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<<実体と属性の哲学史01<<

  実体と属性の哲学史 02 ・・・ ヘーゲルとマルクス・・・
     
-商品の物神的性格入門-


★目次
1. はじめに
2.
論理学と『資本論』について-レーニン『哲学ニート』より
3.
ヘーゲルの論理学について シュヴェーグラー『西洋哲学史』より
4.
ヘーゲル論理学 -実体、属性- について
5.
『資本論』のヘーゲル論理学について-商品価値の物神的性格入門-(『資本論』入門8月号に続く)


はじめに

 「古代ギリシャ時代以来、伝統的な西洋思想のキーワード・「実体」概念をどのように理解するか、
これを巡って多様な宇宙と世界の成り立ちについてもろもろの理論が形成されてきた。
古代から中世にいたる間、宇宙と世界を形成している主要な骨組みは、アリストテレス哲学によって説明され、
近代に至ってデカルトによる科学革命で18・19世紀への入り口が切り開かれた。」
 実体と属性の哲学史を振り返ると、

アリストテレスの実体は、
① 第一実体 : 個物、個体(この馬、この人)について存在の根拠と示す概念
② 第二実体 : 個物、個体を離れた種、類という共通性・一般性を示す概念

 
デカルトの実体と属性は、
① 実体 : 存在するために他のいかなるものをも必要としない、すなわち神
② 物体的実体 : 神の協力を必須とする被造実体の存在。属性は、その本性を構成する概念

 
スピノザの実体と属性は、
① 実体 : 自分自身によってのみ存在するものは、必然的に無限であり、一つの唯一の実体・神
② 属性 : デカルトの二つの実体は矛盾。それは実体の属性であり、同一の実体の異なった存在形式

 
ヘーゲルの実体と属性は、
① 実体 : 実体はそれ自身において主体Subjektであり、自己展開の進展にあって自己同一性の存在形式。
       自己原因の能動的-受動的実体の相関関係において、交互作用の形式による「概念」である。
② 属性 : 属性は絶対者の全内容であり、一つの世界として現われたところの全体性である。
       本質的相関の二面の一方として現われたところの全体性であり、形式と各内容規定の反対者への
       移行形態である。

 
         
<追記 2017.02.09>
        『資本論』の実体と属性の用語使用例に注意が必要です。
      ① 実体 Substanz : 価値実体、社会的実体の結晶としての商品価値、価値形成実体、
           価値として上衣と亜麻布は同一実体、上衣価値や亜麻布価値の実体では同じ質の人間労働
           (化学的実体)、共通の実体・・・・
「実体」概念は、内在的概念規定がなされないことに注意。
      ② 属性
Eigenschaft : ヘーゲル『小論理学』では「性質」、『大論理学』では「特質」として翻訳されている。
           抽象的・人間的な労働の属性において、労働は商品価値を形成する。
           具体的・有用労働の属性において、使用価値を生産する。
           しかし第3節で、属性の定義は等価形態にある「上衣」では、使用価値を示さないので、
           
「属性」概念からずれ落ちてしまう。

       ・・・・・   ・・・・・  ・・・・・・・

         


 ヘーゲルの実体の特徴は、主体として、自己展開の進展に自己同一性を保ちつつも、相関関係によって、
形式化される存在形態として現象するところにある。したがって、「実体」とは自己展開する主体となるもの、
特にヘーゲルにあっては精神であり、みずからを展開し、外化する対象性であり所産として把握されている。
 また、ヘーゲルの「属性」は、絶対者の論理的諸規定の進展につれて、絶対者は有であり、定有であり、
本質であり、概念であるなどと多義にわたって定義されることになる。現代的用語としては“
機能性”と理解される
ものと思われる。
 
この場合、“機能性”とは絶対者の論理的諸規定の進展による対象性-『資本論』第3節価値形態または
交換価値(a相対的価値形態の内実)の「対象性」“Gegenständlichkeit”-として表現される概念である。

 以上、アリストテレスからヘーゲルにいたる西洋哲学史における実体概念を背景にしながら、
ヘーゲル論理学と『資本論』の論理学そして商品物神の謎の究明を目指して探求の旅へ出発します。



