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江戸時代の資本論
『資本論』 第2章 交換過程 2022.03.27
 → 第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段
       c 鋳貨 価値標章 Die Münze. Das Wertzeichen


  第2章 交換過程
2.
 すべての商品は、その所有者にたいしては非使用価値であり、その非所有者にたいしては使用価値である。商品は、こうして全般的に持ち手を換えなければならない。しかし、この持ち手変更がその交換をなすのである。そしてこの交換が商品を価値として相互に関係させる。さらにこれを価値として実現する。したがって、商品は、それが使用価値として実現されうる前に、価値として実現されなければならない。

6.
 彼らは、その商品をただ価値としてのみ、それゆえにまたただ商品としてのみ、相互に相関係せしめることができるのであるが、それをなすのに彼らは商品を、対立的に、一般的等価としてのなんらかの他の商品にたいして相関係せしめていたのである。これを商品の分析は明らかにした。しかし、ただ社会的行為のみが、一定の商品を一般的等価となすことができるのである。したがって、すべての他の商品の社会的行動は、諸商品が全般的にその価値を表示する一定の商品を除外する。このことによって、この商品の自然形態は、社会的に用いられる等価形態となる。一般的な等価であることは、社会的の過程によって、この除外された商品の特殊的に社会的な機能となる。こうして、この商品は―貨幣となる。「彼らは心を一つにして己が能力と権威とを獣にあたう。この徽章をもたぬすべての者に売買することを得ざらしめたり。その徽章は獣の名、もしくは其の名の数字なり」(ヨハネ黙示録、第17章13節および第13章17節)。

7.
 貨幣結晶は交換過程の必然的な生産物である。交換過程で、種類のちがう労働生産物がおたがいに事実上等しく置かれ、したがってまた、事実上商品に転化される。交換の歴史的な拡がりと深化は、商品性質の中にねむっている使川価値と価値の対立を展開させる。この対立を、交易のために外的に表示しようという欲求は、商品価値の独立形態の成立へとかり立てる。そしてこの独立形態が、商品を商品と貨幣とに二重化することによって、終局的に確立されるまでは、安定し憩うことを知らない。したがって、労働生産物の商品への転化が行なわれると同じ程度に、商品の貨幣への転化が行なわれる(40)。

9.
 商品所有者が自分の物品を、ほかのいろいろな物品と交換し、比較する交易は、各種の商品所有者の各種の商品が、その交易の内部で同一の第三の商品種と交換され、また価値として比較されるということを必ず伴う。このような第三の商品は、各種の他の商品にたいして等価Äquivalentとなることによって、狭い限界内においてではあるが、直接に、一般的なまたは社会的な等価形態allgemeine oder gesellschaftliche Äquivalentformとなる。(中略)
商品交換の発達とともに、一般的等価形態は、もっぱら特別な商品種besondere Warenartenに付着する、すなわち、結晶して貨幣形態kristallisiert zur Geldformとなる。

10.
 商品交換が全く地方的な束縛を突き破るのに比例して、したがって、商品価値が人間労働一般の体化物Materiaturに拡がっていくのに比例して、貨幣形態は、本来一般的等価の社会的機能に適する商品、すなわち、貴金属に移行する。

14.
 貨幣形態は、ただ、他の一切の商品の関係が、一商品に固着して反射されているものであるにすぎないことを知ったのである。したがって、貨幣が商品であること(45)は、その完成した姿から出発して、後からこれを分析しようとする人にとって、一つの発見であるにすぎない。交換過程は、貨幣に転化する商品に、その価値を与えるのではなく、その特殊な価値形態を与えるのである。両規定を混同すると、金と銀の価値を想像的なものと考えるような誤りにおちいる(46)。貨幣は一定の機能においては、それ自身の単なる標章によって置き代えられうるのであるから、貨幣が単なる標章であると考えるような、他の誤りも生じた。他方において、この誤りの中には、物の貨幣形態は、物自身にとっては外的のものであり、その背後にかくされている人間関係の単なる現象形態であるという予感がはいっていた。この意味では、あらゆる商品は一つの標章であろう。というのは、価値としては、ただ商品に支出された人間労働の物財的の外被にすぎないからである(47)。しかしながら、人は、物財が一定の生産様式の基礎の上に得る社会的性格、または労働の社会的規定が一定の生産様式の基礎の上に得る物財的性格、これらのものを、単なる標章と称えることによって、同時にこれらのものを人間の恣意的な想像の産物と称することになるのである。それは第18世紀愛好の啓蒙風であって、成立過程をまだ解くことのできなかった人間的諸関係の謎のような形相〔rätselhaften Gestalten:謎のような状態、形状〕から、少なくとも一応無知の外観を除こうとしたのである。

16. 
 A商品x量=B商品y量というもっとも単純な価値表現において、すでに、ある他の物の価値の大いさを表示している一物が、その等価形態を、この関係から独立して社会的の自然属性としてもっているように見えるということを、われわれは知ったのである。われわれは、この誤った外観〔falschen Scheins:誤った仮象〕がどうして固定していくかを追究した。この外観は、一般的等価形態が、ある特別な商品種の自然形態と合生し〔verwachsen:合体する、合生する〕、または貨幣形態に結晶する〔kristallisiert:結晶する、明確な形をとる〕とともに、完成するのである。一商品は、他の諸商品が全面的にその価値を、それで表示するから、そのために貨幣となるのであるようには見えないで、諸商品は、逆に一商品が貨幣であるから、一般的にその価値をこれで表わすように見える。媒介的な運動は、それ自身の結果を見ると消滅しており、なんらの痕跡をも残していない。諸商品は、自分では何もするところなく、自分自身の価値の姿が、彼らのほかに彼らと並んで存在する商品体として完成されているのを、そのまま見出すのである。(中略)
 諸商品は、自分では何もするところなく、自分自身の価値の姿が、彼らのほかに彼らと並んで存在する商品体として完成されているのを、そのまま見出すのである。

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