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 コラム8>  脳のサイズと進化・スネルの精神因子
  
   
脳のサイズからみた脳の進化 07.28


                   藤田哲也著 
『心を生んだ脳の38億年』


心を生んだ脳の38億年


  
資本論ワールド編集部 まえがき
  藤田哲也は、その著書『心を生んだ脳の38億年』で次のように報告しています。
  「脳の基本設計は、魚の脳の時代に完成した。」
  「4億3000年前、原始魚類には大きな変化が現れ、鰓(えら)の一番先端のものが顎骨(ガクコツ)を備えた強力な顎(あご)に進化してきました。これが彼らの摂食行動に革命をもたらしました。眼や顎を支配する神経が整備され、脳神経のパターンが、現存のすべての脊椎動物のそれと基本的にはまったく同じ形に完成されたのです。」
  「
これは驚くべき事実です。シーラカンスやサメや爬虫類やすべての魚などの共通の祖先であった原始的な魚から、脊椎動物は地球上のあらゆる生態的地位に広がり、哺乳類を生みだし、陸と水中に見事に適応し、さまざまな行動をするように分化しました。脳の入出力系の外部から見た形態と脳各部配置の基本パターンが形成され、脊椎動物の脳デザインは、4億年間継続されました。」
   ・・・  ・・・
    私たちは、脳進化・4億年の歴史を現代の科学が解き明かしていることに驚きを感じます。さらに、「現在生きているアメーバのような単細胞生物は、一見、極めて単純な生き物のように思えますが、彼らはいま生存している環境に極めてよく適応するよう、38億年の間、有効に進化を遂げてきた生きものであることは間違いありません。」と話しています。

 進化の驚異に実感を持てることが、資本論ワールドのもう一つの大きなテーマです。私たち自身の「心と脳」の生命誌のページをめくりながら、「脳のサイズからみた脳の進化」について学んでゆきましょう。
  
    藤田哲也著 
心を生んだ脳の38億年 岩波書店 1997年発行 

  目 次
1. 脳サイズからみた脳の進化
2. スネルの精神因子
3. 爬虫類から哺乳類への脳の進化
4. 哺乳類の脳の急成長
5. ヒトに向かう脳の進化の出発点
6. アウストラロピテクスにおける脳の進化

◆ 7 人間の英知の発達と心
    1. 人類共通の文化の形成
    2. 「文化」が可能とした「獲得形質の遺伝」
    3. 自発的合目的行動と、感覚入力の総合によるその制御
    4. 生得的神経回路の充実と記憶の発達
    5. 霊長類の脳の機能的特徴
    6. 言語の獲得と主観の客観化
    7. 自己の認識

    
脳のサイズからみた脳の進化

   脳の進化を調べるのに、ニューロンの結合やその分布の形態的変化、あるいはそれらの機能の進化を直接研究するというアプローチは、多くの場合役に立ちません。進化の筋道をつなぐような中間の生物は、すべて絶滅してしまっているからです。そこで脳を体積として量で表現し、このデータと、魚の化石脳でみたような頭蓋内カースト(頭蓋内にできた脳腔を鋳型とした鋳物)の形を脳機能推定の手がかりにして、高次神経機能の進化を考えてみようという着想がでてきます。これならば、絶滅した進化の中間段階にあった動物の脳にも、適用できる見込みがあるわけです。

  スネルの精神因子

 脳の重量が体重と神経・精神的能力の両方の関数であることを初めて明確に指摘したのは、
19世紀末ドイツの精神科医スネルでした。彼は脳のサイズの意味を考えたすえ、単純に脳の重さだけでは体の大きい動物ほど大きい脳をもつことになるが、さりとて体重に対する脳の重量をとると、こんどはその関係が逆になり、トガリネズミ(1/23)、ツバメ(1/22)などはヒト(1/35)より大きく、ゾウ(1/500)やクジラ(1/15,000)など巨大な動物では極端に小さい値になることを知ったのです。そこで、彼は体の重さに対する脳の重さではなく、体の表面積に対する比をとることを着想しました。つまり、脳重をh、体重をkとすると、どのような動物種にも


     
h = p k2/3

 の関係が成立し、このときの比例定数 p が各動物種に固有の「精神因子」ともいうべき数値で、精神活動のより高等なものが大きい値を示すと考えたのです。
 彼は k の冪(べき)を経験的に0.63としましたが、ともかくこれは、すべての動物でほぼ一定の値
三分の二である、というところに重点をおきました。そしてこの値を、体のサイズ(表面積)によって要求される脳容積を規定する因子であるとして、「体冪数(たいべきすう)」とよびました。これは素晴らしい洞察でした。

