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資本論のヘーゲル哲学入門 第1回 (第1章~第2章) 
                                    
>>第2部 第3章>>クリック


 この企画は『資本論』とヘーゲル哲学の関係について、『資本論』本文から直接探究したい・熱心な「こだわりサークル」から、誕生しました。 「直接のキッカケは、ロック-バーボン論争の特別企画をめぐる意見交換から始まりました。深く掘り下げながら、哲学的問答を経て物事の本質に迫ってゆく、実践的な探究がこんなにも楽しいものだと体験できました。自然科学者が、考え>実験>また考え>また実験・・を繰り返してゆく醍醐味に触れる気分でした。」
難解極まるヘーゲル哲学に挑戦しよう!と志し若い仲間たちの交流の記録です。
さあ、あなたも一緒に、探検サークルのメンバーだ。


◆目次
第1部
第1章 ヘーゲル哲学事始
 第1節 ヘーゲルとその時代
 第2節 哲学史とヘーゲルの実体、現象、形態
第2章 ヘーゲル哲学の概要
 第1節 マルクスとヘーゲルの関係
 第2節 1800年前後の自然科学・哲学について
第2部
第3章 『資本論』第1章のヘーゲル哲学
 第1節 ヘーゲル論理学第1部有論
 第2節 『資本論』のヘーゲル論理学

第1部
第1章 ヘーゲル哲学事始め 
 こだわりサークルのメンバーを順不同で紹介します。興味と関心を自己申告でお願いしました。
歴史と経済は中村さん、哲学は近藤さん、言語文化は岡本さん、進行役と議題整理に湯川さんと野田の以上5名です。よろしくお願いします。
 では、哲学にこだわりたい近藤さんから、ヘーゲル交流会の議事進行等について提案をお願いします。初めに自己紹介を簡単に。

近藤哲学担当:
 哲学に興味があるっていうと、ひと頃は変人扱いされましたが、最近は変人も多様化されて、普通人並みの時代です。ゲゲゲの鬼太郎の大ファンです。レジメの用意を仰せつかり、1ヶ月間悪戦苦闘の連続でした。どうにか間に合いましたので、参考にして下さい。交流の進め方ですが、全体を3つに分けてゆきます。

1.ヘーゲルの全体像、2.『資本論』との関わり、3.『資本論』のヘーゲル論理学
この順番で、レジメを用意してきました。まず、事始めとして「ヘーゲルとその時代」について、歴史・経済の中村さんからレポートをお願いします。

中村歴史・経済:
 最近、考古学に熱中しています。人類史の夜明けがどんどんさかのぼっていて、700万年の人類史が開けてきました。北アフリカのチャドから、最古の人類化石トゥーマイが発見され、いま熱い時代に突入しています。
日本でも黒曜石の世界的産地として知られる遺跡群が発見され、シベリアと朝鮮半島から九州と北海道の具合に日本海をぐるりと囲んだ交流圏で、旧石器時代の石器が発掘されています。それと、日本の中世史の見直しを行った網野善彦から、大きな問題提議を受ています。近いうちに報告の機会を得たいと希望しています。 では本題に入って、「ヘーゲルとその時代」でレポートします。

 
第1節 ヘーゲルとその時代
1.
ヘーゲルの時代の特徴をひと言でいうと、ゲーテとナポレオンの二人に象徴される時代と感じています。当時のドイツは、200~300に及ぶ小国が分立する時代でした。今日世界的文豪として有名なゲーテは、大変長命な方でして、1749年~1832年に活躍しました。この18世紀後半から19世紀前半は、カント(1724~1804年)からヘーゲル(1770~1831年)の期間をおおっています。
また、ナポレオン(1769~1821年)は、フランス革命期に頭角を現わし軍事独裁政権の樹立後、ナポレオン1世としてフランス皇帝(1804~1814年)になった軍事的天才でした。ナポレオンの失脚後、ヨーロッパではオーストリアのメッテルニヒによるフランス革命以前の王政復古体制である「ウィーン体制」が続いたが、1848年革命によって破綻しました。

