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*価値方程式の元素形式 | Element-Gallert | ||
文献資料 : Element の形式活動 と Gallert (更新日:2020.08.01)
価値方程式 Wertgleichung の元素形式 Elementarform
- Element と Gallert -
資本論ワールド 編集部
Ⅰ. 『資本論』の問いかけ
1. 商品の価値は、どのように表わされているのか?
2. 価値表現の方程式である 1 クォーター小麦 = a ツェントネル鉄 の内容は?
3. 商品の交換関係で、その使用価値が捨象された労働生産物は?
→ 「抽象的に人間的な労働 abstrakt menschliche Arbeit 」
4. 商品価値は、単純労働どうしの等しい関係に作用し労働膠状物Gallertとなる
5. 商品世界のGallertとは?
→ 「『資本論』のGallert / 膠状物 と 萌芽Keim」を参照・・・
6. 価値方程式は、価値表現系列の形式化による連立方程式の形成
→ 「元素の分類と周期律の形成」を参照・・・
7. 価値尺度と貨幣性商品の誕生
→ 「貨幣形態の発生の証明」を参照・・・
Ⅱ. 商品世界のElement - 労働膠状物 Arbeitsgallert
商品価値は、「無差別な人間労働力支出の、単なる膠状物Gallert」であり、「社会的実体〔人間労働〕の結晶」として定義されました。 ところで、この「膠状物
Gallert (ほかに凝結物、凝固物と翻訳されている)」とは一体何を表現しているのでしょうか。
(1) ヘーゲル「自然哲学」の Gallert
1817年、大学講義用に「エンチクロペディ百科事典」(論理学、自然哲学、精神哲学の3部作)を刊行しました。 ヘーゲルの逝去後に弟子たちによる講義筆記録をもとに1839年に全集版により大幅に増補され、今日に伝わっています。 「自然哲学」は、力学、物理学そして有機体学で構成され、Gallertについては、「太陽系は、最初の有機体で、地球の生命過程として」 「
A 生命は、形態すなわち生命の普遍的な形姿としては、地質学的な有機体」の文脈の中に登場します。
また、当時のドイツ「有機体学」では、シュライデン、シュヴァンさらにウィルヒョウらによって、「生物の細胞研究」が発展し、現代的な「細胞理論」の原型が築かれました。その細胞組織の生命原初形態としてGallertが研究されてゆきます。- ドイツにおける「細胞理論」の源流についてはこちらを参照 -
(2) 『資本論』の Gallert ・・・ 価値論とGallert
マルクスは、ヘーゲルやドイツの「細胞理論」の系譜を『資本論』に引き継いでいきます。
「価値論とGallertの関係」
『資本論』 第1章商品 第3節 価値形態または交換価値
「 1. 価値としては、商品は人間労働の単なる膠状物・凝結物 〔blose Gallerten menschlicher Arbeit〕であるが、 人間労働は、価値を形成するのではあるが、価値ではない。それは凝結した〔gerinnen
: ゲル化した〕 状態で、すなわち、対象的な形態で価値となる 〔価値表現されることで価値となる〕。人間労働の凝結物としての亜麻布価値を表現するためには、それは、亜麻布自身とは物的に相違しているが、同時に他の商品と共通に亜麻布にも存する「対象性
"Gegenständlichkeit"」として表現されなければならぬ。(第3節岩波文庫p.95)
2. この物体 〔等価形態にある上衣〕にたいして、人は、それが価値であるという風に、したがって、亜麻布価値に対象化されている労働から少しも区別されない、労働の膠状物・凝結物 〔 Gallerte von Arbeit〕であるというように、みなしてしまう。このような一つの価値鏡 Wertspiegel を作るために、裁縫自身は、人間労働であるというその抽象的な属性 abstrakten Eigenschaft 以外には、何ものをも反映してはならない。(岩波文庫p.108)
3. 〔価値は、成素形態(Elementarform・エレメント・成素の形式)
-無数の成素・元素 Element に表現-価値方程式に表現-される〕
一商品、例えば、亜麻布の価値は、いまでは商品世界の無数の他の成素 〔Element〕 に表現される。 〔亜麻布20エレ=上衣1着または=茶10ポンドまたは =コーヒー40ポンド または =小麦1クォーター または =その他〕
