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コリン・レンフルー著 『先史時代と心の進化』 株式会社ランダムハウス講談社


        
 「心の先史学」 要約 「物質的象徴と商品の物神性」 


 
  
第2部 「心の先史学」 抄 録 2017.06.16

 

   <資本論ワールド編集部まえがき>

 
1. 商品の物神性とコリン・レンフルーのキーワード

   マルクスは、商品の物神的性格の分析にあたって、現代の「認知科学」の研究領域に該当する概念装置を活用しています。コリン・レンフルーの「認知考古学」によって、「物質的象徴」、「制度的事実」そして「物質的関与と制度的事実」が、「商品世界の物神性」解読に役立つことを学ぶことができます。


 
2. 『資本論』第1章第4節 商品の物神的性格とその秘密 (第6段落から第8段落、岩波文庫p.132-135)

    ① 物の社会的な諸関係として現われる ・・・・・・・・・・・・・・・・ 
制度的事実
   
    ② 労働の社会的性格を労働生産物の価値性格の形式で反映する ・・・・・ 
物質的象徴

    ③ 労働生産物を交換において「価値」として置く ・・・・・・・・・ 
物質的関与と制度的事実


  
① 制度的事実   ・・・ 物の社会的な諸関係として現われる (第6段落)

  「 使用対象が一般に商品となるのは、もっぱらそれが相互に相独立して営まれる私的労働の生産物であるからである。 これらの私的労働の複合が社会的総労働をなす。生産者たちは、彼らの労働生産物の交換によって、はじめて社会的接触にはいるのであるから、彼らの私的労働の特殊的に社会的なる性格も、この交換の内部においてはじめて現われる。いい換えると、私的労働は、事実上、交換のために労働生産物が、そしてこれを通じて生産者たちが置かれる諸関係によって、はじめて社会的総労働の構成分子たることを実証する。したがって、生産者たちにとっては、彼らの私的労働の社会的連結は、あるがままのものとして現われる。すなわち、彼らの労働自身における人々の直接に社会的な諸関係としてでなく、むしろ人々の物的な諸関係として、また物の社会的な諸関係として現われるのである。 」

  
② 物質的象徴   ・・・ 労働の社会的性格を労働生産物の価値性格の形式で反映する (第7段落)

  「 労働生産物はその交換の内部においてはじめて、その感覚的にちがった使用対象性から分離された、社会的に等一なる価値対象性を得るのである。労働生産物の有用物と価値物とへのこのような分裂は、交換がすでに充分な広さと重要さを得、それによって有用物が交換のために生産され、したがって、事物の価値性格が、すでにその生産そのもののうちで考察されるようになるまでは、まだ実際に存在を目だたさせるようにはならない。この瞬間から、生産者たちの私的労働は、事実上、二重の社会的性格を得るのである。これらの私的労働は、一方においては特定の有用労働として一定の社会的欲望を充足させ、そしてこのようにして総労働の、すなわち、社会的分業の自然発生的体制の構成分子であることを証明しなければならぬ。

    これらの私的労働は、他方において、生産者たち自身の多様な欲望を、すべてのそれぞれ特別に有用な私的労働がすべての他の有用な私的労働種と交換されうるかぎりにおいて、したがって、これと等一なるものとなるかぎりにおいてのみ充足するのである。toto coelo (全く)ちがった労働が等しくなるということは、それが現実に不等一であることから抽象されるばあいにのみ、それらの労働が、人間労働力の支出として、抽象的に人間的な労働としてもっている共通な性格に約元されることによってのみ、ありうるのである。私的生産者の脳髄は、彼らの私的労働のこの二重な社会的性格を、ただ実際の交易の上で、生産物交換の中で現われる形態で、反映するのである。すなわち――したがって、彼らの私的労働の社会的に有用なる性格を、労働生産物が有用でなければならず、しかも他人にたいしてそうでなければならぬという形態で――異種の労働の等一性の社会的性格を、これらの物質的にちがった物、すなわち労働生産物の共通な価値性格の形態〔形式〕で、反映するのである。 」

  
③ 物質的関与と制度的事実   ・・・労働生産物を交換において「価値」として置く (第8段落)

  「 したがって、人間がその労働生産物を相互に価値として関係させるのは、これらの事物が、彼らにとって同種的な人間的労働の、単に物的な外被であると考えられるからではない。逆である、彼らは、その各種の生産物を、相互に交換において価値として等しいと置くことによって、そのちがった労働を、相互に人間労働として等しいと置くのである。彼らはこのことを知らない。 しかし、彼らはこれをなすのである。したがって、価値のひたいの上には、それが何であるかということは書かれていない。 価値は、むしろあらゆる労働生産物を、社会的の象形文字に転化するのである。後になって、人間は、彼ら自身の社会的生産物の秘密を探るために、この象形文字の意味を解こうと試みる。なぜかというに、使用対象の価値としての規定は、言語と同様に彼らの社会的な生産物であるからである。労働生産物が、価値であるかぎり、その生産に支出された人間労働の、
   単に物的な表現であるという、後の科学的発見は、人類の発展史上に時期を画するものである。しかし、決して労働の社会的性格の対象的外観をおい払うものではない。この特別なる生産形態、すなわち、商品生産にたいしてのみ行なわれているもの、 すなわち、相互に独立せる私的労働の特殊的に社会的な性格が、人間労働としてのその等一性にあり、そして労働生産物の価値性格の形態をとるということは、かの発見以前においても以後においても、商品生産の諸関係の中に囚(とら)われているものにとっては、あたかも空気をその成素に科学的に分解するということが、物理学的物体形態としての空気形態を存続せしめるのを妨げぬと同じように、終局的なものに見えるのである。 」

   
 
3. 「心の先史学」-物質的関与と価値という概念

  「・・・ 
基本となる物質的現実が、多くの重要な象徴および象徴的関係を支えているという考え方は、重要である。象徴を定義する際、私たちは単に言葉をもてあそんでいるのではなく、個々の人間が関与するようになる物質世界の特徴を見つけ出そうとしているのである。さらに、この関与はすべての社会で起こるわけではない。社会の影響を受けやすく、実現するにはその社会が持つ他の特徴が整っていなくてはならない。特定の物質に高い価値があるという考え方は、新たなカテゴリーを構築することで生まれる制度的事実そのものである。
    しかし、「価値」という概念は脳が組織し心が作り出したものだが、自然界でそれなりの体験を積み、様々な物質の属性について知らなければ、こうした概念も生まれてこない。これも、
物質的関与プロセスの一例である。したがって物質的関与アプローチでは、人々が置かれた状況を身体化する様相を重視する。また、身体化された現実が、知識や経験によって変わり、さらに私たちが現在の社会の中で発達させ利用するようになった様々な物質文化によっても変わることも認めているのである。 」

 4. コリン・レンフルー著 
『先史時代と心の進化』

    第1部 先史時代の発見
    第2部 心の先史学

   
① 第1部 先史時代の発見 (まえがき)

   「 先史時代とは、人類が人類になるまでの長い道のりのことである。今から500万年前、地球上に人類の姿はなく、そのころ生息していた類人猿やサルの中にも、現代の私たちから見て外見や行動が人類とよく似ていると思われるような生き物はまだ存在していなかった。それが今や人類はこの地球に満ちあふれ、北極圏の冷帯やアフリカの乾燥地帯で暮らす狩猟採集民から、世界各国で都市生活を送る者まで、実に多種多様な広がりを見せている。技術面では、建築、科学テクノロジー、文字、移動手段など大きな進歩をいくつも成し遂げ、文化面でも、言語、文学、音楽、視覚芸術など数々の成果を残してきた。こうした技術や文化は、どのようにして生まれてきたのだろう?何が原因で、こうした変化は起きたのだろう? そもそも私たちは、どのようにして現在に至ったのだろう?その結果として、どういう存在になったのだろう? 
-こうした疑問を解き明かそうとするのが、先史時代の研究だ。」

 
   
② 第2部心の先史学  (まえがき)

   「 私たちが「先史時代」と呼ぶようになったものを叙述する議論の大半に暗黙のうちに含まれている仮設について、疑問を投げかけることにしたい。この仮説は、今日では、人類の進化について語る者のほぼ全員から当然視されている。それは、私たちホモ・サピエンスの登場によって、すぐさま新たな力が生まれ、変化のペースが変わり、その生み出した爆発的な創造力によって、人類の文化はもっと急速に成長し加速度的に発達する道に乗ったというものだ。この仮説に異議を唱えることが、後に詳しく論じるように認知考古学という新たな学問 - つまり心の考古学中に隠されている - への第1歩となるのである。
 
    世界の様々な地域で見られる文化的発達の経路は、長い間受け継がれてきた習慣と、その習慣を実践する人々が共有していた概念とによって見分けることができる。共通の考え方や概念や決まりごとが、さらなる革新を導き、-「制度的事実」として-集団およびその集団を構成する個人が他者や世界と接する際の関わり方を形作った。こうした世界との関わり方、つまり「物質的関与」は、関わった人間のみならず、物質世界の物理的特性との出会い方にも影響を与える。詳しく検討するために、心の先史学つまり認知考古学の概要を示す必要があるだろう。」


            
     下記・目次の
*印は、第2部 「心の先史学」(要約と商品の物神性に引用されている個所を示しています。
第2部 心の先史学 目次
第5章 ホモ・サピエンス・パラドックス
 ◆
3万年の時間差
   1. 人類革命がもたらした変化
   2. テイクオフがもたらした変化
   3. 重大なパラドックス
 ◆
人類革命の地はアフリカだった
   1. 化石記録からの推測
   2. 人工遺物からの推測
 ◆
DNA分析の登場
   1. DNA分析が開いた道
   2. 「出アフリカ」の証明
 ◆
「出アフリカ」の意味
   1. DNAの比較からわかったこと
   2. DNA変異とテイクオフ
 ◆
進化の過程―種形成段階と構築段階
   1. 遺伝子と文化の共進化
   2. 種形成段階における変化の動因
   3. 構築段階における文化的進化
 
初期の創造的爆発

第6章 心の先史学へ向けて
     ~先史時代の構築段階~
 ◆
何が変わったのか
   1. 構築段階を理解する
   2. 認知考古学という手がかり
 ◆
構築段階での変化を捉える枠組
   1. ダーウィン的進化の限界
   2. 学習プロセスの重要性
 
認知考古学 
   1. 象徴の使用
   2. 象徴表現がもたらす証拠
   3. 綿密な観察と分析
 
ドナルドの発達段階 
 ◆
心の再定義 
   1. 象徴の物質性
   2. 価値という概念
   3. 身体化した心、延長された心、分散した心
 
物質的関与 
   1. 二元論を超える
   2. 人類の主体的行為
 
物質的関与と制度的事実 
   1. 物質世界との新たな関係
   2. 社会的概念と物質的現実
 ◆
「独自の発明」対「革新の伝播」
 ◆
言語の先史時代
   1. 複雑な言語地図
   2. 歴史言語学の可能性
 ◆
革新的変化について

