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 資本論用語事典2021
  ★資本論 翻訳問題 2021.最新版はこちら
価値等式」の誤訳資本論』を破壊する 
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資本論用語事典2021
『資本論』の価値方程式

                     2021.07.15
                     2023.06.10

 『資本論』の価値方程式
  
   諸商品の価値表現としての価値方程式 ー 「価値等式」は誤り ー

        ヘーゲル論理学「比例論」と『資本論』の価値方程式(1)序論

  目次
   第1部 『資本論』の価値方程式
  1. 序文 『資本論』の方程式
  2. 諸商品の価値関係-価値比例の系列化と方程式
 3. 諸商品の価値表現価値方程式の形成
  4. 『資本論』第1章第3節 価値形態または交換価値
  5. 貨幣形態の成立とヘーゲル論理学
  6. あとがき

   第2部  『資本論』のヘーゲル哲学
  ヘーゲル論理学「比例論」と『資本論』の価値方程式(1)


 第1部 『資本論』の価値方程式  

■参考資料■      
『資本論』のヘーゲル哲学入門 1-3
哲学ノート』と『資本論』のヘーゲル哲学

  1. 序文 『資本論』の方程式-価値方程式

1) 資本論ワールド編集部では2016年創刊号いらい、①『資本論』の誤訳と②『資本論』のヘーゲル論理学に取り組んできましたが、この5年間の歩みを振り返ってみますと、「誤訳」問題がヘーゲル論理学と密接に-『資本論』の随所で絡み合っている事実が発見できました。
 『資本論』の「方程式 Gleichung」を「等式」などと翻訳して、意訳・誤訳した日本の現状はずっと根深い “病根” に根ざしていたのです。現代社会に潜む粗雑な翻訳文化をこれまでも大変厳しく批判されてきた諸先輩方-今回は別宮貞徳、柳父 章、垂水雄二-の文脈・水脈の指摘事項が、実に『資本論』翻訳本にも該当してしまうのです。

2) 『資本論』の方程式 -誤訳問題-
 『資本論』の方程式-誤訳問題-は、戦後70年のマルクス経済学全体を覆っています。
 ながらくわが国では、「方程式」が「等式」として翻訳・誤訳され続けてきた結果、「価値形態」が歪んだ形式で理解されてきました。この誤解を解消する事例を後出します。


  2. 諸商品の価値関係ー交換価値の交換比率

 『資本論』第1章の冒頭文章は、次のように開始されます。
 「 (1)資本主義的生産様式〔 kapitalistische Produktionsweise:資本制生産の方法〕の支配的である社会の富は、(2)「 巨大なる商品集積〔”ungeheure Warensammlung":そら恐ろしい商品の集まり・集合 〕」として現われ、(3)個々のeinzelne 商品はこの富の 成素形態 〔Elementarform:構成要素の形式、元素の形式〕 として現われる erscheint。(4)したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。」
 冒頭文章を(1)から(4)に区切って、観察してみます。
 (1)「社会の富」は、アダム・スミス『諸国民の富』の継続性
 (2)「巨大なる商品集積 ungeheure Warensammlung」の「ungeheure」は、
 第1節後段「妖怪のような」と第13章機械的怪物 Unegeheuer に継続されてゆきます。
 (3)「個々の」商品は、「社会の富」の成素形態 Elementarform(構成要素の構造上の形成単位)として現象しています。
 (4)上記の文脈は、次のような集合体を構成しています。
 1.資本制生産
 2.社会の富
 3.一つひとつの商品は「社会の富」の構成単位
 4.したがって研究は「構成単位」である「商品」の分析から始まる。
 そして具体的な商品の分析は、「歴史的に」、富の素材的内容である使用価値と使用価値が交換される「交換価値」の二つに分けて行われている。交換価値が交換されることにより形成される交換割合は、諸商品のある種の使用価値と他の種の使用価値の交換比率となる。
 〔西洋社会においては、〕伝統的に諸商品の交換比率は諸商品の価値関係として分析される。


 3. 諸商品の価値表現 ―― 価値比例の序列化/系列化と価値方程式の形成

 諸商品の価値関係は、諸商品の価値を表わすー現象する交換比率 Proportion となり、この比率は価値の比例序列化を構成する。このようにして、比例序列化された「価値」は、「価値方程式」に表わすことができる。すなわち、数式で表現することが可能となる
      「表現方式と数式の仕方」を参照
 