すべての他の商品体は亜麻布価値の反射鏡となる。こうしてこの価値自身は、はじめて真実に無差別な人間労働の凝結物 〔als Gallerte unterschiedsloser menschlicher Arbeit〕 として現われる。(岩波文庫p.115)
4. こうして膠状物・Gallertは、商品世界の成素形態 Elementarform として「価値」を形成する。
「単純なる商品形態 〔亜麻布20エレ=上衣1着 の 価値方程式 〕 は、貨幣形態の萌芽〔胚細胞 der Keim der Geldform -成長してゆく胚細胞-〕 である。 」(『資本論』第3節岩波文庫p.129)
5. 『資本論』の Gallert の時代背景:
1817年、ヘーゲルは「植物的生命の始まりであるゲル状の粘液(gallertartiger Schleim)」を明らかにしました。1838年、シュライデンは「植物発生論」を著わし、細胞実質の植物性ゲラチン質 Pflanzengallerte の生命過程を解明し、 さらにシュヴァンによって1839年、「動物と植物の要素的部分(Elementartneil)の発展法則が同一であるから、有機的自然の二つの世界は密接な関係」 「ゼラチン様の性質をもった原物質ー膠化体(Gallert)が確認」されました。
ドイツにおける生命の発展過程の研究を集約して、ウィルヒョウは1828-1871年、「生理・病理学的組織説に基づく細胞病理学」概要の連続講座を開催します。「生命単位としての細胞・社会の体制をそなえた個体」-「個々の存在「要素Element」は互いに依存しあう」-「膠状gallertartig-ゼラチン状gelatnis」の膠状物などが明らかにされました。
ー「ドイツにおける「細胞理論」の源流について」こちらを参照-
このようにマルクスは、ヘーゲルやドイツ生命・細胞理論を継承し、“Gallert” を経済理論の“Element”として、『資本論』で継承しているのです。
*** **** ***
第1部 Element と Gallert
第2部
交換価値と貨幣形態の表現方式としての “価値方程式”
交換価値の表現方式としての “方程式”
人間労働支出の単なる膠状物 Gallert
-社会的実体の結晶として、価値―商品価値-
*単純なる平均労働の形成ーElement から Elementarform へ
*抽象-ヘーゲル「論理学」§115 単純と抽象 -労働膠状物 Arbeitsgallert
*質の形成要素 Bildungselement と 同じ性質として労働実体
*価値の大いさ-抽象された量的・労働 -時間継続
*商品価値は人間労働の膠状物・凝結物 Gallerte
*商品価値-成素 Element-無差別人間労働のGallert
第1部 Element と Gallert
1) 商品品の2要素 (Die zwei Faktoren der Ware)
2) 第2節 商品に表わされた労働の二重性
3) 第3節 価値形態または交換価値
B 総体的または拡大せる価値形態 1 拡大された相対的価値形態
****
第1章 第1節 商品の2要素(Die zwei Faktoren der Ware)
1-6 〔商品の価値表現〕
一定の商品、1クォーターの小麦は、 例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々 と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合で交換される。このようにして、小麦は 、唯一の交換価値のかわりに多様な交換価値をもっている。しかしながら、x量靴墨、同じく y量絹、z量金等々は、1クォーター小麦の交換価値であるのであるから、x量靴墨、y量絹、z 量金等々は、相互に置き換えることのできる交換価値、あるいは相互に等しい大いさの交換価値であるに相違ない。したがって、第一に、同一商品の妥当なる交換価値は、一つの同一 物を言い表している。だが、第二に、交換価値はそもそもただそれと区別さるべき 内在物の表現方式〔Ausdrucksweise:表現の仕方〕、すなわち、その「現象形態〔
"Erscheinungsform"〔現象の形式〕」でありうるにすぎない。
*注①:この1-6節全体の論理性-論理展開が”方程式”論を形成しています。
