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コラム12>スチュアートとスミスの農工分業論


 『
回想 小林 昇   日本経済評論社 2011年発行 編者 服部正治、竹本洋


       『アダム・スミスの農工分業論と賃金論における有効需要の問題』ー小林昇説への問題提議ーより

 新村聡著 「 2 ヒューム、スチュアート、スミスの農工分業論と有効需要論 」


                                       
(新村聡 : 岡山大学教授)

 

  資本論ワールド編集部 まえがき

   『回想 小林 昇』に収められている論文は、新村教授のほか、柳澤治「小林昇先生の『経済学史と思想史・
  経済史」、諸田實「『国民的体系』のリストと『ライン新聞』のマルクス」など十数篇におよびます。小林の学識の
  奥深くかつ広大なるすそ野を示してあまりあるものが伺えられます。
   一方で、小林が精魂込めた「重商主義時代の商品・価値分析」に対する ー マルクスの「商品分析の歴史」
  (『経済学批判』)に見られるような ー 論及が、少ないのも残念ですが、スチュアートとスミスの「歴史・経済
  分析」の個性を論じた新村聡の「農工分業論」は、大変分かりやすい。
   簡潔に鋭く小林理論への問題提議は、大変貴重な共有すべき財産と思われます。
   また、私たちが引き続いて、スミス・リカードの「商品と価値」論の基本的な構成要素として役立つことでしょう。
   資本論ワールド探検隊の皆さんの健闘を期待しています。


 □ 目 次
 1.  原始蓄積の経済理論と資本制蓄積の経済理論
 2.  ヒュームとスチュアートの農工分業論
 3.  スミスの「商業社会」論
 4.  スミスの農工分業論と有効需要論ー
小林説の問題点


  2 
ヒューム、ステユアート、スミスの農工分業論と有効需要論

 
(1) 原始蓄積の経済理論と資本制蓄積の経済理論

 スミス以前の経済理論と比較したときに、スミスの経済理論のもっとも重要な特質は何であったかを明らかに
することが、小林経済学史研究の中心テーマの一つであった。この問いに対する小林の回答は、「
原始蓄積の
経済理論から資本制蓄積の経済理論へ
」であった。これはヒュームとステュアートの原始蓄積の経済理論と
スミスの資本制蓄積の経済理論とを対比しながら後者の意義を把握するという視角を意味している。
 
原始蓄積および資本制蓄積という概念は、マルクスに由来するものである。
 小林は、同世代の多くの研究者と同様に、マルクスの強い影響のもとに経済学史を研究した。原始蓄積と
資本制蓄積とを対比する視角は、『資本論』第1巻第24章の原始蓄積論を基礎としている。


 スミスとマルクスでは、原始蓄積の理解が大きく異なっていた。スミスの場合、最初の資本蓄積(先行的蓄積)は、
人類が狩猟社会から牧畜社会へ移行するときに羊や牛などの家畜を資財(stock)として所有するようになり、
その後は勤勉な生産者が節約によって資財を蓄積することであった。これに対してマルクスの場合には、原始蓄積は
たんなる物的資本の蓄積にとどまらず、資本家と賃労働者の階級関係の新たな形成という意味を持っていた。
以下では、まずこの基礎概念について説明する。

 マルクスは、物神性論において、商品、貨幣、資本などの経済学的範疇は、生産関係つまり生産における
社会関係の物象化であると論じた。物象化とは、社会制度の形成によって人々の認知構造が変化し、目然物に
社会的性質が付加されることである。たとえば、君主制度のもとで人間は国王となり、私有財産制度のもとで土地は
私有地となる。同様にして、貨幣制度のもとで金銀は貨幣となり、資本制経済のもとで貨幣・機械・原材料などは
資本となる。したがってマルクスにおける資本の原始蓄積とは、たんに貨幣・機械・原材料などの物が初めて蓄積
されるだけでなく、それらの物を資本として人々に認知させるような資本制経済の制度つまり資本家と賃労働者の
階級関係(資本・賃労働関係)が初めて形成されることである。具体的には、一方で、資本制経済に先行する封建制
経済において労働人口の大多数を占めていた農民が生産手段としての土地から離れて賃金労働者へ転化する
過程であり、他方では、貨幣を投じて道具・機械・原材料などを購入し賃労働者を雇用して資本制生産を行う産業
資本家が形成される過程でもある。マルクスはとりわけ前者を重視し、16~18世紀イングランドにおいて、農民を
土地から追い出して強制的に賃労働者へ転化させたいわゆる「土地囲い込み」(エンクロージヤーenclosure)に
よって、資本・賃労働関係が形成されたことを強調した。