 4. 『資本論』第1章商品 第3節 価値形態または交換価値
    単純な価値形態とヘーゲル論理学
 5. 貨幣形態の成立とヘーゲル論理学
    「価値形態」のヘーゲル哲学 概念論-普遍・特殊・個別-貨幣の成立・
・      では、具体的に「価値方程式」の事例を参照
3)  『資本論』の方程式・例解  - 誤訳「等式」の解明 -

   レーニン『哲学ノート』と『資本論』のヘーゲル哲学 (2016年創刊号)より

 『資本論』本文箇所は、①~⑤で表わし、「 → ∴ 」は、編集部報告者の説明文・・

 一定の商品、1クォーターの小麦は、例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合で交換される。このようにして、小麦は、唯一の交換価値のかわりに多様な交換価値をもっている。
   → 1クォーター小麦=x量靴墨、=y量絹、=z量金。
    ∴ 小麦は多様な交換価値をもつ。


 しかしながら、x量靴墨、同じくy量絹、z量金等々は、1クォーター小麦の交換価値であるのであるから、x量靴墨、y量絹、z量金等々は、相互に置き換えることのできる交換価値、あるいは相互に等しい大いさの交換価値であるに相違ない。
     → x 量靴墨 = y 量絹 = z 量金
     ∴ 靴墨、絹、金は相互に等しいある「大きさの交換価値」を表示している。

 したがって、第一に、同一商品の妥当なる交換価値は、一つの同一物を言い表している。
   これらの交換価値は、一つの同一物、つまり〔ある“未知数”概念〕を表している。

 だが、第二に、交換価値はそもそもただそれと区別さるべき内在物の表現方式、すなわち、その「現象形態」でありうるにすぎない。
    → 交換価値は、互いに異なる商品種が交換される時に、現象してくる。
     交換価値は、A商品=B商品の左右の項(A,B商品種)とは違う形式・形態となる。
      → 貨幣形態・価格へ進展してゆく

 さらにわれわれは二つの商品、例えば小麦と鉄をとろう。その交換価値がどうであれ、この関係はつねに一つの方程式〔Gleichung〕に表わすことができる。 そこでは与えられた小麦量は、なんらかの量の鉄に等置される。例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。

   「例えば小麦と鉄」という場合
 のx量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々に表示されている諸商品種の中から代表して取り出されているのである。
   ∴ 「例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄」、
     「例えば、1クォーター小麦=x量靴墨」    
     「例えば、y量絹、=z量金」 の具合に表示されることになる。
   この「例えば、」は、結局「連立方程式」を
内容表示しているのである。

   では、 この「連立方程式」は何を物語るか?

  ◆商品の価値表現と「連立方程式」による表示内容について、
 コラム3商品の価値表現Wertausdruck と方程式・価値方程式 で具体的に詳論してありますので参照してください。


    方程式と等式について

 なお、博友社版 相良守峯編『大独和辞典』では、方程式は「 Gleichung 」、等式は「 Gleichheit 」ー日本語で翻訳用語として分離している。
 ちなみに英語では方程式、等式ともに「equation」となっている。

1.   岩波・向坂訳、河出書房新社・長谷部訳以外は、
 この「方程式Gleichung」を「等式Gleichheit」と読み換えて、わざわざ日本語に翻訳し、変更しているのである。それぞれの翻訳者は、その訳語についての解説・定義などは一切ない。
 このようにして、「改訳 (改悪) 」し『資本論』の「論理学」を破壊しているのである。

2. 「等式」の翻訳者は、ヘーゲル論理学についての無理解が明白となってくる。
 ヘーゲル論理学では、「個別的なものは、一般的なものへ通じる連関のうちにのみ存在する」(『小論理学』)ので、個別的な商品の
価値表現「1クォーター小麦= a ツェントネル鉄」は、次のように理解されます。
 すなわち、個別的な1クォーター小麦と a ツェントネル鉄が「=」で連結されるのは、一般的なものへ通じる価値の序列/系列連関(この表示機能を方程式という)にたいしてである。
 したがって、の「一つの同一物〔数学上では、方程式の解法としての “未知数概念” を意味している〕を言い表している」機能を表示する場合には、「方程式」を使用する。

3. 『資本論』でマルクスは、
  なぜ方程式のような「数学上の論理学形式」を採用するのか?
 西洋世界では、ピタゴラスの定理やプラトンの伝統に従って、ユークリッド幾何学など「図形表示による論理形式」が日常的に普通に行なわれています。
 日本ではあまり流行りませんが、『資本論』序文でマルクスが紹介している近代初頭のスピノザは、『エチカ』のなかで「神の存在証明など論述形式が全体を通してユークリッド『原論』の研究方法」を採用しています。
 資本論ワールド編集部は、古代ギリシャの哲学史を探索していますが、西洋世界の解読のツールに欠かすことができません。
 古代バビロニア~ギリシャの”方程式原論”は、優に3000年の歴史を歩んでいます。