-「等式」は誤訳-
1-7
さらにわれわれは二つの商品、 例えば小麦と鉄をとろう。その交換価値がどうであれ、 この関係〔Austauschverhältnis:交換関係〕はつねに一つの 方程式 Gleichung に表わすことができる。そこでは与えられた小麦量は、なん らかの量の鉄に等置される。 例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。
こ の方程式は何を物語るか? 〔交換価値を方程式で表わす〕
二つのことなった物に、すなわち、1クォーター小麦にも、同様にaツェントネル鉄にも、同一大いさのある共通なものがあるということである。したがって、両つのものは一つの第三のものに等しい。この第三のものは、また、それ自身 としては、前の二つのもののいずれでもない。 両者のおのおのは、交換価値である限り、こ うして、この第三のものに整約しうるのでなければならない。
*注②:「方程式」とは、”未知数”と呼ばれる項を含む数式(等式)のことで、”未知数”の値を解いてゆく――方程式を”解いて”ゆきます。この場合では、「第三のもの」に整約してゆくことになる。
〔 単なる膠状物Gallert-社会的実体の結晶として、価値―商品価値 〕
1-12
われわれはいま 労働生産物の残りをしらべて見よう。もはや、 妖怪のような同一の対象性いがいに、すなわち、無差別な人間労働に、いいかえればその支出形態を考慮すること のない、人間労働力支出の、単なる膠状物というもの意外に、労働生産物から何物も残っていない。これらの物Dingeは、ただ、なおその生産に人間労働力が支出されており、人間労働が累積されているということを表わしているだけである。これらの物は、おたがいに共通な、この社会的実体の結晶として、価値―商品価値でである。
*注③:この本文が要注意です。『資本論』が一筋縄ではいかない。
「これらの物は、社会的実体の結晶として、価値ー商品価値」ある。マルクスは「社会的実体」の説明は何もしていない。世の中の『資本論』解説者たちは、あたかもマルクスの「説明」が完了した、かのように解説するが、ヘーゲルやマルクスの論理学では、”ここから始まる”のである。
第1章 商品 第2節 商品に表わされた労働の二重性
〔 単純なる平均労働の形成ーElement から Elementarform へ 〕
2-12
この労働は、すべての普通の人間が特別の発達もなく、平均してその肉体的有機体の中にもっている単純な労働力の支出である-〔*注④:→後出の「社会的生産有機体」の文脈に繋がる〕。単純なる平均労働自身は、国のことなるにしたがい、また文化時代のことなるにしたがって、その性格を変ずるのではあるが、現にある一定の社会内においては与えられている。複雑労働は、強められた、あるいはむしろ複合された単純労働にすぎないものとなるのであって、したがって、複雑労働のより小なる量は、単純労働のより大なる量に等しくなる。この整約が絶えず行なわれているということを、経験が示している。ある商品はもっとも複雑な労働の生産物であるかもしれない。その価値はこの商品を、単純労働の生産物と等しい関係におく。したがって、それ自身、単純労働の一定量を表わしているにすぎない。それぞれちがった種類の労働が、その尺度単位としての単純労働〔Element〕に整約される種々の割合は、生産者の背後に行なわれる一つの社会的過程によって確定され、したがって、生産者にとっては慣習によって与えられているように思われる。ことを簡単にするために、以下においてはどの種類の労働力も直接に単純労働力であると考えられる。これによってただ整約の労をはぶこうというのである。
(岩波文庫p.84)
〔 抽象-ヘーゲル「論理学」§115 単純と抽象 -労働膠状物〕
したがって、上衣や亜麻布という価値においては、その使用価値の相違から抽象されているように.これらの価値に表わされている労働においては、その有用なる形態である裁縫令機織の相違から抽象されている.上衣や亜麻布という使用価値が、目的の定められた生産的な活動と布令撚糸との結合であるように.上衣や亜麻布という価値が、これと反対に、単なる同種の 労働膠状物 Arbeitsgallerten であるように、これらの価値に含まれている労働も、布や撚糸にたいするその生産的な結びつきによるのでなく、ただ人間労働力〔単純労働〕の支出となっているのである。
