財の相違を無視し、異時点における労働を足したり引いたりできるという不当な想定に基づいて
いるというものである。
 マルクスは剰余価値を、労働者が給付する総労働時間と労働者が賃金として受け取る労働時間の差で定義
した。しかも古典派の通例に従って賃金前払いの仮定をとり、「可変資本」という独自の概念をつくりだした。
したがって、もし「可変資本」とその実体である「必要労働時間」が過去の労働時間であるならば、それを現在の
労働時間から差し引くこと自体が恣意的な操作だということになる。その場合には、少なくとも何らかの時間に
伴う割引の操作が行われなければならない。前項の事例のように、時間割引率が五%であるとすれば、今期に
50の価値を生む労働を行う代償として47.5の価値の賃金財しか受け取らなかったとしても、搾取を蔵した交換で
あるとは言えないだろう。
 しかし、このベームのマルクス批判はあたっていない。というのは、マルクスがその価値論において用いる
「社会的必要労働」「必要労働」という概念は厳密に共時的な概念であって、時間軸に沿った加算は考えられて
いないからである。過去の労働は常に現在の生産にとっての条件であるが、社会的に見た場合には同時並行
して分業を行っている「共存する労働」として現れる。それは可変資本部分だけでなく、しばしば「死んだ労働」と
過去形で呼ばれている不変資本部分についても同様である。
 マルクスの『剰余価値学説史』には次のような文章がある。
 「綿花と糸と織物は、次から次へと前の物を材料として生産されるだけではなくて、それらは同時に相並んで
生産され、再生産される。私が個々の商品の生産過程を考察する場合に以前の労働の結果としてあらわれる
ものは、私がその再生産過程を考察する場合には、つまり、その生産過程を、単に孤立した行為や局限された
範囲においてではなく、過程の流れとその諸条件の広さとにおいて考察する場合には、同時に、共存する労働
の結果としてあらわれる」

 ベーム=バヴェルクのように複数時点における労働投下を考えていく場合でも、時間のかかる生産を持続して
いこうとすれば、ある段階の工程を行うと同時にその前段階の諸工程をスタートさせなければならない。こうした
同時化された生産の視点があって初めて、労働の総和や「平均生産期間」も考えられるのである。


労働投下の時間軸

 リカードは投下労働価値論を価格理論として整備しようとして、「一般的規則に対する例外はすべて時間という
例外に帰着する」と慨嘆した。ベーム=バヴェルクとマルクスは、リカードを起点にして対照的な方向に進んだ
二人の理論家である。・・・省略・・・
                                     
 以上 八木紀一郎による。
 
<八木紀一郎>(1947年- )
   京都大学名誉教授。摂南大学学長。進化経済学会会長。専門は社会経済学、経済学史、
   制度経済学、オーストリア学派。カール・メンガー、ベーム・バヴェルク、ヨーゼフ・シュンペーターなどの
   日本における第一人者。フリードリヒ・ハイエク全集(春秋社)の編集委員。


 
オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルク(1851-1914年)の人物ガイド>

 オーストリアの経済理論家

 「ウィーン大学で法律を修めた後、官史となったが、1876年にカ-ル・メンガーの推薦を得てドイツの諸大学で
経済学を学ぶ。インスブルック大学で教鞭をとった後、1889年にオーストリアの大蔵省に入省。大蔵大臣を三度
にわたって務める。メンガーの諸学説をF・ウィザーとともに発展させた、オーストリア学派の中核的存在。
主な著書に『資本および資本利子』がある。
  彼はモラビアの副知事の息子としてブリュン(現ブルノ)に生まれた。ベームの父は1848年、ガリシアの反乱を
鎮静したことで殊勲を立てた高級官吏だった。インスブルックでは研究に没頭し主著『資本および資本利子』を
完成させた。同書が評価され、ベームはメンガーと並ぶオーストリア学派の指導者となった。
  大蔵省で待っていた仕事は所得税改革であったが、金本位制導入などでもすぐれた腕前を見せている。
だが、軍事費増大によって健全財政が脅かされることに抗議して、大蔵大臣を辞任。君主政治体制の下で最も
高収入の中央銀行総裁に天下ることもできたはずだが、学問を選んでウィーン大学の教授となった。
当時の生徒の中には、20世紀の代表的な経済学者、J・A・シュンペーターなどがいる。
 『マルクス体系の終焉』で展開したマルクス批判も有名。『資本論』の第1巻の労働価値説と第三巻の価格論の
間の矛盾を鋭く指摘、今日のマルクス批判の先駆者となっている。」


編集部2017.09.11追記特集 『資本論』価値分析に対する“蒸留法”批判についてー参照

  1. 『マルクス体系の終焉』(1896年)は、『資本論』の体系的批判の古典的著作となり、
    
マルクス価値理論批判の古典的著作と言われています。
  
  2. ウィキペディア
ベーム・バヴェルクには、オーストリア学派による<限界効用理論>で、
   面白い事例を掲載しています。

    「 
ここに1人の開拓農民が穀物5袋を持っていて、他に売買するすべは無かったとしよう
     彼にはその穀物について5つの使い道があるとしよう。
     • 自分自身の基礎的食糧
     • 体力をつけるための食料
     • 食事に変化をつけるための鶏の飼料
     • ウイスキーを造る原料
     • ペットのオウムのエサ
     ここで農民が穀物1袋を失ったとする。彼は、全ての活動を1/5ずつ縮小する代わりに、オウムを飢え死
    にさせることになる。何故ならそれが他の4つの用途よりも効用が少なかったから──言い換えれば、
    それが限界上にあったから──である。大きな絵を見るようなマクロな視点からではなく、限界上にある
    ミクロな観点から、我々は経済的決定を下すのである。 」
                                                                以上