第7章 共同体の構築
 ◆
関与プロセスの発展
   1. 定住と新たな人類の馴致
   2. 旧石器時代における関与プロセス
   3. 現代の狩猟採集民の関与プロセス
 ◆
定住生活の構築
   1. 移動から定住へ
   2. 定住と食糧生産 

   3. 技術の発展
   4. 「神々の誕生」と儀式の役割
   5. 認知作用の重要性
 ◆
集落と共同体
   1. 村落での生活
   2. 「集団志向」社会
 ◆
記念物が共同体を作る
   1. 建築を通じた関与
   2. 巨大建造物の力
   3. 民族意識の高まり

第8章 財貨 
 
制度的事実としての価値 
   1. 新たな価値体系の発達
   2. 金銭の象徴性
 ◆
平等社会から個人化社会へ
   1. 人工物の贈与
   2. 誇示的消費
   3. 威信を示す人工物
   4. 青銅器と武器と「男さしさ」
 
商品関連と商業経済の始まり 
   1. 商品という概念 
   2. 計量制度と都市文明
 ◆
初期国家社会における地位と権力
   1. 初期国家社会の特徴
   2. 国家社会への道
   3. 軍事的功績と豪華な墓地
   4. インダス文明という例外
 ◆
発達経路を比較する

第9章 宇宙を取り込む 
 ◆
世界を理解する営み 
   1. 宇宙の中に位置づける
   2. 宇宙を取り込んだ記念物
   3. 生と死のサイクル
 ◆
宇宙の秩序と権力
   1. 宇宙の秩序への関心
   2. 国家権力の正当性
 ◆
小宇宙としての都市
   1. テオティワカンの世界観
   2. 宇宙の秩序との調和
 ◆
王の埋葬に見る制度的事実
   1. 富と神聖さ 

   2. エジプトにおける神の創造 

   3. パカルの死と太陽
   4. シパン王の墓
 ◆
「世俗的」な国家
   1. ハラッパーの謎
   2. ミケーネにおける宗教
 ◆
内在的現実としての信仰

第10章 先史時代から歴史時代へ
 
◆文字で書かれた歴史
   1. 歴史時代の意義
   2. 植民活動がもたらした先史時代の終わり
 
◆文字の使用と心の発達
   1. 様々な文字体系
   2. アルファベットの影響
   3. ギリシャにおける文字文化の発展
   4. 中国における文字文化の発展
 ◆貨幣制度と識字能力
 ◆世界先史学から世界歴史学へ
 ◆おわりに―先史学の将来

              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  


    第2部 「心の先史学  抄 録


    第5章 ホモ・サピエンス・パラドックス


 
◆ 重大なパラドックス
 新たな人類ホモ・サピエンスが〔初めから〕高い認知能力を有し、新たな行動をとり、言語を巧みに使いこなし、さらには強い自我意識を持っており、その登場がきわめて大きな意味をもっていたとするならば、農業革命とともに見られるこうした実に素晴らしい変革が起きるまでに、非常に長い時間がかかってしまった理由がわからない。ホモ・サピエンスがヨーロッパに最初に現われたのは4万年前であり(西アジアでは、これより古い)、西アジアとヨーロッパで一番初めに農業革命が起きたのは1万年前である。この3万年の時間差を、どう説明すればよいのだろうか?
 ホモ・サピエンスの遺伝子基盤がそれまでのホミニドと異なっており、しかもその違いが決定的にな意味を持っているのだとしたら、新たに備わった遺伝子能力が、考古学記録に残るような目に見える形で現われなかったのは、なぜなのだろうか? この非常に難しい疑問を、ホモ・サピエンス・パラドックスと呼ぶことにしたい。このパラドックスは、浮上に重大な意味を持っている。しかもその重大さは、ホモ・サピエンスへの移行がもっと早い時期にアフリカで起きていたという事実を考慮すると、さらに深刻になってくる。



◆人類革命の地はアフリカだった

   
1. 化石記録からの推測
 人類革命の場所と時期が見直されている第一の理由は、現生人類がアフリカで生まれたことを示す化石記録が続々と出てきたからである。エチオピアのヘルト遺跡など重要な遺跡からは、解剖学的現代人[外見や骨格から解剖学的特徴が現代人と同じ人類のこと]が、何と15万年も前に存在していたことがわかっている。現生人類ホモ・サピエンスは、最大限さかのぼって20万年前に、それより古いホミニドを祖先としてアフリカで生まれたと考えられている。

 
2. 人工遺物からの推測
 第2の理由として、人工遺物が出てきていること。南アフリカとンザニアでは、鏃ヤジリの一部をなしていたと思われる幾何学的な形をした細石器が見つかっているし、骨を材料とした銛モリなどの人工物が、コンゴ民主共和国のカタンダで発見されている。さらに、最も注目すべき証拠が、南アフリカ南部のケープ海岸にあってインド洋に臨むブロンボス洞窟から出てきた。この洞窟で、骨で作ったミドル・ストーン・エイジ〔旧石器時代と新石器時代との中間の期間〕の尖頭器が発見され、さらに赤の顔料である赤鉄鉱(ベンガラとも言う)の破片も無数に見つかったのである。およそ7万5000年前のものであり、明らかに意図的に一定のパターンの印をつけていることから、具象的ではないものの「美術」と考えられる。・・・
 化石と人工物という二つの証拠から、文化的な意味での人類革命(つまり、現存する物質文化に反映された人間の行動に関する大変革)は、アフリカで今から15万~7万年前に起きたと現在では考えられている。


 ◆DNA分析の登場

   
1. DNA分析が開いた道

 1953年、フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンは、「生命の秘密」とも呼ばれるDNAの二重らせん構造を発見した。これで、およそ100年前にチャールズ・ダーウィンが概要を示した進化説を理解するのに必要なメカニズムが、ついに明らかとなった。自然選択という概念に不可欠な要素である遺伝的多様性を説明できるメカニズムが、とうとう判明したのである。・・・分子遺伝学という新たな学問のおかげで、ダーウィンの主張する進化が実際に起こる場合の基礎となる生化学的メカニズムについて、より明快かつ詳細にわたって説明できるようになったのである。
 こうして解明された結果。生物としての進化過程と、文化的な進化の過程とが、さらにはっきりと区別されるようになったことだ。ミトコンドリアDNA(以下、mtDNA)は、女系の血筋を通じて母から娘へと伝わる。さらに、細胞内の染色体にあるDNAとは異なり、世代から世代に伝わるときに「組み換え」を行わず、そのため自然選択の影響をうけないらしい。つまり、まれに変異が起こることがあり、その場合、娘のmtDNAの塩基配列は、変異の起こった場所のみ母親の配列と異なるし、変異の起こらなかった姉妹や従姉妹の配列とも違ったものになる。こうして数千年から数万年を経過するうちに、異なる系統が生まれてくる。同じ祖先から出た系統は、mtDNAの塩基配列はほんの少ししか違わないが、最も近い共通の祖先が何世代も前の場合は、違いは非常に大きくなる。
 これを根拠として考案されたのが、世界中で生きている人々からmtDNAのサンプルを取って比較するという調査方法である。mtDNAの変異率が一定だと仮定し、共通点と相違点を利用して、サンプルすべてを配置できる大きな家系図を創る。・・・
 こうした考古遺伝学的分析は、人類学と考古学で現在広く行われている。たとえば、ネアンデルタール人の人骨化石から採取したmtDNAを基に現生人類との関係を調べる研究などで利用されているが、中でも、人類がアフリカから拡散した時期とルートを特定する研究では、大きな成果を挙げている。

  
2. 「出アフリカ」の証明
 mtDNA分析くぉ用いた人類の拡散時期研究の概略は、2004年に遺伝学者のピーター・フォスターにより、明解でわかりやすい形で提示された。mtDNA分析によると、現存する人類は、みな近い関係にあり、約20万年前にアフリカに住んでいた祖先の子孫だと考えられる。mtDNAの変化率の研究により、今では、人骨化石を使った放射性年代測定法とほとんど矛盾しない、ほぼ正確な年表を作ることができるようになった。



 ◆進化の過程―種形成段階と構築段階

    
1. 遺伝子と文化の共進化

 ヒトの遺伝子型、つまり細胞核にあるDNAの基本配列が、少なくとも10万年前にはすでに決まっていたという事実は、人類の進化を理解する上で非常に大きな意味を持つ。それによって、10万年前より以前の、現代人を特徴づける遺伝子型が形成されるまでの過程と、10万年前以降の歩みを司る過程とを、もっと厳密に分け、それぞれを別々に研究すればよいと考えられるからである。初期段階の変化は、遺伝子も部分的に関わっている。しかし、その後の進歩を決めた様々な変革は、本質的に遺伝子によるものではなかったと考えなくてはならない。
 10万年前より以前にアフリカ現生人類が出現したことをダーウィン的進化論の視点から分析する際は、関係する人類の遺伝子構造(遺伝子型)と、人類が能力的に採用でき、文化の伝達を通して伝えていくことのできる新たな行動との「共進化」という観点から考えなくてはならない。旧石器時代の初期には、私たちの遠い祖先であるホモ・ハビリスやホモ・エルガステルが持っていた石器の使用能力は、環境に順応するのに重要な技能であり、自然選択という競争の中で適者として生き延びるのに必要な要素だったと思う。同様に火の使用も、ホモ・エレクトゥスが寒冷なヨーロッパ中央部に定着したときには、環境に順応するのに必要なことだったに違いない。物質文化に反映・象徴され、文化として継承される行動と、遺伝子型とが、並行して互いに影響を与えながら進化の過程を進むというのは、重要な考え方である。これが一般に「共進化」と呼ばれるものだ。現生人類がホモ・エレガステルなど古い祖先から徐々に分かれていった時期には、遺伝子型に備わった、人工物を考案して利用するという生来の遺伝子的能力が働いたのだろう。
 人類の歩みで最も影響の強い変化が起きたのは、種形成がとうの昔に完了し、約6万年前の「出アフリカ」も終わってからのことである。

 
 2. 構築段階における文化的進化

 約6万年前に人類が拡散してから、事情は大きく変化する。もちろん、個体間や集団間での自然選択が機能して進むダーウィン的な意味での進化は、まだ続いていく。しかし、この時点以降の、特に世界各地で農業革命と定住革命が進んだ後の文化的進化を推し進めた力は、もはや遺伝子によって生み出されたものではない。すでに見てきたように、この期間のゲノムは大きく変化していないからだ。

