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『資本論』第1章・注一覧 2020.03.15

 『資本論』 第1章・第1節 注一覧 2020.03.15

注番号
 『資本論』 第1章 第1節 (段落 第1節1 - 1
1 1-1 * 1 社会の富
2 1-1 * 2 巨大なる商品集積
3 1-1 * 3 成素形態
4 1-1 *4 現われる
5 1-1 * 5 アリストテレスの注(1)
6 1-2 * 6 属性Eigenschaft
7 1-2 * 7 物Ding
8 1-2 * 8 ニコラス・バーボン
9 1-3 * 9 歴史的行動(原注3/バーボン)
10 1-3 * 10 磁石
11 1-4 * 11使用価値は同時に-交換価値の素材的な担 い手stofflichen Träger des - Tauschwerts
12 1-5 * 12交換価値は、何か偶然的なるもの、純粋に 相対的なるものであって、商品に内在的な、固有の交換価値(valeur intrinseque)という ようなものは、一つの背理(原注7)*(contradictio in adjecto)のように思われる。われわ れはこのことをもっと詳細に考察しよう。
13 1-5 (*13原注7)「どんな物でも内的価値というようなものをもつことはできない」(N・バーボン
14 1-6  一定の商品、1クォーターの小麦は、*14 例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々 と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合で交換される。
1-6  第二に、交換価値はそもそもただそれと区別さるべき *14 内在物の 表現方式〔Ausdrucksweise:表現の仕方〕、すなわち、その「現象形態〔 "Erscheinungsform"〔現象の形式〕」
1-7  さらにわれわれは二つの商品、*14 例えば小麦と鉄をとろう*
1-7  この関係〔Austauschverhältnis:交換関係〕はつねに一つの *14 方程式Gleichung に表わすことができる。
1-7  *14 例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。こ の方程式は何を物語るか?
15 1-7 *15両者のおのおのは、交換価値である限り、こ うして、この第三のものに整約しうるのでなければならない。
16 1-9 商品の交換関係をはっきりと特徴づけているものは、まさに *16商品の使用価値からの抽象で ある
1-9 *17 老バーボンが言って いるように、「一つの商品種は、その交換価値が同一の大いさであるならば、他の商品と同 じだけのものである。このばあい同一の大いさの交換価値を有する物の間には、少しの相違 または差別がない(原注8)。」
17 1-9 (原注8: N・バーボン)「*17 一商品種は、もし価値が同一であれば、他の商品種と同じものである
18 1-11 *18 いまもし商品体の使用価値を無視するとすれば
1-12 われわれはいま*18 労働生産物の残りをしらべて見よう
1-13 *18 もしいま実際に労働生産物の使用価値から抽象するとすれば、いま規定されたばかりの労働生産物の価値が得られる。
1-15 *18 もしある商品の価値が、その生産の間に支出された労働量によって規定されるならば、ある男が怠惰であり、または不熟練であるほど、その商品は価値が高い
1-17 ある商品の価値の大いさは、*18もしその生産に必要な労働時間が不変であるならば、不変である。
1-17 *18 逆に、労働の生産力が小さければ、それだけ一定品目の製造に必要な労働時間は大きく、それだけその価値も大きい。したがって、ある商品の大きさは、その中に実現されている労働の量に正比例し、その生産力に逆比例して変化する
19 1-13 *19 商品の交換比率または交換価値に表われている共通なものは、かくて、その価値である
1-12 *19 妖怪のような同一の対象性いがいに、すなわち、無差別な人間労働に、いいかえればその支出形態を考慮すること のない、人間労働力支出の、単なる膠状物
20 1-13 *20 われわれは価値の必然的な表現方式または現象形態としての交換価値に、帰ってくるであろう
21 1-16 「*21 価値としては、すべての商品は、ただ凝結せる労働時間の一定量であるにすぎない。」(原注11)
1-16 *21 原注11)カール・マルクス『批判』
22 1-17 *第1版には、次の一文がつづく―  *22 価値をまさに交換価値にしてしまうその形態は、これから分析する。
23 1-18 *23 商品を生産するためには、彼は使用価値を生産するだけではなく、他の人々にたいする使用価値、すなわち、社会的使用価値を生産しなければならぬ。
以上、ここまで第1章第1節。





  ■ 『資本論』 経済学批判 総集編  
編集部 注 参考例

 「資本主義的生産様式 〔 kapitalistische Produktionsweise:資本制生産の方法〕 の支配的である *1 社会の富は、「 *2 巨大なる商品集積 〔”ungeheure Warensammlung":そら恐ろしいほどの商品の集まり・集合 〕」 として現われ、個々の商品はこの富の  *3 成素形態 〔Elementarform:元素形式〕 として *4 現われる erscheint。