 
(2) ヒュームとステュアートの農工分業論

 小林は、スミスに先行するヒュームとステュアートの経済論を、原始蓄積の経済理論として理解する。
 小林が重視するのは、ヒュームとステュアートが、
近代社会の原理を農工分業の過程として把握していること
である。ヒュームは、『政治論集』において、技術(arts)と勤労(industry)の発展による農業生産力の上昇が剰余
生産物を生み出し、それによって養われる剰余人口(superfluous hands)としての製造業者が農民の中からしだいに
分かれ出ると論じた。
この農工分業を基礎として、農民が提供する農産物と製造業者が提供する製造品との
交易
(trade)と商業が発展していく。 ステュアートも同様に、農業生産力の発展によって農業労働に従事しない
非農業人口(フリーハンズfree hands)としての製造業者や地主が生まれ、この非農業人口が農民に提供する
等価物としての製造品や貨幣が農民の消費意欲と勤労を剌激して農業生産力を高めると主張した。

 ヒュームとスチュアートの場合に、この農工分業の過程は農民と製造業者の分離を意味しており、マルクスが
いう意味での原始蓄積の過程として、すなわち資本・賃労働関係の形成として理解されていたわけではない。
農業における地主・資本家・賃労働者の階級分解も、また製造業における資本家・賃労働者の階級分解も、
ヒュームとスチュアートによって述べられていないのである。ではどうして小林は、ヒュームとステュアートの農工
分業論を原始蓄積の経済理論と呼びうるのであろうか。
 小林は、現実の歴史過程においては、マルクスが述べているような原始蓄積の過程すなわち資本・賃労働関係
の形成が進行していたが、ヒュームとステュアートはそれを資本・賃労働関係の形成として把握することができず、
農工両部門における独立生産者つまり手工業職人や自営農民の分業として理解したと考えている。つまり
ヒュームとステュアートにおける原始蓄積の経済理論には、現実の歴史過程における資本・賃労働関係の形成を、
理論において
独立生産者の農工分業の進展として捉えるという二重構造(ズレ)があったことになる。


 この二重構造が生じた理由は二つ考えられる。第一は、マルクスの原始蓄積論が近代資本制経済が成立する
16世紀以降の時代(狭義の近代)を考察対象としていたのに対して、ヒュームやスチュアートの農工分業論は
古代ローマ帝国滅亡以後の中世を含むより長期の時代(広義の近代)を考察対象としていたこと、
 第二に、
16世紀以降に限ってみても現実の歴史過程には独立生産者の形成と資本・賃労働関係の形成とが
ともに存在
しており、そのどちらに注目するのかという視点の差があったことである。
そしてこの現実と理論のズレは、次に登場するスミスにおいて解消へ向かうことになる。



  
(3) スミスの「商業的社会」論

 小林は、『国富論』第4章の冒頭部分に示された商業的社会(commercial society)の概念に注目する。
スミスは、商業的社会について次のように述べている。

   「 分業がひとたび完全に確立すると、人が自分自身の労働の生産物によって満たすことのできるのは、
   彼の欲求のうちのごく小さい部分にすぎなくなる。彼は、自分自身の労働の生産物のうち自分自身の消費を
   上回る余剰部分を、他人の労働の生産物のうち自分が必要とする部分と交換することによって、自分の欲求
   の大部分を満たす。このようにして、誰でも交換することによって生活し、言い換えるとある程度商人となり、
   社会そのものもまさしく商業的社会と呼べるようなものに成長するのである。(Smith 1976約Ⅰ:39) 」