 ここからは、文化面での大変革や文化の伝達が主なメカニズムとなる。つまり、種形成段階が終わってからは、人類の進化はその性格において大きく変化したと言えるのだ。遺伝子レベルでのダーウィン的進化はその性格において大きく変化したといえるのだ。遺伝子レベルでのダーウィン的進化はもちろん続き、現在異なる人種間で見られる体格、皮膚の色、顔の特徴など非常に外面的な違いを生み出していく。しかし、集団間で新たに生じる行動面での違いは、遺伝子が決めるものではない。学習によって身につけるものであり、文化の伝達によって生まれるものなのである。
 このようにゲノムの変化が重要でなくなった発達段階を、人類の文化が「構築」されるものである点を重視し、かつゴードン・チャイルド著『文明の起源』の原題「Man Makes Himself (人類が人類を作る)」にちなんで、構築段階(tectonic phase)と呼ぶことにしたい。『オックスフォード英語辞典』によると、tectonicsはギリシャ語で「大工」を意味するτεκτων(テクトーン)を語源とし、その意味は「the constructive arts in general(構築技術全般)」だと定義されている。
この段階は、人類が物質世界に新たな形で関与するようになった段階であり、その名のとおり、現在私たちが生活している文化的を人類が構築するようになった段階である。もちろん、種形成段階でも、人類による新しい画期的な形での外界への関与はすでにいくつかあった。たとえば道具の使用開始や、その後に始まる計画的な道具製作、あるいは火の使用などが、これに当たる。かつてはこうした画期的な行動の重要性を踏まえ、現生人類に「ホモ・フェーブル」(「工作者」)という非常に的確な名前が付けられた
こともある。しかし、この「構築段階」が決定的に異なるのは、遺伝子型がほとんど決まっていたという点である。構築段階で起こった進化は、基本的には文化的進化だった。


    第6章 心の先史学に向けて・・・先史時代の構築段階・・・


◆何が変わったのか

  
1. 構築段階を理解する
 出アフリカ以後の6万年の間に起きた人類の行動の変化が、遺伝的変化、つまりヒトゲノムの変化では説明できないことを認めなくてはならなかった。そして、こうした行動の変化が起きた時期を先史時代の構築段階と命名した。 すべての人類に共通する一般的な発話能力に遺伝子的な基盤があることは確実で、この能力が発達したのも種形成段階だったに違いない。おそらく、現生人類の骨格と頭蓋骨の形に特有の肉体的な特徴が発達し終わった後のことだろう。このような形の頭蓋骨は、エチオピアのヘルト遺跡から出土した15万年前の人骨化石ですでに確認されている。

  
2. 認知考古学という手がかり
 では、構築段階では何が変わったのだろうか?
 人類の文化が様々な大陸の様々な地域で様々な経路を通りながら変化してきたのを見る限り、何か重要な変化が起こっていたのは明白だ。この問題の答えは、学問領域としては比較的新しいが急速に発展している認知考古学、つまり心の考古学の中に隠されていると主張したい。実際、問題の一部は、私たちが「心」とは何かを、非常に曖昧かつ不正確に捉えていることにあると思う。だから答えの一部は、心とは何かをはっきりさせれば出てくるはずだ。 世界の様々な地域で見られる文化的発達の経路は、長い間受け継がれてきた習慣と、その習慣を実践する人々が共有している概念とを見わけることができる。具体例は後で見ることにして、この人間集団の中では、次第に共通の考え方や共有概念、さらには全員が認める決まりごとが発達し、やがてそれぞれの文化の発達経路に特有のものとなっていった。私がここで言いたいのは、こうした共通の考え方や概念や決まりごとが、十中八九、さらなる革新を導き、方向性を決めたに違いないということだ。こうした決まりごとは「制度的事実」として後に取り上げるが、これが、集団およびその集団を構成する個人が他人や世界と接する際の関わり方を形作った。こうした世界との関わり方、つまり「物質的関与」は、関わった人間のみならず、物質世界の物理的特性との出会い方にも影響を与える。成長と変化の起源は、この物質的関与という過程を踏まえて理解しなくてはならない。


◆構築段階での変化を捉える枠組

  
1. 学習プロセスの重要性
 では、いったい何が変わったのだろうか?
 現在の私たちよ6万年前の祖先とでは、はたして何が違っているのだろう?すでに見たように、6万年前移行に発生した基本的な変化は、遺伝子によって伝達される生体構造で起きたのではない。人が子供として生まれてから自分の居場所を見出していく、この世界で起こったのであり、生まれたばかりの子供と、その目の前に現われる世界との後天的な関係で変化が起きたのである。
この世界は、いわば文化的世界であり、前世代の人々の力で形成された世界だと言えよう。 このことは、言語を例に挙げればよくわかるだろう。
 現生人類の一員として、私たちは生まれながらに(つまり遺伝子で決められているとおり)複雑な言語を習得できる能力を持っているが、実際に言語を使うためには、生まれてからこれを習得しなけれならない。私たちが学ぶ具体的な言語は、誰かの遺伝子構成が作り出したものではない。私たちが習得した具体的な言語は、それまでその言語を話し、形作ってきた過去の世代から受け継いだものであり、幼いときに理解したり話したりできるようになって獲得した遺産なのである。発話能力は、間違いなく種形成段階に生まれたものだ。しかし、実際の学習プロセスは、今現在もすべての世代で起こっている。

 
認知考古学
  
1. 象徴の使用
 認知考古学とは、現存する遺物から、過去の思考様式を推測して研究する学問である。
 この認知考古学が、人類の思考プロセスの変遷を探り、社会や文明が発達する裏で起きていた人類の行動の長期的変化を理解するための中心的アプローチとならなくてはならない。近年では課題として、対象とする古代共同体で人々の心がどのように働き、その働いた結果が人々の行動をどのように形成したかを知ることのできる確実な方法論を打ち立てることが重視されている。

 認知考古学は、その性質上、二つの下位分野に分かれる。一つは、ホモ・サピエンス以前の、本書で発達の種形成段階と呼ぶ時期に祖先の認知能力が発達していく様子を扱う分野だ。研究対象となるのは、祖先種の技能と能力が長い時間をかけて発達してきた歩みである。それはつまり、言語の使用や自我意識の発達など、人類の様々な能力が登場する過程を、ホモ・サピエンスの登場と同時か前後して起こったいわゆる「人類革命」まで追跡しようとする研究だ。もう一つの下位分野は、その後の構築段階に生まれた多種多様な認知能力と認知機構を対象とする。様々な人類社会が以来たどってきた異なる文化の発達経路と関係しているのは、こちらの認知能力だ。そして、本章で私たちが特に関心を向けているのは、この文化発達に見られる新たな特徴の方なのである。
  現在の認知考古学は、人類社会が象徴を使うようになった経緯をようやくつかみかけたところだ。象徴とは、私たちが話すときに使うものであり、さらに大方の場合、考えるときにも使うものである。象徴を使うには、非常に根本的な抽象化手順を二つ踏まなくてはならない。一つはカテゴリー形成であり、もう一つは様々な表象処理である。たとえば、羽が生えていて翼を持った生物を目にすると、私たちはすぐにこれを鳥だと分類し、「鳥」というカテゴリーを作り、それに当たる単語(英語なら「bird」、フランス語なら「oiseau」という話し言葉(あるいは書き言葉)で表象している。後期旧石器時代(構築段階初期)のフランスやスペインでは、洞窟壁画の作者がバイソンやシカ(それと、数は少ないが鳥も)など特定の動物種を絵で表現するようになっていた。
 人類の文化は、言語であれ具体的な形であれ、象徴の使用を基礎としている。初めのころ象徴は、鳥や太陽など自然界にごく普通にあるもの、哲学者ジョン・サールが言うところの「生の事実」を表わすのに使われた。しかし、その一方で象徴は、自然界にある事実そのものではなく、社会的事実とでも言うべき現実を示すのにも使うことができる。たとえば、この帽子は私の帽子であり、あの帽子はあなたのだということがある。この所有という属性は、サールが「制度的事実」と呼んだものであり、生の事実とは非常に異なるものである。

 2. 象徴表現がもたらす証拠
 この違いは単純だし、一見すると取るに足らないと思えるかもしれない。しかし、人類の文化がどのように構築されたのかを理解する段になったとき、この違いが非常に大きな意味を持つ。なぜなら、人類文化の構築は、人類史における構築段階に特有の非常に大きな特徴だからだ。この問題は重要なので、もう少し分析を進めるため、象徴あるいは象徴的関係を構成するものが何か、もっと明確に定義しておこうと思う。やや単純化した公式にすれば、それは次のように表わすことができる。

  
X (象徴、あるいは記号表現) は、文脈Cにおいて Y (記号内容) を意味する。

 文脈については、また後で触れるが、これは重要な意味を持つ。なぜなら、XとYの関係は、たいてい恣意的だからである。たとえば、先に挙げた例で言えば、英語という文脈では、「bird」という単語が、羽が生えていて空を飛べる生物 Y を意味していたが、フランス語という文脈では、X は「oiseau」になる。

 社会は象徴のカテゴリーによって組織されているといっても過言ではない。さらに重要なことに、社会が違えば、組織している象徴のカテゴリーも違う。たとえば、象徴は世界を計測したり、計画を立てたりするのに使われる。新たな形の社会関係が作られると、それによって象徴は変わるし、また社会関係の方も、象徴を使うことで、個人間の行動を形作り規制しようとする。権威を示す象徴も、ある程度の規模の社会には必ず必要だ。・・・
 先史学では、目の前に立ちはだかる課題として、こうした社会的なカテゴリーや制度、特に等置制度と権力制度が、どのように始まり発達していったかを。より詳しく理解しなくてはならない。具体的な社会が、どのようして組織されたのか?農業生産は、どうよって調整していたのか?社会の規模や成員を決める要因は何か?こうした疑問も、現代を研究する人類学者なら、ある共同体で数カ月生活し、その地の言語を習得すれば、すぐに答えをだすことができる。しかし考古学者は、成員がはるか昔に死に絶え、文字で書かれた証拠を何も残していない社会を研究しているのであり、答えをこれほど簡単に見つけることができない。そうしたときに非常に役立つのが、象徴表現がもたらす証拠なのである。

 考古学者が死者の埋葬に強い関心を寄せているのは、実はここに理由がある。死者が一人ひとり埋葬されている場合、副葬品の中に、こうした象徴的な意味を持っていた可能性のsる人工物が残っていることが多い。たとえば、支配者が役職の紋章とともに埋葬されている場合があり、これを詳しく分析することで、生前の地位について様々なことを解明できる。
 また、構築段階の初期には、多くの社会が超自然的な事柄についても考えるようになり、他の世界と交信したり、来世とやり取りしたりするのに象徴を用いるようになった。これが宗教の始まりである。後で詳しく見るように、この変化では物質的象徴が重要な役割を担っている。そのため多くの場合、こうした品々を通して、超自然的な存在に対する信仰が生まれる経緯を迫ったり、祭祀が発達する様子を調べたりすることができる。 世界のどの地域であれ、宗教の誕生と発達を研究する際は、祭祀など象徴的行動の物的証拠を基礎として進めなくてはならない。


