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重商主義時代の「商品と価値」概念・・・
 ―アイルランドの政治的解剖―




 
ペティの政治体の均整、構成組織、および比例の経済学に関する


  
『アイルランドの政治的解剖』 (1672年)

 



   ◆目次
   1. 資本論ワールド編集部 まえがき

   2. 『アイルランドの政治的解剖』



   資本論ワールド編集部 まえがき・・・


 
小林昇(経済学史の研究者)は、重商主義時代のペティについて詳細に分析を行っています。今日までのマルクス経済学者たちが見落としている大変貴重な論説となっています。
 マルクスが解説している「労働価値説」に関するペティ像
(『経済学批判』A商品分析の歴史)と“ひと味”違った角度からの調査・研究となっています

 さて、ここに『アイルランドの政治的解剖』の抄録を掲載しましたので、マルクスの「ペティ評論」と「小林論文」を比較対照しながら、慎重に探索してゆきましょう。

  
まずは、小林昇の著書から紹介してゆきます。

 「 
1. すなわち第一に、ペティにあっては、「土地が富の母であるように、労働は富の父でありその能動的要素(active principle)である」と述べられており、ここでは、富はその社会的形態については無規定なままの使用価値である。 したがって、ここには労働の役割が強調されているとはいえ、やがてそこから生まれてくる周知の労働価値説の命題は、一方における、母なる大地の観念の残存のゆえに生ずるつぎの諸命題によって曇らされざるをえない。
 すなわちペティにあっては、
交換価値が秤量されるばあいに、「 すべての物は二つの自然的単位(natural denominations)すなわち土地と労働とによって価値づけられなくてはならない 」のであり、こうして土地と労働とのあいだに「自然的同価関係」(natural par)を見いだすこと、あるいはこの両者のあいだに 「同価・均等の関係(par and equation)をつくりあげてあらゆる物の価値をそのいずれか一方だけで表現する」ことが、こころみられるにいたるのである。これが労働価値説の破産であることはいうまでもない。

2. なおペティにあっては、右のような富の観念と並存して、彼のいわゆる「普遍的富」(universal wealth)すなわち貴金属や宝石などの「財宝」をおなじくいわゆる「一般の富」(wealth at large)よりも尊重すべきだという主張が見られるが、 「土地」=富の観念と「財宝」=富の観念とのこういう並存は、商品生産がまだ十分に拡大していない社会における経済学的思考にとって免れえないものなのであった。商品が富の基本形態だとする観念はそこではまだ熟しきることができなかったのである。

3.  第二に、ペティにあってはその労働価値説は、彼の国民経済的分析のなかでは、理論体系の基礎ないしその展開の基点という位置にすえられているのではなく、したがって彼自身がそういう理論的自覚のもとに立言したものでもない。(→小林昇著『国富論体系の成立』第3章 交換価値の真の尺度-労働価値説の創造) ・・・このように小林は主張しています。・・・

 したがって、私たちは、常識的にウィリアム・ペティの「労働価値説」を受け入れるのではなく、さらに
探究すべき課題を明白にしてゆかなければなりません。
また、
重商主義時代における「商品と価値」の概念を正確に把握することが、『資本論』第1章第1節の最大の難関ともなっています。ペティが創始した「経済学」の中身の吟味を欠かすことはできません。
問題を絞り込むために、続けて
小林昇著『経済学の形成時代』付録ペティからスミスまで―商品把握の形成を検討してみましょう。


  「ペティにおける論点の設定」より
 「 
1. 末期封建社会および初期ブルジョア社会における個人としての経済思想家たちの観念のなかにあっては、「土地」に代る富の新らしい基礎形態である「商品」は、その本質にただちに肉迫し浸透することがいちじるしく困難であった。彼らは、広汎な商品生産という対象にはじめて直面することによって、先人の知らなかった多くの難問の前に立だされたのみならず、彼らの周囲にも彼らの内部にも存在していた「土地」=富の観念は、商品の生産についての・商品の価値についての・さらに剰余価値についての彼らの把握を混濁させ、それらのもののなかに「土地」の役割が存在すると誤認させやすかったのである。それに加えて、「土地」=富の観念とともに存していた「財宝」=富という一方の観念も、「商品」の正しい把握を妨げるものであった。


