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 文献資料

    
資本主義の最高の段階としての帝国主義
    レーニン 『帝国主義』 
        
          
第1章 生産と集積と独占体


 1) 工業の驚くべき成長と、ますます大規模な企業への生産の集中のいちじるしく急速な過程とは、資本主義の最も特徴的な特質の一つである。だが生産の集積は労働者の集積よりもずっとはげしい。なぜなら、大経営では労働はずっと生産的だからである。数万の巨大企業がすべてであり、数百万の小企業は無にひとしい。
ドイツでは 蒸気力および電力の総量のほとんど3分の1(32%)をもっている。あとで見るように、貨幣資本と銀行とは、ひとにぎりの巨大企業のこの優越をいっそう圧倒的なものにする。しかもまったく文字どおり圧倒的にする。


 2) 現代資本主義のもつ一つの先進国である北アメリカ合衆国では、生産の集積の進展はもっとはげしい。  国内の全企業の総生産額のほとんど半分が、企業総数の100分の1のものの手中にある! そしてこれら3,000の巨大企業は258の産業部門にわたっている。ここからして、集積はその一定の発展段階で、おのずから、いわば独占のまぎわまで接近することが明らかである。なぜなら、数十の巨大企業にとっては相互のあいだで協定に達するのは容易であり、他方では、まさに企業が大規模であることが競争を困難にし、独占への傾向を生みだすからである。
競争の独占へのこのような転化は最新の資本主義経済における最も重要な諸現象の一つ――最も重要なものではないとしても――であって、われわれはこれについてもっと詳しく論じる必要がある。


 3) あらゆる産業部門に大きな企業があるわけではない。また他方では、最高の発展段階に達した資本主義のきわめて重要な特質は、いわゆるコンビネーション、すなわち、さまざまな工業部門が一つの企業内で結合することである。

 4) 例外的に正直な一ブルジョア経済学者は、・・・ドイツの工業が高率の保護関税で庇護されているため、彼はドイツをどうやら特別あつかいしていることである。この事情は、集積と、企業家の独占団体すなわちカルテルやシンジケート等々の形成とを、促進しえたにすぎない。きわめて重要なことは、自由貿易の国イギリスでも、集積は、すこしおくれて、そしておそらくは別の形態でではあっても、やはり独占にみちびきつつある、ということである。
  「大ブリテンでは、まさに企業が大規模であることとその技術水準の高いことが、独占への傾向をひそませている。一方では、集積の結果、企業に巨額の資本を支出しなければならなくなりそのため新しい企業にとってはますます大きな資本額が必要とされるようになり、したがって新しい企業の出現が困難となる。他方では(そしてこの点のほうがわれわれはより重要だと考えるのだが)、集積によってつくりだされた巨大企業と同じ水準に立とうとおもう企業はどれも、膨大な量の生産物を余分に生産しなければならないので、それを有利に売ることは需要が異常に増大した場合にだけできるのであって、そうでない場合には、この余分の生産物のため、価格は、新しい工場にとっても独占団体にとってもひきあわない水準に下落するようになる」

「大工業における独占の発生にたいする集積の影響は、ここでは結晶体のような純粋さで現われている」


 5) いまから半世紀まえにマルクスが『資本論』を書いたころには、自由競争は圧倒的多数の経済学者にとっては「自然法則」とおもわれていた。マルクスは、資本主義の理論的および歴史的分析によって、自由競争は生産の集積を生みだし、そしてこの集積はその一定の発展段階で独占にみちびくことを証明したが、官学は、このマルクスの著述を黙殺という手段によって葬りさろうとした。だがいまや独占は事実となった。

事実のしめすところによれば、たとえば保護貿易か自由貿易かの点での個々の資本主義国のあいだの相違は、独占体の形態あるいはその出現の時期における本質的でない相違をひきおこすだけであって、生産の集積による独占の発生は、総じて資本主義発展の現段階の一般的で基本的な法則である。 ヨーロッパについては、古い資本主義が新しい資本主義に最終的にとってかわられた時期を、かなり正確にさだめることができる。すなわち、それは20世紀の初めである。


 6) そこで、独占体の歴史を総括するとつぎのとおりである。(一)1860年代と1870年代――自由競争の最高の、極限の発展段階。独占体はほとんど目につかないくらいの萌芽にすぎない。(二)1873年の恐慌以後のカルテルの広範な発展の時期。しかしカルテルはまだ例外にすぎない。それはまだ堅固なものではない。それはまだ経過的な現象である。

(三)19世紀末の活況と1900―1903年の恐慌。カルテルは全経済生活の基礎の一つとなる。資本主義は帝国主義に転化した。

 7) 競争は独占に転化する。その結果、生産の社会化がいちじるしく前進する。とくに、技術上の発明と改善の過程が社会化される。

これはもはや、分散していて、おたがいのことはなにも知らずに、未知の市場で販売するために生産する経営主たちの昔の自由競争とは、まったく別のものである。集積は非常にすすんで、一国のすべての原料資源(たとえば、鉄鉱石の埋蔵量)だけでなく、あとで見るように、数ヵ国の、さらには全世界の原料資源の概算さえできるほどになった。そしてただにこのような計算がおこなわれるだけでなく、これらの資源が巨大な独占団体によって一手に掌握されてゆきつつある。市場の大きさの概算がおこなわれ、その市場をこれらの団体は協定によって相互のあいだで「分割」する。熟練労働力は独占され、優秀な技術者は雇いきられ、交通路と交通手段――アメリカの鉄道、ヨーロッパとアメリカの汽船会社――はおさえられる。資本主義はその帝国主義段階で、生産の最も全面的な社会化のまぎわまで接近する。それは資本家たちを、彼らの意志と意識とに反して、競争の完全な自由から完全な社会化への過渡の、ある新しい社会秩序に、いわば引きずりこむ。


 8) 独占――これこそ「資本主義の発展における最新の局面」の最後のことばである。しかし現代の独占体の実際の力と意義についてのわれわれの観念は、もし銀行の役割を考慮に入れなければ、きわめて不十分な、不完全な、過小なものであろう。

以上