 
3. 綿密な観察と分析
 旧石器時代に打製石器を作る材料となった石など、原材料の供給源を詳しく調べることで、当時の人が適切な材料を手に入れるため、かなりの距離を積極的に移動するようになっていいたことが判明している。これだけ長距離を旅するからには、事前に計画を立てていたはずだ。こうした活動は判断力を伴い、その根底には認知活動が存在する、さらに、重りとして使われていた物に主として注目することで計量制度の研究ができ、その結果、非常に整備された重さの単位が存在したことがわかっている。・・・
 また、人類社会の発達に伴い、象徴の使用法が変化したことも判明している。そこから一連の発達段階を区別できるようになるかもしれない。そうした段階に分けることは、認知能力の変化を知る第一歩となるのみならず、理解の助けとなる特徴を明確にすることにもなるだろう。


 
ドナルドの発達段階

 マーリン・ドナルドは、1991年に出した著書『現代的心の起源(Origins of the Modern Mind )』で、人類の文化と認知能力が進む発達段階を概説し、各段階は次の段階に特徴を残し、次々と起こる変化の基礎を作ると主張した。このドナルドの説は検討に値する。 なぜなら、考えを進める上で非常に役立つ下地となるからだ。・・・

 
1. 最初は「出来事的」段階 

 最初は
「出来事的」段階で、この時期の特徴は霊長類としての認知能力にあるとドナルドは言う。出来事的段階の行動は、現在生息する霊長類のコミュニティーで見られるのと同じく、主として外界からの刺激に対する反応が多いが、類人猿のコミュニティが効率的に機能しつつ一定の規模となるためには、集団の成員がかなりの社会的知性をもっていなくてはならない。

 
2. 認知革命の「模倣的」段階
 
 ここで最初の変化、ドナルドの言う
認知革命の「模倣的」段階への移行が起こる。その始まりは薬400万年前で、40万年前まで続いた。この模倣的段階は初期ホミニドに特有のもので、ホモ・エレクトゥスの出現で頂点を迎える。初期ホミニドの間で道具の製作と使用が始まった時代と、その後に技能と身振り手振りに大変革が起きた時代を含み、効果的な非言語コミュニケーションと、注意の共有の二つを特徴とする。道具の製作は、この場合、見習うこと、つまり模倣によって行われ、次の世代へ伝えるのに高い言語能力は必要なかった。

 
3. 「神話的」段階
 
 ドナルドが主張する次の段階は
「神話的」段階で、これは50万年前から現在までに当たり、私たちホモ・サピエンスの登場で頂点を迎える。複雑な言語スキルの使用と、叙述的思考が特徴だ。ここに位置づけられるのが、旧石器時代後半の狩猟採集民と、その後の人類である。

 
4. 「物質的象徴」段階

 その次が、
「物質的象徴」段階で、これは人類が象徴を用いる能力に重点を置いている。人類の象徴活用能力については、レスリー・ホワイトが人類文化を定義する重要な特徴と見なしていたが、ドナルド説はさらに一歩進んで、鍵となる象徴の多くが物質的現実性を持っている点を強調している。つまり、この時期の象徴は物質的実体であり、単語などのように物質性を持たない表象ではなかった。この段階は、物質が象徴的な意味を持つようになった時期であり、建設された記念物は実質的な意味を有していた。「物質的象徴」段階の開始時期は、神話的段階の後で、おおよそ農業革命つまり新石器革命が起こり定住の始まった時期に当たる。
 すでに見てきたように、この時期には様々な物質文化が新たに登場し、その一部では、物質にたいへん重要な象徴的特性が付与されるようになった。詳しくは後に譲るが、黄金など特定の物質に高い価値が付けられるようになる。さらに、この段階になって初めて、役職に伴う冠は旗や剣など、人工物が権力と支配者の地位を象徴していくことになる。また別の人工物は、宗教的信仰の対象となる偶像になった。

 
5. 「理論的」段階

 ドナルド説の修正版の最後に位置する第5の段階は
「理論的」段階で、その特徴は、ドナルドの言葉を借りれば「制度化されたパラダイム的思考」、つまり、この段階の名前の由来である「理論」が発達した点と、非常に大容量の外部記憶装置が登場した点の二つである。
 外部記憶装置には、通常、文字が含まれる。ドナルドは、内的記憶記録と対比させる形で、外部記憶装置を説明している。それによると、内的記憶記録とは人間の脳の内部にある記憶のことで、文字による表記法(表記体系)が発達するまで、全人類はこれしか利用できなかった。それに対して外部記憶装置とは、文字による記録など、大規模なデータ保管およびデータ検索方法のことである。「外部」というのは、これが人間の脳の外にあり、人体の外部にあるからだ。そして、最初に表記体系が登場するのは、すでに見たように、紀元前3500年ことである。


 この一連の発達段階は、多くの点で強い説得力がある。まず一つは、複雑な言語が発達する以前からホミニドが持っていた非常に豊富な認知スキルを重視している点だ。遊びや模倣で発揮される優れた知性とスキルがあったからこそ、ハンドアックスの製作など道具作りの伝統は、複雑な言語スキルが登場する数十万年も前から発達し維持されてきたに違いない。
 ドナルドによると、「物質的象徴段階」が「理論的段階」に(組み込まれながら)取って代わられたのは、表記体系が発達して広く使われるようになったころだという。ここで模倣、叙述、物質的象徴の使用、および理論的思考といった異なる認知活動を区別したのは、有益な考え方である。同じく、物質文化に改めて重点を置き、それぞれの認知活動に特有の物質的象徴が非常に重要になってくる様子に注目したのも有効だ。
 もう一つ言っておきたいのは、この一連の発達段階そのものは本質的に非常に単系的な進化であるという点だ。最初の出来事的、模倣的、神話的の3段階は、まずアフリカで起こったが、この3つは実際ある意味、アウストラロピテクスからホモ・エレガステルやホモ・エレクトゥスを経てホモ・サピエンスに至る変化と同様、単系的な変化である。種形成段階での人類の進化は、少なくとも大まかに捉えれば、ある程度は単系的に見えるものだ。物質的象徴段階への移行は、出アフリカ語の構築段階で現われた地域ごとの発達経路の大半で確認できる。しかし、外部記憶装置の登場とともに始まる「理論的段階」は、表記体系の発達した地域でしか明確に確認することはできないだろう。

◆心の再定義

 
1. 象徴の物質性

 ここで、
「心」という概念について、これを「物質」や「身体」と対立する概念だと考えるのは誤解の元だということを指摘しておかねばならない。17世紀に哲学者ルネ・デカルトが打ち立てて以来、私たちは心と物質、身体と霊魂を対峙的に捉える二元論を前提として考える傾向が往々にして強い。また行き過ぎた心理主義的アプローチは、心を脳と同じだと見なし、心とその機能は人間の頭蓋骨の中だけにあると考えてしまいがちだ。しかし心という概念は、この世界における知的活動総体を含むものであり、脳内での思考のみを指すのではない。
 さらに、こうした
物心二元論が象徴という概念にも影響を及ぼす危険性がある。つまり「象徴」を、物質的「現実」に対応する精神的な概念と考えてしまうのだ。しかし、こうした見方は、私たちが今まで「物質的象徴」段階を強調してきた態度とはまったくことなるものである。

 新たな象徴が利用され作られるようになる過程に関心を抱くのであれば、認知考古学に携わって心を研究する上で欠かせないことに違いない。だが、関心を抱くのであれば、何よりもまず、
象徴と現実とは簡単に分けられないということを認識しなければならない。新しい象徴を、それに伴う現実ともども突き止めるという新たな作業全体が関心の的となる。これについては、例を使って説明した方がよくわかると思う。
 ただその前に、「象徴」という概念を、特に新たな象徴と新たな象徴カテゴリーが形成される過程を中心に、もう一度詳しく検討しておいた方がいいだろう。軍隊で伍長の階級に属する人物が身に着ける袖章は、伍長という階級の象徴だと見なされる。
     
     〔
編集部注:『資本論』第1第3節「すなわち、上衣が亜麻布にたいする価値関係の内部においては、その外部におけるより多くを意味すること、あたかも多くの人間が笹縁ササベリをつけた上衣の内部においては、その外部におけるより多くを意味するようなものであるというのである。」 〔笹縁をつけた上衣:galonierten Rockes飾りひものモールで縫いつけられた上衣:将軍が着用するモール付きの軍服:岩波文庫p.96〕

 また英語の「dog」やフランス語の「chien」は、ある特定の哺乳類を表現つまり象徴する。硬貨に描かれた君主のかぶる冠は、王権の象徴だ。以前にも見たように、象徴(たとえば伍長の袖章)を X とし、「記号内容」(たとえば伍長の階級)を Y としたとき、Xが次の公式で示される関係を満たす場合、Xは象徴であると一般的に定義される。
      
X は、文脈 C において Y を意味する。
 言語学では、X はシニファイン(能記)、Y はシニフィエ(所記)と呼ばれることもある。この簡単な定義は非常に便利で、先にも書いたが、あらゆる種類の象徴に当てはまる。腕章は、その兵士の軍服において階級を意味するし、「dog」や「chien」は、イギリス人やフランス人の発言(または心の中)において、ある動物を意味し、頭にかぶっている冠は、描かれた人物が王であることを意味するという具合だ。

 しかしここに、
象徴の新しい関係が形成される過程について、今まで触れなかった重要な基本的問題がある。新たな行動あるいは新たな理解が生まれるとき、その関係全体が新しいものだという場合がある。単に現実を象徴的に表現するのではなく、まったく新しい概念が生まれたというケースだ。
 それまでなかった新しい基本的な物質的現実は、この世界を物質として理解した結果や、世界での体験、つまり物質的関与に根ざしていなくてはならない。これは重要である。なぜなら、概念は以前から存在していた現実を抽象的・唯心的に表現するだけのものではないということになるからである。それどころか、新たな種類の物質的現実を必要とし、そうした新たな現実を発見したり認識したりして生まれてくるものなのである。この点を明確にするには、例を用いて説明する必要があるだろう。

