「心の進化と脳科学」(1)4月号 2017.04.16
猿が人間化するにあたっての労働の役割
フリードリッヒ・エンゲルス 『自然の弁証法』 より
■ 編集部 まえがき
「猿が人間化するにあたっての労働の役割」は、1876年に執筆されています。エンゲルスは、「労働が人間そのものを創造した」と主張して、ヒトから人間へ進化してゆく過程での「労働」が果たした役割を分析しました。それから150年後の現在、21世紀の最新科学である「心と脳科学」が明らかにした成果―「労働と道具」が人間化に果たした働き・機能―も探訪しながら、古典をふり返ってみましょう。
なお、2007年、理化学研究所脳科学総合研究センターから『脳研究の最前線』が刊行されました。最新脳科学への探訪として、入來篤史著「第3章知性の起源―未来を創る手と脳のしくみ」を併せてご案内します。
エンゲルスとの比較検討によって、より深い人間社会の理解が得られるものと期待しています。
猿が人間化するにあたっての労働の役割
目次 ・・・・この「■中見出し」は編集部の作成による
1. 労働が人間そのものを創造した
2. 直立二足歩行
3. 労働は手を創造し、手は労働の器官
4. 手の進化と労働の協業化
5. 言語は労働のなかから、労働とともに生まれた
6. 脳の持続的発達
7. 人間社会の誕生と労働―道具の製作
・・・・本来の労働は道具の製作から始まる
8. 肉食から火の使用と動物の飼育へ
9. 頭脳の発達と宗教・観念論世界観の成立
■ 労働が人間そのものを創造した
労働はあらゆる富の源泉である、と経済学者たちは言っている。自然が労働に材料を提供し、労働がこれを富に変えるのであるが、その自然とならんで――労働は富の源泉である。しかしそれだけにとどまらず、労働はなお限りなくそれ以上のものである。労働は人間生活全体の第一の基本条件であり、しかもある意味では、労働が人間そのものをも創造したのだ、と言わなければならないほどに基本的な条件なのである。何十万年かまえ、地質学者たちが第三紀とよんでいる地質時代のまだはっきりとは確定されていないある期間に、おそらくは第三紀の終わりごろと思われるが、熱帯のどこかに――たぶんいまはインド洋の底に沈んでしまったある大きな大陸の上に――とくべつ高度の進化をとげたヒトニザルの一種が棲んでいた。
ダーウィンはこのわれわれの祖先たちについてその概略をわれわれに記述してくれた。彼らは全身毛でおおわれ、ひげやとがった耳をもち、群れをなして樹上に生活していた。
■ 直立二足歩行
木のぼりのさい手には足とは別の仕事を受けもたせるのがこれらの猿の生活様式であったが、はじめはおそらくそうした生活様式がきっかけとなって、彼らは平地の上では歩行のさいに手の助けをかりるという習性をなくしはじめ、ますます直立度の高い歩行をとりいれはじめた。猿から人間への移行にとっての決定的な一歩はこれによってふみだされたのである。今日なお生存しているヒトニザルはすべて直立することができ、また二足だけで動きまわることもできる。しかしそれは応急策としてだけのことであって、しかもきわめておぼつかなげである。彼らの自然の歩行は半直立の姿勢でおこなわれるもので、手の使用ということもまたその歩行の一部なのである。たいていのものはこぶしの関節を大地について、足は後退させたまま身体を長い両腕のあいだでゆすりながら、ちょうど松葉杖にすがるびっこの人のように歩いている。とにかく猿にあっては、四足全部でする歩行から二足だけの歩行まで、歩行のあらゆる推移の段階がいまなお観察されている。しかしそれらのどれ一つをとってみても、二足歩行が応急策以上にでているものはないのである。
われわれの毛ぶかい祖先たちのあいだでこの直立歩行がまず日常化し、時とともにしだいに欠くことのできない
ものになってゆくはずだったとすれば、そのことはその間にますます別途の諸活動が手に受けもたされるようになったということを前提としている。猿のあいだでも、手と足とのある程度の使いわけはひろくおこなわれている。既述のとおり、手は木のぼりのときには足とは別の仕方で使われる。手はとりわけ食物を摘みとったり固持したりするのに用いられるが、これはもっと下等の哺乳動物がすでに前肢を用いてやっていることである。手を用いることによって、猿の多くは樹間に巣をつくり、あるいはチンパンジーのように風雨を防ぐために枝々のあいだに屋根までもつくりあげる。手を用いることによって、彼らは敵から身を守るための棒をにぎり、あるいは敵に木の実や石を投げつける。手を用いることによって、彼らは檻の中にあるときは人間を見習った数々の簡単な作業をやってのける。しかしまさにこの局面で、人間に最もよく似た猿にあってさえ、そうした猿の未発達の手が、何十万年かの労働によって高度にきたえあげられた人間の手とどれほど大きくかけはなれているかが明らかになってくる。骨や筋肉の数と全般的な配列の仕方は両者で一致している。