 ①
社会の富 : 古典派経済学との批判的連続性を意図している。 スミスの『諸国民の富』参照
 ②
巨大なる商品集積 : 「商品集積 sammlung」は、商品の集まり・集合を表示し、 ヘーゲル『精神現象学』 の「物が諸物質の集合となる」事態へ、そら恐ろしいほど-想像を絶するほど展開してゆく。
 ③
成素形態 〔Elementarform:元素の形式〕 は、古代ギリシャ時代・アリストテレス『形而上学』 原理としての実体(エレメント)とヘーゲル論理学の「Form(形式)」を合成し、Elementarformとして、『資本論』のキーワードを創造している。 そして最後に、
 ④ 「
個々の商品は・・・現れる」 論理構成を形成し、ヘーゲル論理学の「現象 Erscheinung」論で締めくくっている。


 
第1章第1節 注番号

1
 1-1 * 1 社会の富   下線部をクリックしてください〕

 
 マルクスは『資本論』冒頭-第1章第1節-で、“「資本制生産の方法による社会の富」からわれわれの研究は商品の分析”を始め、
 
  第1章の最後、第4節商品の物神性(注31)において、リカードの古典派経済学からデステュット・ド・トラシを引用して、次のように締めくくりを行っている

   「われわれの肉体的および精神的の能力のみが、われわれの*1本源的なであることは確かであるから、これら能力の使用、すなわち一定種の労働は、われわれの本源的な財宝である。われわれがと名づけるかの一切の物を作るのが、つねにこの使用なのである。…」(岩波文庫p.144)

 ③ 読者は、第1章第1節から第4節まで「一連の文脈-社会の富-の流れ」を通して、「商品の分析」を
古典派経済学を経由しながら 『資本論』を読み続けることになる。 さらに忍耐強く、「社会の富」は、『資本論』 第23章第4節 資本主義的蓄積の一般的法則 -社会的富の現象形態第24章 第7節 資本主義的蓄積の歴史的傾向. へとつながってゆく。


 ④ 16世紀から18世紀にかけて「社会の富」の観念は、大きく変化してきた。資本主義的生産様式〔 資本制生産の方法〕の発展につれて、「 社会の富」は、「金銀財宝の獲得」から「商品生産による利潤の獲得」へと「富そのものの源泉」へ推移した。
 そこでマルクスは、『資本論』冒頭において、「個々の商品はこの富の 成素形態
Elementarform:富の元素形式〕 として・・・われわれの研究は商品(富)の分析をもって始まる」宣言を行っている。

 ▼ 社会の富の推移 → 重商主義
 ▼
参考文献 「社会の富」と古典経済学   ペティからスミスまで「富」と「商品」理解の形成
   ■ 
小林 昇著 『経済学の形成時代 1961年 「土地」に代る富の新らしい基礎形態である「商品」
 「 封建制から資本主義への移行にさいしては、そのそれぞれの生産関係の基底にあってそれらの歴史的性格を決定している、基本的な生産手段および生産物の占取のしかた、すなわち「富」(Reichtum, wealth)の基礎形態が、「土地」から「商品」に移行する。封建制のもとにあっては、何よりも「土地」所有が、経済外的強制による「地代」(封建的地代)のかたちで剰余労働(剰余生産物)を収取する。


  
 ペティにおける論点の設定
 第一の論点。これは富の「源泉」に関する把握(以下「源泉」論と略称)であって、これについてのペティのつぎの言葉は周知である。「土地が富(wealth)の母であるように、労働は富の父でありその能動的要素(active principle)である。」 この命題は、物材(使用価値)としての富の源泉を土地と労働とに求め、しかも労働をその能動的要因として捉えたものである。そうしてそれは、命題自体としては、富をその社会的形態については無規定のまま認識したものにすぎず、これと同様の認識は、16世紀においてラティマ-(Bishop Hugh Latimer )が表明して以来、トーマス・マン(Thomas Mun)やホッブス(Thomas Hobbes)がくりかえしたところであった(ペティにおける「土地」が、彼らにあっては「神」あるいは「自然」として表現されていたのではあったが)。しかし同時にペティは、ここにいう「富」をじっさいには「商品」として捉えていた。 すなわち、それは現実には交換価値をもつものだったのである。」( 『経済学の形成時代』 )



 ここまで第1章第1節

2

  1-1 * 2 巨大なる商品集積 

 *巨大なる ungeheuer *商品集積 Warensammlung 
 
「商品集積 sammlung」は、商品の集まり・集合を表示し、 ヘーゲル『精神の現象学』 の「物が諸物質の集合となる」事態(岩波書店上巻・金子武蔵訳p.)へ、そら恐ろしいほど(巨大なる)-想像を絶するほど展開してゆくことになる。