2. ヘーゲルは青春時代に、フランス革命とナポレオンから多大な影響を受けています。当時のドイツは、各地に小国の並立状態と封建性が根強く残っています。遅れたドイツといつも対比されるのが、隣国フランスの先進文化だったのです。また、ゲーテは、人口3万人程度の小国ヴァイマル公国の政治家として10年間ほど公務に没頭した後、詩人、作家そして自然科学者としても活躍しました。

3. ヘーゲルは、テュービンゲン神学校(テュービンゲン大学の前身、ルター派正統神学の拠点)教育を受け、哲学者シェリングや詩人ヘルダーリンと同時期に学んでいます。3人とも意気投合し、思想形成でお互いに影響しあっています。卒業後、家庭教師を経て、イェーナ大学私講師、ハイデルベルク大学教授後、ベルリン大学教授を務め、1831年伝染病のコレラに感染し61歳で生涯を終えました。

4. ヘーゲル哲学は、大きく4つの大作があります。
①精神現象学、 ②大論理学、 ③エンチクロペディ(3部作小論理学、自然哲学、精神哲学)、 ④法哲学、 そのほかに、大学の講義用として美学、歴史哲学、哲学史、宗教哲学などがあります。弁証法論理学の大成者として、後世に多大な影響を与え、マルクスやエンゲルスも学生時代からヘーゲル左派として活動しています。

野田進行役:
 簡潔なレポートありがとうございました。つぎに『資本論』との関係について、近藤さんからお願いします。


 第2節 哲学史とヘーゲル実体、現象、形態・形式


近藤哲学レポート担当:

1.
 レジメの第2節を報告します。哲学史上のヘーゲルには、重要なキーワードがいくつもありますが、『資本論』との関連にしぼってみます。第一にあげられるの、弁証法の再構築を行ったことです。アリストテレス以来、弁証法はほそぼそと続いていたのですが、カントの出現で従来の形而上学が破産します。有名なアンチノミ―(二律背反)によって、哲学は新しい時代に入ってゆきます。カントから、フィヒテ、シェリング、そしてヘーゲルへと連続的に「ドイツ観念論」・・この名称は内容面で不正確さがあり、誤解を与えています・・が展開してゆきます。マルクスやエンゲルスは、一連のドイツ哲学、とくにヘーゲル哲学を唯物論へと転回させ、弁証法を社会科学として発展させてゆきます。

2.  ヘーゲルのキーワードのうち、『資本論』で採用されている、「実体と現象」、「形態・形式」がとくに重要です。最初に、「実体」について報告します。
伝統的にアリストテレス『形而上学』によって、「実体・ウーシア」の理解は大きく二つに分かれ、第1実体、第2実体とに区分されています。第1実体とは、この人とかこの馬とかのように、これと指し示すことができる特定の個体・個物を言います。第2実体とは、この人やこの馬を含むところの「種」、およびこれらの種を含む「類」などを示します。「類」とは、例えば種としての人間ひとり一人の個人ソクラテスやプラトンに対して、その上位の分類区分として、人類や動物などの「類」を言います。
『資本論』では、例えば、「商品種」と厳密に指摘する文脈があります。翻訳者によっては「商品種類」としているものがありますが、これは誤解です。(誤りと言ったほうが的確・・・進行担当)また、事物の核心的な要素や本質的な定義などが取り上げられる時にも「実体」と言われています。

 これに対してヘーゲルは、スピノザなどを引き継ぎながら、「実体・サブスタンツSubstanz」を「形式活動する主体」として、隠れされている「本質的な事柄」が現象するときの本質的な原因・正体を実体と考えるのです。その最高位に位置するのが、宇宙と世界の創造者である神が究極的な実体にあたります。
『資本論』では、「人間労働の社会的実体の結晶として価値-商品価値である」、「価値形成実体」、「価値の実体をなす労働は等一の人間労働である」などのように使われています。

