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文献資料   エンゲルス 『空想より科学へ』


  エンゲルス 『空想より科学へ』  「資本主義の発展」について

  
資本主義の発展   

1) 商品生産が拡大するにつれて、とくに資本主義的生産方法が登場してからは、これまでねむっていた商品生産の法則は公然といよいよ力強く活動するようになった。旧来の紐帯はゆるめられ、旧来の封鎖の枠は破壊され、生産者はますます独立のバラバラの商品生産者となった。社会的生産の無政府性はいよいよ明白となり、その激しさはますます加わった。

しかるに、この社会的生産の無政府性を激化させるために、資本主義的生産方法が使った主な手段は、無政府性とは正反対のものだった、すなわち、あらゆる個々の生産場内での生産の社会的組織の高度化であった。これがために、旧来の平和な安全状態は終わりを告げた。ある工業部門にこのような高度の組織が導入されると、その部門では古い経営方法はそれと共存することはできなかった。また、それが手工業に侵入すると、それは古い手工業を亡ぼした。

労働の場は戦場と化した。かの大陸発見とそれにつづいた植民は、商品の販路を何倍か拡張し、それらはまた、
手工業のマニュファクチャへの転化を促進した。地方的生産者同志の闘争が勃発しただけではない、地方的闘争はさらに国民的闘争に発展し、17世紀及び18世紀の商業戦争となった。最後に、大工業と世界市場の成立は、この闘争を世界的にすると同時にこれを前代未聞のはげしいものとした。個々の資本家のあいだでも、全産業と全国家のあいだでも自然的もしくは人為的生産条件のよしあしが、死活を決定する。敗者は容赦なく一掃される。これはまさしくダーウィンの固体の生存競争だ、それが一層の狂暴さをもって、自然から社会へと移されたのである。動物の自然の立場が人類発展の頂点と見られる。かくして、社会的生産と資本主義的取得との矛盾は、今や、個々の工場における生産の組織と全社会における生産の無政府性との対立となった。



2) 社会的生産における無政府性という推進力、これがすべての産業資本家に、大工業において機械をどこまでも改良することを命じ、その必要に応じて各産業資本家は彼の機械をますます改良する。そうしなければ彼らは没落するしかないからである。それだから、機械の改良とは、とりもなおさず人間労働の過剰化である。このように、機械の採用とその増加が、少数の機械労働者そのもの駆逐をいみする、そして結局において、資本の平均的な雇用需要を超過する多数の待命賃金労働者を作り出す。



3) 要するに、近代的機械の改良能力は極端までに増加しているが、社会における生産の無政府性に媒介されて、この能力は個々の産業資本家にとって、自分の機械をたえず改良し、その生産力をたえずたかめねばならぬという強制命令とかわった。そして、生産の領域を拡張できるというだけの可能性でも、彼にとっては、ただちにそういう強制命令に変わった。大工業の異常な膨張力、これにくらべればガスの膨張力などはまことに児戯に等しいほどに大きい膨張力は、われわれの眼前に、いかなる障碍もものともしない質的および量的膨張欲として現われている。その障碍をなすものといえば、消費であり、販路、すなわち大工業の生産物の市場である。しかも、その市場の膨張力は、さしあたり右とは全く別個の、広さにおいても強さにおいても、右の力に比してはるかに弱い法則によって支配される。市場の拡大は生産の拡大と歩調が合わない。衝突は不可避となる。しかも、資本主義的生産方法そのものを破壊しない限りにおいては、ほかに解決はありえないから、この衝突は周期的になる。資本主義的生産は新たな「悪循環」を作り出す・・・



