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『資本論』生誕150周年 ダーウィン進化論とマルクス (2)

 


コラム17> 

  ダーウィン進化論と 「分業とマニュファクチャ」

   
     ~社会的人間の生産的器官の形成史

  


  資本論ワールド 編集部 はじめに

 マルクスは、『資本論』の第13章機械装置と大工業 第1節機械装置の発達 において、ダーウィン進化論との関連について次のように注記しています。
 「ダーウィンは、自然的技術の歴史に、すなわち、
動植物の生活のための生産用具としての動植物器官の形成に、関心を向けさせた。社会的人間の生産的器官の形成史特殊の各社会組織の物質的基礎の形成史も、同じ注意に値するのではないか?」と(注89)で述べていますが、実は、第12章の(注31)で指摘した文脈 「ダーウィンは、その画期的な著書『種の起源』において、動植物の自然的器官にかんしてこう言っている・・」 と連続して読むことによって、ダーウィンとマルクスとの関連が初めて明らかになります。
 マルクスの「社会的生産有機体」(第1章第4節商品の物神的性格)は、第1章商品から第3章貨幣または商品流通へと「有機体-生態学」概念の適用範囲が拡大し、そして、社会的分業の進展を通じてー第12章、第13章ー人間の社会生活全般が規制されているメカニズムとしてその概念(価値概念の内容)が明らかにされてゆきます。

 <コラム17>では、『資本論』に引用されている(注31)(注89)の道すじを、ダーウィン進化論の解明を通して探索してゆきます。「社会的生産有機体ー社会的人間の生産的器官」が、第3章商品と貨幣流通、第2節
商品の変態を通して「自然史と人類史」の結束点となり、さらに、「商品の物神的性格Der Fetischcharakter der Ware 」の「特殊の各社会組織の物質的基礎の形成史」を究明してゆくキーワードの役割を担っているのです。

        

      ・・・~  ・・・・~  ・・・・~


   ダーウィン進化論と 「分業とマニュファクチャ 」

 ◆目次
 第1章 ダーウィン進化論 -「自然淘汰」の概要 ・・・ 
21世紀に読む「種の起原」
 第2章 『種の起源』 第5章「変異の」法則 ・・・ 『資本論』 (注31)引用個所

 第3章 『資本論』 第12章 分業とマニュファクチャ (注31)の引用
 第4章 『資本論』 第13章 機械装置と大工業 
                   (
注89)自然的技術史と生産的器官の形成史

 第5章 資本論入門3月号-2 ダーウィンからマルクスへ (2) 序論
    
『資本論』の形態学 W-G-W生態系 G-W-G´

   ・・・~  ・・・・~  ・・・・~  ・・・~  ・・・・~  ・・・・~

 

 

  第1章 ダーウィン進化論 -「自然淘汰」の概要

 

 -レズニック著  21世紀に読む「種の起原」 』 

    みすず書房 2015年発行


     -
「自然淘汰についての前置き」より

 
   ・・・ ダーウィン進化論からマルクスへ (2)・・・ 編集部まえがき
                *注:中見出し〔〕は、編集部による挿入


 ダーウィンは、ガラパゴス諸島で種分化が現在進行形の過程である情報を手に入れました。そして、著者のレズニックは、「自然淘汰と種分化」を切り離すことで、ダーウィン進化論の現代化を行っています。また、ガラパゴス諸島の20年有余という長期観察を行ったグラント夫妻を紹介しながら、自然淘汰の実相-フィンチの嘴-に迫っています。
(グラント夫妻の進化研究は、『フィンチの嘴』早川書房を参照して下さい)


 
 第1章 自然淘汰についての前置き (要約)
 
       21世紀に読む種の起原 第1章の要約・抄録 はこちら

1.  『起原』を理解しやすいものにする第一歩として私は、進化のメカニズムとしてダーウィンが提案する自然淘汰を、自然淘汰がもたらす帰結の一つと考えられる種分化から切り離すことにした。自然淘汰と種分化を切り離すことで明快になるのは、自然淘汰と、その結果として生じる進化が、かならずしも種分化を引き起こすとは限らないという点てある。