 スネルの、この研究が発表されたのち、まったく同じといってよい発想でありながら、この「精神因子」を「脳化係数」とか「余剰ニューロン」などと命名して自分の研究に取り入れる人びとが現れました。これらの値の意味は「精神因子」と本質的に同じです。しかも、それらの人びとがスネルの研究を無視する傾向があるのを、私は残念に思います。そういうわけで、本書ではスネルのオリジナリティを生かして話を進めることにします。
 ここで、スネルの発表した式を使って種々の動物について p を計算すると、
表1のような結果が得られます。この表の中では p の代わりにPを使っていますから、表を見る前に、あらかじめ p と Pの意味を考えておく必要があるでしょう。
 同じ種に属する個体でも、年齢や性によって、体の大きさには相当な違いかおるのが普通です。式からわかるように p は、仮にその種の動物に体重1グクムの個体があったとした時、その脳の重さは何グラムになるかを表していると解釈できます。したがって、この p に 60002/3=1424 をかければ、その動物が体重60キログラムの場合の脳の大ささがわかることになります。
表1の中のP(P=1424 p)は その値です。この値は、すべての動物の大きさをヒトとほぼ同じに揃えた場合を考えて、脳のサイズを
比較する
ことができるようにしたものなのです。 以下では、比較が容易なように、脳のサイズ(スネルの精神因子)は、ヒトと比較できる で表すことにします。


  表1  動物の体重がヒトと同じ60Kgのときの脳の数値 g 

    動物の種類         動物の種類         動物の種類        動物の種類          動物の種類     

 
 魚類    化石爬虫類    現生哺乳類     現生哺乳類    霊長類  
    ウナギ   3.27   (恐竜)     ラット  79  イ ヌ   203  化石人猿アウストラロピテクス    583
    マグロ   15.5   ステゴサウルス  6.9    トガリネズミ  87  ゾ ウ  254  化石ホモ・ハビリス   755
    ニジマス   16.9  ティラノサウルス    8.5  ク マ  131  イルカ   291  ホモ・エレクトス(ジャワ原人)  992
    電気エイ   23.5  爬虫類    シ カ  169 霊長類    ホモ・エレクトス(北京原人)  1212
   両性類     イグアナ  7.4   ネ コ  173  ツバイ  129  現代人  
    食用ガエル   10.5    イシガメ   9.54  ライオン  173  ネズミキツネザル   176  ホモ・サピエンス・サピエンス   1374
    ガマガエル   23.5   トカゲ  13.1  ウ マ  178  チンパンジー  484    


 この表をみますと、
現生している魚では、Pが3.27から23.5の範囲に入ることがわかります。これは、人間くらいの大きさの魚でも、せいぜい小指の先か親指くらいの大きさの脳しかもだないことを意味します。シーラカンスの脳もこの例外ではありません。最も原始的な魚としてデボン紀に棲息していた
魚ユーステノプテロンの化石と、その脳の鋳型から計算された も9.9であり、すべての魚は化石として残ったその最も原始的な種を含めても、そのはこの範囲に入ると結論してもよいのです。

 表をよく検討しますと、現生の両生類と爬虫類の もほぼこの範囲に含まれてしまうのがわかります。 これは驚くべきことです。その行動の幅が水生から陸上生活に適応するように変わってきた化石両生類や恐竜のような化石爬虫類について、頭蓋内腔の容量と体重を測定して計算されたの値も、ほとんど現生の魚類・両生類・爬虫類の値の範囲(2.8から23.5)に入ることが見出されているのです。たとえば代表的な大型恐竜ティラノサウルスは体車が約10トン、脳容積が頭蓋の鋳型から約 250 ミリリットルと見積もられていますが、は 8.53 であるし、脳の比較的小さいステゴサウルス(剣竜)は体重約 2 トン、脳容積 70 ミリリットルで、は6.92に留まっています。
 体の大きさやその構造の多様性、水中や陸上での彼らの行動の変異の幅から考えて、脳の形態や機能に大きな差があるのではないかと想像される魚や両生類や爬虫類のすべてが、化石としてしか発見できないような進化の中間形や過度の適応放散の結果絶滅した種まで含めて考えてみても、極めて低いある一定の範囲内の(2.8から23.5)を示していることは、興味のある事実であり、彼らの行動と脳の発達との関連について、次のような示唆を与えているものと解釈できるでしょう。