   ヘーゲル論理学「比例論」と『資本論』の価値方程式(1)
 4) ■参照資料 ヘーゲル論理学と『資本論』の方程式
1. レーニン『哲学ノート』と
 資本論のヘーゲル哲学
7. 価値方程式の成立 比例関係 と
  方程式論の歴史的形成過程
2. ヘーゲル論理学「比例論」と
  資本論の価値方程式 序 論
8.「価値形態」のヘーゲル哲学
概念論-普遍・特殊・個別-貨幣の成立
3. ヘーゲル論理学「比例論」と
  『資本論』の価値方程式 1 
9.『資本論』 商品の価値対象性
  形式/形態Formの二重性 
4. ヘーゲル論理学 「比例論」と
  『資本論』 価値方程式
10. ヘーゲル「Form/形式活動」
 一般的価値形態の研究 (作業中)  
 
5. コラム1.『資本論』の方程式
   -比例と方程式の関係-
11.『資本論』
 商品価値の比例論 -抄録
6. コラム3. 商品の価値表現と
  方程式・価値方程式
 
12.『資本論』の方程式 -抄録
 ・方程式 と 価値方程式

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資本論用語事典2021

 『資本論』の翻訳問題
価値等式」の誤訳は『資本論』を破壊する


  第2部
  ヘーゲル論理学「比例論」と資本論の価値方程式 1.


ヘーゲル論理学と資本論の価値方程式 2.

改訂版への移行先は、こちらです
比例-価値方程式 2021集計
『大論理学』 -第3章量的比例
ヘーゲル論理学「比例論」と
資本論の価値方程式 序論

 資本論入門11月号 2016.11.24
 比例関係と方程式論の歴史的形成過程
 『資本論』/価値方程式論構築の道のり



 第2部 ヘーゲル論理学「比例論」と資本論の価値方程式 1.
 目次
 1. 第1節 一般的労働時間と比例関係
 2. 第2節 『資本論』の比例について
 3. 第3節 ヘーゲル論理学の比例について
  3-1 『資本論』第1章第3節 
   3. 一般的価値形態から貨幣形態への移行

 
  資本論ワールド編集委員会:2016.11.24

 いよいよ今年もあと1カ月あまりとなりました。天候不順が続き、東京では初雪もあり、足元の悪い中ご出席いただきましてありがとうございます。さて、8月の「資本論入門」から2カ月が経過しましたが、大変貴重な報告を掲載することができました。各方面の方々のご協力に感謝申し上げます。

 本日新着情報11月号の編集会議にあたり、これまでの準備状況についてご報告申し上げます。

1.  各月の新着情報掲載レポート〔8月(ペルソナ関連)、9月(フェティシズム関連)そして10月(『小論理学』 Dasein)〕は、今月の「比例と方程式論」の姉妹編を形成していますので、随時ご参照をお願いします。

2.  また、10月掲載の第1部古代ギリシャ「比例」の伝統 タレスからデカルトまで<1>、 特に4.「デカルト革命」への道-「謎・未知数」の解法としての比例・方程式と 6. 『経済学批判』 ―比例式・比例関係と方程式―価値方程式の形成過程は、 『資本論』の方程式論に直接つながってきますので、再度の確認をお願いします。また、 <3>佐々木力著『デカルトの数学思想』東京大学出版会2003年は、堅い書物ですが、研究書として貴重です。

3.  11月新着情報の1.「序論」の補足説明として、
 3.「等価形態」、4.商品価値の比例論、5.コラム1を掲載しました。


 以上、量的にも盛り沢山となりました。
 「序論」でも申し上げましたが、「価値等式」の誤訳が継続され、『資本論』の論理性を破壊している最大の要因となっています。「11月資本論入門の最大の課題は、「価値方程式Wertgleichung: x量商品A=y量商品B」の概念と用語の確定です。・・・
 「価値方程式」と翻訳しているのは、岩波版と河出版の2社のみで、他の5社『資本論』はすべて「価値等式」としています。(2019年9月発行の新日本出版社『新版資本論』も「価値等式」)     
     *注.→『哲学ノート』と「価値方程式」を参照して下さい。
 この翻訳問題は、単なる訳語だけに関わる問題ではありません。『資本論』第1章全体、とくに「商品の物神的性格」に至る価値形態論全体の理解に関わっています。」