2. 進化についての理論を提唱したのはダーウィンがはじめてだったわけではない。彼の理論の卓抜さは、進化の原因として自然淘汰を提案したことであり、この点は、A・R・ウォレスも同じだった。したがって、ダーウィン説の正式な名称は「自然淘汰による進化の理論」なのである。本書で以後私はしばしば、それを簡略化して「ダーウィン説」と呼ぶつもりである。

3. ダーウィンが自然淘汰と種分化についての決定的な洞察の一部を得た場所であるガラパゴス諸島からまず始めよう。〔ガラパゴス諸島―ダーウィンは、種分化が現在進行形の過程である重要な情報を手に入れた
 ガラパゴス諸島は赤道をまたぎ、南アメリカ大陸から800~950km沖に位置する。これらの島は「大洋」島で、他の大陸塊と一度たりともつながっていたことがない。海の下から噴火してきた火山によってつくられたもので、発達して水面まで達し、それからさらに上昇して、生物のいない陸地となったのである。・・・

  〔
食べ物の違いは、フィンチの嘴(くちばし)の構造に反映されている

 この13種のフィンチ類は、「適応放散」、すなわち単一の祖先種が、多様な生態的ニッチを埋める一連の異なった種へと分岐を遂げて多様化していく現象の実例である。彼らの共通祖先は、すでに植物、昆虫、その他の生物は入植していたがほとんど鳥類がいない生息環境(ハビタットhabitat)にやってきた。島々は最初に入植した個体およびその子孫に、多様な、誰にも利用されていない食物源を提供した。フィンチ個体群がガラパゴス諸島全体に拡がるにつれ、それぞれ異なった種類の食物源と異なったタイプの生息環境を利用する別々の種へと分岐していった。食べ物の違いは、それぞれの種の嘴(くちばし)の構造に反映されている。地上性フィンチ類と総称されるグループの種は、種子を食べることに特殊化している。このグループの種は、現在では、種子を砕く能力に差のあるさまざまな大きさの嘴をもっている。短くて細い嘴は、機敏に小さな種子を拾い上げ、その殼を剥くのに適しているのに対して、長くて太い嘴は、大きくて堅い種子の殼を砕くことができる。その他の種は、その代わりに、樹上で暮らし昆虫を食べることや、あるいは、それ以外の生息環境と食物の組み合わせを利用することに特殊化した。

  〔
グラント夫妻による自然淘汰の詳細な証拠

4. 中型の地上性フィンチの一種であるガラパゴスフィンチは、ピーターとローズマリーのグラント夫妻とその仲間たちが大ダフネ島でおこなった研究のおかけで、自然淘汰研究の一つのお手本となった。この島およびガラパゴス諸島の他の島々は、進化研究にとってまことに優れた自然の実験室になっている。なぜなら、そこには大陸本土の種と近縁な少数の動植物の種しか生息していないので、すべての種の特徴を明らかにし、相互作用を研究するのが容易だからである。
 グラント夫妻らの目覚ましい長期的研究は自然淘汰の過程についての詳細な証拠を提供してくれている。彼らのきめ細かな方法論、研究地点の特質、および絶好のタイミングがあいまって、自然淘汰による進化が、目に見える過程へと姿を変えることになった。第一に、この島―海面から突き出した円錐形の火山で、先端部がへこんでいる―は、手頃な大きさで、鳥類がすむ生息環境はへこんだ火口の斜面と底面に集中していた。グラント夫妻らは、この島のほとんどすべてのフィンチ類を個体識別できるようになった。彼らは、目の細かい霞網で成鳥を捕獲し、個体ごとに翼や脚の長さなどのさまざまな身体計測値ならびに嘴の寸法を測って記録し、識別用の脚輪を付けた。