第1章 論理学と『資本論』について レーニン『哲学ノート』(岩波文庫)より


 論理学は、思考の外的な諸形式にかんする学問ではなくて、「あらゆる物質的、自然的、および精神的事物」の発展の、
すなわち、その認識のあらゆる具体的な内容の発展の、諸法則にかんする学問であり、別の言葉で言えば、
世界の認識の総計算であり、総和であり、結論である。」P.21
 
1. ヘーゲルの『論理学』の全体をよく研究しなければ、マルクスの『資本論』、特にその第1章を理解することはできない。
 だから、マルクス主義者のうち誰も、半世紀もたつのに、マルクスを理解しなかったのだ!! p.155

2. マルクスは『論理学』にかんする著書をこそ書き残さなかったけれども、『資本論』という論理学を残した。
 われわれはこれを与えられた問題にたいして特に利用すべきであろう。ヘーゲルのうちにあるすべての価値あるものをとり、
 そしてこの価値あるものをいっそう発展させた唯物論、このような唯物論の論理学、弁証法、および認識論(三つの言葉は
 必要でない。それらは同じものである)が、『資本論』のうちで、一つの科学に適用されている。 下巻P.131

3. マルクスは『資本論』のうちでまず最初に、ブルジョア社会(商品生産社会)のもっとも単純な、もっとも一般的な、
 もっとも基本的な、もっとも大量的な、もっとも普通な、人々が何億回となくでくわす関係、すなわち商品交換を分析する。
 分析は、このもっとも単純な現象のうちに(ブルジョア社会のこの「細胞」のうちに)現代の社会のすべての矛盾(あるいは
 すべての矛盾の「萌芽」)をあばきだす。それにつづく叙述は、これらの矛盾およびこの社会の発展を(成長をも運動をも)、
 その個々の部分の総和において、初めから終わりまで、われわれに示す。 下巻p.198

4. このような仕方がまた弁証法一般の叙述の(あるいは研究の)方法でもなければならない。(なぜならマルクスにおいては、
 ブルジョア社会の弁証法は、弁証法の特殊な場合にすぎないからである)。もっとも単純なもの、もっとも普通なもの、もっとも
 大量的なもの、等々から始めること、つまり、木の葉は緑である、イワンは人間である、ジューシカは犬である、というような
 任意の命題からはじめること。すでにここには(ヘーゲルが天才的に指摘したように)、個別的なものは普遍的なものである、
 という弁証法がある。 下巻p.199

5. つまり、対立しあっているもの(個別的なものは一般的なものに対立している)は同一である。個別的なものは、
 一般的なものへ通じる連関のうちにのみ存在する。一般的なものは、個別的なもののうちにのみ、個別的なものによってのみ
 存在する。・・・すべての個別的なものは、幾千もの移行によって他の種類の個別的なもの(物、現象、過程)とつながっている、
 等々。すでにここに、自然の必然性、客観的連関、等々の要素、萌芽、概念がある。 p.199

6. このようにしてわれわれはどんな命題のうちにも、「細胞」のうちでそうであるように、弁証法のすべての要素の萌芽を
 あばきだすことができ(またそうしなければならない)、このようにして弁証法が人間のあらゆる認識一般に固有のもので
 あることが示される。・・・弁証法はまさに(ヘーゲルおよび)マルクス主義の認識論である。 p.200



第2章 ヘーゲルの論理学について シュヴェーグラー著『西洋哲学史』より


 ヘーゲルの論理学は純粋な理性概念を学問的に叙述し展開しようとしたものである。純粋な理性概念とは、あらゆる思考と
存在の根底にあって、主観の認識作用の根本的規定でもあれば客観的現実に内在する魂でもあるような諸概念あるいは
カテゴリーであり、そのうちで精神的なものと自然的なものとが合一点を見出す理念である。
論理学の世界は被いなくそれ自身で存在している真理である、とヘーゲルは言っている。

 またヘーゲルが比喩的に表現しているところによれば、論理学は世界および有限な精神を創造する以前の永遠な本質の
うちにある神の叙述である。この点から見れば、それはとにかく影像の世界ではある。しかし他方これらの影像はあらゆる
感性的素材から解放された単純な諸本質であって、全宇宙はそれらの骨組のうちに造りいれられているのである。