しかし最もおくれた未開人の手でさえ、猿の手ではとうていまねのできない幾百もの作業をおこなうことができる。どのような猿の手も、もっとも粗雑な石刀をさえいまだかつて作製したためしはなかったのである。
■ 労働は手を創造し、手は労働の器官
猿から人間への移行の数千年間に、われわれの祖先たちは徐々に自分たちの手をさまざまな作業に適応させることを習得していったが、そうした作業は、したがってはじめはごく簡単なものでしかありえなかった。最もおくれた未開人でも、いやそれどころか肉体的退化をも同時にともないながらより動物に近い状態にまで逆もどりをしたと推定されるような未開人でさえ、移行中のこのような過渡的生物にくらべれば、なおあいかわらずずっと上位にあるのである。
最初の燧石〔すいせき:Kiesel,石器の材料〕・注:ウィキペディア参照(要注意)〕が人間の手によって小刀に加工されるまでには、われわれの知る歴史的時間などはそれにくらべればまるで無意味と見えるほどの巨大な時間があるいは経過していたのかもしれない。 しかし決定的な一歩はもうふみだされていた。すなわち手が自由になっていたのであって、手はいまやますます新しい技能を獲得することができるようになった。そしてこうして獲得されたより大きな柔軟性は世代から世代へと遺伝的に受けつがれ、そしてますます大きなものとなっていった。
こうして手は労働の器官であるばかりか、手は労働がつくりだした産物でもある。労働によって、またつぎつぎに新しくなってゆく諸作業への適応をつうじて、またそれによって獲得された筋肉や靭帯の特異的発達、いやもっと長年月をかければ骨にまで及ぶ特異的な発達を遺伝的に伝えることによって、そして遺伝的に受けついだこのような精巧さをますます複雑化してゆく新しい作業にたえずあらためて適用してゆくことによって、そうしたいっさいをつうじてのみ、人間の手はラファエロの絵画、トルヴァルセンの彫刻、バガニーニの音楽を魔法の杖さながらに世に生みだしうるあの高度の完成をかち得たのである。
しかし手は手だけでひとりだちしているものではなかった。それはきわめて高度の構成をもつ生物という全体の一分肢でしかなかった。手にとって利益になった事柄は、手がその労働によって奉仕してきた身体全体にとってもまた利益になった、――しかもそれは二とおりの仕方で。
まず第一には、ダーウィンのいう生長の相関の法則の結果として。この法則によれば、生物の身体の個々の部分がもつ特定の形態は、一見それとはなんの関係もないように見える他の部分がもつ若干の形態とつねに結びついている。こうして細胞核を欠く赤血球をもち、後頭骨が二つの関節部位(関節丘)によって第一脊椎骨と結合しているすべての動物は、例外なく乳児に哺乳するための乳腺をもっている。哺乳動物では、割れた蹄はきまって反芻のための複胃と関係がある。特定の形態に変化が起こると、それらの変化は身体の他の部分の形態の変化をもまねき、その関連がわれわれには説明できないこともある。青い眼をした真白な猫はかならず、あるいはかならずといってよいほど、つんぼである。人間の手がしだいに精巧なものとなり、それと歩調を合わせて足が直立歩行に適するように発達していったとすれば、そのことは疑いもなくそうした相関をつうじて身体の他の諸部分に反作用したはずである。しかしこのような作用はまだあまりにも研究されていないので、われわれはここではこれを一般的に確認する以上にでることはできない。
■ 手の進化と労働の協業化
それよりもはるかに重要なのは、手の進化が身体の他の部分に及ぼした直接の、証明できる反作用である。すでに述べたように、猿に似たわれわれの祖先は集団的な動物だった。だから動物のうちでも最も集団的な動物である人間を、集団性をもたないなんらかの直接的祖先から由来するものと考えることは明らかに不可能なことである。手の発達に始まり、労働に始まる自然にたいする支配は、新しい前進のたびごとに、人間の視野を拡大していった。