2.
 われわれは叙述の出発点を「近代的経済学の創始者」ウィリアム・ペティ(1623-87)におく。ハンプシャの織元の子に生まれ、きわめて多くの職業を経験し、市民革命(ピューリタン革命)の期間にその学問を進めるとともにやがてアイルランドの土地収奪に参加し、王政復古期には大地主としての地位を固めて著作活動を展開し、名誉革命の前年に没した、この人物の理論のなかに、当面の「移行」期の問題が十分に設定されていることをわれわれは知るであろう。当面の目的のために、ここではつぎの4つの論点がとりだされる。

 第一の論点。これは富の「源泉」に関する把握(以下「源泉」論と略称)であって、これについてのペティのつぎの言葉は周知である。「土地が富(wealth)の母であるように、労働は富の父でありその能動的要素(active principle)である。」この命題は、
物材(使用価値)としての富の源泉を土地と労働とに求め、しかも労働をその能動的要因として捉えたものである。そうしてそれは、命題自体としては、富をその社会的形態については無規定のまま認識したものにすぎず、・・・ 。
しかし
同時にペティは、ここにいう「富」をじっさいには「商品」として捉えていた。すなわち、それは現実には交換価値をもつものだったのである。つづいて第二の論点において知るように、彼が「自然価格」論をはじめて展開していることは、この事情を示すであろう。そうしてそのかぎり、右の命題はまた、一方における「財宝」=富の観念からも脱却しえたものであった。また逆に、ここで「富」の二つの源泉のうち「労働」が能動的要因として「土地」から区別されていること、すなわち労働の役割が重視されていることは、ヘティの「自然価格」論が労働価値論として展開されることの前提となるのである。


 しかし、この命題における「富」がじっさいには「商品」であるとすれば、この「商品」の把握―「富」の経済学的把握 ―にとっては、命題のなかで「土地」が「富」の一方の源泉として居据わっていることは、大きい妨げを残すものであった。いかにも、
効用(→使用価値)をもつすべての物が人間労働の所産であるとはかぎらないし、反対にまたあらゆる使用価値は自然の素材なしにはつくりだされえない。だが、「商品」がこのような「富」の歴史的・社会的な一形態であるのは、それが使用価値であることを前提としながらもさらに交換価値という独自な属性をもつからであるのに、かんじんのこの交換価値の形成の局面には自然は関与することがないのである。
なぜなら、
交換価値がどのようにして決定されるにせよ、それは物材の生産における物理的諸機能にかかわる問題ではなく、このばあい自然は、無償であるか、あるいはむしろそれへの支出を促すところの労働対象であるかの、いずれかだからである。
 ペティはこの点をまだはっきりと把握できなかったため、以下の第二・第三の論点である「価値」と「剰余価値」との問題にここでの規定における「富」の観念をもちこんで、みずからか開拓したこれらについての認識をくもらせることとなった。このことは、封建制の下で支配的だった 「土地」=富の観念が、王政復古期にアイルランドの大地主となった成功者ペティのなかで、その新らしい「商品」=富の観念をゆがめていたことを示すものである。
  ・・・以下、省略 → 『経済学の形成時代』付録ペティからスミスまで―商品把握の形成 参照・・・

 以上のように、小林昇の調査・研究しているペティの「商品と価値」論とマルクスが『経済学批判』A商品分析の歴史の歴史で解説している「労働価値説」とは、大分かけ離れていることが確認されました。  これから、実際にペティの著書を通じて、一緒に検分してゆきましょう。



  


 
『アイルランドの政治的解剖』 

   岩波書店 松川七郎訳 1951年発行

  呈献(1719年版)
 チェスタ州マックルズフィールドの男爵グレイト・ブリテンの大法官トマス・パーカ卿閣下に呈す
 閣下
 サー・ウィリアム・ペティのつぎの論文は、不完全な箇所がいくつかあったときですら、すでに公衆から好評をもってむかえられておりましたので、私はこれをさらによく理解するために必要な二、三の増補をいたしまして、いま閣下にこれを進呈させていただくしだいであります。
 この論文の全意図は、帰するところ産業と公信用との発展をとおしまして、一王国を富裕化せしめることにありますから、私はおのずとこれを、国民の福利と栄光に対する思いやりが世人一般の熟知するところとなっている国務大臣のご愛護のもとにおこうとするにいたらしめられたのであります。わけても、閣下よ、この労作は、
数学上の真理にもとづいておりますので、その学問の偉大な達人であらせられる閣下のご保護をおねがい申しあげましてもさしつかえないものと存ずるしだいであります。・・・・ N・テイト


