江崎保男著 『生態系ってなに?』 生きものたちの意外な連鎖 

                  中央公論社 2007年発行・・・要約・抄録・・・

  
   ~編集部より・・・『資本論』の“生態系”入門編として最適です~


 
 目 次
  1. 生態学〔英 ecology:独 Ökologie〕と生態系〔英 ecosystem:独 Ökologisches System〕 
  2. お医者さんのアナロジー
  3. 人は何のために食べるのか?
  4. 食物連鎖というつながり
  5. 植物は食わないのにどうやって生きているのか?
  6. 生態系のなかを物質は循環する、エネルギーは循環しない
  7. 生態系(エコシステム)はなぜシステムか?
  8. ウシは草を牛肉に変えてくれる
  9. ドーキンスの「利己的な遺伝子」
  10. 生態系概念のまとめ

 ・・・以下、本書の要約・抄録です・・・

 <本書の構成>
 本書は生態系の全体像を読者に理解してもらうことを第一の目的としています。生態学をすみずみまで詳しく説明しようというものではありません。したがって、生態学のいろいろな分野、特に数字を扱う話はほとんど登場しません。具体的な数の話がなくとも生態系の概念は理解できるからです。ただし、第2章だけは、生態系の経済を扱っているので、数字が登場せざるを得ないことを、断っておきます。また、数字を出すことでわかりやすくなるときは、あえて数字を使っています。
 本言では、まず、生態系の概念そのものについて説明します。また、生態系がなぜシステムなのかを説明します。次に、生態系の構成員であり、その機能を担っている生物個体の話をします。人を含めた生物個体というのは何なのか?、そして、生物たちは、互いにどのようにかかわり、つながっているのか? このつながりという概念が非常に重要です。このつながりが健全であることが生態系の健全さの基盤になっています。そして最後に、実態としては複雑きわまりない生態系の概念を再度わかりやすく整理して示すことにします。

 1. 生態学〔ecology〕と生態系〔ecosystem〕

 生態系はもともと生態学という生物学の一分野で発明された用語です。生態学の扱う対象は生物そのものや生物間の関係から、生物の体を構成している物質の動きと、生物か生きていくためのエネルギーの動きまで幅広いものです。
 最近では生態学の教科書がずいぷんと出版されるようになりました。そして生態学は「科学」になりました。
 
 2. お医者さんのアナロジー
 
 生態学が発展し科学的になった分、生態学の断片化がはじまっています。これは医学の世界と対比するとわかりやすいと思います。
 お医者さんの世界には脳の専門家、胃腸の専門家、心臓の専門家、皮膚の専門家、外傷の専門家など、体の各部分の専門家がたくさんいます。町のお医者さん、あるいは病院を訪ねたとき、昔のお医者さんは、まず「どうしましたか?一と聞き、次に「胸とお腹をみせてください」といい、そして聴診器をあてて、肺や心臓の音を聴き、胸やお腹をトントンとたたいて音を聴いたものです。生物学を習った人なら誰でもわかるように、人の体はいろいろな臓器にわけられますが、これらは脳を中枢とする神経に支配され、全身の細胞を血液とリンパ液がつないで、全体として機能しています。たとへば歯ぐきが腫れているとき、歯医者さんに行ったら、きっと、腫れをとりのぞく処置をしてくれるでしょう。でも、歯ぐきが腫れる根本原因は必ずしも歯や歯ぐきにあるとは限りません。私は肩や首が凝ると、よく歯ぐきが腫れます。このとき、腫れの根本原因は肩凝りによる歯ぐきの血行の悪さにあると思われます。すると、この場合、歯ぐきの腫れを治すには、歯医者さんに行くと同時に、鍼治療やマッサージを受けて、肩凝りをほぐすのが良いと考えられます。実際、私はいつもそうして歯ぐきの腫れ・痛みを治してもらっています。
 これでわかると思いますが、全体として機能しているものを部分だけで捉えようとするのには限界があります。しかし、科学は進歩すると必ず専門化・断片化がはじまります。生態学も科学的になった分、断片化が進みつつあります。このことについては、ここでは詳しく述べませんが、最先端の生態学研究は科学の進歩のためにもちろん必要です。しかし、病んだ生態系の治療のためには、昔のお医者さんのように、生態系の全体を理解し、診察しようとする態度を生態学者は常にもっている必要があるといえます。

 
3. 人は何のために食べるのか?