 グラント夫妻らの目覚ましい長期的研究は自然淘汰の過程についての詳細な証拠を提供してくれている。彼らのきめ細かな方法論、研究地点の特質、および絶好のタイミングがあいまって、自然淘汰による進化が、目に見える過程へと姿を変えることになった。第一に、この島―海面から突き出した円錐形の火山で、先端部がへこんでいる―は、手頃な大きさで、鳥類がすむ生息環境はへこんだ火口の斜面と底面に集中していた。グラント夫妻らは、この島のほとんどすべてのフィンチ類を個体識別できるようになった。彼らは、目の細かい霞網で成鳥を捕獲し、個体ごとに翼や脚の長さなどのさまざまな身体計測値ならびに嘴の寸法を測って記録し、識別用の脚輪を付けた。
 個々のフィンチ類のあいだには、体および嘴の形と大きさに関して、かなり大きな変異がある。嘴は短くて幅細で薄いものから、長く幅広で厚いものまである。これは、地上性フィンチ類の種間に見られるのと同質の変異であるが、ただし、この種内の個体間変異は、種間の変異よりも小さい。繁殖期間中は調査員が巣を訪ね、そこにいるヒナのすべてを計測し、標識をつけた。どれが親鳥であるかがわかっていたので、個々の親鳥が生き延びた子を何羽産んだかを知ることができた。親鳥とヒナの両方の身体計測をしたので、両者の類似の度合いを評価することもできた。子は親に似た外見をもつ傾向が見られた。

  〔
種子食物とフィンチ嘴の相関関係

5. グラント夫妻らは、食物の入手しやすさについても研究した。新鮮な種子のほとんどは、雨季につくられた。乾季になると鳥たちは「埋土種子」、すなわち土のなかに埋もれた種子を掘り出す。グラント夫妻は、この島の種子植物すべての目録をつくり、それぞれの種子のタイプを、堅さ、つまりそれを砕くのに要する力の大きさによって類別した。また定期的に土壌をふるいにかけて、どれだけの種類およびどのタイプの種子が利用できるかを調べた。さらに、個々のフィンチが異なる種類の種子をどれほど効率的に採取するかも定量化し、嘴の寸法の違いが採取能力の相違と相関していることを見つけた。

  〔
個体変異と、それが生き残りや繁殖におよぼす影響

6. 最後に、個体間に見られるこうした差異は、どの個体が生き延びて繁殖するか、どの個体が死んで繁殖に失敗するかに影響を与えることができる。フィンチ類では、干魅期における生死を分かつのは、結局のところ嘴の寸法と大きな種子を摂取できる能力の違いだった。人間にとっては生きることはそれほど厳しくはないので、人間の個体変異に生死を分かつような側面があると認識するのは難しいかもしれない。しかし自然の厳しさにさらされた生物にとっては、身の丈、形、色といった要素が、スピード、敏捷性、耐久性、あるいは背景に溶け込んで紛れる度合いに、大きな違いをつくりだすことができる。そのような変異は現実に生死を分かつ意味をもちうるのだ。

  〔
新種の起源や地球上の生命全史を含めた「広義の」進化をも説明できる

7. ダーウィンは、自然淘汰によって生命の起源を除く地球上の生命の全歴史を説明でき、それまで互いに無関係だと考えられていた多様な現象を解明することができると主張した。そうした他の現象としては、ダーウィン以前の時代に考案され、いまなお用いられている動植物の分類体系、化石記録、絶滅、異なる種に見られる個体発生あるいは解剖学的形態の類似性、種の地理的分布様式、などなどが含まれる。かくしてダーウィンは、適応を説明するために、過程の唯一性、すなわち単一のメカニズム―自然淘汰―を提唱したのだが、それは、新種の起源や地球上の生命全史を含めた「広義の」進化をも説明できるのである。

 


 第2章 『種の起源』(第6版抄録) 第5章 変異の法則 

      (  『資本論』第12章 (注31)引用個所 朝倉書店 2009年発行


  
   相関変異

 ここでいう相関変異とは、生物体全体がその成長と発達の間一つに連結していて、ある部分にわずかな変異が生じ、それが自然淘汰によって蓄積されると他の部分も変容することを意味するのである。それは非常に重要な問題で、極めて不完全にしか理解されてなく、また疑いなく完全に異なった部類の事実がこれと混同され易い。我々はすぐ次に、単純な遺伝が往々相関の疑似的様相を呈することを見るであろう。これの最も明瞭な事例の一つは、子すなわち幼体に生じる構造の変異が成熟した動物の構造に自然に影響する傾向のあることである。身体の幾つかの部分は相同的であり、胚期の初めは全く同じ構造であり、そして必然的に同じ状態におかれており、同じように変異しようとする顕著な傾向をもつように見える。我々はこれを、同じように変異する身体の左右両側に、前肢と後肢に、また共に変異してゆく顎と肢にも見る。というのは、下顎はある解剖学者達によって肢と相同のものと信じられているからである。私はこれらの傾向が多少とも完全に自然淘汰によって支配されていることを疑わない。例えば片側だけに枝角をもった雄鹿の一科がかつて存在していたとし、そしてもしこれがその品種にとって何らか有用であったならば、おそらくは淘汰によって永久的なものとされたであろう。
 ・・・中略・・・