自然物については、人間は新しい、これまで知られていなかった特性をたえず発見していった。しかしその反面、労働の発達は必然的に社会の諸成員をたがいにいっそう緊密に結びつけることに寄与した。すなわち労働の発達によって相互の援助、共同でおこなう協働の機会はより頻繁になり、社会成員各個にとってのこのような協働の効用の意識はいよいよはっきりとしてきたからである。要するに、生成しつつあった人間は、たがいになにかを話しあわなければならないところまできたのである。欲求はそのための器官をつくりだした。
すなわち猿の未発達な咽頭は、音調を変化させることでいっそう音調変化を向上させることにより、ゆっくり、だが確実に改造されてゆき、口の諸器官は区切られた音節を一音ずつつぎつぎと発音することをしだいに習得していった。
■ 言語は労働のなかから、労働とともに生まれた
言語が労働のなかから、また労働とともに生まれたのだとするこの説明が唯一の正しい説明であることは、動物との比較によって証明される。動物では、最も進化した動物にあってさえも、たがいに伝えあわなければならないことはごくわずかで、音節をもつ言語がなくとも彼らはこれを伝えあうことができる。自然のままの状態では、どんな動物も、自分が話せないとか人間の言語が理解できないことを欠陥だとは感じない。人間に飼いならされると、事情は一変する。
犬や馬は、人間の仲間にはいっているうちに、音節のある言語にたいしてすばらしくよい耳をもつようになり、そのため彼らは、彼らの考えの及ぶかぎりでなら、どんなことばをも容易に理解するようになる。彼らはさらに人間への愛着とか感謝の念などといった、それまで彼らにはなかった感覚能力をも獲得した。そしてだれでもこうした動物たちをしょっちゅう取り扱っていると、話す能力を欠いていることを動物たち自身がいまでは欠陥と感じとっている場合もたしかにあるのだという確信が生じてくるのをおさええないであろうが、ただしあまりにも特定の方向にだけ特殊化してしまった彼らの発声器官では、残念ながらもうこの欠陥から逃がれだす助けにはなりえないのである。しかし発声器官があれば、この話せないということもある程度までは解消する。鳥の口腔器官はたしかに人間のそれとはこのうえなく異なっているが、それでも鳥は話すことをおぼえる唯一の動物である。そしていちばんいやな声の持主であるオウムがいちばんよくしゃべる。
オウムには自分のしゃべっていることがわからない、などといってはいけない。もちろん、オウムはしゃべるたのしみや人間のお仲間になるというたのしみだけから、何時間でも自分の語彙のありったけをペチャペチャと繰りかえしているということはあるだろう。しかしオウムはオウムの考えの及ぶかぎりで、自分がなにをしゃべっているかを理解することをも習得できるのである。オウムに悪口を教えこんで、オウム自身にその意味の見当がつけられるようにしこんでみたまえ(これは熱帯地方から帰航してくる船員たちのなによりのたのしみなのである)。そしてオウムをからかえば、オウムは自分の知っている悪口をベルリンの野菜売り女と同じくらい正しく使うすべを知っていることがすぐにわかるだろう。好物をねだるような場合も同様である。
■ 脳の持続的発達
はじめに労働、その後に、そしてこんどは労働とともに言語――この二つが最も本質的な推進力となって、猿の脳はその影響のもとに、猿のものと瓜二つではあってもそれよりはずっと大きく、ずっと完全な人間の脳へとしだいに移行していった。ところが、脳の持続的発達と手をたずさえて、こんどは脳の最も直接的な道具である感覚諸器官の持続的な発達が生じた。ちょうど言語の漸進的発達には必然的にその発達に見合うだけの聴覚器官の改良がともなうように、脳全般の発達には感覚器官全部のそれがともなう。ワシは人間よりもずっと遠くが見えるが、しかし人間の眼は同じ事物を見てもワシの眼よりもずっと多くのことを見ている。犬には人間のものよりもずっと鋭敏な鼻がある。しかし匂いは人間にとってはさまざまの物のきまった標識となっているのに、それらの匂いの百分の一をも犬はかぎわけてはいない。
そして触覚についていえば、それはごく未発達の、できはじめの形のものとしてでも猿にはないのであって、ただ人間の手そのものをまってはじめて、労働をつうじてはじめて、形成されたものなのである。