 
たとえば重さの測定を考えてみよう。以前に述べたとおり、計測単位の研究は、認知考古学で現在発達している分野の一つである。仮に、密度が高い物質を原料とし、形が整えられ、小さいものから大きいものへと大きさが揃えられた一組の物体が、ある先史文化の人工物から発見されたとする。この物体の質料を一つ一つ計測した結果、すべてが重さの単位と思われる値の倍数であることがわかった。その場合はたいてい、この文化は独自の質料単位を発展させていたと推測するのが妥当である。・・・
 実際「重さ」は、最初は身体的体験を通して理解されたに違いない。重さを体験したことがなければ、重さという概念を思いつくはずがない。重さは、重い物体を手に持って、それが重い(似たような他の物体よりも重い)と感じるという物理的行為によってしか、体験し理解することができない。先述した象徴的関係を持っている場合、石の「重さ」は現実世界に確かに存在する何らかの属性と関係があるに違いない。ある意味、重りとして使われていた立方体の石は、それ自身の象徴、つまり重さの象徴としての重りなのである。

このように、象徴的あるいは認知的な要素と物質的な要素とが同時に存在し、どちらか一方の要素だけでは意味を成さない場合は、これを
「構成的」象徴という用語で呼ぶのが適切ではないかと思う。


 
2. 価値という概念

 基本となる物質的現実が、多くの重要な象徴および象徴的関係を支えているという考え方は、重要である。
象徴を定義する際、私たちは単に言葉をもてあそんでいるのではなく、個々の人間が関与するようになる物質世界の特徴を見つけ出そうとしているのである。さらに、この関与はすべての社会で起こるわけではない。社会の影響を受けやすく、実現するにはその社会が持つ他の特徴が整っていなくてはならない。ここでも、計量制度がいい例になる。計量制度は、単なる発達経路を進む異なる社会で、それぞれ独自に発達してきた。しかし、国家社会など非常に複雑な社会で現われることが多く、発達経路の初期段階ではあまり見られない。
 
 同様のことが、任意の物質が持つ固有の属性としての「価値」という概念についても言えるだろう。現代社会で、そうした価値が特定の物質または品物に固有のものだとわかっている最古の遺跡はブルガリアのヴァルナである (ここから見つかった紀元前4500年ころの出土品の持つ意味については、第8章で論じることにしたい)。
今日も、古典古代の世界と同じように、貴金属(金や銀など)と貴重な石(ダイヤモンドなど)には高い価値が付けられている。しかし、この事実をよく考えてみると、金には変色しないという特徴はあるが、実際のところ、貴金属や宝石に非常に役に立つ属性があるわけではない(工業用ダイヤモンドは別だと言ってもいいが、これも大きな宝石よりは「価値」が低いとと見なされている)。「利用価値」は高くはないのだ。「交換価値」は高いと一般に認められているが、それは魅力があると考えられているからであり、あるいは金の場合は、価値基準として現在広く認められて利用されているからである。・・・
 ここで重要なのは、金に付与された価値は、ある意味、恣意的なものであり、その価値を認めた者にとっては現実なのだという点だ。これが、後で見る
制度的事実である。金の価値は、それを認めた社会では現実のものとなり、人が日々の生活を送り行動を決める拠りどころとなる現実に変わるのである。しかも、どんな場合でも、その価値は物体や物質が本来持っていた固有のものだと実際に考えられている。
 
 こうした議論は、ごく当たり前のことを改めて言っているだけと思えるかもしれない。しかし、これについて非常に興味深いのは、
先史時代の初期には、金も含め、品物に固有の価値があるという考えがなかったことだ。これは、人類の歩みの中で生まれた考え方なのである。価値という概念の構築は、西アジアとヨーロッパでは発達経路における重要なステップであった。これをきっかけに古典世界で経済システムが発展し、さらにルネッサンス期ヨーロッパを経て、現代の世界経済の発達にまでつながってくる。同じく個々の経路に固有の特徴である「金銭」の概念も、やはりここで発達した。こうした事情は発達経路によって異なり、他の地域ではヒスイなど別の物質や、貴重な鳥の色鮮やかな羽などが、各地の価値体系で中心的な地位を占めた。


 
3. 身体化した心、延長された心、分散した心

 先ほど、重さの概念と、重さという属性を体系化あるいは象徴とするため重りを利用したことについて論じたが、その議論から明らかなように、
脳は肉体の中に存在するが、心は身体化される。 重さは、まず身体的現実として、頭蓋骨の中の脳だけでなく手や腕でも実感されないと、概念化されて計測できるようにはならない。心は身体を通して機能する。脳の中だけのものと考えるのは、厳密に言えば間違いなのである。
 さらに、私たちは身体を通して考えるだけでなく、身体から離れたところでも考える。目の不自由な人は、杖をもっていれば、その杖を使い、杖がないときよりも世界を的確に理解する。製図工は、鉛筆を通して考える。ろくろを使う陶芸家は、複雑な手順を踏んで陶器を作るが、その手順は脳の中だけにあるのではなく、手を含めた全身が覚えているのであり、身体の延長として活用されるろくろや、さらには粘土そのものにも宿っているのである。どの場合も、
目的のある知的活動を行った経験が、個人の脳をはるかに超えて、個々の身体の外へ延長されている。これを延長された心と呼ぼう

 その上、目的のある行動を行う場合、その意図は、一個人の考え方生まれてきたものとは限らない。共有されている場合もある。たとえばサッカーなどのチーム・スポーツでは、一つの行動は大勢の人間による共同作業の結果であり、必ずしも一個人が先導してやったことではない。同様に、新たな成果は個人ではなく集団の行動や意図から生れるという原則は、現実に様々な集団行動で見られる。このことは考古学的記録からも確認できる。装飾様式などはそのよい例で、これは大勢の職人が紋織や彩色土器や木彫品などを作ることで発展してきたものだ。やがて共同作業によって様式が共有されるが、これは特定の個人が作ったものを他の人々が後で模倣したということではない。集団内の様々な人々が、それぞれ自分なりに貢献したものであり、ときにはその一つが取り上げられて、発展途中の様式に組み込まれることもあった。これは、大勢の分散した個人全員が貢献して行う幅広い共同活動と言える。これを分散した心と呼んでよいだろう。

 以上の議論から明らかなように、「心」はかなり複雑なものなのである。だから心を厳密に定義するよりは、人類の行為や活動のうちに、私たちの認知能力(つまり心)が積極的な役割を果たすものに焦点を合わせた方が、役にたつのではないかと思う。その焦点を当てるべき活動が、
物質的関与のプロセスなのである。


 
  物質的関与
 
 
   1. 
二元論を超える

 以上の考察をまとめると、先史時代の物的記録に対する一つのアプローチが生まれてくる。それは
過去の活動を、人類と物質世界との間で作用する「関与」と呼ぶべきプロセスを通してみようとする手法である。この「物資的関与」では、情報に基づく知的活動を重視するだけでなく、こうした活動で人類が世界と関わる際に認知的側面と身体的側面が同時に活用される点にも着目する。これは、私たちが長年とらわれてきた心と物質、霊魂と身体、あるいは認知世界と物質世界を対比させる二元論を超えようとするアプローチなのだ

 この
絶好な例なのが、ハンドアックスなど初期の石器製作 〔注〕である。前に見たように、初期の石器製作技術は、言葉の使用によってではなく、模倣によって次の世代に伝達されたと考えられる。見習っては試行錯誤を繰り返すということを延々と繰り返して技術を身に付けたのであり、同じことは今でも職人技を伝承する際に数多く見られる。しかし、こうした技能は、脳の中だけにあるのではない。「手が覚えている」という表現があるように、職人や、あるいはスポーツ選手の技能は手や身体に宿っているように見える。経験豊かなスキーヤーが頼りにするのは、様々な環境でスキーを滑り、雪に触れてきた長年の経験である。スキーやサーフィンなどの技能は、脳の中にあるのではないし、本を読んで身に付けることもできない。物質世界との関与が生み出すものなのだ。
        
:石器製作の参考資料 竹岡俊樹著『旧石器時代人の歴史』 (データ作成中です)〕

 さらに、このアプローチでは、人類が世界と関与することを、知識に関わる活動と見るだけではなく、取り上げた社会の時代や場所に
特有の象徴的価値を社会的場面で用いる行為も含むと考える。これはどんな社会的状況についても言える。たとえば、大勢の人がいる部屋に入るといった単純なことにも当てはまる。最初に誰に話しかけるべきか?誰が誰に席を譲るべきか、また、どのような服装をすればよいのか?こうしたことは、すべて社会的な決まりが決定する事柄である。同様に、装身具の使用を調べるのも、社会の研究として面白い。宝石のついたネックレスをするのは誰で、イヤリングは誰がするのか?軍隊なら、誰が剣や銃を持つのか?こうした取り決めの根本にあるのが価値観であり、ある物質(金やダイヤモンドなど)には固有の高い価値があるという概念なのである。・・・
 
特定の物質に高い価値があるという考え方は、新たなカテゴリーを構築することで生まれる制度的事実そのものである。しかし、「価値」という概念は脳が組織し心が作り出したものだが、自然界でそれなりの体験を積み、様々な物質の属性について知らなければ、こうした概念も生まれてこない。これも、物質的関与プロセスの一例である。
 
 したがって物質的関与アプローチでは、人々が置かれた状況を身体化する様相を重視する。また、身体化された現実が、知識や経験によって変わり、さらに私たちが現在の社会の中で発達させ利用するようになった様々な物質文化によっても変わることも認めているのである。
 現在、考古学では「物質化」の概念について理論化や議論が進められているが、ここでもやはり、
社会構造と宗教的概念において物質文化が果たした積極的な役割が重視されている。なぜなら宗教は、ただ単に、超自然に関する概念を取り込んだ世界観を形成するだけではないからである。宗教には、儀式での慣行も含まれる。特別な建物(「神殿」)で行われることの多い祭祀や、専用の象徴的人工物(杯や燭台など)、供物や献酒に使う特別な材料、多くの社会で見られる聖像に対する崇敬などが、これに当たる。こうした慣行すべてに、条件が細々と決められ、選びに選び抜かれた物質が用いられる。多くの古代社会では、そうした物質的イメージは並外れた力を持っていた。このイメージが持つ神聖さやタブーが、信仰を後世に伝え普及させ、核となる儀式や最も神聖な聖歌や詠唱を永久不滅のものとする助けとなったのである。



物質的関与と制度的事実

   
1. 物質世界との新たな関係

 ここで考察している物質的関与は、
人類と物質世界との新たな相互関係が生まれてきたことを意味している。
もちろん動物種の中には、自分が主食とする足の速い獲物を捕らえるため、非常に高度な技能を必要とするものが多い。しかし、この場合の「関与」は、物質文化を通して行われるものではない。文化を仲立ちとした最初の物質的関与は、狩猟採集生活を送っていた最初期のホミニドに見ることができる。
 石器や木器の発達は、重要な道具である火とともに、私たちが
種形成段階と呼んできた時期の関与プロセスにおける最初期の重要な一歩だった。これには重要な革新的変化が含まれたいる。フリントは割れ方が予想できることや、ある物質は均等に燃える傾向があることなど、物質世界の様々な属性を知的・意図的に活用するようになったのである。・・・