 『資本論』に挑戦される方々へ、『資本論』ワールドを探訪される方々へ、『資本論』の魅力を存分に味わい、人生の良き伴侶とならんことを願って、編集会議のご報告とします。

   ・・・・・  ・・・・・  ・・・・・


 事務局:
 編集会議の報告が終わりました。 それでは、本日の出席者をご紹介します。
 レポーター役の小川さん、野田さん、 ヘーゲル論理学の報告者の近藤さん、岡本さん、北部資本論研の小島さん、司会進行役の坂井さん以上の6名です。よろしくお願いします。


 司会の坂井です
 ご無沙汰していましたが、皆さんお元気そうでなによりです。また、本日は足元の悪いなか、ご苦労さまです。 夕方まで降り積もるようですが、寒さに負けず本日もよろしくお願いします。
 さて、議事進行のご相談ですが、ただいま、この2カ月間の経過報告がありました。簡単なレジメがお手元に配布されていますので、 ご覧いただきながら、進めてゆきます。項目別に、

 レジメ 「第2部 ヘーゲル論理学「比例論」と資本論の価値方程式」 2016.11.24

  1. 『資本論』の比例について
  2.  ヘーゲル論理学の比例について
  3.  比例と価値方程式の関連について
  4.  価値方程式とフェティシズム・商品の物神的性格について

 とありますが、進行の順番としてこれでよろしいでしょうか。

 北部資本論研の小島です
 大枠の順番は結構ですが、1.について意見があります。今回の11月号は、“これまでの総括的な議論にしたい”とお聞きしていますので、是非『経済学批判』の比例論も加えてほしいと思っています。7月の資本論入門、 『経済学批判』における商品の物神的性格について、「一般的労働時間の成立」を検討してきました。『経済学批判』では、「一般的労働時間」が形成されることが比例関係の根拠になっていると思われます。『資本論』との整合性をどう考えるか?という問題です。



 第1節 一般的労働時間と比例関係

 レポーターの小川:
 ちょうど、私がレポーターの役で報告していました。
 たしか、
 1. 「交換価値は使用価値が交換される量的比率 quantitatives Verhältnis」でした。そして、
 2. 「個人の労働は、それが交換価値に表われる限りにおいて、等一性(相等性 Gleichheit)という この社会的性格を」もち、
 3. 「交換価値においては、個々の個人の労働時間が、直接に一般的労働時間として現われる。」ことになります。
 4. 『資本論』の第3節価値形態とのつながりで言えば、以下のようにはっきりと比例関係における一般的労働時間が位置付けられています。

   「34  コーヒー、茶、パン、キャラコ等、要するにすべての商品がそれ自身の中に含まれている労働時間を亜麻布で表現しているので、逆に、亜麻布の交換価値は、その等価としてのすべての他の商品の中に展開され、亜麻布自身の中に対象化されている労働時間が、直接に、他のすべての商品のちがった分量に均等に表われている一般的労働時間となる。
  ここでは、亜麻布は、他のすべての商品の亜麻布に対する全面的行動によって、一般的等価となる。 交換価値としては、どの商品も、他のすべての商品の価値の尺度となった。ここでは逆に、すべての商品がその交換価値を特別な商品で測るために、この除外された商品は、交換価値の適合した姿(Dasein:ダーザイン)、すなわちこれを一般的等価として表わす物(Dasein:ダーザイン)となる。
  これに反して、無限の系列、すなわち、各商品の交換価値が表われた無限に多数である方程式は、二つの項をもつだけの唯一の方程式に縮まってしまる。2ポンドコーヒー=1エルレ亜麻布ということは、いまでは、コーヒーの交換価値の十全な表現である。というのは、亜麻布は、この瞬間、直接に、他のあらゆる商品の一定量に対する等価として現われているからである。」 (新潮社版『経済学批判』p.74)



 言語文化の岡本
  そうすると、最初の1. 「交換価値は使用価値が交換される量的比率 quantitatives Verhältnis 」について、この量的「比率」quantitatives Verhältnis が、比例概念を表わすか、という問題に集約されるわけですね。
 しかし、小川レポーターのいまの報告にあるように 「34コーヒー、茶、パン、キャラコ等・・・」は、 明らかにある比と他の比の関係という、複数間の「比」同士の関連ですから、」「比例」とする以外に論理的には言えませんね。確認のために「比率」と「比例」を広辞苑で調べてみますと、

