有機体・社会有機体


資本論の有機体論・
社会的生産有機体
有機体(論)
岩波思想・哲学辞典
スペンサーの
社会有機体
 
 
 
 
 
 
 


 ◆ 編集部 はじめに



1. 『資本論』の有機体論


<資本論と社会的生産有機体>                                

 社会的生産有機体 

             
  第 1章2節 商品に表された労働の二重性 
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この労働は、すべての普通の人間が特別の発達もなく、平均してその肉体的有機体〔leilichen Organismus〕の中にもっている単純な労働力の支出である。単純な平均労働自身は、国のことなるにしたがい、また文化時代のことなるにしたがって、その性格を変ずるのであるが、現にある一定の社会内においては与えられている


  第4節 商品の物神的性格とその秘密 

 だから、商品の物神的性質はその使用価値から出てくるものではない。それは、同じように価値規定の内容から出てくるものでもない。なぜかというに、第一に、有用な労働または生産的な活動がどんなにいろいろあるにしても、これが人間有機体〔menschlichen Organismus〕の機能であり、かかる機能のおのおのが、その内容その形態の如何にかかわらず、本質的に人間の脳髄と神経と筋肉と感覚器官等の支出であるということは、生理学的真理であるからである。


 最後にわれわれは、目先を変えて、自由な人間の一つの協力体を考えてみよう。人々は、共同の生産手段をもって労働し、彼らの多くの個人的労働力を、意識して一つの社会的労働力として支出する。・・・
この生産物の一部は、再び生産手段として用いられる。・・・他の部分は生活手段として、協力体の成員によって費消される。したがって、この部分は彼らの間に分配されなければならぬ。この分配の様式は、社会的生産有機体〔gesellschaftlichen Produktionsorganismus〕の特別な様式とともに、またこれに相応する生産者の歴史的発展の高さとともに、変化するであろう。

 さて経済学は不完全ではあるが、価値と価値の大いさを分析したし、またこれらの形態にかくされている内容を発見したのであるが、・・・したがって、社会的生産有機体の先ブルジョア的形態は、あたかも先キリスト教的宗教が、教父たちによってなされたと同じ取扱いを、経済学によって受けている。


    第3章 貨幣または商品流通 a 商品の変態

 商品は、とくに貨幣所有者にたいして使用価値でなければならない。すなわち、この商品にたいして支出された労働は、かくて社会的に有用なる形態で支出されていなければならない。あるいは社会的分業の一環たることを立証しなければならない。しかしながら、分業は、自然発生的生産有機体 〔naturwüchsiger Produktionorganismus〕をなしているのであって、その繊維は商品所有者の背後で織られたのであり、またつづいて織られているのである。」


    第4章 貨幣の資本への転化 Verwandlung von Geld in Kapital
  第2節 一般定式の矛盾 Widersprüche der allgemeinen Formel

 「等価が交換されるとすれば、剰余価値は成立せず、非等価が交換されるとしても、また何らの剰余価値も成立しない。流通または商品交換は、何らの価値を産まない。
 したがって、資本の基本形態、すなわち資本が近代社会の経済
組織die ökonomische Organisation der modernen Gesellschaft:近代社会の経済体制(生物体の体制)〕を規定する形態を分析するにあたって、何ゆえにわれわれは、その通俗的な、いわば先洪水時代の姿である商業資本や高利貸資本を、初めはまず全く考慮しないでおくかということが、理解される


   第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程

 最古の人間の洞窟においても、石器の道具や武器が見出される。加工された石、木、骨、貝殻のほかに、馴らされた、したがってそれ自体すでに労働によって変化された、飼育動物が、人類史の端緒において労働手段としての主要な役割を演じている。労働手段の使用と創造とは、萌芽状態においては、すでにある種の動物にも具わっているが、特殊人間的労働過程を特徴づけるものであり、またそれゆえにフランクリンは人間を“toolmaking animal”すなわち道具を作る動物と定義しているのである。遺骨の構造が、死滅した動物種属のからだつきの認識にたいしてもつのと同じ重要さを、労働手段の遺物は、死滅した経済的社会形式〔ökonomischer Gesellschaftsformationen〕の判定にたいしてもっている。」