  
2. 社会的概念と物質的現実

 哲学者ジョン・サールは『社会的現実の構築』(1995年)で、彼が「制度的事実」と命名したものが担う重要な役割に注目している。
この制度的事実とは、社会を支配する現実であり、サールは次のように説明している。
  「規則の中には、仮定的先行行動を規制するものがある。(中略)しかし、規制するだけではなく、ある行動を生み出す可能性そのものを作り出す規則もある。たとえばチェスのルールは、具体的な仮定的先行行動を規制はしない。(中略)むしろチェスのルールは、チェスをすることができるという可能性そのものを作り出す。チェスのプレイはこのルールに従って行動することによって一部構成されていると言えるのだから、その意味で、チェスのルールはチェスを構成する実質そのものと言える。」
 
 先にも述べたように、サールの言う制度的事実は、社会を構成する基本要素であり、結婚、血縁関係、財産、法律などの社会的現実を含んでいる。その大半は言葉によって形成され、言葉によって最もはっきりと表現される概念であると、サールは捉えている。そして、
多くの社会的概念が持つ自己言及性という特徴に注目している。

 しかし私が強調したいのは、場合によっては(以前に取り上げた価値の概念と同様、ここでも金銭がいい例になる)物質的現実、つまり物質的象徴が社会的現実に先行することがあるという点だ。概念は、実体がなくては意味がない(少なくとも金銭の場合は何百年もの間そうだった。それが変わるのは、新たな規則の体系ができ、約束手形が正式に紙幣として採用されてからだ)。金銭が広く使われるようになるのは、古代ギリシャで金貨と銀貨が導入されてからである。金銭として使える貴重品がなければ金銭は存在しないのであり、貴重品(物質)が概念(金銭)に先行するのである。
 だから一部の物質的象徴は、物質的現実の構成要素になっている。少なくとも最初の時点では、それは言語による抽象的な概念ではなく、実体として永久不変の現実を有する実質なのである。象徴(現実的・具体的実体としての象徴)は、実際には概念に先行する。あるいは、それが言いすぎだとすれば、こうした象徴は自己言及性を持つと言ってもいい。 
象徴は実体を離れて存在することはできず、実体が持つ物質的現実は、制度的現実を具体化したときに帯びる象徴的役割に先行する

 以上の議論は、先に「重さ」の例を論じたときに取り上げた計量制度の単位にも当てはまる。より正確には、計量単位および計量という概念全体に当てはまるというべきだ。なぜなら、物質世界の現実と、計測しようと思っている属性(重さ、長さ、時間)について最初に考えていなければ、計測という概念そのものも頭に浮かんでこないからだ。計量は、非常に具体的な例である。以前取り上げた価値の概念もわかりやすい。そして、どちらの例も興味深い。なぜなら、どちらも考古学で研究できるからだ。

・・・


  第7章共同体の構築


◆関与プロセスの発展


 
1. 定住と新たな人類の馴致
        
 〔
編集部より:人類と物質世界との関与について、「定住」段階では、「イヌ」との接触がより重要と考えられる。島 泰三著 『ヒト』 を参照してください。〕

 現在の研究では、先史時代で最も決定的な転機は、象徴の利用を仲立ちとした、人類と物質世界との様々な関与が爆発的に増加したことによってもたらされたという考えが主流となっている。そして、この物質的関与は、定住、つまり強固な居住集団の中で恒久的な住居に1年を通して住むという行為が発達するとともに増加し始めたのである。定住が始まると、物質はすぐさま新たな重要性を獲得した。これは、世界の異なる地域で相互関係のまったくない異なる発達経路を通っていても、人類の歩みすべてに当てはまるようだ。

定住生活とともに、新たな形での物質的関与が可能となった。このように年間を通して定住するには、ほとんどの場合、農耕という扶養基盤がなくてはならず、そのためには数世代にわたる交配の成果として「作物化・家畜化」された数多くの動植物と新たな関係を築かなくてはならなかっただろう。つまり、人類とそれぞれの生物種との関与が必要だったのである。
 しかし、前章でも少し触れたし、後でも詳しく説明するが、この関与プロセスを純粋に物質主義的に捉え、生命である人間と、それを取り巻く物質的環境との接触と見てはならない。そうした基本的に環境的・生態学的なアプローチでは、人類の行動は他の生物種の行動と大差ないものと見なされる。しかし、すでに見てきたように、関与のプロセスは、概念、つまり「制度的事実」を仲立ちとしており、そのため認知的な側面を見逃してはならないのである。

 
カール・マルクスは、このことを今から150年前に認め、「生産関係」すなわち社会的関係は「生産力」すなわち技術よりも根本的なものだと主張している。ただ、社会的関係はどの社会でも非常に重要だが、人間の認知能力を介して築かれる剰余労働と物質世界との関係も、同じように重要だ。これについては、重さの例ですでに見た

人類が実際に重みを体験し認識したことを踏まえて重さという概念が生まれない限り、重さの計量はありえない。人類が特定の物質(金やヒスイなど)は高価だという認識を持たなければ、富という概念も生まれてこない。やはり、物質世界と直接的な接触を行い、物質世界を認知することの方が重要なのである。しかし、この接触を通して、ヒトという動物は刺激を受け、社会的動物となり、文脈の中に身を置くようになる。実際、たとえば金が、はるか昔の旧石器時代に価値のある物質と見なされていたことを示す証拠はなく、高価とされるのは後になってからだ。ここで一つ興味深いのは、なぜ人類が、この物質と出会ってから55,000年もの間、金は貴重だという考えをほとんど起こさず、このわずか5000年の間にそう考えるようになったかである。

 この章では、人類がどのように世界を見つめ、理解し、認識するかが、多くの場合、長期的な変化の構築に非常に重要な役割を果たして来たことを論じようと思う。変化を説明する際に、この点を省くことはできない。なぜなら、これが中心的な役割を担わなくてはならないこともあるからだ。また、
人間が世界と関与したことで新しい象徴と新しい概念と新しい信仰が発達したために、関与とその結果の本質そのものが大きな影響を受けることもある。・・・



  ◆定住生活の構築

 
  
1. 移動から定住へ

 約70年前にゴードン・チャオルドが特定した、人類の生活に起きた最初の大きな変化に目をむけていくことにしよう。
この20年ほどの間に、西アジアでは、ロバート・ブレイドウッドのジャルモ遺跡やキャスリーン・ケニヨンのイェリコ遺跡など、20世紀半ばに行われた先駆的な研究に続いていくつもの調査が行われ、その結果、農業の起源は従来考えていたよりもかなり古いことがわかった。イェリコなど地中海東岸の「先土器新石器時代A」遺跡の集落の場合、大麦、小麦および豆類の栽培が始まったのは紀元前9000年ころと見られている。・・・
 大半の狩猟採集民共同体が採用している移動生活をやめ、定住生活を採用するのは、ごく簡単に思えるかもしれないが、実際には非常に大きな影響をもたらす変化である。・・・
 また、食料など品物を新たな方法で保管する道も開け、財産を管理できるようになった。それまでは、自分で背負える荷物しか直接管理できなかった。 もちろん、部分的に移動性を残す経済も、たとえ移牧を基盤とするものなど、事情を許す地域では存続していた。また遊牧など、定住社会の特徴を一部のみ示す経済システムもある。ただし一般に遊牧経済が現れるのは、定住社会が発達した後であり、定住社会と共生関係を築いて生活することが多い。

 
2. 定住と食料生産・・・富の蓄積

  〔
編集部より:富の蓄積は、余剰物資の発生となり、交換と商品化へ通じてゆくことになる。価値形態論の考古学研究」を参照してください。〕

 ある集団によって育てられた家畜は、通常、使役するのも食用にするのも、その集団の自由である。つまり彼らの財産なのだ。ここから、富の蓄積がはっきりと現実味を帯びてくる。また、財産の私有と、財産を基にした区別、つまり不平等の根源が出てくる道も開かれた。特定の集団が耕作した土地を他者が利用したり、こそからの収穫物を他者が入手したりすることも、制限されるようになる。やがて相続の問題が発生し、社会的再生産が新たな形態を取る。
 このように、
定住社会で「財産」が実体を持った現実として現われ、この現実を認識することで財産が制度的事実として成立する経緯は、簡単に理解できるだろう。おそらくこうしたことはすべて、「財産」という概念が法的概念になる前に起こったと考えられる。法的概念は一般に複雑な社会で見られるものであり、法律という概念そのものも、別の制度的事実が誕生しないと生まれないものだからである。そうした制度的事実の中でとりわけ重要なのは、関連する法の原則をどう適用するかをめぐって争いが起きたときに判定を下す何らかの権威だろう。財産そのものは、前に論じた重さや価値と同様、象徴的であると同時に物質的でもある特別な概念の一つであり、その物質的特徴が制度的事実を構成している。


  
3. 「神々の誕生」と儀式の役割

 西アジアでの定住は、ジャック・コーヴァンの言う「神々の誕生」とも関連している。小型の像は、定住地で栽培作物や家畜の発達以前に登場する。実際コ-ヴァンは、神々への崇拝が人々を集め、儀式を執り行う間に大きな社会的集団を作ったという因果関係があるのではないかと主張している。これを補足すると、こうした
神々(これが神々だと仮定して論を進めるが)は物質として具体的な形をとっていた方が高い効果を挙げる。そうすればいつまでも物質として存在し、儀式の中心として容易に機能するからである。デマレらの主張によると、この物質化により、象徴は物質としての形を取り、影響力を強化するのだという。宗教が長期にわたって続いたのは、神々が物質としての形を取って永久に具象化されたことによるというわけだ〔注〕


  〔
編集部注『資本論』第4節商品の物神的性格と「Fetischismusフェティシズム:物神崇拝を参照してください 〕


   第8章 財 貨


 
◆制度的事実としての価値

  
1. 新たな価値体系の発達

 先史時代の謎の一つに、不平等の起源がある。初期の狩猟採集社会は、旧石器時代の祖先が作っていた社会と同じく、常に平等社会だったようだ。個人個人は平等な立場で活動に参加し、人物評価は、狩猟の腕前など個人の実績を基にきめられていた。しかし農業革命以降、ほとんどの発達経路では、リーダーとフォロワーからなる共同体が発達し、高い地位は世襲されることが多くなる。その後に一部で発達する国家社会は、階級社会であった。
 不平等をもたらした鍵は、財貨にある。つまり、ほとんどの発達経路のある時点において、品物に価値があるという理解が発達したことに原因があるのだ。人類社会の発達の中で、品物や産物に意味や価値があると考える発想ほど重要なものはないだろう。
この価値は、物と関連づけられていたが、やがて人にも関連づけられるようになり、価値の高い品物と地位の高い人との間の関係が強くなった。ちなみに旧石器時代の狩猟採集民は、耐久性のある物質に高い価値を認めていなかったらしい(貝殻を除く)。確かに琥珀や金や美しい石をビーズや装身具に使っていたが、それは旧石器時代もかなり後期になってからのことである。