3. 「現象」は、一般的には、自然現象のように、外から観察される事象全般を指しますが、ヘーゲル哲学の「現象」とは、「本質-現象」のように相関関係を背後にもって理解するところに特徴があります。論理学では、「本質は現象する erscheinen エアシャイネン 」という命題が展開されることになります。『資本論』では、「資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ(現象し:erscheint )、個々の商品はこの富の成素形態として現われる(現象するerscheint)」などと、ヘーゲルの用法が使用されています。

4. 形態・形式(Form)については、現在混迷の極みにあります。10人十色でして、それこそ翻訳者の数ほど理解に幅があります。ヘーゲルの「Form・フォルム」は、哲学の世界で「形式」で流通しています。また、場合によっては古典ギリシャ文化の文脈・ギリシャ語との関連で「形相」とも訳されています。プラトンのイデア、アリストテレスのウーシアなど「実体」を形成している構成因子・形相などと一体的に議論される場合もあります。

一方、『資本論』「価値形態・Wertform ヴェルトフォルム」では、もっぱら「form・形態」となっています。
そこで問題の混迷が生じてくるのは、「形態」と訳されている日本語に、ドイツ語の
Gestalt(ゲシュタルト・形態)と並行し、重なった文脈に遭遇した時です。
Gestaltは、通常「形態」と翻訳されている大変ポピュラーな言葉で、一般的に強い印象が持たれています。
『資本論』に
登場するGestaltの日本語訳を見ますと、岩波・向坂訳で「態容」、他の訳で「姿、姿態、ありかた」となっています。一般に流布されている「形態」とは違った言葉となっています。
日本語の「形態」に対して、このようにドイツ語のFormとGestaltの2つが存在し、業界によってそれぞれ別個に流通しています。『資本論』では、「価値形態 Wertform」と「
価値態容タイヨウ Wertgestalt」など、区別されているこの言葉(形態)の違いが、実は深く検討されないまま、今日に至っているのが実情です。


5. ドイツ語「Gestalt」の語法の変遷に注目されず、丁寧に説明されていないところに原因がありそうです。西洋では、ルネッサンス・大航海時代を経た17世紀から18世紀にかけて、自然科学・哲学が著しい発展をとげます。観察と実験、そして顕微鏡の精度の向上(倍率と分解能、コントラスト)が急速に進歩します。
その結果、従来の用語や認識の仕方の不充分さが目立ち始め、新たな革新の時代が始まってゆきます。新大陸からの珍しい鉱物や植物、動物などが西洋世界に集積され、質・量ともに膨大な情報の蓄積を背景にしながら博物学が貴族・市民の間に定着し、幅広く人気を博してゆきます。
 こうした時代背景から、
自然科学者・ゲーテは、植物の「形態」(成長・発展・変形・変態等の形態変化)について画期的な研究を重ね、ついに「メタモルフォーゼ・変態」の概念を動物界の他に、植物の世界にも適用すべきであるとの見解に到達します。(生物の変態は、カエルのように動物世界の概念だった。)
ゲーテは『
形態学Morphologie序説』のなかで注目すべきことを指摘しています。
 -これは、
『資本論』言語(マルクスが使用する言葉の科学的言語性)の理解に欠かせないドイツ語精神として、ゲーテからヘーゲル、そしてマルクスへと受け継がれてきたものです。-


6. ゲーテは次のように述べています。
 「ドイツ人は、現実にさまざまな姿をとって現われてくる存在を集約して示すために、形態Gestaltゲシュタルトという言葉を用いている。この表現を用いれば、生動し変化するものが捨象され、いいかえれば、相互に作用しあって全体を形成するそれぞれが固定され、他とのつながりを断って、一定の性格を示すことになる。 しかし、あらゆる形態、なかでも特に有機体の形態を観察してみると、そこには、変化しないもの、静止したままのもの、他とのつながりをもたないものは、ひとつも見出せず、むしろすべてが運動してやむことがないといわざるをえない。それゆえ、われわれのドイツ語が、生みだされたものや生みだされつつあるものに対して形成・Bildung ビルドウングという言葉を用いているのも、十分に理由のあることなのである。」