 このように、スミスが商業的社会として把握するのは、すべての人がある程度商人となるような社会的分業が高度
に発展した社会である。そしてスミスは、『国富論』第6章以降で、この商業的社会を地主・資本家・賃労働者からなる
階級社会として説明した。以上から、ヒュームおよびステュアートとスミスとの理論認識における差異は、二つあった
ことになる。一つは、ヒュームとステュアートがまだ進行途中の農工分業の過程を把握したのに対して、スミスは農工
分業がいちおう完了した商業的社会を把握したこと、もう一つは、
ヒュームとスチュアートが農工分業を独立生産者
の社会的分業として把握したのに対して、スミスは商業的社会を地主・資本家・賃労働者の三階級社会として把握
したことである。
 スミスは、『国富論』第1~2編において、利潤が資本として追加投資される資本蓄積の過程は、同時に、地主に
雇用される召使いなどの不生産的労働者が資本家に雇用される生産的労働者へ転化して資本・賃労働関係が拡大
していく過程でもあることを認識した。小林の理解では、このようにして、ヒュームとステュアートの原始蓄積の経済
理論からスミスの資本制蓄積の経済理論への転換が行われたのである。



 
(4) スミスの農工分業論と有効需要論-小林説の問題点

 以上で説明した小林説の大きな問題点は、ヒュームとステュアートの農工分業論からスミスの商業的社会論への
移行が理論的断絶であるかのように説明されていることである。小林は、前者から後者への移行過程を十分に
検討していないように思われる。  - 〔編集部としては、論点保留です〕
 
『経済学の形成時代』では、スチュアートの原始蓄積の理論からスミスの資本制蓄積の理論への移行の途中に、
ケネー『経済表』とヤング『政治算術』における資本制的農業生産の認識があり、それらがスミスの理論形成に影響
したことが推測されている。しかし、スミスがヒュームとスチュアートの農工分業論をいかに克服したかについて
スミス自身の内的論理に即して分析していないために、スミスが突然に理論的飛躍を行ったかのような印象を与える
のである。
 また小林は、
『国富論体系の成立』では、スチュアートとスミスの比較という基本視角を設定しているために、
ヒュームにまったく言及していない。とはいえ、この『成立』には注目すべき記述がある。小林は、スチュアートの
農工分業論に直接に対応するスミスの考察が『国富論』第3編であることを、次のように述べている。


    「 『国富論』はこういう経済過程の完結する点に「商業的社会」を置いて、そこでの経済法則を分析することを
    理論的課題とし、そこにいたるまでの経済過程―それを『原理』は理論的に構成しようとした―は、主として
    第3編での歴史的分析に委ねた。(小林1976a 279) 」

 つまり小林は、
経済理論と歴史的考察を区別した上で、経済理論としては、ステュアートの原始蓄積の経済
理論とスミスの資本制蓄積の経済理論(第1、2編)とが比較されるべきであり、他方、農工分業過程の歴史的
考察としては、スチュアートの経済理論とスミスの歴史的分析(第3編)とが比較されるべきだ、というのである。
小林が『国富論』第3編の歴史分析を経済理論として認めない背景には、第3編の理論的基準となっている
第2編第5章の資本投下の自然的順序論の理論的誤りに対する小林のきびしい評価がある。小林は、この
誤った経済理論を基準とする第3編の歴史分析は経済理論とみなされるにあたいしないと考えるのである。

 しかし『国富論』第3編の歴史分析の基礎となっている経済理論は、資本投下順序論だけではない。
小林は、スミスによる農工分業の歴史分析の基礎に、スミスに独白の農工分業の経済理論があることを見逃した
ように思われる。 現在、資料的に確認できるもっとも初期のスミス農工分業論は、『法学講義』Bノート行政論の中の
富裕の緩慢な進歩の原因論に含まれる次の記述である。