 では、人はなぜ食べなければいけないのでしょうか? あるいは、なぜ食べたら生きられるのでしょうか? その答えは、私たちの食べたものが体内でどうなるのかを知ることによって得られます。
 人の体のなかには口から肛門にいたる一本の管が通っており、これを消化管と呼んでいます。この消化管は体内にありますが、体外とつながっているという意味で体内でないともいえます。実際、受精卵からの発生の過程では皮膚と同じ外胚葉という組織からできてきますので、消化管の壁の起源は皮膚と同じなのです。
 それはさておき、食べ物は、米ならデンプン、肉ならタンパク質が主成分ですが、これらの食物は、まず、口のなかで歯によって噛み砕かれ、それと同時に唾液に含まれる消化酵素によって一部が分解されます。そのさきは、ご存知のように食道を経て胃にいたり、強烈な胃酸で分解を受けたあと、最終的に小腸で、デンプンならブドウ糖、タンパク質ならアミノ酸に分解されて、小腸の壁から体内に吸収されます。そして、消化されないもの、たとえば食物繊維などと呼んでいるものは、消化管を素通りして便として肛門から排出されます。ここまでは、ほぼ万人が知っていることです。
 問題は、小腸から吸収されたあとなのですが、小腸壁に吸収されたブドウ糖やアミノ酸は血液にのって頭のてっぺんから足先まで、全身の細胞に運ばれます。そして、細胞に運ばれたこれらの物質はさらなる分解を受けることになります。この分解過程を呼吸(あるいは内呼吸)と呼んでおり、細胞内のミトコンドリアという細胞内小器官でおこなわれます。
 ブドウ糖はC6H12O6という化学式で表される、炭素(C)と水素(H)と酸素(O)の化合物で、ブドウ糖が呼吸の分解作用を受けると、最終的に二酸化炭素(CO2)と水(H2O)に分解されます。ただし、この作用には酸素が不可欠で、化学式で表すとC6H12O6+6H2O+6O2→6CO2+12H2Oとなります。一方、アミノ酸が呼吸の分解作用を受けると二酸化炭素や水以外にアンモニア(NH3)が出てきますが、これは体に有毒なので、肝臓で体に無害な尿素につくりかえられます。こうして、呼吸の結果、不要になった二酸化炭素は肺に送られて、気道を通じて排出され、尿素と水はおしっことして尿道を通じて排出されます。一般に私たちが呼吸と呼んでいる作用(外呼吸)は、(内)呼吸に必要な酸素を外気から取り込むと同時に、(内)呼吸で生産された不要物である二酸化炭素を外気に放出することをいっているのです。

 さて、消化から呼吸にいたる複雑な分解作用は何のためにおこなわれるのでしょうか?
それは、ずばりエネルギーの問題なのです。ブドウ糖は炭素原子が6個結合したもの(このように生物体を構成・組織する、炭素を主成分とする物質を有機物といいます)ですが、この炭素原子の結合のなかにエネルギーが潜んでおり、したがって、この結合を断ち切ってやると、エネルギーが放出されます。つまり、細胞内で呼吸がおこなわれると、そのとき、一気にエネルギーが出てくるわけで、人が食物を食べるという行為は、実はこのエネルギーを求めてのことだといえます。