 ここまで第1章第1節
3 1-1 * 3 成素形態

ここまで第1章第1節

4
 1-1 *4 現われる erscheinen  .*4商品の分析をもって始まる  

 
「現われる」と ② 「商品の分析」の相関関係を探究すると、『資本論』草稿には、以下のとおり。詳細は、直接的生産過程の諸結果」を参照
  「カール・マルクス 資本論 第1部草稿 第6章 直接的生産過程の諸結果 森田成也訳
  (I) 資本の生産物としての商品

 
 「ブルジョア的富の要素形態としての商品がわれわれの出発点であり、資本が発生するための前提であった。他方で、商品は今では資本の生産物として現われている erscheinen。」

  
現れている erscheinen」 は、
  <ヘーゲル論理学>の骨格的用法 「現象 : Erscheinung 」です。 
 
小論理学§131 「本質は現象しなければならない。」 「本質は現象の背後または彼方にあるものではなく、本質が現存在(Existenz : 実存)するものであることによって現存在は現象なのである。」(岩波文庫p.55)
 なお、マルクスは、<ヘーゲル論理学>の「現象論」を継承して、「商品の物神性論」―「労働の社会的性格の対象的
外観 Schein をおい払うものではない」(岩波文庫p134.)と、
.*4 分析 を行っています


ここまで第1章第1節
5 1-1 * 5 アリストテレスの注(1)

ここまで第1章第1節
6 1-2 * 6 属性Eigenschaft

ここまで第1章第1節
7  
  1-2 * 7 物 Ding   
    
  物 Ding の説明/定義は以下のように、変化してゆく。 → 「巨大なる商品集合」参照
     なお、「物 Ding 」についてヘーゲル『小論理学』 C 物 (Das Ding)を参照

 
1-2  「 商品はまず第一に外的対象である。すなわち、その*6 属性〔Eigenschaft:ヘーゲル論理学では、性質〕によって人間のなんらかの種類の欲望を充足させる一つの*7 物 Ding である。」、 
 
1-3 「 鉄・紙等々のような一切の*7 有用なる物 nützliche Ding は、質と量にしたがって二重の観点から考察され るべきものである。」
     しかし、「 → 
1-12 *19 これらの物 Diese Dinge は、商品価値となる。」
 
1-12 「 *19 これらの物は、おたがいに共通な、こ の社会的実体の結晶として、価値―商品価値である。」(岩波文庫.p.)
 
4-1 「 しかしながら、机が商品として現われるとなると、感覚的にして超感覚的な sinnlich übersinnliches Ding に転化する。」(岩波文庫p.129)

 *ヘーゲル『小論理学』第2部本質論 抄録 
   A 現存在の根拠としての本質 (§115-130) Das Wesen als Grund der Existenz(存在、実存)
   
 物 (Das Ding §125-130)
 
§125 物Dingは根拠 Grund と現存在 Existenz 〔実存〕という二つの規定が発展 Entwicklung して一つのもののうちで定立されているものとして、統体 〔Totalität; 全体性、総体性〕である。それは、そのモメントの一つである他者内反省〔Reflexion-in-Anderes; 他者への反照〕からすれば、それに即してさまざまの区別を持ち、これによってそれは規定された、具体的な物 konkretes Dingである。 
(イ) これらの諸規定は相互に異っており、それら自身のうちにではなく、物のうちにその自己内反省を持っている。それらは物の 諸性質(Eigenschaften)であり、それらと物との関係は、持つという関係である。

 
§126 (ロ) しかし根拠においてさえ、他者への反省はそれ自身直接に自己への反省である。したがって諸性質はまた自己同一であり、独立的でもあって、物に結びつけられていることから解放されてもいる。しかしそれらは、物の相互に区別された諸規定性が自己のうちへ反省したものであるから、それら自身具体的な物ではなく、抽象的な規定性として自己へ反省した現存在 〔実存〕、質料(Materie)である。

 
§128 (ハ) 質料は、現存在の自己との直接的統一であるから、規定性にたいして無関心でもある。したがって、さまざまの質料は合して一つの質料、すなわち、同一性という反省規定のうちにある現存在となる。他方、これらさまざまの規定性、およびそれらが物のうちで相互に持っている外面的な関係は、形式(Form)である。これは区別という反省規定であるが、しかし現存在しかつ統体性であるところの区別である。
 
§128 補遺 これは二つのことを含んでいる。一つには、質料そのものはけっして独立を持たないということであり、もう一つには、形式は外から質料に達するのではなく、統体性として質料の原理を自己のうちに持っているということである。