 つまり、これらの動物が水中から地上へ行動の場を広げ、空気呼吸と陸上歩行の能力を獲得し、地上生活へ完全に適応していく過程においても、とくに中枢神経系上位統御中枢に著明なサイズの増加を伴うような進化をする必要はなかった、と。考えてみると、最も重大な変化とみられる空気呼吸も、原始的な魚がすでに持っていた浮き袋が利用されたにすぎませんし、歩行のための四肢も、先に述べたように、鰭(ひれ)の運動そのままでとりあえずの用は足りたのです。

 カンブリア紀の終りごろに脊椎動物の創始者ともいうべき脊索動物が出現してから、その後約3億年続いた古生代の間に、彼らは魚から両生類・爬虫類へと進化してきました。その間に、四肢の運動や体の感覚機能などにはある程度の進歩がみられたのですが、巨大な恐竜でも、頚髄や腰髄など前肢と後肢を支配する脊髄の部分に膨大部が生じ、第二・第三の脳ともいえるような四肢運動と感覚の中枢が分化発達した跡が認められるようになっただけで、脳のサイズは大きくは増加しませんでした。脊髄のサイズの増加は、あくまで運動と感覚の一次中枢の拡張であったわけですから、高次の(脳の)統御中枢の進化は遅々として進まなかったわけです。

  
爬虫類から哺乳類への脳の進化

 しかし白亜紀の末(約6500万年前)に全地球を襲った気象の大変化に適応できず、恐竜を始めとするほとんどの爬虫類が絶滅していったころ、爬虫類の中で、心臓の四室構造と大循環と小循環系の分離を完成し、さらに体温の恒常性を獲得してきた汎獣類から、原始哺乳類が進化し、しだいしだいに増え広がって、彼らの代わりにすべての生態的地位を占領するようになってきました。こうした状況が出現したとき、この事情(つまり脳の大きさと知能の発達の状況)は一変したように思われます。それは、この時代の原始哺乳類において脳のサイズが着実に増加し始めることによって明らかにされるのです。

  
哺乳類の脳の急成長

 化石哺乳類の脳容積と体重を復元模型や化石頭蓋の計測から推定すると、新生代の始めの暁新世・始新世(約6500万年前から3600万年前)の初期哺乳類のPは、平均してほぼ43であったことがわかります。この平均値に近いPをもつ代表的な初期哺乳類には、クマに似ているが有蹄類の祖先であるアルクトキオン、ヒツジに似た有蹄類の祖先であるフェナコドウス、カバに似た汎歯類の一種コリフォトン、サイに似た巨大な恐角類の一種ウィンタテリウム、などがいました。
 時代が下かって、これに続く漸新世(3600万年前から2500万年前)の1100万年になると、Pは平均86のレベルまで増加してきます。ネズミの類のイスキロミスや小型のイヌ(シュウドキノディクティス)、サーベルタイガーの一種ホプロホネウス、シカに似たオレオドン類の一種メリコイドドン、サイの一種スブヒラコドンの脳などが、この値を与えています。

 これらのを出発点の両生類・爬虫類の値(2.8から23.5)や現代の哺乳類(霊長類以外)の値170と比べると、哺乳類の脳の大きさが、約一億数千万年前の中生代の中ごろには、爬虫類の脳のサイズの上限であるPの23.5から出発し、約8000万年の進化ののち、新生代の始めごろ(6500万年前から3600万年前)には平均して43に達し、次の1000万年で86となり、さらにその時点から現在までの2600万年の間に170のレベルにまで増加してきたことがわかるのです。
 現代の哺乳類の中には、霊長類以外にも大きい脳を獲得したものが現れました。ゾウ(は254)やイルカ(は291)などは哺乳類の中でもとくに脳のサイズの大きいことで目立っています。スネルの考えからすれば、彼らは精神因子の大きい動物ということになります。