   
多様に使用し、未発達で、下等な有機構造は変異し易い

 イジドール・ジォフロワ・サンティレールが述べたように、変種と種の双方において、ある部分または器官が同じ個体の中で(蛇における脊椎骨および多雄蕊花の雄蕊のように)何度もくり返されているときには、その数は変異し易く、これは一つの規則のように見える。それに対して同じ部分または器官の数が多いときには数は一定である。同氏はまた何人かの植物学者達と同様に、多様に使用される部分は構造が極めて変異し易いことを述べている。オウエン教授の表現する『成長の反復』は生物体が下等であることのしるしであるから、上述のことは、自然の序列で下位にある生物は上位にある生物よりも一層変異し易いという博物学者の共通な考えと一致するのである。ここでいう下等とは、生物体の幾つかの部分が、特別な機能のための特殊化をほとんど示していないことを意味するものと私は推定している。
そして同じ部分が多様な仕事を果たさなければならない限り、我々はおそらく、それがなぜ変異し易いままで残っているのか、すなわち、自然淘汰が形態のそれぞれの小さな偏向を、その部分が一つの特殊な目的のために仕えなければならないときのように注意深く保存または排除しなかった理由を理解することができるであろう。
これは、
あらゆる種類の物を切らなければならないナイフはほとんどどんな形でもよいが、ある特別な目的のための道具はある特別な形をしていなければならないのと同じことである。 〔『資本論』第12章注31
自然淘汰は全く各生物の利益を通じ、また利益のためにのみ作用できるものであることを忘れてはならない。 一般に認められているように、未発達な部分は極めで変異し易い。この主題については再び述べなければならないが、ここでは、それらの変異は無用であり、従って自然淘汰がそれらの構造における偏向を抑制する力をもたなかったことの結果であると思われることのみを附言しておく。


  第3章 『資本論』 (注31)の引用

    
第12章 分業とマニュファクチャ 第2節 部分労働者とその道具

             ~第3章 『資本論』 (注31)の引用~

   
・・・・ダーウィンは、その画期的な著書『種の起源』において、動植物の自然的器官にかんしてこう言っている。・・・・自然淘汰は、同じ器官が・・・たとえば、種々のものを切るためのナイフは、大体においてほぼ一様の形態のものであってよいが、一種の用途にのみ向けられた道具は、すべての他の用途のためには、また別の形態をとらねばならない。・・・・


 
労働の生産性は、労働者の技倆に依存するのみではなく、彼の道具の完全さにも依存する。切る道具、穴をおける道具、押す道具、打つ道具等のような同種の道具が、種々の異なる労働過程で使用され、また同じ労働過程でも、同じ道具が種々の作業に役立つ。しかし、一労働過程の種々の作業が互いに分離され、また部分労働者の行なう各部分作業が、できるかぎり適当な、したがって専属的な形態をとるに至れば、従来は種々の目的に用いられた道具の変化が、必要となる。その形態変化の方向は、もとのままの形態がひき起こす、特殊の困難の経験から出てくる。労働用具の分化、それによって同種の諸道具が、特殊の各用途のための特殊の固定形態を、受取るのであり、労働用具の特殊化、それによっておのおののかような特殊用具が、特殊の部分労働者の手によってのみ完全な力量で作用するようになるのであるが、この二つのものが工場手工業を特徴づける。バーミンガムだけでも約500種のハンマーが生産され、そのおのおのが、特殊の一生産過程にのみ役立つというだけではなく、いくつかの変種は、往々もっぱら同一過程内の異なる諸作業にのみ役立つ。工場手工業時代は、部分労働者の専属的特殊機能に、労働用具を適応させることによって、この用具を単純化し、改良し、多種類にする(注31)。これによって同時に、この時代は、単純な諸道具の結合から成り立つ、機械装置の物質的諸条件を創り出す。