 理性の純粋な諸概念を集めて吟味するという仕事にはすでに幾人かの哲学者が手をつけており、アリストテレスは
カテゴリー論で、ヴォルフは存在論で、カントは先験的分析論でこれをやっている。しかしかれらはそれらを完全に
集めてもいなし、批判的にふるいわけしてもいないし、また(カントは別だが)一つの原理から導き出さないで、ただ経験的に
拾いあげ、字引でもつくるように取扱っている。ヘーゲルの企てたことは、このような仕方とはちがって、第一に、理性の純粋な
諸概念を完全に集めることであり、第二に、批判的にふるいわけること(すなわち、直観をまじえた不純な思想をすべて
除去すること)であり、第三に―これがヘーゲルの論理学のもっとも特徴的なところであるが―それらを弁証法的に次から次へと
導きだして、純粋理性の内的連関をもった体系へと作りあげることであった。理性は何ものをも前提することなく、
まったく自分自身のうちから知識の全体系を導きださなければならないという要求は、すでにフィヒテが提出している。

 ヘーゲルはこの思想を堅持しているが、しかしかれの仕方は客観的である。かれはもっとも単純な、それ以上の根拠づけを
必要としない理性概念、純粋な
存在(das reine Sein:有)という概念から出発し、次第により豊かな諸概念へ進みながら、
抽象的な概念がより具体的な概念へ発展することを示すことによって、純粋な理性的知識の全体系を導きだそうとする。
この発展の梃子となっているのが、否定を通じて或る概念から他の概念へと進んでいく
弁証法的方法(die dialektische Methode)である。

 ヘーゲルの言うところによれば、
すべての定立は否定である。あらゆる概念はそのうちに自分自身と反対のものをもっており、
したがって自己を否定して反対のものになる。しかし
あらゆる否定はまた定立であり肯定である。ある概念が否定されるばあい、
その結果は純粋な無、まったく否定的なものではなく、一つの具体的なものである。すなわちそこには、先行する概念を
否定しただけ豊かにされた、
一つの新しい概念が生まれてくる。例えば一の否定は多という概念である。
ヘーゲルはこのような仕方で否定を弁証法的進展の手段としているのである。すべての先に定立された概念は否定され、
そしてこの否定からより高くより豊かな概念がえられるのである。ヘーゲルはこのような、
分析的であるとともに綜合的でもある
方法を論理学の全体系に貫いているのである。



第3章 ヘーゲル論理学 ー 実体、属性 ー について


 前回、*「実体と属性の哲学史-アリストテレスからヘーゲルへ」において、アリストテレス、デカルト、スピノザについて
探求してきました。いよいよヘーゲルの「実体と属性の哲学史」に挑戦してゆきます。今回の最大の課題は、
「ヘーゲル論理学によるアリストテレス、デカルト、スピノザからの離脱と実体概念の革新」の探索にあります。
この道筋を通して、『資本論』の「商品価値の実体」に到達しよう、という探訪計画です。

 これまでに、私たちは、*資本論入門5月号「第1節の要約とヘーゲル論理学―<価値形成実体と形態・形式>において
「実体と形式」の関係を跡付けてきました。
この課題から次の段階―商品の物神的性格・フェティシズム―へ迫ってゆくことになります。
では、早速ヘーゲル論理学の探索を開始しましょう。

『大論理学』と『小論理学』は、第1部有論(Sein:存在)、第2部本質Wesen論、第3部概念Begriff論の3部作で構成されています。

実体は、第2部本質論の「C 現実性 」、実体性の相関に登場します。

また、属性は、『大論理学』の「 第3篇現実性 」、絶対者・絶対的属性に登場します。(『小論理学』では省略されています。)