 
4. 食物連鎖というつながり

 このように、人が一人では生きていけないことの原点は、私たちが動物であること、他の生物がいないと食物がなくなってしまうことにあります。このことに気づくと、私たちが生きている世界は「食う―食われる」のつながりで成り立っていることに気づくでしょう。食べる(これ以降、食う、とします)ということを通して、ある地域の生物はすべてつながっており、このつながりを「食物連鎖」あるいは「食物網」と呼んでいます。これは、「食う―食われる」のつながりを、鎖の連なり、あるいは、網の目に見立てた言葉であり、このように食物連鎖でつながっている生物をまとめて「生物群集」と呼んでいます。この言葉には、「ある地域の生物たちは決して各個ばらばらに生活しているのではなく、つながって一緒に生活している」という意味が込められています。・・・・
 しかし、現実の食物連鎖は、さきに述べたようにずいぶんと複雑です。ある動物は一種類の生物だけを食っているわけではなく、いろいろな生物を食います。また、ある生物は一種類の生物に食われるだけでなく、いろいろな生物に食われます。また、カイツブリという鳥とカムルチーという魚の関係は複雑で、カイツブリはカムルチーの稚魚を食いますが、カイツブリのヒナは大きなカムルチーに食われます。こんなふうに複雑だから、食物連鎖のことを食物「網」などと呼ぶのです。
 こんな複雑な関係はそのままでは「科学」の対象にはなりえませんので、科学としての生態学では、まずはこの複雑な関係を単純化します。単純化された食物連鎖のはじまりは植物プランクトンで、これが動物プランクトンに食われます。動物プランクトンは小魚に食われ、小魚は大魚に食われます。

  
5. 植物は食わないのにどうやって生きているのか?

 ここで二つの疑問加わいてきます。 一つめは大魚は小魚を食って生きている、小魚は動物プランクトンを食って生きている、動物プランクトンは植物プランクトンを食って生きている。では植物プランクトンは、何も食わないのに、どうやって生きているのだろうか? 二つめは、植物プランクトンは動物プランクトンに食われている、動物プラクトンは小魚に食われている、小魚は大魚に食われている。では大魚は誰にも食われないのか? どうなるのか?(むろん現実には人に食われるので、その場合は、人は誰にも食われないが、どうなるのか?)
 一つめの疑問に対する回答は、「植物は自分で生きている」ということになり、このことをもって「植物は独立栄養生物だ」などといいます。植物は光合成という化学反応をおこなって、ブドウ糖(栄養=有機物)をみずからつくりだすことができるからです。光合成は二酸化炭素と水からブドウ糖を合成する反応で、化学式では、6CO2+12H2O→C6H12O6(ブドウ糖)+6H2O+6O2と表されます。
 ところで、私たちが仮に試験管のなかで、二酸化炭素と水を混ぜたとして、ブドウ糖ができるでしょうか? いくら汗水流して試験管を振っても、ブドウ糖は永久にできないでしょう。右記の反応式には、何か足りないのです。そう、エネルギーです。さきほど述べたように、ブドウ糖の6個の炭素原子の結合には大量のエネルギーが含まれているので、この結合をつくるのに必要なエネルギーを加えてやらない限り、ブドウ糖はできません。植物はこのエネルギー源として太陽光を使います。光を使ってブドウ糖などの有機物を合成するという意味で、光合成というのです。植物がさんさんと陽を浴びて元気に成長する。それは、太陽光を吸収することにより、光合成をおこなっているからなのです。
 ちなみに植物が光合成をおこなえるのは、細胞のなかに葉緑体という、光をつかまえる小器官をもっているからですが、葉緑体のなかには、葉緑素(クロロフィル)という色素があり、これが光合成に関与しています。また葉緑素があるから、植物の葉っぱは緑色をしているのです。
 光合成はブドウ糖をつくるための反応ですから、その結果生成される酸素は植物にとっては、たまたまできた産物ということになります。植物が、進化の歴史に現れて以来、大気に酸素が供給されるようになったのですが、それがいまでは私たちにとってなくてはならないものになっているのですから、進化というのは不思議なものです。
 ところで「光合成をして植物は生きているのだ」と答えると、100点満点の50点しかもらえません。ブドウ糖をつくるだけで生きているというのはおかしいのです。植物も動物と同じように、成長したり花を咲かせたり、実をつけたりするのにエネルギーを消費するからです。このエネルギーを動物は食物から得ているのですが、植物はどこから得ているのでしょう? 答えは簡単です。植物はみずからつくりだしたブドウ糖を分解することによって成長に必要なエネルギーを獲得しています。つまり、植物も動物と同じく、細胞のなかで呼吸をおこなってATPをつくりだしているのです。したがって、一つめの答えは「植物は光合成をおこなって有機物をつくりだし、その有機物を呼吸によって分解して、生きるエネルギーを得ている」ということになります。・・・・

