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<コラム14>
         
アダム・スミス『諸国民の富』 解題 大内兵衛



      
5. 『諸国民の富』の著作

              → 6 『諸国民の富』の構成

 『道徳的感情の理論』は非常に好評で、スミス教授の名はいよいよ高まった。そして彼の講義も道徳論から富裕論へとうつりつつあった。このとき、思いがけない運命が、彼を見舞った。それは、政治家タウンゼントが義子であるバックルー侯爵を外国留学させるについて、そのおつきの家庭教師たることをスミスに求めてきた。タウンゼントはその報酬として年俸300ポンド終身年金300ポンドを出そうといった。この額は大学教授の俸給よりは多かったから、そしてこの際しばらく外国を見つつ静閑をもちたくもあったから、スミスはこの申出をうけた。1764年の初春スミス(ときに40歳)はバックルー少年をつれてフランスに渡り、トゥールーズに落ちついた。

ここでしばらく滞在し、徒然を消すためにかねて腹案していた「公共の富裕の性質および原因」の稿をおこした。これが後の『諸国民の富』の第1原稿である。ついで彼らはスイスに旅し、そこでかねて尊敬するヴォルテールを訪い、さらに転じてパリに出た。パリには親友ヒュームがいた。彼は、スミスをドルバックのサロンを中心に集まっているディドロ、エルヴェシウス、チュルゴー、モルレ、リコボーニ夫人、ケネーというような歴々と交わるようにしてくれた。このときこの人々の政治感覚にはすでに革命の風雲がはらまれていた。それは世界の一隅グラスゴウで養って来たスミスの経済感覚を世界的規模に拡大し、それに政治的に革新の色をぬった。

この間に彼はケネーの重農学派の進歩性を頭に入れ、剰余価値の源泉は商業の世界に求むべきではなく、それよりもつよく生産の世界にさがすべきことをたしかめた(本書第4編第9章「農業の諸体系について」976ページ以下参照)。
 遊学ほぼ3年。帰国したスミスは郷里カーコールディの書斎にこもって、もっぱら経済学、経済史、政治史、経済政策の本をよんだ。そして、すでに手をつけていた著作にはげんだ。疲れれば散歩はしたが、それ以外には全く書斎を出なかった。しかしその間にもイギリスの経済は動いて、1760年にはその外国貿易は世紀のはじめの倍にも達した。友人ワットの蒸気機関は完成し、(ハーグリーブズは紡績機の製作を告げた。また遠くアメリカを望めば、この植民地は印紙税問題を契機としてイギリスから独立しようとし、すでにその戦ののろしがあがっていた。
 1773年4月、この書斎の主人は慨然として立ち上った。かさ高い原稿をいだいてロンドンへと向った。出発にあたり彼は健康が衰えていることを自覚した。そして親友ヒュームに遺言の執行をたのんだ。そのうちには『諸国民の富』以前に書いた自分の原稿はすべて焼いてくれとあった。それは『諸国民の富』はスミスにとって一生一代の、命をかけた著作であることを語るものであった。しかし、いざロンドンについて見ると、こういう大冊の出版は当時としてはなかなかの大事業であった。彼は、校正とアメリカの植民に関する章その他についての多少の補正のために、3年をここで費した。1776年3月9日ついに『諸国民の富』は出版された(本書「編者の序論」6ページ参照)。出版書店はストレイハン・キャデル。顧みれば著者がこの著作を準備してその刊行を、『道徳的感情の理論』の巻末に予告してから、まさに18年、また『講義』のうちで最初の構想をのべてから27年(本書「編者の序論」55ページ参照)である。まさにスミスの一生はこれにかけられたのである。

 本書の刊行は大きな評判となった。それを誰よりもよろこんだのはヒュームであった。彼はスミスにあててこう書いた。「うまくでき上ってぼくはうれしい。ぼくは精読してみて安心した。この本は、君も友人もまた社会も大いに期待した本だから、ぼくは出版と聞いてオドオドしていたのだが、全く安心した……深さと堅牢さと鋭さをもっている、また引例もよい、一般の注意を引くようになるにちがいない」と。ちょうどそのころ『ローマ帝国衰亡史』を書いていたギボンもその友人にあてた手紙にこう書いた、「われわれ共同の友人、アダム・スミス君の著作は大収穫だね。大きな科学がほんの一部の書物のうちに、そして最も深遠な思想が明晰なことばで表現されている」と。また世紀の史家バックルは「これはいままでに出た本のうちでいちばん重要な本だ、この孤高のスットランド人は、この一書の著作によって歴史に名をとめる多くの政治家や立法者の功績を合計したより以上のことを人類の幸福にもたらした」と評した。この初版は六ヵ月のうちに売り切れた。そしてその後も版を重ねた。これらの点についてはキャナン教授が委しくのべている(本書「編者の序論」9-12ページ)。