〔質の形成要素 Bildungselemente と 同じ性質の労働実体〕
上衣や亜麻布という使用価値の 形成要素 Bildungselemente は、裁縫であり、機織である。まさにそれらの質がちかっていることによってそうなるのである。それらの労働が上衣価値や亜麻布価値の実体であるのは、ただそれらの特殊な質から抽象され、両者が同じ質、すなわち人間労働の性質をもっている〔単純労働に整約される〕かぎりにおいてである。
しかしながら、上衣と亜麻布とは、ただ価値そのものであるだけではなく、一定の大いさの価値である〔*注④:価値方程式として表現されなければならない〕。そしてわれわれの想定によれば、一着の上衣は10エレの亜麻布の二倍だけの大いさの価値である。どこから、それらの価値の大いさの相違が生ずるのか? それは、亜麻布がただ上衣の半分だけの労働を含んでいること、したがって、上衣の生産には、労働力が亜麻布の生産にくらべて二倍の時間、支出されなければならぬということから来るのである。
〔 価値の大いさ-抽象された量的・労働 -時間継続 〕
したがって、使用価値にかんしては、商品に含まれている労働がただ質的にのみ取り上げられているとすれば、価値の大いさについては〔*注⑤:価値は「価値の大いさ」として表現されなければならない〕、労働はすでに労働であること以外になんら質をもたない人間労働〔単純労働〕に整約されたのち、ただ量的にのみ取り上げられているのである。前者では、労働は、如何になされるかということ、何を作るかということが問題であるが、後者では、労働のどれだけ〔労働の量〕ということ、すなわち、その時間継続〔労働時間〕ということが問題なのである。ある商品の価値の大いさは、ただそれに含まれている労働の定量をのみ表わしているのであるから、商品はある割合をもってすれば、つねに同一の大いさの価値でなければならぬ
*注⑥:「その時間継続」については、マルクスは『経済学批判』「一般的労働時間」において詳細に”解説”しているので、ぜひ→参照してください。
https://www.marx2019.com/si070-01.html
第1章 商品 第3節 価値形態または交換価値
B 総体的または拡大せる価値形態 (岩波文庫p.115)
〔 商品価値は人間労働の膠状物・凝結物 Gallerte 〕
z量商品A= u量商品B または v量商品C または = w量商品D または = x量商品E または =その他
(亜麻布20エレ=上衣1着 または =茶10ポンド または =コーヒー40ポンド または =小麦1クウォーター または =金2オンス または =鉄1/2トン または =その他 )
1 拡大された相対的価値形態
〔商品価値-成素 Element-無差別人間労働のGallert〕
(1) 一商品、例えば、亜麻布の価値は、いまでは商品世界の無数の他の 成素 Element に表現される。すべての他の商品体は亜麻布価値の反射鏡となる(23)。こうしてこの価値自身は、はじめて真実に無差別な人間労働の 凝結物 Gallerte として現われる。なぜかというに、価値を形成する労働は、いまや明瞭に、一切の他の人間労働がそれに等しいと置かれる労働として、表わされており、その労働がどんな自然形態をもっていようと、したがって、それが上衣に対象化せられようと、小麦や鉄または金等々に対象化せられようと、これを問わないからである。したがって、いまや亜麻布は、その価値形態〔
Wertform 価値の形式(化)〕によって、もはやただ一つの個々の他の商品種と社会関係にあるだけでなく、商品世界と社会関係に立っているのである。それは、商品としてこの世界の市民なのである。同時に、この市民たる表現の無限の序列の中にあるから、商品価値は、使用価値が、どんな形態であろうと、その特別の形態にたいして、無関心であることにもなるわけである。
**** ***** ****
第2部
交換価値と貨幣形態の表現方式としての “価値方程式”
- 価値表現の序列・・・ 元素 Element の分類 (分類単位) と組織化 ー
第1章 商品 第3節 価値形態または交換価値
B 総体的または拡大せる価値形態
3 総体的または拡大された価値形態の欠陥
1. 〔価値表現の表示序列 ー 価値方程式〕