脳とそれに隷属している諸感覚の発達、ますます明晰さを増していった意識と抽象および推理の能力の発達は、労働と言語とにこんどは反作用して、この両者にたえず新しい刺激をあたえてそれらのよりいっそうの発達をうながした。そしてこの場合の両者の発達は、人間が最終的に猿から分かれてしまえば、それで終りを告げるといったたぐいのものではなかった。その発達はその後も、民族や時代の違いによってその度合や方向は違っていたにしても、またときには局地的、一時的な退行によって中断されたことさえあったが、全体としては力づよくすすんでいった。そしてこの発達を一方では強力に推進し、他方では特定の方向に方向づけていったものは、できあがった人間の登場とともに新たにくわわってきた一要素――社会であった。
■ 人間社会の誕生と労働―道具の製作
・・・・本来の労働は道具の製作から始まる
木のぼりをする猿の群れから人間社会が生まれてくるまでには、数十万年――それは地球の歴史のなかでは人間の生涯における一秒以上のものではない――が経過したことは確かである。しかしついに人間の社会が誕生した。そして猿の群れと人間社会とを分かつきわだった区別としてわれわれが再度そこに見出すものはなんであろうか?労働である。猿の群れは、地理的状況や隣りの群れの抵抗によって自分たちに割り当てられた食糧採集域を喰いつくすことで満足していた。新しい食糧採集域を得るために、群れは移住や闘争をくわだてた。しかし群れは、その食糧採集域を自分たちの排泄物で無意識的に施肥するほかには、自然のままのその食糧採集域が彼らに提供してくれる以上のものをそこから引きだす能力はなかった。ありとあらゆる食糧採集域が占拠されてしまえば、もはや猿の個体数の増加は起こりえず、この動物の数は同じ水準を維持するのがせいぜいであった。ところがどんな動物にあっても食糧の浪費はすべて高い程度で起こっており、またそれとならんで次代の食糧をその芽のうちに滅ぼしてしまうということが起っている。
狼は猟師と違って、翌年には子どもを生んでくれるはずの雌鹿を見のがすようなことはしない。ギリシアの山羊は、若い潅木が成長しきらないうちに喰いつくすことで、この国の山々をすっかり丸坊主にしてしまった。動物のこのような「とりつくし」は種がしだいに進化してゆくうえでは重要な役割を演じている。というのは、それはその動物がいままで喰べなれた食物以外の食物に適応することを余儀なくさせ、その動物の血液はそれによってこれまでとは違った化学的組成をもつようになり、体質全体がしだいに別のものに変わり、その反面ではいったん固定化されてしまった種は死滅することになるからである。われわれの祖先が人間化するうえでこのようなとりつくしが大きく寄与したことは疑いない。知能と適応能力とにおいて他のすべての猿の種族をはるかに抜いているある種族の猿にあっては、こうしたやり方は当然次のような結果にまでゆきつくはずであった。それは、食用植物の種類がますますふえ、食用植物のうち食用になる部分がますます喰べつくされていったということであり、要するに食物がますます多様となり、またそれとともに体内に摂取される物質、つまり猿が人間化するための化学的諸条件がますます多様になっていったということである。
しかしこうしたいっさいもまだ本来の労働ではなかった。労働は道具の製作から始まる。
それではわれわれがぶつかる最古の道具とはいったいなんであろうか?つまりこれまでに発見されている有史以前の人間の遺物や、最古の歴史時代の民族と最も原始的な今日の未開民族との生活様式などから判断して、いちばん古い道具とはなんであろうか?それは狩猟と漁撈の道具であり、前者は同時に武器でもある。ところが狩猟と漁撈とはたんなる植物食から植物食と肉食との併用への移行を前提とするものであって、われわれはここでまたもや人間化するための本質的な一歩がすすめられているのを見いだす。
肉食は、身体が自己の物質代謝のために必要とする最も基本的な物質をほとんどすぐにでも使えるような状態でふくんでいた。それは消化に要する時間を短縮しただけではなく、植物の生活の諸過程に相当する体内のその他の植物性過程に要する時間をも短縮し、それによって本来の動物的な(動物らしい)生活の実を示すうえでのより多くの時間とより多くの材料、それにこれまで以上の欲望をあたえた。そして生成途上の人間は、植物から遠ざかれば遠ざかるほど、ますます動物の域からも脱していった。ちょうど肉とならんで植物食にも慣れたことが野生の猫や犬を人間の召使いにしたように、植物食とならんで肉食の習慣をつけたことが生成途上の人間に体力と自立性とをあたえるのに本質的に寄与した。