  【比率】:「ある数または量の、他の数または同種類の量に対する比。二個以上のものを比較した割合。比。」
  【比例】:「二つの量の比が他の二つの量の比と等しいこと。また、この関係にある量を取り扱う算法。」
 「2 の 3 に対する比は 8 の 12 に対する比に等しい (2:3=8:12) という類。」とあります。

 次に問題は、ドイツ語の「Verhältnis」は、比なのか、比例なのか、に絞られてきます。辞書によりますと、
  小学館:1.(Proportion)比、比率、割合;(数)比例。2. 関係、間柄など
  博友社:1.関係、間柄。・・・ 4.割合、(数)比、比例など
  廣川書店(日独英3カ国語対照):proportion:比例、釣り合い、調和、割合、率、比など。
 いずれも辞書では、比と比例のどちらも訳語として可能性としては「あり得る」わけですね。

 レポーター役の野田
  岡本さんのご指摘のように『経済学批判』の文章(34)からは、当然「比率」ではなく、「比例」と解釈する以外にありません。もう一つの根拠は、 ヘーゲルの『(大)論理学』 の書物にある 「quantitatives Verhältnis」が 「量的比例」と翻訳され、理解されていることです。
 そこで資本論ワールド編集委員会では、ヘーゲル論理学を準用して「比例」と判断したのでしょうか?



 哲学担当の近藤
  ヘーゲル論理学のうち、いわゆる『大論理学』では、「quantitatives Verhältnis」について、(←*注・12月号検索)
 第1巻有論 第2篇大きさ(量) 第3章 量的比例 Drittes Kapitel Das quantitative Verhältnis のように、 「比例」項目について約100ページにわたって研究されています。また、端的に「比例」のつぎのような規定が出てきます。
  「 比例は一般に(Das Verhältnis überhaupt ist)
  1.  das direkte Verhältnis. :直接的比例
  2.  im indirekten Verhältnisse. :間接的比例(反比例)
  3. im Potenzenverhältnis :べき比例 (累乗:同一の数または文字を次々に掛け合せること。)」
 以上から判断できることは、「Verhältnis」が文中でどのように使用されているか、という「読解問題」に絞られてきます。


 小島
 そこで、私が言いたかったのは、『経済学批判』の「一般的労働時間」の位置づけです。
 1) 「34  コーヒー、茶、パン、キャラコ等、要するにすべての商品がそれ自身の中に含まれている労働時間を 亜麻布で表現しているので、逆に、亜麻布の交換価値は、その等価としてのすべての他の商品の中に展開され、亜麻布自身の中に対象化されている労働時間が、直接に、他のすべての商品のちがった分量に均等に表われている一般的労働時間となる。」

 2) 「ここでは、亜麻布は、他のすべての商品の亜麻布に対する全面的行動によって、一般的等価となる。交換価値としては、どの商品も、他のすべての商品の価値の尺度となった。ここでは逆に、すべての商品がその交換価値を特別な商品で測るために、この除外された商品は、交換価値の適合した姿(ダーザイン)、すなわちこれを一般的等価として表わす物(ダーザイン)となる。」

 3) 「これに反して、無限の系列、すなわち、各商品の交換価値が表われた無限に多数である方程式は、二つの項をもつだけの唯一の方程式に縮まってしまう。2ポンドコーヒー=1エルレ亜麻布ということは、いまでは、コーヒーの交換価値の十全な表現である。というのは、亜麻布は、この瞬間、直接に、他のあらゆる商品の一定量に対する等価として現われているからである。」

 このように、「亜麻布自身の中に対象化されている労働時間が、他のすべての商品のちがった分量に均等に表わされている一般的労働時間となる」ことによって、比例関係が成立していることを表わしています。
 したがって、「比率」と「比例」の広辞苑が説明しているように、
   【比率】:ある数または量の、他の数または同種類の量に対する比。
   【比例】:二つの量の比が他の二つの量の比と等しいこと。また、この関係にある量を取り扱う算法。
  (*比例の例) 2 の 3 に対する比は 8 の 12 に対する比に等しい ( 2 : 3 = 8 : 12 ) という類。
 これらからしても、「比例」と解釈することが正しいと考えられます。


  近藤
  先週、HPの『経済学批判』とドイツ語原本を比較して読み直していて、気が付いたのですが、第20段落にはっきりと「比例関係」に置かれるとありました。
  「商品の交換価値は、それ自身の使用価値のうちに表われるものではない。だが、一商品の使用価値は、一般的な社会的労働時間の対象化として、他の〔諸〕商品の〔諸〕使用価値〔このように複数の商品の使用価値-近藤〕と比例関係におかれる。」(『経済学批判』p.67)