       
6. 『諸国民の富』の構成
 

『諸国民の富』の構成
   第1篇 「労働の生産諸力における改善の諸げんいんについて、また、その生産物が人民のさまざまの階級のあいだに自然に分配される秩序について」
   第2篇 「資材の性質、蓄積および用途について」
   第3篇 「さまざまの国民における富裕の進歩の差異について」
   第4篇 「政治経済学の諸体系について」
   第5篇 「主権者または国家の収入について」

 さて、この書物の構成や内容については、何よりも目次を見ていただきたい。目次によれば本書は5編に分れている。この5編はどういう分け方であるかは著者の学問的方法論そのものである。それを著者は本文の前の「序論と本書の構想」(61一65ページ)で説いている。まず、本書の課題の対象は一方では国民の消費する生活の「必需品や便益品」であり、他方ではそれを生産するに必要な「労働」である。
前者は国民の富で、後者がその「元本」であるという。すなわち労働が有効なときそれが作る富は多い。そして実は労働の条件も、それに使われる資財の種類も多い、そこでそれらの双方を分析して労働の効果そのものをいちばん大きくする条件、政策を論定するのが本書だと。すなわち本書は「諸国民の富の性質とその増減の諸原因」を論ずるものであると。
 さて、それでは、われわれは、いまはここで目次を見つつ、本書の「構成」をかんたんにのべてみることにしよう。

 第1編 「労働の生産諸力における改善の諸原因について

 また、その生産物が人民のさまざまの階級のあいだに自然に分配される秩序について」(67-444ページ) この第一編はその前提として富の生産関係には三つの要素、労働と資財と土地が、あるとしている。そしてその各々が人民中の誰かのものであるとしている。そしてこの組み合わせ方で、生産される富の量がちがうことになるが、三つのうちいちばん決定的なものは労働、またはその生産力である。では、その労働の生産力のちがいは何に由来するか。それは何よりも分業だとスミスはいい、そして有名なピン製造の例をもってそれをとく。ではなぜ分業が労働の生産力を増すか。それは分業が労働の熟練、技巧、判断等を増進するからだ。しかし分業がそのような効果をもつためには製品が売れるという条件がなくてはならぬ。

そこで話は、生産物について工場から市場へと出る。いまやスミスの富すなわち「必需品や便益晶」はここで商品となり、貨幣によって交換される価格の大小となる。そしてそれらの商品の価格がさきの前提に従い生産の三要素に分配せられることになる。賃銀利潤地代論である。ここに来て彼は三要素のうちで土地を特殊の要素とし、そのために第11章を設けている。それは土地の所有が地主に与える地代は労働や資財の生む賃銀や利潤と異り、むしろ受け身のもので社会の「富」が増大すれば遊んでいても地主は大きい収入を得るからである。このようにして労働者資本家地主の三つの階級の利害は必ずしも一致しないということになるが、それにしても久しきにわたっていえば資本家は労働者の雇主であり、富を増大させる主人公である。

 次に 第2編「資財の性質、蓄積および用途について」(445-581ページ)

 資財(stock)とはすでに生産されその上で蓄積されている財貨のことであるが、資財はもういちど生産のために使われる。前編で見たように労働の生産力は分業によって大きくはなるが、それが大きくなるためには、どうしてもより多くの資財がその対象とされねばならぬ。その上にその資財の種類形態もいよいよ複雑多様になる。そういう再生産の観点から資財が区別されるとき、それを固定資本、流動資本という。またそういう資本は産業資本、貸付資本にも分類することができる。そしてこう分類してみると、資本は種類によってその利潤の割合が異っていることがわかる。そしてこの差は生産物が「生産的労働」に従事する人々を雇用して作られるか、生産物が消費してあとに何も残らない労働によって消費されるかの差であるが、前者が大きければ大きいほど社会の畜は大きい。すなわちスミスはいまや資本の見地に立っており、生産の支配者は資本の所有者であり彼は彼のためにはたらく賃銀労働者を雇用するのである。
それゆえに「聖職者、法律家、医師、文人、俳優、道化師、音楽家、オペラシンガーなど」はもちろん「君主、文武百官、僕婢にいたるまで」はみな不生産的である。同様の見地から「節約」「勤勉」「慎慮」によって資本が生産的に使用され、それが農業、製造工業、商業となる。この際、もしすべての人間が完全に利己的で財貨の交換が完全に自由で、社会の分業の効力、各産業間各地産業間の分布の有効性が十分によく貫徹されるならば、資本の生産性はつねに最大となるはずである。実際はそうはいかない、その理由がいろいろとあげられる。

 次に 第3編 「さまざまの国民における富裕の進歩の差異について」(583-642ページ)