 「したがって、形態学というものを紹介しようとするならば、
形態Gestaltについて語ることは許されない。やむをえずこの言葉を用いる場合があっても、それは、理念とか概念を、あるいは経験において一瞬間だけ固定されたものをさすときに限ってのことである。」

言葉の芸術家・ゲーテにおいては、自然研究と文学創造はある源泉で結びついているようです。なおこの理解は、『資本論』の第3節価値形態または交換価値に直接連動してゆきます。


 第2章 ヘーゲル哲学の概要

 
湯川進行役:
 近藤さんから、理路整然とした大変貴重なレポートを頂きました。ありがとうございます。いよいよ、私たちにも熱がこもってきました。
  さて、第2章の進行役を務める湯川です。ヘーゲル哲学を読み始めてから3年程度で、諸先輩を前に大変恐縮してます。これも自分の勉強と考えてと気張ってやりますので、みなさんの助言をあわせてお願いします。最初にマルクスとヘーゲルの関係をざっと説明します。その後に、当時の「自然哲学」の概要を紹介してから、近藤さんから「『資本論』のヘーゲル哲学の概要」に入ってゆきたいと考えています。

 第1節 マルクスとヘーゲルの関係

マルクスが生まれたのは、1818年で、35年にボン大学に入学し翌年ベルリン大学に転校します。ヘーゲルは、1831年ドイツ各地をおそったコレラによって、他界していますので、直接の交流はありません。ヘーゲル他界後、ヘーゲル学派が形成され、青年ヘーゲル派が中核を担ってゆきます。若きマルクスもその一員でした。しかし、シュトラウスの『イエスの生涯』の出版をきっかけに、聖書の福音書の歴史解釈をめぐってヘーゲル学派は分裂してゆきます。そしてこれを契機に、これまでヘーゲル哲学に好意的であったプロイセン政府はヘーゲル哲学に批判的となり、ヘーゲル学派の学者を大学から追放してゆきます。
マルクスは、将来大学教授を希望していたが、その進路は絶望的に。その後、青年ヘーゲル派との協力で「ライン新聞」に携わり、編集長に就任するも43年に廃刊。このあたりからマルクスは、ヘーゲル哲学への批判的傾向が強まり、独自の道の模索が始まります。

 第2節 1800年前後の自然科学・哲学について

 18世紀から西洋文化・科学思想は、大きな激動期を迎えます。
 シンガーの『科学思想のあゆみ』『生物学の歴史』を参考にしながら、報告します。

Ⅰ. 機械論的世界
①  地層学
 (地質学は、地層の形成の名称が示しているように、本質的にはイギリスの科学になった。)
ジェイムズ・ハットン(1726~97年)の仕事は、もっと近代的な態度の先鞭をつけている。かれは、岩石を研究するためにひろくイギリス各地を旅行し、長い年月にわたるおだやかで規則的な堆積・地層を示唆していることを、はっきりと知った。『地球の理論』のなかで、地層がかつては海や湖や沼地などの水底であったと解釈した。まもなく、岩石は下位にある地層からの断片を含んでいることがわかったし、層をなす地質系がしばしば傾いたり、曲がったり、断絶したりしているという事実も、見落とされはしなかった。

 土木技師の
ウィリアム・スミス(1770~1839年)は、運河を切り開いているうちに地層の本性を見抜いた。かれは、最初の色つきの地質図を公刊した。かれの『有機体の化石の地層学的体系』(1817年)は、一定の地層にはそれぞれ特徴ある一連の化石があることを明らかにした。一つの化石群のなかには、その下の地層にもよく出てくるものもあれば、その上の地層にもよく出てくるものもあり、また、この三つのどの地層にも出てくるものがある。したがって、これらの化石が示している植物相や動物相の変化は、急激なものではあり得なかった。スミスはまた、時代を遠くさかのぼればさかのぼるほど、化石は現存の生物形態にますます似つかないものになることも見てとった。