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2. 有機体(論) 岩波思想・哲学辞典

有機体(論)岩波思想・哲学辞典2018.01.28
〔英〕organism〔独〕Organismus
 ギリシア以来、近代にいたるまで自然を分割可能な物体的なものとみる見方(機械論)と、それ自身有機的な生命活動を営むものとみる見方(生気論)は、相互に対立しあう自然観を形成してきた。ギリシアでは、たとえばイオニアの自然学に代表される自然観は、自然の変化をプシュケーによるものとするが、アナクサゴラスやデモクリトスの原子論は機械的な物体的な自然観を説いている。近世初期では、延長を属性とする物体の領域を自然とみるデカルトの機械論的自然観に対して、有機的発展活動を営む個体を説いたライプニッツのモナド論などが、その代表例である。カントによれば、〈因果律〉の支配する機械論的な自然に対して、有機的自然には〈合目的性Zweckmasigkeit〉が働き、また前者では全体は部分の集積量にすぎないが、後者では全体と部分とは相互に制約しあう統一体である(『判断力批判』)。 ただしカントでは、合目的性は反省的判断力の原理であり、けっして客観的に存在するものではない。生ける自然の全体は認識の対象ではなく、目的概念を媒介としてのみ表象されるにすぎない。


 近代科学の機械論的自然観に対立する、有機体的自然観の系譜は、ルネサンスの魔術的自然観や能産的自然(natura naturans)の思想に発するが、この流れを活性化したのは
ゲーテの形態学である。すべての生けるものは、原型とメタモルフォーゼ Metamorphose:変態〕によって自己を形成し、それ自体で差異化しつつ同一性を保っていく。同時代のシェリングの自然哲学は、カントとは反対に、合目的性を、自然の内部に働く自己産出活動の原理とみなしている。生ける自然は、それ自身根源的な二重化の仕方で自己を構築し、産出活動であると同時に所産であり、「自己自身から有機的に組織化され、自己自身を有機的に組織化していく在り方」をする。有機体の論理は、ヘーゲルの目的論〔編集部注:ヘーゲル自然哲学参照〕のもとで、弁証法的論理として、自然領域だけでなく、あらゆる領域を貫く論理とされる。


 生物学の領野での有機体理論は、有機体を環境との関係から考察して種の変化を説く進化論的方向と、有機体の固有の内的自己発展を重視する全体論(ホーリズム)的方向があり、両者が統合されて今日の〔現代の〕システム論的自然観が成立してくる。エンテレヒー的進化を宇宙全体の進化とみるドリーシュの新生気論(neo-vitalism)、宇宙全体の不断の自己創造を説くアービッヒの全体論などを経て、ベルタランフィの一般システム理論(general system theory)によって機械論と生気論の対立の止揚がはかられ、全体は要素に還元できないものとして、生成の過程のなかで秩序を作りだしてい〈〈開放的システム〉であり、階層的構造体としてつねにより高次の存在形式へと高まる能動的な心身有機体であるとされた。さらに哲学者ホワイトヘッドは、有機体の創発性や過程性を考察し、環境とともに生成しつつ秩序を形成する組織体としてとらえ、全宇宙の生命の有機体的自己創造を壮大なるコスモロジーとして説いた(『過程と実在』)。化学者プリゴジンの「自己組織化」理論、さらに神経生理学者マトゥラーナや社会学者N.ルーマンの「オートポイエーシス・システム」理論は、今日の生命論的関心のもとで有機体理論がいかに人間科学の基礎理論の位置におかれているかを告げている。
<文献>ベルタランフィ(飯島衛・長野敬訳)『生命―有機体論の考察』みすず書房、1954。ホワイトヘッド(平林康之訳)『過程と実在』みすず書房、1981-83。西川富雄編『自然とその根源力』叢書ドイツ観念論との対話2、ミネルヴア書房、1993。[新田義弘]