第一に、商品の相対的な価値表現は未完成である。というのは、その表示序列がいつになっても終わらないからである。一つの価値方程式が、他のそれを、それからそれとつないでいく連鎖は、引きつづいてつねに、新しい価値表現の材料を与えるあらゆる新たに現われる商品種によって引き延ばされる。第二に、それは崩壊しがちな雑多な種類の価値表現の色とりどりの寄木細工をなしている。最後に、あらゆる商品の相対的価値は、この拡大された形態で表現されざるをえないのであるが、そうなると、あらゆる商品の相対的価値形態は、すべての他の商品の相対的価値形態とちがった無限の価値表現の序列である。―拡大された相対的価値形態の欠陥は、これに相応する等価形態に反映する。すべての個々の商品種の自然形態は、ここでは無数の他の特別な等価形態とならんで、一つの特別な等価形態であるのであるから、一般にただ制限された等価形態があるだけであって、その中のおのおのは他を排除するのである。これと同じように、すべての特別な商品等価に含まれている特定の具体的な有用労働種は、ただ人間労働の特別な、したがって十全でない現象形態である。人間労働は、その完全な、または総体的な現象形態を、かの特別な現象形態の総体的広がりの中にもってはいるか、なんら統一的の現象形態をもたない。
2. 〔 第一形態の諸方程式の総和 ・・・元素の周期律・・・〕
だが、拡大された相対的価値形態は、ただ単純な相対的価値表現、または第一形態の諸方程式の総和から成っているだけである。例えば
亜麻布20エレ=上衣1着
亜麻布20エレ=茶10ポンド 等々
3.
これらの諸方程式のおのおのは、だが、両項を逆にしても同じ方程式である、
上衣1着=亜麻布20エレ
茶10ポンド=亜麻布20エレ 等々
4.
実際上、一人の男がその亜麻布を多くの他の商品と交換し、したがってその価値を、一連の他の商品の中に表現するとすれば、必然的に多くの他の商品所有者もまた、その商品を亜麻布と交換し、したがって、彼らの種々の商品の価値を同一の第三の商品、すなわち、亜麻布で表現しなければならぬ。―かくて、もしわれわれが、亜麻布20エレ=上衣1着 または =茶10ポンド または =その他 というような序列を逆にするならば、すなわち、われわれが、実際にはすでに序列の中に合まれていた逆関係を表現するならば、次のようになる。
5.
C 一般的価値形態
上着1着 =
茶10ポンド =
コーヒー40ポンド =
小麦1クォーター = } 亜麻布20エレ
金2オンス =
鉄1/2トン =
A商品x量 =
その他の商品量 =
1 価値形態の変化した性格
諸商品は、その価値をいまでは第一に、唯一の商品で示しているのであるから、単純にeinfach表わしていることになる。また第二に、同一商品によって示しているのであるから、統一的に表わしていることになる。
それら商品の価値形態は、単純で共同的であり、したがって一般的 〔普遍的〕 である。
〔Ihre Wertform ist einfach und gemeinschaftlich, daher allgemein.〕
第一および第二の形態は、二つとも、一商品の価値を、その商品自身の使用価値、またはその商品体から区別したあるものとして表現するために、生じたものにすぎなかった。
6.
第一の形態は、上衣1着 = 亜麻布20エレ、茶10ポンド = 鉄1/2トン 等々というような価値方程式を作り出した。上衣価値は亜麻布に等しいものとして、茶価値は鉄に等しいものとして、というようなふうに表現される。しかしながら、亜麻布に等しいものと鉄に等しいもの、このような上衣および茶の価値表現は、亜麻布と鉄とがちがっているのと同じようにちがっている。この形態が明瞭に実際に現われるのは、ただ、労働生産物が、偶然的なzufälligen 、そして時折の交換によって商品に転化されるような、そもそもの端緒においてである。
第二の形態は、第一のそれより完全に、商品の価値を、それ自身の使用価値から区別する。なぜかというに、例えば上衣の価値は、ここではその自然形態に、あらゆる可能な形態で、例えば亜麻布に等しいものとして、鉄に等しいもの、茶に等しいもの等として、すなわちただ上衣に等しいものでないだけで他の一切のものに等しいものとして、相対するからである。他方において、ここには商品のあらゆる共通な価値表現は、ただちにできなくされている。なぜかというに、ここでは一商品ごとに価値表現を行なって、すべての他の商品は、ただ等価の形態で現われるにすぎないからである。ある労働生産物、例えば家畜がもはや例外的にでなく、すでに習慣的に各種の他の商品と交換されるようになると、まず拡大された価値形態が、事実上出現するのである。
7.