 
不思議なことに、品物に価値を認める傾向は、少なくとも西アジアとヨーロッパでは、前章で論じた定住が始まったのとほぼ同時期に発達したらしい。この発達とともに、すでに少し触れた様々な形の物質的関与が新たに生まれた。その一つに、人工物を、社会的関係に関する意味を具体化したり担ったりするものとして新たに重視するようになったことが挙げられる。・・・たとえば友好関係、恩義、地位、権力などを人工物に託すようになったのだ。人工物は神聖さを担うこともあるが、それに関する議論は次章に譲ることにする。
 もっとはっきり言うと、
多くの社会的関係が品物や人工物を介して成り立つようになったのである。ヒスイなどを原料とする磨製石斧は、新石器時代のヨーロッパでは価値がひときわ高いと考えられていた。後に銅と金が発見されて利用されるようになると、新たな価値体系が生まれた。ヨーロッパの青銅器時代は、こうした価値体系の上に、新たな物質から作られた剣など威力の強い武器とともに築かれたのである。

 この価値体系を最も明確に表わしているのが金銭だ。金銭が硬貨という形で発明された(あるいは構成された)のは、紀元前1千年紀、先史時代がまさに終わろうとしていたアナトリア西部(現在のトルコ)であった。実際、世界の多くの地域では、金銭を用いた貨幣経済の採用が先史時代の終わりを示す目印であり、そのため貨幣経済を歴史時代の始まりを告げる最良の指標と考えることもできる。しかしここでは、これまでの議論を踏まえて、西アジアで初期定住とともに現われ始めたこの新たな概念(硬貨の使用が体現し、さらに発達させる概念)をもっと明らかにしたいと思う。
この文脈では、鋳造硬貨は、石器を初めて価値ある物として交換したときに始まった数千年に及ぶプロセスが生み出した結果にすぎない。その意味で硬貨は、人類史では比較的新しい現象である。



  2. 
金銭の象徴性

 私たちが住むこの社会では、銀行の預金残高や、給与明細や、ポケットマネーは、疑問の余地のない強力な現実性を帯びている。しかし、そもそも金銭とは何だろう?一見すると、象徴的なもののように思える。預金通帳や給与明細に書かれた数字は、ポンドやドルと解釈できるし、頼めば銀行の窓口で払い出してもらえる。5ポンド紙幣は、一定の購買力を表わすという意味で象徴的なものである。これがあれば、お店に入って、支払いをし、品物を家に持って帰ることができる。しかし、金銭の象徴性は、改めて検討してみる価値がある。なぜなら金銭は、新石器時代のヒスイ製磨製石斧から延々と続く有価商品すべてに関わる基本的な関係を体現するものだからである。

 ここで再び前に概観した象徴の基本定義をもう一度見てみよう。
  
X は文脈C において Y を意味する
 この公式では、
Xは象徴であり、シニフィアンとしてシニフィエ Y を意味している。ここで非常に重要なのは文脈Cである
これについて詳しく説明しよう。世界各国が金本位制を採用していた時代、この公式は、象徴である紙幣(ポンド紙幣)とシニフィエ(ゾウリン金貨)の間の基本的な関係を正確に示していた。確かに昔はそうだったが、今では事情が異なる。金本位制をやめたからだ。紙幣は本質的な価値を持たないし、そもそも何を象徴しているかもはっきりしない。
もしポンド紙幣を公式の X だとしたら、シニフィエである Y は現在では何に対応しているのだろう? 実は、
金銭の現実性は私たちの社会を動かす数多くの特殊な事実、言い換えれば、制度的事実の一つなのである

これは社会を支配し構築する現実である。ゾウリン金貨は金でできているため本質的な価値を持っていると考えられていたが、その価値もまた構成的事実と呼ぶことができよう。

 金銭の事例は、こうした関係をわかりやすく示してくれる。正確には、その複雑さを説明してくれるのである。しかも同様のことは、古代での貴重な品々についても言えそうだ。金やヒスイ、さらには、しかも同様のことは、古代での貴重な品々についても言えそうだ。金やヒスイ、さらには、アフガニスタンで採れ、古代エジプト人に愛された美しい青い宝石ラピス・ラズリなどにも当てはまるだろう。この議論でぜひ注目してほしいのは、ある物質またはその物質から作られた人工物が本質的に高価なものだと考えられるようになったとき、この世界は何かしらとても特別なものをもつようになったということだ。これは、ヨーロッパと西アジアでは新石器時代の始まりとほぼ同時期に起きたようだ。そして、その後に不平等が登場する。
 それをよく示す非常に初期の事例が、新石器時代のイギリスで行なわれていた、ヒスイ輝石(硬玉、ジェダイト)で作った磨製石斧の交易である。この石斧は、長さが最大で30センチメートル、色は濃緑で、磨き抜かれた、きわめて美しい斧だ。原料のヒスイ輝石はアルプス産と見られ、これが交易によりフランスを通ってイギリスに渡ったらしい。発見地の北限はスコットランドである。当時イギリスでは、地元で採れる普通の石で作った磨製石斧が利用され、地元で交易されていた。ヒスイの石斧で重要なのは、「実用価値」は最低限しかなかったはずだという点である。木を切り倒すのに使うと、刃が簡単に割れてしまう。その唯一の機能と価値は、象徴としての機能と価値だったに違いない。


 
3. 威信を示す人工物

 狩猟採集社会では、作業に使えるフリントなど「実用価値」のある品物を利用し、それを入手するためなら、どれほどの苦労も惜しまなかった。その一方で、珍しい品物で自らの威信を示すのは、範囲が限られていた。 ヨーロッパと西アジアでは、冶金術発達の初期段階に入って初めて、量と質ともに「裕福」と言ってよさそうな、多種多様な物質からなる大量の副葬品の埋まった墓地が見つかるようになる。新石器時代と初期青銅器時代の埋葬地を分析すると、墓地の差別化はすでに新石器時代から始まっていたことがわかる。
 こうした特徴が最初に現われるのは、ヨーロッパの先史時代に限って言えば、ブルガリアで後期新石器時代(「金石併用時代」とも言う)に属する紀元前第5千年紀のヴァルナの埋葬地である。ここの墓地からは、銅製品や金製品は言うに及ばず、様々な素晴らしい副葬品が出土した。膨大な量の貝殻のほか、非常に長いフリント製の石刃も見つかっており、これほど長い刃を作るにはかなりの技術が必要だったに違いない。しかし、何と言ってもヴァルナで最初に目を引くのは、出土した金の多さだろう。考古学的記録の中で金が出てきたのは、量の多少にかかわらず、これが初めてである。

もう一つ注目すべきは、この場所から様々な銅製品も見つかっていることで、ここでは銅製品を使うことが高い威信を示す印だったようだ。銅が実用品となるのはおそらくもっと後のことで、スズと混ぜ合わされるようになって初めて石よりはるかに便利だと考えられるようになったものと思われる。
 ヴァルナでは金は主にビーズや装飾品などの人工物として見つかっているが、こうした形で金を所有し誇示することで、威信を手にすることができた。ヨーロッパでは、こうした高い威信を示す品物には短剣や長剣などの武器が含まれ、興味深いことに、こうした威信財が新たな冶金産業の発達につながっていった。


 
商品関連と商業経済の始まり

  
1. 商品という概念

 旧世界だけでなく新世界でも確認できることだと思うが、多くの社会では、様々な象徴的概念がさらに重要な
集合体(連関)を作り、それが中心的な役割を担って物質的関与を進め、新たな経済システム発達の基盤を築いていった。これが古代西アジアで商業経済を引き起こし、次に古代ギリシャ・ローマの貨幣経済を生み、さらには資本に基づいて都市国家や君主国が経済活動を行ったルネサンス期へとつながっていく。この商品連関は、もう一つの顕著な概念集合体である権力連関(後述)に比べると目立ちはしないが、両者は一緒になって機能する。

 商品連関には、相互関係を持った重要な概念が少なくとも4つある。そのうちの3つは間違いなく象徴的なものであり、しかも以前に述べたように、物質的現実が概念と同時または先に現われなくてはならない種類のものである。象徴は、先行する概念を単に写し出すだけではなく、実質的な現実として概念の構成要素にもなっている。
 このうち、計量と価値については、すでに検討済みだ。重さの概念は、物質的関与プロセスで生じた構成的象徴と見なされた。さらに、グラムやグレインといった具体的な重さの単位は、計量制度という何から何まで人間の心が生み出したシステムの中で構成的事実となり、独自に事実としての現実性を帯びるようになった。また、一部の物質には高い価値が認められたが、先にみたように、価値の有無は非常に恣意的に決められる。実用的価値とはあまり関係がなく、その物質に本質的な価値があると広く認められれば高価だと見なされたのである。「真実」であるかどうかは共同体つまり制度の中で認められているかどうかで決まるという意味で、これも、今まで見てきた制度的事実の一つと言える。

 先史時代のエーゲ海沿岸で見つかった重りは、それぞれが基準となる単位の自然数倍になっているだけでなく、何倍かを示す数字が刻印されているものもある。天秤皿も一部で見つかっており、この重りは天秤の分銅だったのではないかと考えられている。ここから最初に導き出される推論は、改めて言うまでもないく、基準となる重さの単位を数えることで重さを量るという、計量と言って差し支えない行為が行われていたことである。その次に導き出される推論は、計量という行為には実利的な目的(右の皿に載せた物と左の皿に載せた物との間に
一種の等価性を確立するという目的)があり、これには二つの異なる物質が関わっていたということだろう。
ここから、測定値に換算して示される
二つの異なる物質の等価性という概念が得られる

 
いよいよ商品の概念に近づいてきた
なぜなら、商品とは量を計測できる物質であり、計量単位あたりの明確な価値をもつものだからである。確かに商品は、小麦、大麦、オリーブ、羊毛、亜麻糸、香油、銅、スズなど、様々な具体的事物からほんの少し離れただけの象徴的概念だ。しかし、この商品という概念には、計量単位という概念と、定量化できる価値という概念がすでに内在しているのである。