  「 ある都市の人口が多いことは、勤労に対して大きな刺激を与えるから、農村の人口が多いことの原因である。
   都市にいる各人は、農村のそれぞれ別の人によって養われているにちがいないし、人々が都市に行くのは、
   つねに農村が改良されつつあることのしるしである。(Smith1978訳365) 」


 ここに述べられているのは、
都市と農村の農工分業の発展過程である。都市の製造業が提供する製造品が
農村の農民の勤労を刺激し、他方、都市の製造業者は農村の農民が提供する食料によって養われ、農業生産力
の上昇によって農村に剰余人口が生じて都市へ移動する。これはヒュームの農工分業論とほとんど同じ内容である。
この時期のスミスの農工分業論は、ヒュームの全面的な影響下にあったといえるであろう。
 スミスは、『法学講義』行政論の富裕の緩慢な進歩論を、『国富論』第3編では大幅に拡充した。スミスにその
理論的発展を促した問題が何であったかは、検討されるべき重要な論点である。私見によれば、スミスにとっての
大きな問題は、農工分業論におけるヒュームとスチュアートの対立であった。スミスがそれにどう対応したかを、
以下で説明する。

 ヒュームとスチュアートは交友関係があり、理論面でもスチュアートはヒュームから大きな影響を受けていた。
二人の論述には共通する見解も多く、とくに農工分業論は類似する内容を多く含んでいる。しかし両者の議論には
決定的に異なる点が一つあらた。それは、ヒュームの剰余人口に含まれるのが、古代では兵士、近代では商工業者
であるのに対して、
ステュアートの非農業人口には、商工業者だけではなく地主が含まれることである。
その結果、ヒュームの理論では、農民の勤労を刺激するのは製造業者が提供する製造品であるのに対して、
スチュアートの理論では、それに加えて地主が提供する貨幣も有効需要として重要な役割を担っている
つまり農工分業を推進する誘因は、ヒュームでは農民と製造業者相互の大衆的消費需要であるのに対して、
スチュアートでは地主の奢侈的消費需要なのである。

 この
二つの農工分業論と有効需要論のうち、スミスが支持し受け入れたのは、『法学講義』行政論の論述を検討
したときに確認したように、ヒュームの理論であった。しかしスミスは、スチュアートの理論をたんなる誤りとしてしり
ぞけることをしなかった。彼は、二つの対立する農工分業論と有効需要論を『国富論』第3編において歴史的段階論
として総合しようと試みたように思われる。
 スミスは、ローマ帝国滅亡以後の(18世紀の用語法では「近代」の)経済発展を二段階に分けて論じている。
第一段階では、地主の奢侈品需要を満たすために、都市に外国貿易のための資本が投下され、さらに外国の
奢侈品製造業を模倣する製造業が都市に発展する。その結果、農村の地主は奢侈品を購入するために封建
家臣団を解雇し、借地農業者に長期借地権を与えるようになる。
第二段階では、安定した長期借地権のもとで農村の農業に投資が行われて生産力が上昇し、富裕となった
農業者の需要に応じるために大衆的製造品を生産する製造業が農村周辺に発展する。


 以上の歴史分析によって、スミスは、スチュアートが重視する地主の奢侈品需要を起点とする経済発展は
歴史的に第一段階に属しており、いまや時代遅れとなった過去のものであること、他方、ヒュームとスミスが
重視する農民の大衆的製造品需要を起点とする経済発展は歴史的に第二段階に属しており、新しい時代の
要請に応えるものであることを示すのである。このように理解するならば、『国富論』第3編における農工分業の
歴史分析は、ステュアート的な地主需要重視の経済理論との対決を意識したスミスの大衆需要重視の経済理論を
基礎としていたといえるであろう。『国富論』第3編の農工分業論の歴史分析は、経済発展の起点となるべき
有効需要の問題をめぐって二つの経済理論が対決した場所だったのである。


 ・・・以下、「 3 スミスの賃金論における有効需要の問題」 省略・・・