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文献資料 : ラヴォアジェ その1

  
化学方程式とラヴォワジェの化学革命 その1

ラヴォワジェの化学革命 その2

 科学言語と化学方程式


 
:  『化学要論』  (日本語訳『化学のはじめ』または『化学原論』)

 〔ラヴォアジェ著『化学のはじめ』(古典化学シリーズ4. 田中豊助、原田紀子共訳 内田老鶴圃新社)のフランス語は「 TRAITE ÉLÉMENTAIRE DE CHIMIE, : 化学の“基礎原理を扱う”概論」となっています。『化学原論』〕


 レスター著 『化学と人間の歴史』  第15章 ラヴォワジェと近代化学の建設
 朝倉書店 肱岡義人.内田正夫訳 1981年発行
          


  
『化学要論』 (1789年出版)

1. ラヴォワジエ(1743-1794)の研究は,化学にそれまでなかったような秩序と体系とをもたらすことになった. しかし,化学物質の命名法については,まだまったく混乱したままであった. かれの扱う物質はまだ,実際の組成とはなんの関係もない錬金術的用語で呼ばれていた. 扱う物質の数はたえず増え続けているのに,化学を学ぶ者はその名称をおぼえるのにただ記憶力だけにたよらねばならなかった. この問題こそギトン・ド・モルヴォーが非常に痛切に感じた点だった. はじめかれはフロギストン論者だったが,早くからラヴォワジエ体系に改宗していた. 1782年,かれは化学命名法を体系化するための方法についての論文を著わした. もちろんラヴォワジエは,化学を体系づけようという計画ならばどんなものにも興味をもった. そこでかれは ド・モルヴォーの研究に参加した.ラヴォワジエ説に改宗した他の二人の化学者 クロード・ルイ・ベルトレ(1748-1822)およびド・フールクロワ(1755-1809)も新しい考え方を案出するのに協力した. かれらの成果は 『化学命名法』 という書物として1787年パリで出版された.この本には化学物質の命名の原則が載っており,それは基本的には今日使用されるものと同じである. どんな物質も一定の名称をもたねばならない.単一物質の名称は,できるだけその特性を表現すべきであり,化合物の名称はその成分である単一物質の名称によって組成を表わすべきである.そこで,酸類や塩基類をその元素によって,また塩類をその成分の酸と塩基とによって命名する方法が提案された.この方法は簡単でうまく表わすことができるので,各地の化学者によって採用された. さっそくこの本はあらゆる主要な外国語に翻訳された.ラヴォワジエの化学体系がつぎつぎ普及するにつれて,この新命名法は当時のアメリカのような科学の辺境においてさえしっかりと根をおろしたのである.



2.
 いまやラヴォワジエの理論は完成し,それを表現する新しい言語もできあがった. ラヴォワジエと密接なつながりをもつフランス化学者の有力な一群がこの新しい考えを受け入れたが,学界のほとんどは相変わらずフロギストン説にあるたくさんの矛盾のつじつまあわせに奮闘していた. そこでラヴォワジエは,新しい原理に基づいた化学教科書を書こうと決心した. それは化学教科書の古い伝統と訣別し, 来たるべき世代の化学者に新しい建物の土台を提供するためであった. かれはこの本の執筆計画を1778年から1780年の間に始めた. これが有名な『イヒ学要論』であり, 1789年パリで出版された. この本は物理学におけるニュートンの 『プリンキピア』 と同じ位置を化学において占めている.

 この本のなかでラヴォワジエはフロギストン説に対する反対論と酸素を中心に置いた新しい燃焼理論とを,実験的根拠をあげてかなり詳しく述べている. かれの見かたは基本的に今日の化学者の見かたと同じであった.  すなわち,かれはつぎのように書いている.
 「 化学とは自然界のいろいろな物体を実験にかけ、それらを分解し,それらを構成している種々の異なった物質を別々に検査できるようにすることを目的とするものである」.
 この定義に基づいてかれは 「自然の三界に属する諸物体の元素とみなすことのできる単一物質の表」をつくることができた.かれは, これが経験的な表であって,新しい事実が発見されるにつれて修正されねばならないことを認めていた.しかし,それは確実な化学的原理に基づいたものであったから,
真の化学元素表の最初のものだといえよう.
・・・・


3.
 さらに『化学要論』には、きわめて重要な概念が含まれている. これまでも見たように、17世紀のはじめ以来、多数の化学者は物質保存の考えを暗黙裡に仮定していきた. ・・・・ラヴォアジェははじめて有効な形でこの概念を述べ, それがどのように化学に応用できるかを示した. かれは,糖のアルコール発酵を論ずる際につぎのように指摘した.
 「人工的にせよ,自然的にせよ,あらゆる操作においてなにものも創造されはしない. どんな操作においても, その操作の前後には等しい量の物質が存在するということは公理と見なすことができる」.
この原理にしたがって,かれは
今日の化学方程式のはしりといえるものを書くことができた.すなわち,

        「 ブドウ汁 = 炭酸 + アルコール 」 である.
 かれはこのような表現の重要性を十分知っていた.というのは,かれはつぎのように書いているからである.

 「 発酵する物質と,発酵という働きによって生じる生成物との間には,代数方程式が成り立つと考えることができよう. そこで, この方程式のなかのどちらかの要素が未知だとしても, その値を計算することができる. このようにして私たちの実験は計算によって,計算は実験によって相互に検証することができる. 私はしばしばこの方法をうまく用いて, 実験の最初の結果を訂正し, その実験を繰り返す適切なやり方を知るのに役立てることができた.」



4.
 化学の歴史における『イヒ学要論』の重要性はどんなに評価してもしすぎることはない. その影響は急速にひろまった. またたく間にあらゆる主要な外国語に翻訳され, 多数の版が重ねられた. ほんのわずかの例外(もっとも顕著な例はプリーストリである)を除いて, すべての主要な化学者がこの新しい考えに改宗し, 化学はほとんど信じられないほどに進歩をとげる世紀へ向かって出発することになった.

 ラヴォワジエは『化学要論』出版後わずか5年間しか生存しなかったし, しかもその5年間は政治的・社会的混乱の時期であって科学活動を続けることは困難であった.それにもかかわらず,かれはいろいろなやりかたで化学の研究を続けた. かれが数学者ラプラス(1749-1827)とともに開始し,のちに若い共同研究者アルマン・セガン(1765-1835)とともに続けた動物の呼吸に関する研究は,つぎのことを実証した. すなわち, 動物熱の真の原因は炭素化合物が酸素によって燃焼し二酸化炭素と水とになること, また, 肉体を運動させると酸素消費量が増すことを明らかにしたのである.この研究は,今日の栄養学の基礎を築いた19世紀末のドイツのファイト(1831-1908)とループナー(1854-1932)の研究のもとになった.・・・
 ・・・以上で、レスター著 『化学と人間の歴史』、終わり・・・


  ラヴォワジェの化学革命 その2
  Ⅱ. 化学革命 W.H.ブロック 著 『化学の歴史』Ⅰ 朝倉書店 2003年発行
  3. 化学原論 3.3 化学革命