    
著者の序
 サー・フランシス・ベイコンは、かれの「学識の進歩」のなかで、自然体(Body Natural)と政治体(Body Politick)とのあいだに、また両者が健康と力とを保持する諸方法のあいだに、いくつかの点について賢明な類比をおこなった。そして、解剖が一方のものの最善の基礎であるのと同じく、他方のものについてもまたそうであるということ、また、政治体の均整、構成組織、および比例(Proportion)を知ることなしに政治を処理するのは、老婆ややぶ医者の治療のように不確実なものであるということは、いずれも(ベイコンの考えと)同様に道理にかなったことである。
 ところで解剖というものは、ただに医者のみに必要であるばかりではなく、いやしくもものの道理を知ろうとするほどの人であれば、誰れもがわきまえていてよいことであるから、それゆえ私は、けっして政治を職業としている者ではないが、政治的解剖についての最初の小論を自由に試みてみたのである。
  さらに一歩をすすめて言えば、医学生たちが、安い・ありふれた動物について、しかも自分たちがその習性を知りぬいており・その身体各部についてほとんど混同や混乱がないような動物について探求をおこなうように、私はそのような政治的動物としてアイルランドをえらんだ。

 
アイルランドの政治的解剖の目次
第1章  アイルランドの土地、ならびにその現在の分布および価値について
第2章  人民、住居およびかまど、それらの数、差異および価値について
第3章  教会および聖職ろくについて
第4章  最近の反乱およびその諸結果に関して
第5章  アイルランドの将来の植民事業
第6章  アイルランドの外面的および内面的統治について
第7章  アイルランドの民兵および防備について
第8章  アイルランドの大気、地味および産物について
第9章  アイルランドにおける諸々の土地評価額の相互関係、ならびにその種々の評価の来歴について
第10章 アイルランドの貨幣、およびその減少の諸原因、ならびにその救治策について
第11章 アイルランドの産業、およびその諸障害について。諸物品、および運輸に対する適合性について。
第12章 アイルランドの原住民の宗教、言語、風習、および利益について。
第13、14、15章 省略、



  
アイルランドの政治的解剖 1672年

〔第1章〕 アイルランドの土地について

 アイルランドには、およそつぎの10,500千エーカーの土地がある。(121エーカーはイングランド度量で196となる)
1. 河川、公道等、約1,500(千エーカー、以下同様)
2. きわめて劣悪な土地、 約1,500
3. 良質の牧草地、耕地および放牧地 7,500 (合計10,500)
 *右のうち、1641年にローマ教徒および聖職をうばわれた新教徒に属していた土地 5,200。 教会、すなわち司教、副司教、僧侶および教会所領に属していた土地 300 。  エリザベス女王およびジェイムズ王によって植民された新教徒に属していた土地 2,000 (合計7,500)
  (これらの土地の大半は、王政復古によって還付された。)・・・

〔第2章〕 人民、住居、およびかまど、それらの数、差異、および価値について

 1. 人民、すなわち男子、女子および子ども  1,100,000(後に2,200,000人に訂正)
  世帯 200,000
  かまど 250,000
  すなわち (内訳)
  イングランド人  200,000
  ローマ教徒   800,000
  非ローマ教徒 300,000
  スコットランド人100,000
  アイルランド人 800,000 (合計2,200,000)
2. 住居の評価
  煙突1つ   各5ポンドで24,000戸    120,000ポンド
  煙突2~3  各40ポンドで6,800戸    272,000ポンド
  煙突4~6  各100ポンドで5,600戸   560,000ポンド
     7~9  各300ポンドで2,500戸   750,000ポンド
    10~12 各600ポンドで700戸    420,000ポンド
   13~20  各1000ポンドで400戸    400,000ポンド 
   20戸のけた外れの住居   78,000ポンド   (合計2,600,000ポンド)
  このうち
   イングランド人 2,275,000ポンド
   イングランドの新教徒以外の者に属している 325,000ポンド 
 (合計2,600,000)

 〔第6章〕アイルランドの統治について
 
 アイルランドの統治は、国王、21の司教(そのうちの4は大司教)および俗人貴族上院議員によっている。約3000の自由保有農、およびダブリンにある大学もその一つに数えて、約100の自由体の成員によっており、約270人のナイト、公民および自治都市市民を代表者として下院にだしている。