第1節 実体について
 
 広辞苑によると「実体」とは、「①(名称や外形に対する)正体。本体。実質。内容。「―がつかめない」「―のない理論」
「②〔哲〕(ousia ギリシア・substantia ラテン・substance イギリス) 変化する様態の根底にある持続的な担い手と考えられるもの。
 それ自身によって存在するもの。世界ないし事物の実体は古来哲学の重要問題とされ、殊にギリシア哲学・スコラ哲学・
デカルト・スピノザにおいて中心的役割を演じた。カントは実体を現象認識のためのカテゴリーに過ぎないと考えたが、
現在でも個物を第一実体、普遍を第二実体とするアリストテレス的考え方は一般的である。」となっています。

 一方、ヘーゲル論理学では、「
実体は主体」であり、「能動的実体受動的実体の相関関係である」という新たな規定が
現われてきます。
 また
『資本論』では、
 「これらの物〔人間労働力支出の膠状物〕は、おたがいに共通な、この
社会的実体の結晶として、価値―商品価値である。」、
 「価値として、上衣と亜麻布とは
同一実体のものであり、同一性質の労働の客観的表現である。」
 「それらの労働が
上衣価値や亜麻布価値の実体であるのは、ただそれらの特殊な質から抽象され、両者が同じ質、すなわち
  人間労働の性質をもっているかぎりにおいてである。」
 などのように、労働と価値の本質的概念を明示する場合に「
実体」が使用されていることが分かります。

 さて、私たちはこれからヘーゲル論理学の探求を通じて、『資本論』の二つのキーワードである「実体」と「属性」について
研究してゆきます。そして、『資本論』入門8月号において、「実体と属性の哲学史」の中間総括を行う予定です。

(1) a 実体性の相関  『小論理学』
 
 1. 形式活動としての実体的同一性

 
 「150 必然的なものは自己のうちで絶対的な相関(Verhältnis)である。すなわち、相関が同時に自己を揚棄して
 絶対的な同一となる過程である。
  その直接的な形態は実体性(Substantialität)と偶有性(Akzidentalität)との相関である。この相関の絶対的自己同一は
 実体そのものである。実体は必然性であるから、こうした内面性の形式の否定であり、したがって自己を現実性として
 定立する。しかしそれは同時にまたこうした外面性の否定であって、この面からすれば、直接的なものとしての現実は偶有的なものに
 すぎない。そして偶有的なものは、こうした単なる可能性であるために、他の現実へ移っていく。この推移が形式活動としての
 実体的同一性である。」

 2. 実体性は絶対的な形式活動
 
 「151 したがって実体は偶有の全体であり、偶有のうちで実体は、それが偶有の絶対的否的、すなわち絶対的の力であること、
 しかも同時にあらゆる豊かな内容であることを顕示する。この内容はしかしこうした顕示そのものにすぎない。というのは、自己へ
 反省して内容となった規定性そのものは、実体の力のうちで移り変わっていく、形式の一モメントにすぎないからである。
 実体性は絶対的な形式活動であり、必然性の力である。そしてあらゆる内容は、ひたすらこうした過程に属するモメントにすぎず、
 形式と内容との絶対的な交互転化である。」

 
3. 実体は因果性の相関
 
 「152 実体は絶対的な力であるから、単なる内的可能性としての自己に関係することによって自己を偶有性へ規制する力であり、
 かくして措定された外面性はこの力から区別されている。この点からみるとき、実体は、必然性の最初の形式において実体で
 あったように、本来の相関、すなわち因果性の相関である。」

 
4. 実体は結果と自己原因

 「153 実体は一方では、偶有性への移行とは反対に、自己へ反省し、かくして本源的な事柄(Sache)
 であるが、しかし他方それは、自己内反省あるいは単なる可能態を揚棄して、自己を自己そのものの否定として定立し、
 かくして結果(Wirkung)すなわち、単に定立されたものではあるが、同時に作用の過程によって必然的なものでもあるところの、
 現実を産出する。このかぎりにおいて実体は原因(Ussache)―原因は、結果のうちではじめて現実的であり、原因なのである。
 したがって原因は、即自かつ対自的には自己原因(causa sui)-である。