 これらの本文から考えても、小島さんのご指摘のとおりと言えます。確認のためにドイツ語原本の当該箇所を示しておきます。
「Der Tauschwert einer Ware kommt nicht in ihrem eignen Gebrauchswert zur Erscheinung. Als Vergegenständlichung der allgemeinen gesellschaftlichen Arbeitszeit jedoch ist der Gebrauchswert einer Ware in Verhältnisse gesetzt zu 〔比例関係におかれる〕 den Gebrauchswerten anderer Waren.」


  司会進行役の坂井
  北部資本論研の小島さんの整理で、全体の合意が図られたと思います。
  一方、『資本論』では「一般的労働時間」の用語や概念は、見当たらないようです。引き続き検討すべき課題もあると思われます。次に『資本論』の本文から「比例」がどのように扱われているか、に移らせてもらいます。レポーターの野田さん、お願いします。



  第2節 『資本論』の比例について

 野田:
  これまで再三にわたり「比例と方程式」を巡って報告がありましたので、これらの議論と重ならないように、『資本論』本文について検討しましたので、報告します。また、11月新着情報に 「『資本論』商品価値の比例論抄録」 が掲載してありますので、こちらも参照してください。

 【1】 まず「比例」概念の基礎には、話題となる事柄どうし(量Quantität、定量Quantum)の相互関係が問題で、コミュニケーション(相互交流)の成立が前提となります。物品や財貨を交換し合う関係、市場で商品が流通していることが前提となります。
 市場で財貨が互いに交換される-貨幣の仲介を経て-ことは、当事者間に一定の相互関係が成立しています。この市場関係は「相等なgleich(同一性を示して“同じ、等しい”)関係」としてつながりあっていることを意味しています。
 市場当事者の間に「相等性 Gleichheit(gleichなこと:同一、同等) 」が存在してはじめて成り立つわけです。
 このような関係が成立していることを、数量の世界では「比例」と呼びます。
   【比例】:二つの量の比が他の二つの量の比と等しいこと。また、この関係にある量を取り扱う算法。(広辞苑)
 『資本論』本文で、これに該当する文章、文脈を以下に紹介しながら、「比例」概念を実感していただく趣旨で、報告します。

 【2】 まず「比例」関係に使用される主な用語として
  量的な関係(量的比例):quantitative Verhältnis、
  交換比率:Austauschverhältnis、 
  比率、割合(比、比例):
   Proportion, 定量 Quantum、等しい、等一の、同一の:gleiche、大いさ Größe などがあります。

  注1:『資本論』本文○数字の後の()内の数字は、第1章第1節の段落番号を示します。
  注2:ドイツ語では、名詞の単数と複数形とを区別してあり、複数形では関係概念を表示しています。

 『資本論』第1章第1節商品の2要素使用価値と価値(価値実体、価値の大いさ)

 (5) 交換価値は、まず第一に量的な関係〔比例関係〕quantitative Verhältnisとして、ある種類の使用価値が 他の種類の使用価値と交換される比率Proportionとして、・・・・変化する関係として、現われる。

 (6) 一定の商品、1クォーターの小麦は、・・・簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合(複数形verschiedensten Proportionen.)で交換される。小麦は多様な〔諸〕交換価値(複数形Mannigfache Tauschwerte)をもっている。

 (7) 例えば、1クォーター小麦=a ツェントネル鉄、この方程式は何を物語るか? 同一大いさのある共通なものがある〔方程式の数学的には、ある共通な未知数のこと〕ということである。したがって、ふたつ〔両方:小麦と鉄〕のものは一つの第三のものに等しいgleich〔第3の共通な未知数があること〕。

 (10) 使用価値としては、商品は、ことなれる質Qualitätのものである。交換価値としては、商品はただ量Quantitätをことにするだけである。

 (14) 財貨の(諸)価値の大いさ Größe seines Wertsはどうして測定されるか?その中に含まれている「価値形成実体」である労働の定量 Quantum der Arbeit によってである。労働の量 Quantität der Arbeit 自身は、その継続時間によって測られる。そして労働時間には、また時・日等のような一定の時間部分としてその尺度標準がある。

 (15) 価値の実体をなす労働は、等一の人間労働 gleiche menschliche Arbeitである。・・・商品世界の価値に表わされている社会の全労働力は、ここにおいては同一の人間労働力 gleiche menschliche Arbeitとなされる。・・・社会的平均労働力として作用し、・・・社会的に必要な労働時間〔一般的/普遍的労働時間として成立すること〕である。