 
〔第9章〕 アイルランドにおける各州相互の価値の比例について、すなわち
 
 アイルランドにおける各州の価値あるいは(価値の)比例は、各々の州にふくまれるエーカー数に依存するところ大であると思われる。それゆえ、また種々の他の理由から、アイルランドの土地の大部分は、ここ最近40年のあいだに、鎖や器具によって測量されたのである。すなわち、キング州およびクィーン州は1630年ごろ測量され、ロンドンデリ州はロンドン市が植民に着手した常時レヴン某氏によって、コンノート地方とティペラリ州はストラップフォド伯爵の時代に多くの人々の手によって、ある時はウィリアム・ギルバート氏の指揮のもとに測量されたのである。
 マンスタ、レムスタおよびアルスタ3地方において、1641年にローマ教徒に所属していた諸々の土地は、サー・ウィリアム・ペティによって測量された。同じ3地方における他の新教徒の土地は、諸貢納を規制するため、右の土地の所有者みずからによって測量されたのであるが、それが非常にまちまちな・そして切りはなされた仕方でなされたので、前述のサー・ウィリアム・ペティによってしゅう集されたものをのぞけば、それらについてはごくわずかの説明しかなしえないのである。サー・ウィリアム・ペティは、みずから同意して測量総監の役所に提出した・あらゆる教区の地図のほかに、あらゆる郡あるいは村について、また同様にあらゆる州について、自費を投じて作製した地図を銅版にきざませ、さらにあらゆる地方、つまり全国についての地図も銅版にきざませたのである。これらすべての地図は、もしその欠けたところが、いまだに測量されていない土地(を測量すること)によっておぎなうことができさえすれば、公表されるであろう。


ところで、これらの土地の価値についてであるが、それらは1642年に、投機者たちのために、しかもかれら自身によってつぎのように評価されていた。すなわち、1エーカー当たりレムスタ地方においては12シリング、マンスタ地方においては9シリング、コンノート地方においては6シリング、そしてアルスタ地方においては4シリングであった。そしてこのように評価された土地の各1シリング分の値い(Shillings‐worth)のなかから、国王に1年当たり1ファージングの賦役免除地代を支払うために、12シリングに評価されたレムスタ地方においては1エーカーにつき3ペンスすなわち12ファージングを、9シリングに評価されたマンスタ地方においては土地1エーカーにつき9クォドランスすなわち2・1/4(ペンス)を(支払うべしとされていたのであって)、他の地方についてもまた同様であった。なおそのうえ(この評価には)森、沼、および山がふくまれていたのである。・・・

 この評価のつぎに、投機者と兵士とによって、かれらすべての土地が1659年すなわち王政復古の直前にうみだした年価値のうちから、陛下に一定の贈与をさしあげるために(土地評価が)おこなわれた。
1663年には、右の価値を調査決定するための委員会が発足した。・・・さらに、1653年と1654年には、アイルランドにおけるありとあらゆる各筆の土地が1641年にうみだした諸々の価値についての審問がおこなわれた。さらに、全般的に徴収される一定額を、どのような比例で個別的に各州に負担させるかを割りふるための・そのときどきの主権者による種々の法令もあった。・・・

しかし私は、いかなる人々によって、そしていかなる目的のために、またいかなる手段をもってこのような評価や審問がそれぞれおこなわれたかということについて、確実に知っているので、むしろよってもってアイルランドの諸々の土地か価値づけ・かつ比例せしめる二、三の規則を自然のなかに(確定すべく)試みてみよう。
・・・
 
<表>
 しかしこの作業の完成に一層ちかく接近するためには、あらゆる教区の地積の内容がわかり、それと同時にどれほどの量のバター、チーズ、穀物、および羊毛がひきつづき3ヵ年間その土地からうみだされたかがわかれば好つごうであろう。というのは、それにもとづいて
土地の自然的価値(natural Value of Land)が知られるであろうし、また市日の行程(Market‐days Journey )の範囲内に住んでいる人民の数とその家屋の価値―それは右の人民の質と支出とを示している―によっても、土地の自然的価値が知られるであろうからである。
私は、できることならその土地で働いている人民の雇賃(hire of Working-People)をさしひくことによって、右の
諸物品の価値、したがってその土地の価値の認識にゆきつきたいと思う。しかもこのことは、諸々の政治経済学におけるもっとも重要な問題、すなわち、あらゆる物の価値を(土地と労働の両者のうちの)、いずれか一方のもののみによって表現するために、どのようにして土地と労働とのあいだに同価・均等の関係(Par and Equation)をつくりあげるか、という問題の考察へと私をみちびくのである。