 
(2)第3巻 概念一般について 『大論理学』
 
 
1. 実体は実在的な本質
 
 「概念はこの面から、まず一般に有と本質とに対する、すなわち直接的なものと反省とに対する第三者とみられねばならない。
 有と本質とは、そのかぎり概念の生成の契機である。・・・
 だから、有と本質とを考察する客観的論理学は本来、概念の発生的叙述である。これをもう少し詳しく言えば、実体はすでに
 実在的な本質(das reale Wesen)であり、あるいは有と合して現実性の中に入ったかぎりにおける本質である。従って概念は実体を
 その前提としてもつのであり、概念が顕現したもの(Manifestirtes)であるのに対して、実体はその即自的なものである。
 
 因果性と交互作用とを通じての実体の弁証法的運動は、それ故に概念の直接的な発生(Genesis)であり、これによって概念の
 生成の叙述がなされる。・・・概念は実体の真理である。従って実体の規定的な関係の仕方が必然的であるのに対して、
 自由は必然性の真理であり、概念の関係の仕方(die Verhaltnisweise)である。

 
2. 実体の規定的な相関関係

 「実体は絶対的な力として、あるいは自己関係的な否定性として、自分を区別して一個の相関関係とするが、
この相関関係の中では、あの最初は全く単純であった二契機が二つの実体となり、二つの根源的前提となっている。
―この実体の規定的な相関関係は一方の受動的実体と、自己関係的な否定性であり、そういうものとして自分を他者として
措定し、そうしてこの他者に関係するものとである能動的実体との関係である。―すなわち実体の運動そのものは、
その実体の概念の一方の契機、すなわち即自有の形式をとるものであるが、この相関関係に立つ両実体の中の一方のものの
規定性もまた、この相関関係そのものの規定性だということである。」

 
3. 能動的実体と受動的実体
 
 「能動的実体は原因(Ursache)である。原因は、いまでは他者への関係における力である。・・・
 結果(Wirkung)は受動的実体の上に現われる。それによって、いまや結果もまた被措定有として現象する。
 
(a)原因は受動的実体に作用し、受動的実体の規定を変化する。しかしこの受動的実体は被措定有である。
 そうでなければ受動的実体は何の変化も受けないであろう。ところが、この受動的実体が受ける他の規定とは原因性である。
 それ故に、受動的実体は原因になり、力と活動性になる。

 
(b)結果は原因によって受動的実体の中に措定される。しかし原因によって措定されたものは、結果する作用の中で
 自己同一としてある原因そのものである。すなわち受動的実体に代わって、そこに措定されるものは、
 まさにこの原因にほかならない。― 同様に能動的実体について言っても、
(a)結果 を生ずることとは原因を結果に、
 すなわち原因の他者に、あるいは被措定有に移置することである。また
(b)原因 は結果の中で原因である自分を開示する。
 結果は原因と同一のものであって、別のものではない。それ故に原因は結果を生ずることの中で、被措定有が本来、
 原因そのものであることを明らかにする。」

 
4. 実体性の相関関係
 
 「それだから、二つの面[二つの実体]すなわち同一的な関係であるとともに、また各々の面[実体]に対する他の面[実体]の
否定的な関係であるという両面からいえば、各々は自分自身の反対となる。しかし、この各々の面がこのようにその反対に
なるのは、他の面が、従ってまた各々の面があくまでも自分自身と同一であるということに基づく。
―けれども、この同一的な関係と否定的な関係との両者は、同じ一つのものである。実体はその反対者の中においてのみ
自分自身と同一的なのであり、またこのことが
二つとして措定された実体の絶対的な同一性を構成する
能動的実体は結果を生ずることによって、言いかえると自分を自分自身の反対者として措定することによって
(このことは同時にそれの前提された他在、すなわち受動的実体の止揚である)、原因であること、
或いは根源的実体性であることが明らかに[顕現]される。・・・

 実体性の相関関係の推移は、この相関関係自身の内的必然性によって起こる。またこの推移は、この必然性そのものの
顕現にほかならず、概念がその必然性の真理であり、自由が必然性の真理であるということにほかならない。」



 第2節 属性について
 
 広辞苑によると「属性attribute」とは「①その物の有する特徴・性質。②(哲学)物がそれなしには考えられないような性質。
実体の本質をなす性質。例えばデカルトでは、精神の属性は思惟、物体の属性は延長。」とあります。
 一方、
ヘーゲルの「属性」は、
 「属性とは単に相対的な絶対者である。本質的相関の二面の一方として現われたところの全体性である。」ことになります。
 