 (16) ある使用価値の価値の大いさを規定するのは、社会的に必要な労働の定量 Quantum、またはこの使用価値の製造に社会的に必要な労働時間にほかならないのである。・・・ある商品の価値の他の商品のそれぞれの価値にたいする 比 は、ちょうどその商品の生産に必要な労働時間の、他の商品の生産に必要な労働時間にたいする 比に等しい。「価値としては、すべての商品は、ただ凝結せる〔ゲル化した〕 労働時間の一定量であるにすぎない。」(注11、『経済学批判』からの引用)

 (Der Wert einer Ware verhält sich zum Wert jeder andren Ware wie die zur Produktion der einen  notwendige Arbeitszeit zu der für die Produktion der andren notwendigen Arbeitszeit. 大独和辞典参照)
 (大独和辞典参照)(verhält 数学:或るものと比例するsich zu et.~)
 「AとBの比はXとYとの比に等しい:A verhält zu B wie X zu Y.」

  (17)・・・一般的にいえば、労働の生産力が大であるほど、一定品目の製造に要する労働時間は小さく、それだけその品目に結晶している労働量は小さく、それだけその価値も小さい。逆に、労働の生産力が小さければ、それだけその一定品目の製造に必要な労働時間は大きく、それだけその価値も大きい。
 したがって、ある商品の価値の大いさは、その中に実現されている労働の量に正比例しその生産力に逆比例して変化する
 (Die Wertgröße einer Ware wechselt also direkt wie das Quantum und umgekehrt wie die Produktivkraft der sich in ihr verwirklichenden Arbeit. 大独和辞典参照)
(大独和辞典参照)(数学:或るものと反比例する sich zu et.umgekehrt ~)

 
 【3】 こうして第1節の後半の最終段階で、⑦「比」と⑧「正比例、逆比例」により「比例関係」の文脈として集約的に叙述されているわけです。


  司会進行役の坂井
   比例関係の明解な説明、ありがとうございました。
  最後になりますが、『経済学批判』の「一般的労働時間」と『資本論』の関係が残されています。
  先ほど、哲学担当の近藤からヘーゲル論理学と「比例・Verhältnis」の話しがありました。『資本論』では、「一般的労働時間」は扱われているのでしょうか?



 近藤
  『資本論』の翻訳では、「量的な関係:quantitative Verhältnis」と一般的に訳されていますが、ヘーゲル論理学の世界では、「量的比例」が一般的です。“量的な関係の「中身」は何ですか?”とお聞きしたいと常々考えているところです。どうも、この問題はヘーゲル哲学に対する基本的な素養の問題かもしれません。  さて「一般的労働時間」ですが、これもヘーゲル哲学との関連で考えると大変参考になります。
 「量的な関係の比例問題」とあわせて検討してゆきたいと思います。



 第3節 ヘーゲル論理学の「比例」について

  まず最初に、『経済学批判』の「一般的労働時間」をヘーゲル論理学と対比しながら考えてみましょう。

 (1) 一般的労働時間について

  「一般的労働時間」のドイツ語は、「allgemeine Arbeitszeit」 ですが、問題は、「一般的」と訳されている 「allgemeine」の単語です。この単語は、『経済学批判』でも『資本論』でも「一般的」と訳されていますが、 「一般的」を広辞苑では次のように説明しています。

  【一般的】=或る部類のものに共通であるさま。普遍的。〔〕 
        =或る部類のものの大部分に共通であるさま。〔②〕
  【普遍】 =あまねくゆきわたること。すべてのものに共通に存すること。 「普遍的」。

  こうして、「一般的」は、「①すべのものに共通。普遍的」の場合と「②大部分に共通」の場合の二つに
  区分されることがわかります。
  日常的には、どちらの意味でも使われていますので、厳密に考えて使われないのが、一般的です。

   さて、では『資本論』本文ではどうでしょうか。
   じつは、「一般的」の言葉で非常に重要な用語があります。「一般的労働時間」に直接関連する「一般的価値形態」です。少し長くなりますが、引用しますと、 