 以上二編をもって社会的な経済学すなわち「富」の増殖の原理の説明は終っている。そして結論としてこういう財貨の交換の自由さえ保障されていれば人間相互の道徳的感情と彼らの性来もっている利己心とが集まって、自然に労働と資本の生産力は拡大する、そしてわれわれの富は増大すると。たとえていえばこの原理は「見えない手」である(679ページ)。そこでわれわれは彼の思想を自由主義とよぶのである。
しかしすでにのべたように彼は実証的な歴史家であって単なる哲学者でない。そこで彼は右のような理論が果して人類社会の歴史の現実を説明するものかどうかを自問自答してそれをわれわれに示す。この第3編がそれである。すなわち、それは単なる事実列記の経済史ではない、われわれの用語でいえばこれは一個の資本主義発達史論である。彼はここで今日まで世界の経済の進歩をさまたげて来たものは何か、今日もなお「見えない手」のはたらきをさまたげているものは何か、それを問題としてそれに答える。
まずローマ帝国の没落、その経済衰退の例を見よ。次にその後の都市勃興、その経済勃興の例を見よ。前者における土地制度の害と後者における商業および製造業の自由の利を説き、それを以て右の質問に答える。

 第4編 「政治経済学の諸体系について」(642一1009ぺージ)。

 これはスミスの『経済学批判』である。スミスは「富」すなわち必需品や便益品の裕かな供給のためには、何よりも「自由」が必要であることを説くものであるが、世の中には、もちろん彼とちがった意見がある。その一つは重商主義(商業の体系)であり、その二は重農主義(農業の体系)である。重商主義はまちがっている。なぜかといえば重商主義は「富」をもって金銀または外国貿易のバランスであるとするが、そんなものは「富」ではない。「富」とは人間の「必需品や便益品」である。そしてこんな誤った富の定義からついに有害な政策が生れた。それが重商主義である。その政策は輸入を制限し輸出を奨励する各種の制度、関税、輸出奨励金等々となるが、これらの制度は、いずれも特定の数人と製造業者を利しはするが、富の消費者すなわち国民には損害を与える。こういって彼はもういちど彼の自由放任論を展開している。
このような重商主義に対してより新しい政策思想がある。ほかならぬ重農主義である。そしてこの方は、重商主義に比べれば自分の正しいと考える真理すなわち自由放任主義に近い。というのはこの理論は貨幣をもって富とせず消費物をもって富としているからであり、また財貨の流通についてできるだけ自由をゆるすからである。スミスはフランスに滞在中深くこの理論を学んだ。そして生産力の大小は資本の使用の方法によることはすでに第2編においてのべたところであり、そこでは農業への資本の使用を生産的とした。
そういうことでスミスの重農主義論は、ここでのかぎり、重商主義論に比べると記述はかんたんであるが重農主義の勧奨の意は決して軽くはない。この二つの体系批判の中間第7章に「植民地について」という長い章(828-945ページ)がある。この章は土地が豊富なアメリカにヨーロッパで発達した産業が自由に行われているが、これは旧来の植民とはちがった新しい植民というべきである。この植民では自由放任が原則であるから、経済の進歩も速い。そういうことを語っている本章は第9章の重農主義論の例解とよんでもよいが、また近いうちにアメリカがヨーロッパの本土から独立するという予言とよんでもよい、いずれにしても、重商主義の植民論はつよく否定されている。今日「植民地なき大英帝国」はほぼ現実となった。本章をそれの歴史的予言としてよむとき、スミスのヴィジョンは雄大であったといっていい。

 
第5編 「主権者または国家の収入について」(1011-1368ページ)

 これは今日われわれの財政学とよぶ部門である。まず経費論すなわち軍備、司法、教育、土木その他の公共施設に関して国家は何をなすべきかを論ずる。ここで彼は国家の起源と機能とを富の生産、それに必要な社会的条件という観点から論じ、同時に彼は国家を最も安価で最も有効なものとすべし、どうしたらそれができるかを考察している。
ここでもそれを決定する基準は第1編第2編で展開された労働と資本の生産力論、それの帰結たる自由主義である。これが彼の有名な「安価なる政府」論である。いかに安価であっても政府がある以上何らかの方法によりその経費を賄わなければならない。そこで、次に、租税を論ずる。ここでも彼の原則は負担の公平と軽微である。これもまたブルジョア社会における生産力の要請に外ならぬ。スミスは現に行われているイギリスの諸税をこの基準に照してその適否を詳論している。ついで公債論。彼によれば公債は概して不生産的なもので、性質上国家を滅ぼす危険を内包している。というのは公債は要するに租税を担保とする借金であるのに、国民はその点を理解しない。国民のその弱点を利用して政府は不用意に公債を起すからである。しからばこれをふせぐ方法はないか。たとえば公債の原因である戦争によって利益を受けた者に対してその受けた利益に応じて租税を負担させ、それをもって公債を償却するようにしてはどうかと。
 このようにして彼の財政論は収支適合の技術論でない。軍備と植民地経営の、国民に対する政府の責任論である。そしてイギリスの植民地は、たとえばアイルランドであっても、東インドであっても、北アメリカであっても、現実には本国の軍事的負担で、それが本国民の公債増加の原因となっている。そこでイギリス人がほんとうに本国と植民地の繁栄を考えるならば、彼らはこれまでの大帝国の計画を、その幻影を、すてるべきではないか。これがスミスのいい分である。まさに完全な植民地放棄論である、また、堂々たる非帝国主義論である。


      
→ 6 『諸国民の富』の構成  

      
→ 7 『諸国民の富』の流布とその影響