  
(注 31) ダーウィンは、その画期的な著書『種の起源』において、動植物の自然的器官にかんしてこう言っている。
 「同一の器官が、種々の働きをなさればならないあいだは、その可変性の一原因は、おそらく次のことに見出されるであろう.すなわち.自然淘汰は、同じ器官が一つの特殊目的だけに向けられてあるばあいほどの周到さをもってしないで、一々の形態上の小変異を保存したり、抑圧したりする、ということに。 たとえば、種々のものを切るためのナイフは、大体においてほぼ一様の形態のものであってよいが、一種の用途にのみ向けられた道具は、すべての他の用途のためには、また別の形態をとらねばならない。」 
( 『種の起源』初版、第5章「変異の法則」 岩波文庫・上巻、p.196-197 )



 第4章 『資本論』 (注89)の引用 

     
第13章 機械装置と大工業 

                ~第4章 『資本論』 (注89)の引用~
                   
    
第1節 機械装置の発達 (注89) 「自然的技術史と生産的器官の形成史


  ・・・・ ダーウィンは、自然的技術の歴史に、すなわち、動植物の生活のための生産用具としての動植物器官の形成に、関心を向けさせた。社会的人間の生産的器官の形成史、特殊の各社会組織の物質的基礎の形成史も、同じ注意に値するのではないか? ・・・・

1. 生産様式の変革は、工場手工業にあっては労働力を、大工業にあっては、労働手段を出発点とする。したがって、まず第一に研究すべきは、何によって労働手段は、道具から機械に転化されるか、あるいは、何によって機械は、手工用具から区別されるか、ということである。・・・
 数学者や機械学者は、―またイギリスの経済学者もしばしば言っていることだが―道具を、単純な機械だとし、機械を、組合わされた道具だとしている。彼らは、そこに何らの本質的な差異をも認めず、また、槓桿(梃子・てこ)、斜面、螺旋、楔などのような簡単な機械的力能をさえ、機械と名づけている。実際にすべての機械は、いかに装われ、組合わされていても、かの簡単な諸力能から成っている。しかし、経済学的立揚からは、この説明は何の役にも立たない。それには歴史的要素が欠けているからである。他方では、道具にあっては人間が動力であり、機械にあっては、動物、水、風などのような人間力とは異なる自然力が動力であるということに、道具と機械との区別が求められる。この見解にしたがえば、きわめて種々の生産時代に見られる牛の牽く犂は機械であり、ただ一人の労働者の手で動かされながら一分間に9万6000の目を織るクローセン式回転織機は、単なる道具である、ということになるだろう。それどころでない、同じ織機が、手で動かされるばあいには道具で、蒸気で動かされるばあいには機械であるということになるであろう。動物力の応用は人類の最古の発明の一つであるから、実際上は機械生産が手工生産に先行するということになるだろう。1735年に、ジョン・ワイアットが、彼の紡績機械と、それをもって18世紀の産業革命とを告知したとき、彼は、人間のかわりにロバがこの機械を運転する、と言ったのではなかったが、それにもかかわらず、この役割は驢馬のものとなった。「指を使わずに紡ぐための」機械というのが、彼のもくろみだったのである。
(注89)