 
「交換」は、「価値」「計量」ともども「商品」とは異なり、名詞としても動詞としても使える言葉だ。
すでに見たように、交換とは二人の行為者によるやり取りであり、与える物と受け取る物の間にバランスすなわち等価性があるという概念を伴う。したがって交換を成立させることで、「XはYと等価である」という関係が生まれる。この関係は、すでに何度か出てきた象徴を定義する関係 「Xは(文脈において)Yを意味する」 と、あまり違わない。確かに、非常に簡単な交換では、ある品々は別の品々と交換されるだけだ。しかし、一方の品物がどうしても入手したいものであるとき、それは商品となることが多い。つまり、はっきりとした特徴を持つ、識別可能で一般的に有益な品物となるのだ。

こうした場合、商品はたいてい測量単位あたりの決まった価値(交換価値)を持つ。高度に発達した経済の基礎となる商業的交換(交易)が発達するかどうかは、この連関が生まれるかどうかで決まる。
 この関係に新たな要素を加えたのが。冶金術の発達だ。これによっておそらく初めて、大量に集めて貯蔵する価値があり、しかも朽ちたり腐ったりすることのない商品(銅、スズ、青銅、金、銀)が登場したと思われる。
これで富という概念に、新たな要素が加わった。製銅術は、もともと各家庭で行なわれていたが、すぐに専門の職人の手に移り、ときには中央集権体制に寄与することもあった。



  
2. 計量制度と都市文明
 
 価値の計量を基盤とする商品交換というシステムは、西アジアをはじめ、インダス文明やクレタ文明、ミケーネ文明などの都市社会すべてに共通する特徴である。交易は、ゴードン・チャイルドが最初に都市革命を説いたときに指摘したように、こうした都市共同体の商業経済を支える基盤となった。・・・
 この商品連関は、すべての都市社会に共通する特徴ではなく、西アジアとヨーロッパの発達経路にのみ見られるものなのかもしれない。いずれにせよ、新しい強力な概念と象徴システムが登場するとき、概念上の問題が具体的な物質上の問題と密接に関わり、複雑に絡み合っていることを、商品連関は実証しているのである。


    第9章 宇宙を取り込む・・・
神々の誕生・・・

 
◆ 世界を理解する営み

  
1. 宇宙の中に位置づける

 物質が、人類社会で意味を持ち、新たな制度的事実を作り出す過程、つまり現実と認められる物質的象徴を生み出す過程と関係していることを見てきた。定住の開始とともに、そうした物質化へ向けて新たな可能性が開けた。財産が生まれ、相続の制度ができたことで、新たな種類の所有が生まれる。集落を基盤とする定住共同体ができると、新たな社会構造と新たな義務が誕生する。・・・

 本章では、もう一つの不思議なプロセスに目を向けたいと思う。そのプロセスで人間は、この世界での物質的関与を通して、重要な意味を持つ素晴らしい新たな構造を作り出した。その構造は、非常にわかりやすく、また強い説得力に満ちていたため、その信奉者にとっては人生そのものに目的を与えてくれるように思えるほどだった。
人類が考案したこの構造は、強固な現実性と事実らしさを持っていたので、それを現実のものとするため大量の労働力を注ぎ込むよう命じることができた。ときには人身御供を要求することさえある。これは人が作った概念でありながら、恐ろしいほどの現実性と事実らしさを持っていた。その概念とは、儀式と純理論的思考によって構築された神々と、その神々を取り込んだ神殿と神像であった。

 ここで取り上げるプロセスには、この世界を理解しようとする取り組みが含まれている。自分自身や自分の社会をより広い世界の中に位置づけ、さらにそれより広い現実、つまり宇宙の中に位置づけようとする営みが関係しているのである。確かにほとんどの人類社会は、言語が発達して以降、マーリン・ドナルドが人類の発達の神話的段階と名付けた時期に、この位置づけを行おうとしてきた。言語の発達とその後の叙述の発達により、過去の経験を説明し語ることが、現在の状況を説明するのにも利用されるようになったに違いない。創造神話をもっていることが判明している社会は、そのほとんどが、この世がどのようにして生まれてきたのかを説明している。また、そうした説明では、どのようにして現在に至ったのかも説いている。

  
2. 生と死のサイクル

 注目すべきは、西アジアでもっとも複雑な埋葬儀式が始まったのが、最初の定住集落が生まれようとしていた時期だったという点である。古くは地中海東岸のナトゥフ文化で見られ、次いで先土器新石器時代のヨルダンとパレスチナで確認されている。頭蓋骨に石膏で顔を復元し、目にコヤスガイの貝殻をはめたものが、イェリコの先土器新石器時代Bで見つかっている。
また、これとほぼ同時期のヨルダンにあるアイン・ガザル遺跡では、高さ約1メートルの石膏像が数体発見された。フランスの著名な考古学者ジャック・コーヴァンは、この像が登場したことを「
神々の誕生」と呼んでいる。しかし、これは神々ではなく先祖の姿を現している可能性がある。いずれにせよ、この像からは、生と死のサイクルに関する重要は物質的関与が行われており、さらに、儀式を執り行うことで、そのサイクルに影響を与えようとしていたらしいことが察せられる。



  ◆ 宇宙の秩序と権力

  
1. 宇宙の秩序への関心

 多くの初期国家社会では、発達経路の後半で、こうした取り込みプロセスを使って新たに強力な連関が形成される。それは、集中した権力の行使を宗教が正当と認め、その権力が経済の様々な側面を中央管理できるようにする連関だ。高い威信を伴う貴重品など特別な品物は、宗教儀式を行う過程で消費され、その管理は権力を行使するエリート層が担う。
 新石器時代には多くの集団志向社会が、記念物の中心軸を夏至または冬至に太陽や月が昇る方角に合わせており、彼らが天体に関心を抱いていたことがわかる。さらに多くの国家社会では、大きな特徴として、天体に反映される宇宙の秩序と、支配者の身体や神格化された支配者一族に集約される地上の社会秩序との間に、特別な関係があると主張されるようになった。
 
 エジプト学者のバリー・ケンプは、こうした関係を詳しく論じ、「イデオロギーは国家とともに生まれる。政治的存在である国家を補完する思想体系だからである。(中略)混乱と無秩序を封じ込めるには、王が統治し、最高神の慈悲深い力が太陽のエネルギーとなって現れる以外に方法はない」と書いている。イデオロギーの根拠も関する議論の中で、ケンプは建築が政治的発言の一種として機能していたと主張する。つまり、記念物建設での物質的関与プロセスが、前に見た集団志向社会で効果を挙げていたのとは違った形で利用されたというのだ。


  
◆ 小宇宙としての都市

  
1. テオティワカンの世界観

 メキシコ盆地にある大都市遺跡テオティワカンの中心部にある大動脈、通称「死者の大通り」を歩いていると。何もかもが、目にみえないが何らかの根本的な秩序に従って配置されているのに気がつくだろう。この都市は、最盛期には10万人の人々が住み、紀元200年ころに現在の形となり、紀元700年ころには滅亡したが、800年後のアステカ時代にも何度か利用されている。・・
 現時点では、テオティワカンの社会システムと信仰システムの根底にある制度的事実について、まだわからないことが多いが、秩序と象徴表現に関する証拠は大量にある。これについて、ここを発掘した杉山三郎は、暦ならびに天地創造の象徴表現と関係していると主張あいている。杉山は、ケツァルコアトルのピラミッドの下にぼちがあるのを発見すると、その後に素晴らしい論文「メキシコ、テオティワカンの宇宙創造説を、小宇宙という形で計画に沿って再現しようという計画の一部だったのである」と推論している。
 このように書いた後で杉山は発掘作業を開始し、月のピラミッドの下に計画的にトンネルを掘って、このピラミッドが数次の建設段階を経ていたことを明らかにした。さらにピラミッド内部の、現在の建物の基礎部分よりはるかに下にある第4建設期の盛り土の中から、供献・埋蔵複合施設と、そこで人身御供にされた人々の遺骸が発見された。埋葬地は、都市を南北に縦断する主要軸「死者の大通り」の延長線上に正確に位置している。象徴的意味を持った供献物も大量に見つかった。



 
◆王の埋葬に見る制度的事実

  
1. 富と神聖さ

 宇宙の秩序を維持する力と確実に調和する方法として、たとえば首都を一種の小宇宙や宇宙図とすることで同様の秩序を地上の世界にも再現していたことを説明した。しかし、これ以外にも、支配者の身体や装身具を通して調和をもたらすという方法もあった。その神聖さや神々しさは、世界の秩序を司る超自然的な力や神の力と何らかの方法で結びつくことによって生み出された。この巧妙な考え方は、いくつかの初期国家社会に共通して見られるようだ。宮殿の図像にはっきりと表れることもあり、その場合、支配者は神とともにいるか、神の力の恩恵を受けているように描かれた。また場合によっては、この考え方が葬儀や、支配者の遺体とともに埋葬された豪華な装飾品に、はっきりと表れることもあった。

  
2. エジプトにおける神の創造

 エジプトでは、ファラオの埋葬は古王国の初期から、この上ない華やかさと大量の労働力を伴う一大行事であった。それがよく反映されているのが、ピラミッドの建設である。後にそれらの墓はすべて盗掘されたが、一つだけ、被害の比較的少ない墓が発見された。それがトゥトアンクアメン王の墓である。
 トゥトアンクアメンは、新たに一神教を起こしたアクエンアテン王の跡を若くして継ぎ、紀元前1361年ころから前1352年まで国を治めた。この統治時期は、第1王朝の支配者より千年以上も後であり、王の名前や事跡が文字に記された碑文から判明しているという点で、歴史時代に属すると言ってもいいかもしれない。ただ、現在わかっていることの大半は、遺物から得られたものである。
 そうした遺物には、亡くなった王が太陽神ラーと同一視されたとする信仰がはっきりと表れている。ラーは、黄金の体とラピス・ラズリの髪を持った神だ。王の遺体には、ラピス・ラズリで装飾した黄金のマスクがかぶせられてい
たが、これはラー信仰を取り込んだものである。実際マスクをよく見ると、顔と首は金であり、眉毛とまつ毛はラピス・ラズリだ。歴代諸王の廟所(びょうしょ)や棺にも言えることだが、すべてが金でできた墓地に見られる象徴表現全体は、死んだ王は神になったという信仰を反映しているだけではない。これほど豪華な処置を施すことで、神だということを、いわば実証したのである。ここに、物質的関与プロセスは頂点を極めた。神格化つまり神の創造に達したのである!


 ・・・抄録要約、 終わり ・・・

  第10章 先史時代から歴史時代へ
 ◆文字で書かれた歴史
   1.歴史時代の意義
   2.植民活動がもたらした先史時代の終わり
 ◆文字の使用と心の発達
   1.様々な文字体系
   2.アルファベットの影響
   3.ギリシャにおける文字文化の発展
   4.中国語における文字文化の発展
 ◆貨幣制度と識字能力
 ◆世界先史学から世界歴史学へ
 ◆おわりに―先史学の将来


 以上