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江戸時代の資本論 『資本論』鋳貨-商品と貨幣2022.03.27
『資本論』第1巻資本の生産過程
第1篇商品と貨幣
   第2章 交換過程
第3章貨幣または商品流通
 第2節流通手段
 c 鋳貨 価値標章 bs-sihonron-ryutusyudan-katihyousyou.html  

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『資本論』第3章貨幣または商品流通
 第2節流通手段


  c 鋳貨 価値標章

1. 
 貨幣の流通手段としての機能から、その鋳貨態容が生まれる。商品の価格または貨幣名に観念化されている重量部分である金は、流通において、同名目の金片、あるいは鋳貨として商品に相対しなければならぬ。価格の尺度標準の確定と同じく、鋳造は国家の仕事となっている。金と銀が鋳貨として身につけたり、世界市場で、またぬぐことになったりする各種の国民的制服に、商品流通の国内的または国民的部面と、その一般的世界市場部面との間の分離があらわれる。


2.
 こうして、金貨と金地金は、本来はただその姿によって区別されるだけである。そして金は、絶えず一つの形態から他の形態に転化しうる。しかしながら、造幣局からの道は、同時に溶解鍋への道である。すなわち、通用しているうちに金貨は磨滅する。あるものは多く、あるものは少なく。金名称と金実体、名目含有量と実質含有量は、その分離過程を開始する。同一名目の金貨は、不等の価値のものとなる。というのはちがった重量のものとなるからである。金は流通手段としては、価格の尺度標準としての金から、偏差をもつようになる。そしてこのために、その価格を実現する商品の実際の等価ではなくなる。18世紀にいたる中世や近世の鋳貨史は、この混乱の歴史である。本来金である鋳貨を金の仮象に、または鋳貨を、その公称金含有量の象徴に転化しようとする流通過程の自然発生的傾向は、金属磨損の程度にかんする、最も近代的な法律によって承認さえされている。この程度如何によって、金片が流通不能なものとされたり、貨幣の性質を剝奪されたりする。

3.
 貨幣流通自身が、鋳貨の名目含有量から実質含有量を分かち、その金属存在を、その機能的存在から分かつとすれば、貨幣流通は、金属貨幣がその鋳貨機能において、他の材料から成る徴標、あるいは象徴によって置き換えられる可能性を、潜在的に含んでいる。金、ばあいによっては銀の、きわめて少量の重量部分を、鋳貨とするばあいの技術的な障害と、最初、より高貴な金属のかわりにより低位の金属が、金でなく銀、銀でなく銅というように、価値尺度として用いられ、したがって、より高貴な金属がその地位を奪う瞬間に、より低位の金属が、貨幣として流通しているという事情とは、歴史的には金貨の代用としての銀徴標や銅徴標の役割を、説明するわけである。それらのものが金に代位するのは、鋳貨がもっとも急速に流通し、したがってもっとも急速に磨滅する、すなわち、買いと売りとがやむことなく最小の規模で、更新されるような商品流通の諸領域においてである。金自身に代わって、これらの衛星が固定するのを妨げるために、法的にきわめて低い比率を定めておいて、この比率でのみ、これらのものが支払いの場所で、金に代わって受け取られなければならぬことになっている。各種の鋳貨種が流通する特別の範囲は、もちろん相互に入りまじっている。補助貨は、金と並んで、最小の金貨の半端な部分を支払うために現われる。金は、つねに小売流通にはいるが、補助貨と引き換えられて、同じく不断にここから投げ出される。

4.
 銀徴標または銅徴標の金属含有量は、随意に法律によって定められる。通用している間に、それらのものは金貨よりもっと急速に磨滅する。したがって、その鋳貨機能は事実上は全く、その重量から、すなわち、すべての価値から独立したものとなる。金の鋳貨実在は、全くその価値実体から分離される。こうして、相対的に価値のない物、紙券が、金のかわりに鋳貨として、機能しうるのである。金属的な貨幣徴標では、純粋に象徴的な性格がなお多少とも、かくされている。紙幣では、それはあらわに出てくる。だから、難しいのは、第一歩をふみ出すことだけであることがわかる。

5.
 ここで問題となるのは、ただ強制通用力をもっている国家紙幣だけである。それは、直接に金属流通から生長してくる。これに反して、信用貨幣は、われわれにとって単純な商品流通の立場からは、まだ全然わかっていないはずの諸関係を前提とする。だが、序ながら述べておけば、本来の紙幣が、貨幣の流通手段としての機能から生ずるように、信用貨幣は、貨幣の支払手段としての機能に、その自然発生的の根源をもっているのである。
  
  ・・・以下省略・・・・