  ヒトに向かう脳の進化の出発点


 霊長類の二大分枝の一つである真猿亜目の共通の祖先から、終局的にはヒトヘ向かうことになる進化が開始されたのは、今から約3500万年から2500万年前の漸新世のアフリカ大陸であったとされています。そのころアフリカ大陸にはよく茂った熱帯樹林があり、森林生活に適応したサルの類が非常に増え広がったと推定されているのです。
 その中に真猿亜目の祖先と目されるパラピテクスやエジプトピテクスがいました。彼らの化石がそのころの河口地帯であったエジプトのファイユームから数多く掘りだされています。彼らの脳はかなり進歩していたらしいのですが、残念なことに、完全な頭蓋がみつかっていないため、脳容積を数値的に見積もることはできていません。
 この系列に属するもので最も化石資料の多いのは、プロコンスルと仇名をつけられているドリオピテクス亜目の原始的真猿です。彼らはヒトの祖先に列するものではないと考えられていますが、このころには非常にこの系列に近縁な所に位置しており、やがてはチンパンジーやゴリラなど類人猿に進化して行ったと推定されている動物です。

その化石標本の内の一つ、ケニアのツルカナ湖の近くで掘りだされた約1800万年前のプロコンスル
(ドリオピテクス)の頭蓋は比較的完全で、現生のチンパンジーやギボンの頭蓋との比較から、脳容積はほぼ300ミリリットル、体重は45キログラムと見積もられています。
 この値からスネルの精神因子Pを計算すると320となり、この時代の他の動物には見られない大きい脳をもっていたことがわかります。しかし、この値は現在のチンパンジー(Pは484)と比べるとまだ3分の2程度に達したにすぎなかったのです。

 このドリオピテクスの時代から真猿亜目はヨーロッパやアジア大陸で増え広がり、顕著な適応放散を開始しました。ヒト的なものへの進化が、中国大陸では華南巨猿(ギガントピテクス)という大型の歯をもった類人猿的なものをつくりだし、イタリアではオレオピテクスという鮮新世前半期(約1000万年前)の、脳が大きく(約400ミリリットルと見積もられています)すでに直立傾向を示す動物を生んでいたのです。オレオピテクスは身長約120センチメートル、体重はほぼ45キログラムであり、Pは484でこれはすでに現生のチンパンジーと同じレベルに達していたといえます。
 これらのヒト的なサルは、真猿亜目の試行錯誤的な適応放散の結果として、散発的につくりだされた試作品だったと考えることができるでしょう。彼らはその時点での環境に充分適応できず、直接ヒトの先祖にはなりえなかったので、真にヒト的な生物が出現してくる更新世には、中国大陸でもヨーロッパ大陸でも完全に絶滅してしまったと考えられます。

 アウストラロピテクスにおける脳の進化

 これらの漸新世・中新世・鮮新世の約3500万年の間に、ユ圭フシア大陸とアフリカに広がった森林とそれを取り巻く地域で、さまざまな生態的地位への適応を求めて起った放散の中では、ヒト的なものへの進化の試みが一再ならず繰り返されたはずですが、成功したものがほとんどなかっだのは確かな事実でした。これは森の中で生活を続けていたサルの類が、極めて多数の種をつくりだし繁栄してきたのと比べると、ヒト的な動物が求めていた生態的地位が、極めて困難な課題を解決した後でないと入手できないものであったことを示していたと解釈できます。この間(3600万年前から400万年前)、ヒト的な動物の化石がほとんどまったく発見されていないのは、この事情を裏書きしています。

 約220万年前の地層に、この問題の解決に最短距離にあった一つの種が発見されています。その種は、ヒトヘの系譜の直線上にはなかったとしても、その進化の経路にかなり近い所に出現したと考えられてきたアウストラロピテクス・アフリカヌスでありました。
 アウストラロピテクス(人猿)の脳は類人猿と比べてもあまり大きいとはいえないサイズでした。代表的なタウングス・ベイビーの脳が図18に示されていますが、これは、まだ乳歯が1本も永久歯に替わっていない、現代人なら6歳相当の子供の頭蓋骨でした。しかし、幸運なことに、その脳質に代わって流れ込んだ土砂が石化して頭蓋内鋳造物(化石頭蓋内カースト)となり、脳の形を血管の跡まで鮮やかに記録して、自然のままに残っていたのです。
 このカーストを実測して推定された脳容積から脳膜腔の値が引かれるなど種々の補正が加えられ、大人の値に外挿されて、最終的に440ミリリットルというアウストラロピテクス・アフリカヌスの脳容積が推定されました。この値からPを計算すると583という値が得られますが、この脳容積の値は、チンパンジーと比べて、少しだけ大きいレベルにあったことを教えるのです。このような類人猿レベルのサイズの脳をもち、直立して歩いていたアウストラロピテクスは、今から約350万年前の鮮新世の時代から草原に住み、雑食性の狩人としての生活を送るようになっていたと考えられています。


以上