 
われわれは結論として、われわれの述べてきた歴史的発展の跡を簡単に概括しよう。

1. 中世社会。
 小規模な個人的生産。生産手段は個人的使用に適した者であり、したがって原始的で、ぶさいくで、ちっぽけで、その力は恐ろしく貧弱である。生産は、生産者自身のため、または封建的領主のため、直接消費を目的とした生産。この消費以上に生産の剰余ができた場合にかぎって、この剰余は販売に提供され、交換される。したがって商品生産がようやく発生したばかりである。けれども、社会的生産における無政府状態が萌芽の形ですでにこの内に含まれている。


2. 資本主義的革命。
 まず単純協業とマニュファクチャーによる工業の変革。従来分散していた生産手段の大工業への集中、これにより、個々人の生産手段が社会的生産手段に転化される―しかし、この転化は大体において交換の形態に影響しない。旧来の取得形態はそのままである。資本家が出現する、彼は生産手段の所有者としての資格において生産物を取得しそれを商品に転化する。生産は社会的行為となったが、交換は取得とともに依然として個人的行為であり、個々人の行為である、社会的生産物が個々の資本家によって取得される。この根本矛盾から、今日の社会がその中で動いており大工業が明るみにさらけだすところの一切の矛盾が発生する。


 A、生産手段からの生産者の分離。労働者に対する終身賃金労働者の宣告。
   プロレタロアートとブルジョアジーとの対立。

 B、商品生産を支配する法則がだんだん優勢となり、しだいにその効力を増大する。無制限の競争戦。
   個々の工場内の社会的組織と生産全体における社会的無政府状態との矛盾。

 C、一方では機械の改良、これは競争を通して個々の工場主すべてに対する強制命令となり、また同時に不断に増大する労働者の解雇、すなわち産業予備軍を意味する。―他方では、生産の無制限の拡張、これも、各工場主に対してなされる競争の強制法則である。―この両方面がら生産力の発展は前代未聞の域に達する。供給は需要を超える、生産過剰、市場の氾濫、10年ごとの恐慌、悪循環。すなわち、一方におけて生産手段と生産物の過剰―他方において仕事がなく生活資料のない労働者の過剰。そして生産の槓杆と社会的福祉の槓杆は共存することができない、なぜか、生産の資本主義的形態は、生産力と生産物とはあらかじめ資本に転化することなくして活動し、または流通することを禁ずるからである、ところが、まさしく生産物と生産力の過剰でそれをさまたげるからである。この矛盾が拡大したとき不合理なことがおこる、生産方法が交換形態に対し反逆するのである。これによりブルジョアジーもこれ以上彼ら自身の社会的生産力を指導する能力がないことを認めさせられるのである。


 D、資本家自身も余儀なく、生産力の社会的性格を部分的に承認する。生産及び交通の大機関は、最初は株式会社によって、次はトラストによって、それから国家によって取得される。ブルジョアジーは無用の階級たることが
おのずからあきらかになる。彼らの一切の社会的機能は今や月給取によって行なわれる。

3. プロレタリアート革命。矛盾の解決、すなわち、プロレタリアートは公共的権力を掌握し、この権力によってブルジョアジーの手からはなれ落ちつつある社会的生産手段を公共所有物に転化する。この行動によって、プロレタリアートは、これまで生産手段がもっていた資本という性質から生産手段を解放し、生産手段の社会的性質に自己を貫徹すべき完全な自由を与える。かくして今やあらかじめ立てた計画に従った社会的生産が可能となる。生産の発展は、種々の社会階級がこれ以上存続することを時代錯誤にする。社会的生産の無政府状態が消滅するにつれて国家の政治権力も衰える。人間はついに人間に特有の社会的組織の主人となったわけであって、これにより、また自然の主人公となり、自分自身の主人公となる。―要するに自由となる。
 この解放事業をなしとげること、これが近代プロレタリアートの歴史的使命である。この事業の歴史的条件と
その性質そのものとを探求し、以ってこれを遂行する使命をもつ今日の被抑圧階級に、彼ら自身の行動の条件および性質を意識させること、これがプロレタリアア運動の理論的表現である科学的社会主義の任務である。