  
6. 生態系のなかを物質は循環する、エネルギーは循環しない

 いま説明したことをもとに、池のなかの炭素や窒素といった物質の動きをまとめると以下のようになります。池のなかの植物プランクトンは、水とこれに溶けている二酸化炭素とアンモニアをもとに、太陽エネルギーを使って、タンパク質やデンプンといった有機物を合成します。これらの物質は食われることによって動物プランクトンの体に移行し、そして順次、小魚、大魚と移動していきます。さきほどは、大魚以外の生物はみな食われてしまうような書き方をしましたか、それが本当でないことはみんな知っています。夏の暑い日、酸素不足で魚がいっぱい川面に浮いている光景を目にした人も多いでしょう。すべての生物のなかの一部は必ず食われずに「のたれ死に」します。これらの死体はすべてバクテリアの手にかかり、最終的に二酸化炭素とアンモニアと水に分解され、そして、これらの無機物は植物の光合成の材料となって再び有機物に姿を変えます。こうして、「生態系のなかを物質は循環する」 のです。
 さて、ここではじめて「生態系」という言葉が登場したことに気づいたと思います。生態系は「ある地域の生物群集とそれを取り巻く物理環境を含めた全体」と定義されるのですが、この定義が、単なる「自然」という言葉と違うのは、まさにこの物質循環の概念によっているのです。同じ池でも、単に「自然」であるという認識と、「物質循環が起こっている場」という認識とではまったく違っていることは明らかであり、この認識があるからこそ「生態系」は意味のある言葉なのです。

 次に、太陽からやってきたエネルギーはどうでしょう?
 バクテリアによって完全に分解された結果できた二酸化炭素やアンモニアや水にはエネルギーがありません。エネルギーは炭素の結合のなかにあり、二酸化炭素(CO2)には炭素が一つしかないので、炭素結合がなく、エネルギーがないのです。物質循環の過程でエネルギーはどこかにいってしまったのでしょうか? その通りです。・・・

 太陽からやってきて、植物がつかまえたエネルギーは、物質(エネルギーを含んだ有機物)とともに食物連鎖上を伝わりますが、その過程で個々の生物はエネルギーを大気に放散しています。こうやって食物連鎖のつながりを進むとどんどんエネルギーは減少していき、すべての死体がバクテリアに引き渡され、バクテリアがこれらの死体を完全に分解して、残った最後のエネルギーを取り出してしまったとき、太陽からやってきたエネルギーのすべては大気に放散することになります。大気に放散するとは、結果としてエネルギーが宇宙に去ってしまうことを意味しますので、「生態系のなかをエネルギーは循環しない」のです。見方をかえると、「太陽エネルギーは地球上を通過する。ただし、植物に捕捉された一部のエネルギーが生態系を一巡する間だけ、地球上の生物を生かしている」といえます。したがって、太陽が消滅すると地球上のありとあらゆる生物は死滅せざるをえません。太陽はまさに地球の女神、アマテラスオオミカミなのです。

  
7. 生態系(エコシステム)はなぜシステムか?