 (注89) 
すでに彼より前に、非常に不完全なものではあったが、剪紡機が、おそらく最初はイタリアで、使用された。批判的な技術史があれば、18世紀のいかなる発明も、一個人に属することのいかに少ないかを、一様に証明するであろう。このような著作はまだ存在しない。
 ダーウィンは、自然的技術の歴史に、すなわち、動植物の生活のための生産用具としての動植物器官の形成に、関心を向けさせた。
社会的人間の生産的器官の形成史、特殊の各社会組織の物質的基礎の形成史も、同じ注意に値するのではないか?しかも、それはより容易に提供されるものではないか? ヴィコも言っているように、人類史が自然史と区別されるのは、前者はわれわれが作ったのであり、後者はそうではない、ということによるのだからである。技術学は、自然にたいする人間の能動的な態度を、彼の生活の直接的生産過程を、それとともに、また彼の社会的生活諸関係およびそれから生ずる精神的諸表象の直接的生産過程を明らかにする。宗教史といえども、この物質的基礎から抽象されたものは―批判的とはいえない。実際に、分析によって、宗教的幻像の地上的核心を見出すことは、その逆に、その時々の現実的生活諸関係から、その天上化された諸形態を展開することよりも、はるかに容易である。後者が、唯一の唯物論的な、したがってまた、科学的な方法である。歴史的過程を排除する抽象的自然科学的唯物論の欠陥は、その主唱者たちが、自己の専門外に出たときに示す、抽象的で観念論的な諸観念からも、すでに看取される。
   ・・・~ ・・・~

2. すべての発達した機械装置は、三つの本質的に異なる部分から成る。動力機、配力機構、最後に道具機、または作業機がそれである。動力機、配力機構のこの両部分は、道具機が労働対象を捉えて、これを目的に合致するように変化させうるように、道具機に、運動を伝えるためにのみ存在する。機械装置のこの部分、道具機こそ、18世紀の産業革命がそこから出発するものである。
(14-15) まず道具が、人体の道具から一つの機械的装置の道具に、道具機の道具に転化されたのちに、いまや動力機もまた、人間力の制限から完全に開放された独立の形態を受取った。それとともに、これまで考察してきたような個々の道具機は、機械による生産の単なる一要素に転落する。いまや一つの動力機が、多くの作業機を同時に動かしうるようになった。同時に動かされる作業機の数が増すにしたがって、動力機も大きくなり、また配力機構は巨大な装置に膨張する。

3. 本来の機械体系が個々の独立の機械に代わって初めて現われるのは、種類を異にするが、たがいに補足しあう一連鎖をなした道具機によって行なわれる、一系列の相関連する種々の段階過程を、労働対象が通過するばあいである。ここでは、工場手工業に特有な分業による協業が、再現するのであるが、しかし今では、部分作業機の組合せとしてである。 おのおのの部分機械は、次につづく部分機械に、その原料を供給するのであるが、またそれらは、すべて同時に働くのであるから、生産物は、絶えずその形成過程の種々の段階の上にあるとともに、一つの生産過程から、他の生産段階に移りつつあるのである。工場手工業において、部分労働者の直接的協業が、種々の特別の労働者群のあいだの、一定の比率をつくり出すのと同様に、組織された機械体系においては、部分機械相互の不断の協働が、それらの数、それらの大きさ、およびそれらの速度のあいだに、一定の比例関係をつくり出す。
 工場手工業においては、各特殊過程の分立が、分業そのものによって与えられた原理であるとすれば、これに反して、発達した工場においては、諸特殊過程の連続が支配する。

4.  配力機装置を介してのみ、中心的な自動装置から、それぞれの運動を受取る諸作業機の組織された体系となれば、機械経営はそのもっとも発達した態容をもつことになる。ここでは個々の機械にかわって、一つの機械的怪物が現われ、その体躯は、工場の建物をいっぱいに充たし、そしてその悪魔的な力は、初めは、その巨肢の荘重ともいうべき整った運動によって、隠されているが、その無数の本来の作業器官の熱病的な狂騒旋舞において爆発する。

5. 一産業部門における生産様式の変革は、他の部門における変革をひき起こす。このことが、直ちにあてはまる産業部門は、社会的分業によって分立していてそのおのおのが独立の商品を生産してはいるが、しかしなお、一つの総過程の段階として、絡み合っているような諸部門である。たとえば、機械紡績業は、機械織物業を必要ならしめ、両者はともに漂白業、捺染業、染色業における機械的・化学的革命を必要ならしめた。
また他方では、綿紡績業における革命が、綿実から綿繊維を分離するための繰綿機の発明を促し、これによって初めて、今日必要とされる大規模木綿生産が可能となった。またことに、工業および農業の生産様式における革命は、社会的生産過程の一般的条件、すなわち交通運輸機関における革命をも必要ならしめた。