 この問題を考察するために、2エーカーの囲いこまれた牧草地を仮定し、そのなかに1頭の乳離れした子牛をいれるとしよう、そしてこの子牛は、12カ月間に100ポンドだけ重くなると私は仮定する。そうだとすれば、このよな100ポンドの肉―私はこれを50日分の食物と仮定するが、―すなわちこの
子牛の価値の増分(the Interest of the Value of the Calf)は、この土地の価値あるいは1カ年の地代である。しかし、もし一人の人間の労働が―1カ年間に右の土地を60日分以上の・同一またはなんらかの他の種の食物をうみだすようになしうるとすれば、そうすれば、日々の食物もその超過分がその人間の労銀であって、両者は日々の食物によって表現されるのである。2,3の人々が他の人々よりも一層多くたべるであろう、ということは重要ではない。
われわれは日々の食物を、100の・あらゆる種類と大きさの者が、生き、労働し、そして産生するために、たべるであろうものの1/100と理解するからである。また、ある種の日々の食物が、別種のそれよりも、これを生産するために一層多くの労働を必要とするかも知れない、ということも重要ではない。われわれは日々の食物を、世界中のそれぞれの国々でもっとも容易に獲得される食物と理解するからである。

 
私は、たとえば1パイントのオート麦が、半パイントの米、あるいは1クォーターの牛乳、あるいは1ポンドのバター、あるいは1ポンド4分の1の肉、等々に等しく、各々がそれぞれの地方でもっとも容易に獲得される食物であると仮定する。しかし、もし米がインドからアイルランドにもちこまれ、またはオート麦がアイルランドからかの地へはこばれるならば、そうすれば、この1パイントのオート麦はインドにおいて半パイントの米よりも高価でなければならぬであろう。そしてこの逆もまた然りであり、他のものについてもまた同様である。というのは、味覚について言えば、―それについてなんらかの確実性あるいは規則性が自然のなかにあるものかどうか、私はうたがわしく思う、―それは、めあたらしさ、品質がよいという評判、他の人々の推薦、等々のいかんによるからである。それゆえ、一人の成人男子の日々の労働ではなくて日々の食物が、平均的には価値の共通の尺度であり、それは純銀の価値と同様に規則的・恒常的であるように思われる。

 実際、
ペルーにおいて、かりに1オンスの銀が1日分の食物と等価であると仮定する、しかしロシアにおいては、この1オンスの銀は、それをペルーからロシアヘはこぶ運賃と危険とのために、4日分の食物と等価である。そしてロシアにおいて、もし一人の職人が、銀器に対する尊重と需要とによって、かれが他の素材についてそうするより以上に(銀器の製造によって)かせぎだすことができるならば、銀の価格は増大してさらに多くの日々の労働に値いするようになるであろう。それゆえ私は、一戸のアイルランド人の小屋を、建設者がその建設についやした日々の食物の数で価値づけるのである。
同一の方法によって、われわれは
技芸と単純労働とのあいだに一つの同価・均等関係をつくりあげねばならない。

   
〔第10章〕 アイルランドの貨幣について

 貨幣はすべての物品の価値に対する一定不変の尺度であり定規(the uniform Measure and Rule )であると理解されている。しかしこの意味で、なんらかの貨幣あるいはそのような定規が世界中に、いわんやアイルランドに、あるかどうか私は知らない。もっとも、たいていの人は金貨と銀貨とがそうしたものであると思いこまされているのである。
というのは、
1. 純金と純銀とのあいだの価値の比例は、大地と人々の勤労とが一方のものよりも他方のものを一層多くうみだすのにつれて変化する、言いかえれば、かつて金は銀であらわされた自身の重量の12倍の値いをもつにすぎなかったが、最近、それは14倍の値いをもつにいたっている、なんとなれば一層多くの銀が獲得されたからである。金について比例的に、すなわち金の約12倍に等しい銀が産出されたということが、金を一層高価にしたのである。このように、金および銀という二つの金属のうちのただ一つが、貨幣をつくるために適する素材たりうるのである。そのために、もし銀が貨幣をつくるために適するその一つの金属であるならば、そのときに金は貨幣によく似た一物品であるにすぎない。そして現在の諸事情のもとにおいては、銀のみが貨幣の素材であり、そしてこのことはアイルランドにおいてはもちろん、他のどこにおいてもそうなのである。


 ・・・・以上で、抄録終わります。 

  ペティの著作の総括的な探究は第2部を参照してください。・・・
  
→ 特集 『資本論』価値分析に対する“蒸留法”批判について