 生態系という言葉は、英語のエコシステムの訳語ですが、生態系はなぜシステムというのでしょうか? まず、システムとは「複数の要素が相互作用をおこないながら機能している全体」とでも定義できるでしょう。この意味で人間社会は明らかにひとつのシステムです。また、いわゆる「機械」とか「装置」とかいわれるものもシステムです。
 池の生態系を頭のなかにイメージしてください。太陽がさんさんと池に降り注ぎ、植物プランクトンが光合成をおこなっています。その植物プランクトンをねらって動物プランクトンが浮いています。さらに、それを小魚がねらっています。そして大魚が小魚をねらっています。
 さて、太陽が隠れてしまいました。真っ暗闇の世界です。するととたんにこの「装置」は動きをやめるはずです。プランクトンも魚も動きをやめます。しかし、ここで、再び「太陽というバブアリー」を入れてやると、この「装置」はまた動き始めます。つまり、「生態系とは、太陽をバッテリーとする装置」であり、だから、システムと呼ぶわけです。そして、このシステムの物質循環機能を担っているのは、生物たち=生物群集です。
 ところで、太陽が消えることは、実は毎日起こっています。夜の訪れです。しかし、夜になるとたいていの生物は眠ってしまうものの、死にはしません。不思議ですね。その理由は、この章の最初のほうで明らかになっています。ATPの存在です。生態系を構成している生物たちは昼の間にせっせとATPにエネルギーをためこんでいるので、夜が訪れても、このATPを使って生き延び、死滅することがないのです。夜行性の動物はどうかというと、餌となる生物が昼間にせっせとためこんだ生物体のエネルギーを食事を通して摂取し、自分のATPを合成して生きているのです。 

  
8. ウシは草を牛肉に変えてくれる

 昨晩、私がすき焼きを食べたとします。そうしたら、今日の私の筋肉はウシの筋肉でしょうか? 違いますね。ちゃんとしたヒトの筋肉になっているはずです。言い換えると、「ヒトはウシの肉をもとに、ヒトの肉を生産しています」。詳しく説明すると、われわれは牛肉を食べると、それを各種アミノ酸に分解し、それらをヒトの筋肉タンパク質に再合成しているのです。この生産のことを、植物がおこなう基礎生産である一次生産に対して、「二次生産」と呼んでいます。
 ウシは草を食います。そして、ウシは草を牛肉に変えてくれます。だから、私たちは美味しい牛肉を食うことができるわけです。池の食物連鎖を思い出してください。コイはミミズを食います。コイはそのことにより、ミミズの肉をコイの肉に変えてくれるのです。コイの肉は美味しいものですが、ミミズは私たちにとって、とても美味しいとはいえない代物です。人とミミズの間にコイが介在することにより、私たちは人らしい食生活を営むことができるのです。・・・・
 ・・・・・
 
  
9. ドーキンスの「利己的な遺伝子」

 ここまでは、自然淘汰の産物である生物個体は利己的であること、を柱に話を進めてきました。ただし、進化における利己主義とは、子や血縁のある個体を犬切にすることであり、いわゆる利己主義とはちょっと違ったものだということも述べてきました。そこでは、自分の家系、系統をどう残すかが利己主義の最重要課題なのですが、この考えは、昔の日本の武家社会にちょっと似ています。もちろん、武家社会ではお家の存続のためには、養子縁組も稀ではありませんでした。ただし、そのときにもまずは、親類縁者が養子の第一候補であったことは間違いありません。
 ところで、ドーキンスの本のタイトルは『利己的な遺伝子』で、決して「利己的な個体」ではありません。これには深い意味があります。このことを述べて、本章を閉じたいと思います。
 なぜ親は子を大切にするのか? という問いに対するダーウィンの答えは、「自分の子をより多く残す形質・性質が自然淘汰のなかで生き残ってきたから」であると考えることができます。このことには、自分が死んでも子が遺伝子を引き継いで残してくれる、という前提があります。ここでドーキンスは、発想を180度転換しました。個体はいずれ死ぬ、では永久に生き続けるのは誰なのか? それは「遺伝子である」と。すると、親が子を大切にする行為というのは、遺伝子にあやつられてのことではないのか? 遺伝子は、生物を形づくり、行動させるプログラムです。そのプログラムはDNAの塩基配列のなかに書き込まれています。したがって、「遺伝子が、親に対して子を大切にするように仕向けている」のだとドーキンスは考えたのです。
 そうなると、私たち生物個体とは何なのか? に対する答えがみえてきます。そこでドーキンスはこういいました、「遺伝子が永遠に生きるために、個体という一時的な乗り物を次々と乗り換えているのが生物の実態である」と。すでにお気づきかと思いますが、さきほどから用いている「近縁度」なる概念は、個体からみたものではなく、遺伝子からみたものです。仮に親という個体からみたとすると、わが子は確実に自分の遺伝子をもっていますから、近縁の度合いは二分の一ではなく、一でなくてはならないはずです。ドーキンスはこんなふうに巧妙な手口で、読者を「利己的な遺伝子」の世界に引きずり込んでしまったのです。
 このように遺伝子の立場でものを考えると、私たち日本人は、遠いアフリカの地で生まれ、永遠の旅をして、この日本列島にたどり着いたのだという思いにかられます。あるものは、シベリアから千島列島経由で、あるものは中国大陸から朝鮮半島を通って、この地にたどり着いたことでしょう。私たちは生まれながらにして、世界旅行をすでに経験しているのです。