6.  かくして、大工業は、その特徴的な生産手段である機械そのものを、自己の支配下に置き、機械によって機械を生産せざるをえなかった。かくて初めて、大工業はそれに適合する技術的基礎を創出して、自分自身の足で立ったのである。19世紀の最初の数十年間における機械経営の増大とともに、機械装置は、実際に道具機の製造を、次第に支配するにいたった。とはいえ、大規模な鉄道建設と汽船の大洋航行とが、原動機の製造に使用される巨大な機械を出現させたのは、ようやく最近数十年間のことだった。

7.  労働手段が機械装置として受取る物的存在様式は、自然力をもって人間力に代え、自然科学の意識的応用をもって経験的熟練に代えることを必然にする。工場手工業においては、社会的労働過程の構成は純主観的であり、部分労働者の組合せである。機械体系において大工業は、労働者にたいして、既成の物的生産条件として存在する、一つの全く客観的な生産有機体をもつことになる。単純な協業においては、また分業によって分化された協業においてさえも、社会化された労働者による個別的労働者の駆逐は、なお多かれ少なかれ偶然的なものとして現われる。機械装置は、後で述べる若干の例外を除いては、直接に社会化された労働、すなわち、共同的な労働によってのみ機能する。かくていまや、労働過程の協業的性格は、労働手段そのものの性質によって命ぜられた技術的必然性となる。


  第5章 資本論入門3月号-2 ダーウィンからマルクスへ (2) 序論

     ~ 『資本論』の形態学 W-G-W と 生態系 G-W-G´ ~


  編集部 まえがき

  私たちは第1章,2章で、ダーウィン進化論の「フィンチの嘴」を通して、「自然淘汰」の実相を観察してきました。第3章,4章では、「社会的人間の生産的器官の形成史、特殊の各社会組織の物質的基礎の形成史も、同じ注意に値するのではないか?」というマルクスの指摘に対して、「社会的分業の進展からマニュファクチャと機械装置の発達」を探索しました。これらの準備作業から、ダーウィン「自然的技術史マルクスの「生産的器官の形成史を比較検討するための土台を構築することができました。
 第5章の「ダーウィンからマルクスへ(2)序論」は、ダーウィン進化論「動植物器官の形成」と『資本論』第12,13章の「社会的人間の生産的器官の形成」を踏まえて、「『資本論』の形態学 W-G-W と 生態系 G-W-G´」登山コースの入り口へと向かいます。
 マルクスは、第1版序文、フランス語版序文・後書そして第2版後書で、『資本論』の「方法」に関して要約を行っています。これは、1857-58年の
経済学批判の要綱」(「3 経済学の方法」別紙参照)、59年の経済学批判序文(唯物史観の声明)などと一緒にマルクスの科学的指針として読者に提供されています。したがって、私たちはこの道標から山岳探検を開始してゆきます。



  第1章 『資本論』の序文について


  1.
 経済の細胞形態について
 「 でき上がった生体を研究するのは、生体細胞を研究するよりやさしいからである。そのうえに、経済的諸形態の分析では、顕微鏡も化学的試薬も用いるわけにはいかぬ。抽象力なるものがこの両者に代わらなければならぬ。しかしながら、ブルジョア社会にとっては、労働生産物の商品形態または商品の価値形態は、経済の細胞形態である。」(第1版)
 「 すなわち、私が用いた分析の方法は、まだ経済上の問題に適用されたことのなかったものであって、初めての諸章を読むのはかなりむずかしいのです。」(フランス語版)