②  物質の変換

 物質は消滅もしないし新たに創造もされないという信念は、17世紀になると、はっきりと表明されるようになった。スコットランドの
ジョゼフ・ブラック(1728~99年)は、1756年に『炭酸マグネシア、生石灰その他いくつかのアルカリ性物質に関する実験』を出版した。簡潔な化学論文のうちで、かつてこれほど重要な新味をもった論文はなかった。ブラックは、空気中の成分のなかに今日二酸化炭素と呼ばれている「固定空気」が存在していることを発見した。これによって、気体の性質や結合法則を発見することが、18世紀後期から19世紀にかけての化学的努力の主要な課題となった。

③ 元 素

これまで、「物質は完全に保存される、つまり実験中に生まれ出ることもなければ消え去ることもないと仮定されていた。さらに、重さは物質の量を示す尺度であると仮定されていた」。これらの仮定は、最終的にフランスの
ラヴォアジェによって証明された。 かれは、ふつうの水を、容器のなかで沸騰させて、そこから出てくる蒸気が凝縮するようにし、それと容器内の残留物の重さとを測ってみると、残留している固体の粒子の重さは水が失った重さに一致していることを、精密な重さの測定によって示した。だから、何ものも失われていないし、何ものも新しく得られていないわけである。
また、燃焼のどんな場合にでも、酸素が燃焼する物質と結合することを立証した。ラヴォアジェの科学上の大きな貢献のなかには、現代的な意味での化学「元素」の概念をきっぱりと確立したことが挙げられる。ボイルにならって、「もうこれ以上分解することのできない物質」と定義している。また『化学要論』によって、近代的な化学の創始者とみなされている。

④ 原子論

18世紀から19世紀に移ったとき、物質固有の構造についての疑問が、ふたたびもち上がった。物質の構造に関する
ドルトン(1766~1844年)の見解は、「物質は多数の基本的で同質な別々の実体からつくられていて、その実体自身も、もはや分割することも消滅することも創造することもできない原子からつくられているという新しい見解であった。」 「化合というものは、一方の元素の1原子が他方の元素の1原子と結合するというふうに、できるだけ簡単なしかたでおこると仮定した。だから、水はHが1個とOが1個とからなり、アンモニアもNが1個とHが1個からなっている。1808年に発表された『化学哲学の新体系』は、古典として一般に承認されている。

 
Ⅱ. 生物学の体系化

①  スウェーデンのリンネ
(1707~1778年)は、植物体や動物体の各部を規則正しい順序でとりあげ、承認された規則にしたがってそれらを記述した。「二名式命名法」により、既知のあらゆる生物を、最初に属、つぎに種と二つのラテン語名で定義する方式〔 ホモ・サピエンス Homo sapiens. 賢い人間〕である。あらゆる動植物のそれぞれの既知の種が占めるべき位置を定める配列方式を立てた。そこでは、種は属に、属は目に、目は綱にまとめるようになっている。1735年リンネの『自然の体系』の貢献は永遠である。動物学者は1758年に出版された第10版を、生物の科学的名称のための普遍の基礎として認めてきている。

② ドイツの自然科学・哲学 カントからゲーテへ

「ドイツ観念論」の名前で知られるカント(1724~1804年)からフィヒテ、シェリングそしてヘーゲルの一連のドイツ哲学者たちですが、「観念論」の看板に惑わされて誤解している研究者群がいます。先輩格のカントからして、本来、数学者で物理学者でした。ヘーゲルの自然哲学の源流の一つであるカントの自然学が意識的に研究されていないのですが、『資本論』の“自然哲学”の理解に欠かすことが出来ません。5月新着情報にカント、ゲーテ、ヘーゲルの自然科学書のミニ抄録を掲出しましたので参照してください。