しかしいちばん本質的なことは、肉食が脳に及ぼす作用だった。脳へはいまやその栄養と発育とに必要な物質が以前よりずっと豊富に流れこんできて、その結果脳は世代から世代へとますます急速かつ完全に発達してゆくことができた。採食主義者諸兄には失礼ながら、肉食なしには人間はできあがらなかったのであって、たとえわれわれの知っているどんな民族にあっても肉食はいつか一度は食人の風習を生んだ(ベルリン人の祖先であるヴェレタブ人またはヴィルツ人は10世紀になってもまだ自分たちの両親を食べていた)としても、そのことは今日のわれわれには別にどうということはないのである。
■ 肉食から火の使用と動物の飼育へ
肉食から決定的な意義をもつ二つの新しい進歩が生まれた。火を使用できるようにしたことと、動物を飼い馴らしたこととである。前者は、口にいれる食物をあらかじめいわば半分消化しておくことによって、消化過程をなおいっそう短縮するものであった。後者は、狩猟のほかに、新しいもっと確実な肉の仕入先きを開拓したということで肉食をいっそう豊かなものとし、さらにその上に乳や乳製品という形で、成分の点では肉とすくなくとも同じくらいの価値をもつ栄養物を新たに供給するものだった。こうしてこの両者は直接、人間にとっての新しい解放手段になった。両者の間接的な影響については、たとえそうした影響が人間と社会との発展にとってきわめて重要なものだったにしても、ここでいちいち立ちいって論ずることは本題からあまりはなれすぎることになるだろう。
人間は、食べられるものはなんでも食べるようになったように、どんな気候のもとにも生活してゆくようになった。人間は、住むことのできる土地にだったらどんな土地にでも進出した。すなわち彼、人間こそは、そのための十全の力をその身にそなえた唯一の動物だったのである。人間以外の動物でどんな気候にも慣れているというような動物は、その慣れるということを自分でおぼえたわけではなく、人間のお供をするということでならいおぼえたにすぎない。
家畜や害虫がそれである。そして人間が一年中をとおして暑いその発祥の地から、一年が夏と冬とに分かれているより寒冷の地に移動したことは、新しい需要――寒冷と湿気を防ぐための住居と衣服――と新しい労働の分野、またしたがって新しい活動形態を生みだし、それらは人間をいよいよ動物から引きはなしていった。
■ 頭脳の発達と宗教・観念論世界観の成立
手と発声器官と脳との協働――それは各個人においてだけではなく、社会においてもおこなわれた――によって、人間は、ますます複雑な作業を遂行し、ますます高度の目標を設定してこれを達成するという能力をかちえていった。労働そのものが世代を重ねることによって別のものに変わり、いっそう完全に、いっそう多面的になっていった。狩猟と牧畜にくわえて農耕が現われ、またその農耕にくわえて紡織、金属加工、製陶、航行が登場した。商工業とならんで最後に芸術と科学とが現われた。種族からは民族と国家とができあがっていった。法と政治とが起こり、またそれらとともに、人間的事物の人間頭脳における空想的映像である宗教が起こった。こうした創作物はすべてまずなによりも頭脳の所産として現われ、しかも人間社会を支配するものと映じたので、そうしたものをまえにしては労働する手の生みだすそれよりは地味な生産物は背景にしりぞいた。しかも労働を計画する頭脳は、すでに社会のごく初期の発展段階においてさえ(たとえばたんなる家族のなかにおいてさえ)、計画した労働を自分以外のものの手で遂行させることができただけに、それはなおのことそうだった。文明の急速な進展をもたらしたという功績はすべて頭脳に、頭脳の発達と活動とにあるとされた。人間は自分たちの行動を自分たちの思考という点から説明するのに慣れてゆき、自分たちの需要(それらはもちろんそのさい頭脳に反映し、意識にのぼりはする)から説明しなくなっていった。まさにこのようにしてあの観念論的な世界観が時とともに生まれ、とくに古代世界の没落以降人々の頭を支配しつづけることになった。
この世界観はいまでもきわめて大きな勢力をもち、そのためダーウィン学派の最も唯物論的な自然科学者でさえ、このイデオロギーに影響されて、人間ができあがってゆくさいに労働が果たした役割を認識しないため、
いまだに人間の起源についての明晰な観念をもちえないでいる。
・・・以下省略・・・
■ 入來篤史著「第3章知性の起源―未来を創る手と脳のしくみ」