 2.  弁証法的方法について―『資本論』第2版の後書で、マルクスは自らの弁証法的方法を説明しています。 
 「かの筆者(I・I・カウフマン)は私の方法の唯物論的基礎を論じた『経済学批判』の序文から引用をなしたあとで、こう続けている。―
  「マルクスにとっては、ただ一つのことだけが重要である。すなわち彼が研究に従事している諸現象の法則を発見すること、これである。そして彼には、これらの現象が完成した形態をとり、与えられた期間に観察されるような一つの関連に立っているかぎり、これを支配する法則が重要であるばかりでない。彼にとっては、なおとくに、その変化、その発展の法則、すなわち一つの形態から他のそれへの移行、関連の一定の秩序から他のそれへの移行ということが、重要なのである。ひとたび彼がこの法則を発見したとなると、彼は詳細に諸結果を研究する。法則はこの結果となって、社会生活の中に現れるのである。・・・
マルクスは、社会の運動を自然史的過程〔naturgeschichtlichen Prozeß:自然の歴史過程〕として考察する。・・・ あらゆる歴史時代はその固有の法則をもっている。・・・人の世は、与えられた発展期間を生き終わり、ある与えられた段階から他のそれに移行すると、また他の諸法則によって支配されはじめる。要するに、経済生活は、われわれにとって、生物学の他の諸領域における発展史に似た現象を示す。・・・現象をより深く分析してみると、社会的有機体〔soziale Organismen〕は、お互いに、植物有機体や動物有機体〔Pflanzen-und Tierorganismen〕のちがいと同様に、根本的にちがっているということが証明された。・・・ 否、一つの同じ現象が、全くちがった諸法則の支配に服するのであって、それは、かの有機体の全構造がちがっている結果であり、またその個々の器官のちがい、さらにそれらの諸器官の機能する諸条件がちがっている結果なのである、等々。・・・・・・中略・・・」
 
  3. マルクスは、ヘーゲルとの関係についても述べています。 
「 私の弁証法的方法は、その根本において、ヘーゲルの方法とちがっているのみならず、その正反対である。・・・しかし、ちょうど私が『資本論』第1巻の述作をつづけていた時には、いま教養あるドイツで大言壮語しているあの厭わしい不遜な凡庸の亜流が、誇り顔に、レッシングの時代に勇ましいモーゼス・メンデルスゾーンがかのスピノザを取り扱ったようにすなわち、「死せる犬」として、ヘーゲルを取り扱っていた。したがって私は、公然と、かの偉大な思想家の弟子であることを告白した。そして
価値理論にかんする章の諸所で、ヘーゲルに特有の表現法を取ってみたりした。」

 特に注目されることは、「価値理論にかんする章の諸所で、ヘーゲルに特有の表現法を取ってみたりした」と、言明していることです。ですから『資本論』は、「ヘーゲルとの関係を抜きにして語ることができない」のです。
 さて、ヘーゲルの著作は膨大な「全集」となって受け継がれていますので、私たちはこのうちから『資本論』に取り入れられた「ヘーゲルに特有の表現法」を研究しなければなりません。


  4.
 ヘーゲル哲学から『資本論』の方法論へ

 ヘーゲルは、生前に4つの作品を出版しています。
 Ⅰ. 精神現象学、 Ⅱ. 大論理学、 Ⅲ. エンチュクロペディ(哲学体系の百科事典) 、 Ⅳ. 法の哲学(要綱)
 これら以外に、ヘーゲルの講義を受けた教え子たちのノートをもとに、没後に出版された講義集があります。美学、歴史哲学、哲学史、宗教哲学などです。

 これらの著作集のうち、私たちは
エンチュクロペディと論理学関係のジャンルを特に注目しています。(他に「法の哲学」があります。)
 現在の課題ー『資本論』の社会的有機体との関連で言えば、
第一にエンチュクロペディの「自然哲学」です。次に(3経済学の方法)との関連もある「論理学」(大論理学を含む)となります。


  5.
 ゲーテ・ヘーゲル・ダーウィンに連なる「形態学」と「生態系」について
 私たちは、次回『資本論』入門4月号-1から、第3章貨幣または商品流通を探究してゆきます。『資本論』の形態学 W-G-W と 生態系 G-W-G´」という全く新しい次元(ヘーゲル流で言うと、止揚・Aufheben アウフヘーベン)と総括的な観点から登山隊の探検です。なぜならば、ヘーゲルに特有の表現法」の背景には、ゲーテ形態学が隠されています。さらに、西洋の科学史では、ヘーゲル「自然哲学」はダーウィン進化論に収れんされてゆきます。『資本論』の世界は、「ゲーテ・ヘーゲル・ダーウィン」の山岳地帯を後背地にもつ、すそ野の広大な「資本論ワールド」が形成されているからです。
・・・・以上で、次は資本論入門4月号に続きます・・・・

    なお、形態学」、「生態学」、「生態系」の用語解説はこちらで検索してください。・・・・