<シンガー『生物学の歴史』より>
1.
生物は諸部分から成り立つ。諸部分は、全体が存在するための条件としてのみ理解できる。
その全体が存在することこそ、それによって一つの目的を示唆する。自然がその目的に関しては何も明らかにしないのは、カントが語るように真実である。しかし、目的観に導かれてつくられた“かのように”考えることによってのみ、私たちは生物について理解できる。

2. ところで、この結論に達する過程で、カントが生物の諸綱が相互に歴史的に関係があるかのように説明していることにわれわれは気づくかもしれない。そのようにして彼は進化思想を受け入れる準備をしていたのであり、力学的法則に従って低いものから高いものへと生物が発展する可能性を明らかに考えていた(『判断力批判』1790年)


3. 生物学者にとってあれほど馴染みの深い機械論〔唯物論的〕と目的論的観点〔観念論的〕との対立は、カントによれば、私たちの知識の本性、すなわち私たちの経験に起因するものである。しかし私たちの観念は、私たちの経験から区別されなければならない。観念では、私たちは諸部分についての機械論的観点から全体についての目的論的な観点へと移ったり、また逆戻りしたりする。カントの信念では、機械論と目的論とを融和する根本的な隠れた原理が存在する。その原理は、私たちの理性がそれを組み立てられないのにもかかわらず実在的である。
しかし実際上は、生物学用語を使うにあたって、私たちはみな、最も確信的な機械論者でさえ目的論者に劣らずに、このような原理を受け入れているのである。


4. したがって、この近代のナチュラリストは、カントが解こうと模索していたアンチテーゼに立ち戻ったのである。一つの新しい哲学体系が入り込んでいた。カントの哲学的図式と原子論的な唯物論との生半可な融合が、実は19世紀生物学者の多くにとっての実践哲学であったのだ。

5. ドイツの詩人にして哲学者ゲーテは、動物構造がプランの等一性を示すことをはっきり指摘したことにかけて、たぶんアリストテレス以来はじめての人物だろう。動物の解剖学的な構成における一定の要因について、
普遍的な表現を模索したのである。1790年にゲーテは植物の変態に関する随想を完成したが、それはカントからの影響を示している。彼は非常に重要な3原則を提起した。

科や目のような比較的大きな分類群は、ある共通プランに基づく変異の本性について何ごとかを物語る。 それあらはすべて共通の理念を表現する。

② 花のいろいろは部分は葉の変化したものであるという考えをさらに拡張した。細部ではつまづいたし、 提起した図式は不必要に複雑だったが、それでも彼は重要な観念に到達していた。

単子葉植物とか双子葉植物とかの大分類に名称を与えている。いわゆる顕花植物の子葉は、幼芽が持っている最初の葉にほかならない。
 
 また、
ゲーテは「形態学」Morphologie(ギリシャ語morphe, 形態)という便利な言葉を発明した。 この言葉は、生物の構造、それらの構造とほかの生物とが持つ関係、それらの構造の生まれ方、およびそれらを生む諸因子などに関係する科学のことである。



6. ヘーゲル 『自然哲学』

 1817年、ヘーゲルは、大学講義用に哲学の百科事典に相当する著書『
エンチクロペディ:百科事典』を刊行します。論理学、自然哲学、精神哲学の3部からなり、ヘーゲルの逝去後、弟子たちよって講義記録が追加されています。 第1部力学、第2部物理学、第3部有機体の物理学から構成され、当時の最新科学が網羅されています。西洋史上、アリストテレスと並び立つ博学の巨人と言えます。
今回のテーマとの特徴では、
① 宇宙論ではニュートンとラプラスが研究されていますが、カントの「星雲説」には注意がそそがれていません。② 生物学でのゲーテが高く評価されている。③ 有機体の分析を通して、ヘーゲル哲学の基本概念が構築されていること、などが注目されます。
 以上、少し長くなりましたが、中継ぎの報告とします。


資本論のヘーゲル哲学入門.2
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