  
10. 生態系概念のまとめ

 これで、私の頭のなかにある生態系の概念をほぼ話したことになりますので、最後に簡単にまとめておきます。
 まず、人を含めた地域の生物は単独では生きていません、すべてはつながりのなかで生きています。食物連鎖にそのつながりを見出したとき、そこには地域の生物群集の姿が浮かび上がり、食物連鎖上の物質の動き(物質循環)につながりを見出したとき、そこには地域の生態系の姿が浮かび上がります。
 ただし、食物連鎖も実はそうなのですが、特に物質の動きに注目すると、地球上のありとあらゆる場所は何らかの形で必ずつながっていて、とても一筋縄ではいきませんので、私たちは、森・川・海といった認識可能な景観の単位をもって生態系を定義することにします。すると、個々の生態系に特有の生物群集と、物質およびエネルギーの動きを見出すことができ、このことにより、森・川・海の科学的な解析が可能になります。これらのことは、すべて連続的に存在している自然現象を人の頭のなかで処理可能なカテゴリーにいったんわけて、カテゴリーごとに現象を記載・分析して理解しようとする自然科学の一般的な手法に則ったものです。
 さてこのようにして定義された生態系は、太陽をバッテリーとする物質循環の装置(エコシステム)とみなせます。このシステムは、地域ごとに生物群集という物質循環機能の担い手を内部にかかえています。そして、このシステムは私たち人からみると、食料生産の場(主に生食連鎖)であると同時に、廃棄物処理(腐食連鎖)の場でもあります。これらの機能は生物群集が担っており、それぞれにいろいろな生物が活躍していて、これらが欠けると、私たちの食料がなくなり、地球が死体の山と化します。生物多様性の保全が重要であるひとつの理由です。食料間題においては、常に食うものよりも食われるものの生産量が大きいこと、すなわち生態ピラミッドを健全に保つことが重要な課題です。
 一方、地域の生物群集は進化の産物です。生物群集を構成する生物たちは、多種多様でダイナミックな、厳しくも断ち難い生物間相互作用をおこないながら、地域のなかで進化してきた者たちです。そのため、この相互作用はそれぞれの生物間に特有の作法に則っておこなわれており、生物は個体としては利己主義(子孫および家系を大切にすることで、自己中心主義とはまったく異なるもの)でありながらも地域の生物群集のなかでともに生きているといえます。いわば各生物種をピースとする、地域に独自のジグソーパズルが生物群集として歴史的に形づくられてきたと考えられます。このパズルを崩壊させる行為が人為による生物の絶滅であり、外来種の導入です。ジグソーパズル=生物群集が崩壊すると地域の生態系は崩壊します。生物多様性保全のもうひとつの、そして何より重要な意義は、このジグソーパズルの保全にあるといえます。したがって、生態ピラミッドを維持しさえすればよいという考えはここでは通用しません。生態ピラミッドを維持する(食料確保の)ために外来種を導入したりすると、生物群集のジグソーパズルが崩壊する可能性があり、そこには結果としての生態ピラミッドの崩壊が待っています。
 そこで、私たちが自分たちと未来の世代のためになすべきことは、生態系の物質とエネルギーの流れを適切に保つこと、これが損なわれている場合には健全なものに復元することであり、そのためには歴史に裏打ちされた地域の生物群集を保全し、身を慎んで生態系をマネジメントする姿勢を常にもっていることか必要だということになります。目先の利便のためにつながりを断ち切ることは、天に唾することになりかねないのです。

・・・以上、『生態系ってなに?』 要約終わり・・・