『資本論』では、
 第1章第2節商品に表わされた労働の二重性、最後の段落で次のように記述されています。
  「すべての労働は、一方において、生理学的意味における人間労働力の支出である。そしてこの同一の人間労働、
  または
抽象的に人間的な労働の属性において、労働は商品価値を形成する。すべての労働は、他方において、特殊な、
  目的の定まった形態における人間労働力の支出である。そしてこの
具体的な有用労働の属性において、
  それは使用価値を生産する。」
  この二つの属性を“
機能性”の観点から分析を行ってゆきます。

  
『大論理学』 第3編 現実性(Wirklichkeit)における 属性 では、

   現実性は本来的な現実性である。現実性、可能性及び必然性が絶対者の形式的契機、
   あるいは絶対者の反省を形成する。
   絶対者とその反省との統一は絶対的相関である。あるいは、それは自己自身に対する絶対者であり、
   すなわち
実体である

 
1. 絶対的形式

 「 
[属性への移行] 絶対者は、それが抽象的な同一性ではなく、有と本質との同一性、あるいは内面と外面との同一性であるが故に、
 はじめて絶対者である。それ故に、絶対者は絶対的形式である。すなわち、それ自身絶対者をして自己の中に映現させ、
 そして
絶対者を属性として規定するところの絶対的形式である。」

 
2. 絶対的属性

 「
属性とは単に相対的な絶対者である。すなわち全く或る形式規定の中にある絶対者という意味で一つの結合である。
 すなわち形式は最初その完全な開示の前においては、単に内面的であるにすぎない。・・・しかし、それは同時に絶対者の形式
 としてある故に、属性は絶対者の全内容である。すなわち属性は前に一つの世界として現われたところの全体性である。
 その各々がそれ自身全体であるような本質的相関の二面の一方として現われたところの全体性である。」


 
3. 属性は絶対者をもつ

 「全体性は絶対的な全体性として措定されている。あるいは、
属性は絶対者をその内容と存立としてもっているのである。
 故に、
絶対者を属性たらしめるところの形式規定は、また直ちに単なる仮象として措定されている。
 すなわち、それは否定的なものとしての否定的なものである。・・・

 反省は、内的形式として絶対者を属性にまで規定するのだから、この規定の活らき(Tun:振舞い)は、
 なお外面性とは異なるところのものである。・・・〔しかし〕形式には外的形式、あるいは内的形式が考えられるが、
 いずれにせよ、その形式によって絶対者は属性となる。」

  
4. 絶対者の様相
 
 「
属性はまず第一には、単純な自己同一性の中にあるものとしての絶対者である。第二に、それは否定であって、
 この否定である点で
形式的な自己反省である。この両面はまず属性の両項となし、属性は絶対者であると共に
 また規定性である故に、それ自身この両項の中間となる。―あるいは属性が絶対者の内面と見られ、
 
自己を様相(Modus)として措定することが属性固有の規定であるかぎり、様相は絶対者の自己外有であり、・・・
 絶対者のその反対者の中への移行の形態である。すなわち様相は形式と各内容規定との没総体的な多様性である。」


 
第3節 ヘーゲル論理学と『資本論』への道筋へ
  
  このように
ヘーゲル論理学の「実体」や「属性」は、私たちが使用するものとくい違っています。
  私たちはこれまで広辞苑の説明と同じように、理解し、考えてきました。
  なぜなら、これ以外に思考する<術スベ>を持ち合わせていなかったのです。
  そして、『資本論』を読む場合にも、習慣的・伝統的に考え、日常言語通りに日本語風に体得してきたのです。
  2500年にわたる西洋文化の(イスラム圏時代を経て)試練の中から、
  ヘーゲル論理学が誕生し、『資本論』はまさに巨人たちの肩の上で始めて達成された記念碑だったのです。
  私たちは、今、この地盤に立つことができました。
  次回、マルクスが発見した「商品の物神的性格とその秘密」の謎ときへ探索してゆきましょう。

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