  (第3節価値形態.C一般的価値形態.1価値形態の変化した性格)
  「 一般的価値形態は、商品世界の共通の仕事としてのみ成立するのである。一商品が一般的価値表現を得るのは、ただ同時にすべての商品がその価値を同一等価で表現するからである。・・・
  例えば茶10ポンド=亜麻布20エレ.さらにコーヒー40ポンド=亜麻布20エレ.
  したがって、茶10ポンド=コーヒー40ポンドというようにである。・・・
  一般的価値関係を成立させる無数の方程式は、順次に亜麻布に実現されている労働を、他の商品に含まれているあらゆる労働に等しいと置く。・・・それは、すべての現実的労働を、これに共通なる人間労働の性質に、人間労働力の支出に、約元〔整約Reduktion:同一性に集約すること〕したものなのである。・・・このようにして、一般的価値形態は、この世界の内部で労働の一般的に人間的な性格が、その特殊的に社会的な性格を形成しているのを啓示するのである。」

  この文脈を『経済学批判』(「一般的労働時間」の成立)と比較してみてください。
  *ここをクリック→ 各人の労働時間は社会的必要労働時間となる、「一般的労働時間」の成立  

  共通点として、
 1. 「一般的」の表現は、『経済学批判』も『資本論』も広辞苑の「すべのものに共通。普遍的」であること。 さらに、「貨幣形態」についても共通した文脈で叙述しています。

 2. 『経済学批判』第1章34段落
  「交換過程では、すべての商品が、商品一般としての排他的商品に、すなわち、ある特別の使用価値に一般的労働時間を体現(ダーザイン)している商品に、関係するのである。したがって、すべての商品は、それぞれ特別の商品 besondere Warenとして、一般的商品 allgemeinen Wareとしてのある特別の商品に相対立する。」
  「・・・この特別の商品の他のすべての商品に対する特殊な関係として、したがってまた、一定のいわばある物の自然発生的に社会的な性格として現われる、ということである。このようにすべての商品の交換価値の適合した体現であることを示している特別の商品、あるいは、諸商品の、ある特別な排他的な商品としての交換価値、これが貨幣である。」

 3. 『資本論』第1章第3節 3. 一般的価値形態 allgemeinen Wertform から貨幣形態への移行
  「一般的等価形態 allgemeine Äquivalentform は価値一般の形態である。したがって、それは、どの商品にも与えられることができる。他方において一商品は、それが他のすべての商品によって等価として除外されるために、そしてそのかぎりにおいてのみ、一般的な等価形態(第3形態)にあるのである。そして、この除外が、終局的にある特殊な商品種に限定される瞬間から、初めて商品世界の統一的相対的価値形態が、客観的固定性と一般的に社会的な通用性とを得たのである。」

 「そこでこの特殊なる商品種は、等価形態がその自然形態と社会的に合生するに至って、貨幣商品となり、また貨幣として機能する。商品世界内で一般的/普遍的等価 allgemeinen Äquivalentsの役割を演じることが、この商品の特殊的に社会的な機能となり、したがって、その社会的独占となる。この特別の地位を、第二形態で亜麻布の特別の等価 besondre Äquivalente たる役を演じ、また第三形態でその相対的価値を共通に亜麻布に表現する諸商品のうちで、一定の商品が、歴史的に占有してのである。」

 4. このように、『経済学批判』の「一般的/普遍的労働時間」が体現している一般的商品が、『資本論』の「一般的等価形態」にある「商品」です。そして「貨幣商品となり、貨幣として機能」します。
 
 以上で、「一般的(労働時間)」は、「普遍的」と同じ意味・同義で使用されていることが理解されます。

  司会進行役の坂井:
  長時間にわたる報告、ありがとうございました。近藤さんのレポートを受けて、これから討論をお願いする予定でしたが、雪がまだ止んでいません。交通機関の心配をされる方もいらっしゃるので(?!)、
  本日はここでいったん休憩としたいのですが。

  言語文化の岡本:
  大変な力作でした。一度では、充分消化しきれませんので、討論は次回のほうが良いと思います。そこで、次回に向けてのコメントをしておきたいのですが。
  近藤さんのレポートの最後の、
  「一般的(普遍的)等価 allgemeinen Äquivalents」と「特別の等価 besondre Äquivalente」についてです。 この「一般的(普遍的)」と「特別の」は、ヘーゲル論理学のまさに真髄であり、『資本論』とヘーゲルを連結するキーワードです。
  次回に詳しく報告したいと考えていますが、時間の取れる方は、是非『小論理学』第3部概念論A主観的概念の163節、164節に眼を通しておいてください。『資本論』とヘーゲル論理学の関係がすっきり理解できる個所となっています。また、抽象的で、難解なヘーゲルですが、『資本論』と対比することで、「唯物論的」にずっと分かり易くなります。
 
  司会進行役の坂井:
  それでは、次回、12月に入りますが元気でお会いしましょう!!