新たに得られた形態は、商品世界の諸価値を、同一なる、この世界から分離された商品種 Warenart で表現する、例えば亜麻布で、そしてすべての商品の価値を、かくて、その亜麻布と等しいということで示すのである。亜麻布に等しいものとして、あらゆる商品の価値は、いまやただそれ自身の使用価値から区別されるだけでなく、一切の使用価値から区別されるのである。そしてまさにこのことによって、この商品とあらゆる商品とに共通なるものとして表現される。したがって、この形態にいたって初めて現実に、商品を価値として相互に相関係させ、またはこれらを相互に交換価値として現われさせるようになる。
先の二つの形態は、商品の価値を唯一の異種の商品をもってするばあいと、この商品と異なる多くの商品の序列をもってするばあいとの違いはあるが、いずれにしても一商品ごとに表現するのである。両場合ともに、価値形態を与えられるのは、個々の商品のいわば私事である。そして個々の商品は他の商品の協力なしに、このことをなすのである。他の諸商品は、先の一商品にたいして等価形態という単なる受動的の役割を演ずるのである。
これに反して一般的価値形態は、商品世界の共通の仕事としてのみ成立するのである。一商品が一般的価値表現を得るのは、ただ、同時に他のすべての商品がその価値を同一等価で表現するからである。そして新たに現われるあらゆる商品種は、これを真似なければならない。このことによって、こういうことがはっきりとしてくる、すなわち、諸商品の価値対象性も、それがこれら諸物の単なる「社会的存在」であるのであるから、その全面的な社会的関係によってのみ表現されうるのであり、したがって、その価値形態は、社会的に妥当する形態でなければならないということである。
8.
亜麻布に等しいものの形態において、いまではあらゆる商品が、ただに質的に等しいもの、すなわち価値一般としてだけでなく、同時に量的に比較しうる価値の大いさとしても現われる。すべての商品が、その価慎の大いさを同一材料で、亜麻布で写し出すのであるから、これらの価値の大いさは、交互に反映し合うのである。例えば 茶10ポンド = 亜麻布20エレ、さらに コーヒー40ポンド = 亜麻布20エレ. したがって、茶10ポンド = コーヒー40ポンド
というようにである。あるいは1ポンドのコーヒーには、ただ1ポンドの茶におけるものの4分の1だけの価値実体、すなわち、労働が含まれているというようにである。
9.
商品世界の一般的な相対的価値形態は、この世界から排除された等価商品である亜麻布に、一般的等価の性質をおしつける。亜麻布自身の自然形態は、この世界の共通な価値態容であり、したがって、亜麻布は他のすべての商品と直接に交換可能である。この物体形態は、一切の人間労働の眼に見える化身として、一般的な社会的な蛹化(ようか)としてのはたらきをなす。機織という亜麻布を生産する私的労働は、同時に一般的に社会的な形態、すなわち、他のすべての労働との等一性の形態にあるのである。一般的価値形態を成立させる無数の方程式は、順次に亜麻布に実現されている労働を、他の商品に含まれているあらゆる労働に等しいと置く。そしてこのことによって、機織を人間労働そのものの一般的な現象形態にするのである。このようにして、商品価値に対象化されている労働は、現実的労働のすべての具体的形態と有用なる属性とから抽象された労働として、たんに否定的に表示されるだけではない。それ自身の肯定的性質が明白に現われるのである。それは、すべての現実的労働を、これに共通なる人間労働の性質に、人間労働力の支出に、約元したものなのである。
10.