 
§129 かくしては質料と形式とにわかれる。この両者はいずれも物性(Dingheit)の全体であり、おのおの独立的に存立している。しかし肯定的で無規定の現存在たるべき質料も、それが現存在である以上、自己内有とともにまた他者への反省を含んでいる。

 
§130 物はこのような統体性 〔全体性〕 として矛盾である。すなわち、物は、否定的統一からすれば形式であり、質料はそのうちで規定されて諸性質にひきさげられているが(125節)、同時に物はもろもろの質料からなっており、これらは物の自己への反省のうちで、否定されたものであると同時に独立的なものでもある。かくして物は、自分自身のうちで自己を揚棄する現存在としての本質的な現存在、すなわち現象(Exscheinung)である。


ここまで第1章第1節

8 1-2 * 8 ニコラス・バーボン

ここまで第1章第1節

9 1-3 * 9 歴史的行動(原注3/バーボン)

ここまで第1章第1節

10 1-3 * 10 磁石

ここまで第1章第1節
11 1-4 * 11使用価値は同時に-交換価値の素材的な担 い手stofflichen Träger des - Tauschwerts

ここまで第1章第1節

12 1-5 * 12交換価値は、何か偶然的なるもの、純粋に 相対的なるものであって、商品に内在的な、固有の交換価値(valeur intrinseque)という ようなものは、一つの背理(原注7)*(contradictio in adjecto)のように思われる。われわ れはこのことをもっと詳細に考察しよう。

ここまで第1章第1節

13 1-5 (*13原注7)「どんな物でも内的価値というようなものをもつことはできない」(N・バーボン

ここまで第1章第1節

14 1-6  一定の商品、1クォーターの小麦は、*14 例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々 と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合で交換される。
1-6  第二に、交換価値はそもそもただそれと区別さるべき *14 内在物の 表現方式〔Ausdrucksweise:表現の仕方〕、すなわち、その「現象形態〔 "Erscheinungsform"〔現象の形式〕」
1-7  さらにわれわれは二つの商品、*14 例えば小麦と鉄をとろう*
1-7  この関係〔Austauschverhältnis:交換関係〕はつねに一つの *14 方程式Gleichung に表わすことができる。
1-7  *14 例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。こ の方程式は何を物語るか?

ここまで第1章第1節
15 1-7 *15両者のおのおのは、交換価値である限り、こ うして、この第三のものに整約しうるのでなければならない。

ここまで第1章第1節

16 1-9 商品の交換関係をはっきりと特徴づけているものは、まさに *16商品の使用価値からの抽象で ある

ここまで第1章第1節

17 1-9 (原注8: N・バーボン)「*17 一商品種は、もし価値が同一であれば、他の商品種と同じものである

ここまで第1章第1節

18
1-11 *18 いまもし商品体の使用価値を無視するとすれば

   Sieht man nun vom Gebrauchswert der Warenkörper ab,

 

1-12  *18 われわれはいま 労働生産物の残りをしらべて見よう
8

   Betrachten wir nun das Residuum der Arbeitsprodukte.


1-13 *18 もしいま実際に労働生産物の使用価値から抽象するとすれば、いま規定されたばかりの労働生産物の価値が得られる。

1-15 *18 もしある商品の価値が、その生産の間に支出された労働量によって規定されるならば、ある男が怠惰であり、または不熟練であるほど、その商品は価値が高い
1-17 ある商品の価値の大いさは、*18もしその生産に必要な労働時間が不変であるならば、不変である。
1-17 *18 逆に、労働の生産力が小さければ、それだけ一定品目の製造に必要な労働時間は大きく、それだけその価値も大きい。したがって、ある商品の大きさは、その中に実現されている労働の量に正比例し、その生産力に逆比例して変化する

ここまで第1章第1節

19 1-13 *19 商品の交換比率または交換価値に表われている共通なものは、かくて、その価値である
1-12 *19 妖怪のような同一の対象性いがいに、すなわち、無差別な人間労働に、いいかえればその支出形態を考慮すること のない、人間労働力支出の、単なる膠状物

ここまで第1章第1節
20 1-13 *20 われわれは価値の必然的な表現方式または現象形態としての交換価値に、帰ってくるであろう

ここまで第1章第1節
21 1-16 「*21 価値としては、すべての商品は、ただ凝結せる労働時間の一定量であるにすぎない。」(原注11)
1-16 *21 原注11)カール・マルクス『批判』

ここまで第1章第1節
22 1-17 *第1版には、次の一文がつづく―  *22 価値をまさに交換価値にしてしまうその形態は、これから分析する。

ここまで第1章第1節
23 1-18 *23 商品を生産するためには、彼は使用価値を生産するだけではなく、他の人々にたいする使用価値、すなわち、社会的使用価値を生産しなければならぬ。

ここまで第1章第1節

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