労働生産物を、無差別な人間労働のたんなる凝結物として表示する一般的価値形態は、それ自身の組立てによって、それが商品世界の社会的表現であるということを示すのである。このようにして、一般的価値形態は、この世界の内部で労働の一般的に人間的な性格が、その特殊的に社会的な性格を形成しているのを啓示するのである。
2 相対的価値形態と等価形態の発展関係
11.
相対的価値形態の発展程度に、等価形態の発展程度が応ずる。しかしながら、そしてこのことはよく銘記されなければならぬのであるが、等価形態の発展は相対的価値形態の発展の表現であり、結果であるにすぎない。
12.
ある商品の単純な、または個別的な相対的価値形態は、他の一商品を個別的な等価にする。相対的価値の拡大された形態、一商品の価値の他のすべての商品におけるこのような表現は、これらの商品に各種の特別な等価の形態を刻印する。最後に、ある特別な商品種が一般的等価形態を得る。というのは、他のすべての商品が、これを自分たちの統一的一般的な価値形態の材料にするからである。
13.
しかしながら、価値形態一般が発展すると同じ程度で、その二つの極たる相対的価値形態と等価形態の間の対立もまた発展する。
14.
すでに第一の形態―亜麻布20エレ=上衣1着―がこの対立を含んでいる。しかしまだ固定してはいない。同じ方程式が順に読まれるか、逆に読まれるかにしたがって、亜麻布と上衣というような両商品極のおのおのが、同じように、あるときは相対的価値形態に、あるときは等価形態にあるのである。このばあいにおいては、なお両極的対立を固着せしめるのに骨が折れる。
15.
第二の形態では、依然としてまだ各商品種ごとに、その相対的価値を全体として拡大しうるのみである。言葉をかえていえば、各商品種自身は、すべての他の商品がこれにたいして等価形態にあるから、そしてそのかぎりにおいて、拡大せる相対的価値形態をもっているにすぎないのである。このばあいにおいては、もはや価値方程式―亜麻布20エレ=上衣1着
または =茶10ポンド または =小麦1クォーター等々―の両項を移し換えると、その総性格を変更し、これを総体的価値形態から一般的価値形態に転換させてしまうほかはないことになる。
16.
最後の形態である第三形態は、ついに商品世界にたいして一般的社会的な相対的価値形態を与える、それは、唯一の例外を除いて、この世界に属するすべての商品が一般的等価形態から排除されるからであり、またそのかぎりにおいてである。ある商品、すなわち亜麻布は、したがって、他のすべての商品と直接的な交換可能性の形態に、あるいは直接的に社会的な形態にある。というのは、他の一切の商品がこの形態をとっていないからであり、また、そのかぎりにおいてである(24)。
第3章 貨幣または商品流通
第1節 価値の尺度 〔 価値方程式から貨幣形態へ 〕
17. 〔 元素 Element の分類ー周期表による組織化 〕
ある商品の金における価値表現―A商品x量=貨幣商品y量―は、その商品の貨幣形態であり、またはその価格である。こうなると、鉄1トン=金2オンスというような個々の方程式は、鉄価値を社会的に通用するように表示するために、充分なものとなる。方程式は、これ以上、他の諸商品の価値方程式〔他の諸商品との連立方程式〕と隊伍を組んで行進する必要がない。というのは、等価商品である金は、すでに貨幣の性質をもっているからである。したがって、商品の一般的な相対的価値形態は、いまや再びその本源的な、単純な、または個々的な相対的価値形態の姿をとるにいたっている。他方において、拡大された相対的価値表現、または相対的価値表現の無限の列は、貨幣商品の特殊的に相対的な価値形態となっている。しかしながら、この列は、いまやすでに商品価格で社会的に与えられている。物価表を逆に読めばいいのだ。そうすれば、可能な、ありとあらゆる商品における貨幣の価値の大いさが、表示されていることを知るのである。これに反して、貨幣は価格をもっていない。このような他の諸商品の統一的な相対的価値形態に参加するためには、貨幣は自分自身にたいして、自分自身の等価として、関係しなければなるまい。
*****