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   マルクス 経済学批判


 『経済学批判』 第1冊 資本について 第1編 資本一般

 
    第1章 商品
1. (14) 
 ・・・しかし、
ウィリアム・ペティが「労働は富の父であり、土地はその母である」といい、またはバークリ僧正が、「四大(地水火風)とその中における人間の労働が富の真の源泉であるのではないか」と問い、あるいはアメリカ人のTh・クーパーは通俗の言葉で「ひとかたまりのパンからこれに用いられた労働、すなわち、パン焼工、製粉工、小作人等々の労働をとり去って見よ。そこに一体何が残るか? 残るのは野生で人間に少しも役立たぬ若干の穀粒である」ことを明言したのであるが、これらのすべての考え方は、交換価値の源泉である抽象的労働については少しも論じなくて、素材的富の源泉としての具体的な労働について簡単にいえば、使用価値を生むかぎりにおいての労働について論じているのである。・・・・
 
素材的富の源泉としての労働は、立法者モーゼにも、税関吏のアダム・スミスにも知られていた(9)
 
 
(注9) 有用なるもの、すなわち、使用価値の創造を助けるかぎりの労働と富の一定の社会的形態、すなわち交換価値を創造するかぎりの労働との間の区別を少しも理解することのできなかったF・リストは、そのために、イギリスの近代経済学者に、エジプトのモーゼの単なる剽窃者を見たのだった。もっともそも理解するということが、片寄った実用的な彼の頭脳にとっては縁遠いことであったのだが。


 
2.  A 商品分析の歴史 ペティ


 
ペティは、使用価値を労働に分解するが、その創造的な力に自然的限界のあることを見誤ってはいない。彼は、現実の労働をそのまま社会的総体として分業(注16)と考えている。素材的富の源泉に関するこの考えは、例えば彼の同時代人であるホッブズにおっては多少実を結ばなかった気味があるが、ペティの場合は、政治算術に導いている。
 政治算術は、経済学が独立の科学として分離した最初の形態である。だが、彼は、商品の交換過程に現われる交換価値を貨幣と考え、貨幣そのものを現存する商品、すなわち、金および銀と解する。重金主義の観念にとらわれて、
彼は、金や銀を獲得する特殊の種類の実体的労働を、交換価値を生む労働と説明する

 
彼は実際にこうのべている、
 
ブルジョア社会の労働は直接の使用価値を生産しないで、商品を生産せざるをえない、
別の言葉でいえば交換過程で譲渡されることによって金および銀として、すなわち貨幣として、または、
交換価値として、いいかえると対象化された一般的労働として現わされる使用価値を生産する外ないと
いうのである。いずれにしても彼の例はこういうことをはっきり示している、すなわち、
労働を素材的富の源泉として認識しても、そのことは決して労働が交換価値の源泉となっている一定の社会的形態についても誤解しないですむわけのものでないということである。

 3. (注16)
 
ペティはまた分業を生産力としても展開した。しかもアダム・スミスよりずっと広大な構想の上に、『人類の増殖に閥する一論』第3版1686年 35-36頁を見よ。彼は、ここで分業の生産に対する利点を、アダム・スミスが後に針(ピン)の製造についてやったように、懐中時計の製造で示しただけでなく、同時に一都市および一国全体を大工場施設の見地から考察することによって示している。1711年11月26日の『スペクテータ』は、この「驚嘆すべきウィリヤム・ベテイ氏の説明」に論及している。したがって、マッカロックが『スペクテータ』は、ペティを40歳若い著述家ととり違えていると臆測するのは誤りである。
  マッカロック『経済学文献、分類カタログ』ロンドン1845年105頁を見よ。
ペティは新しい科学の創始者と自負している。彼の方法は、「これまでのありきたりのものではない」と、彼は言っている。自分は一連の比較級や最上級の言葉と思弁的な論議を一緒に編み合わせる代りに、数字や重さまたは尺度で語り、もっぱら感覚的な経験から導き出された議論を用い、そしてこのような見ることのできる自然の土台にもとづく原因だけを考察しようと企てた。自分は、個々の人間の変りやすい見解、思想、性行、感情に依存するような原因は、これを他人の考察にまかせる、(『政治算術』ロンドン1699年、序文。岩波文庫版24頁)というのである。

 
彼の天才的な豪放さは、例えば、アイルランドと高地スコットランドの全住民と動産を、大ブリテンの他の地方に移すという提案に示されている。これで、労働時間が節約され、労働の生産力が増大し、そして「王とその臣民はもっと富裕になり、強大になるだろう」というのである。(『政治算術』第4章〔225頁〕岩波文庫版97頁)。
あるいは彼は、その
『政治算術』のある章では、オランダがまだ依然として商業国民としてすぐれた役割を演じ、フランスが支配的商業強国となるように見えた時代に、イギリスの使命が世界市場の占領にあることを証明して、「イギリス王の臣民たちは、仝商業世界の事業を営むに足るだけの充分な資本をもっており」(前掲、第10章〔272頁〕、岩波文庫版146頁) 「しかもイギリスが大をなすのに障害となっているものは、偶然のものであって、除きうる(247頁。岩波交庫版29頁) というのであるが、ここにも彼の豪放さがあらわれている。

独特の機知が彼の全著作を流れている。例えば彼はこんなことを指摘している、今日イギリスがヨーロッパ大陸の経済学者に模範国であるように、当時はまったくイギリス経済学者に模範国であったオランダが、世界市場を征服するに当っては、人によってオランダ人の性質のようにいう天来の機知や頭のよさをあらわさなかったのは、当りまえのことである(175頁、176頁、岩波交庫版48頁)と。彼は、良心の自由を商業の条件として擁護している。
「というのは、貧民は、この世の富をもつことは少ないが、天国の事柄については知恵と賢さをよけいにもっていて、これこそ貧民の特別の財産であるという考えが、彼等に許されてさえいれば、勤勉であり、労働と努力を神への義務と思うからである。」 したがって、商業は、「 決して何か一つの種類の宗教ではなく、むしろつねに全体の中の異端的な部分に結びついている。」(前掲書、183―186頁、岩波文庫版56-58頁)。

彼は、無頼漢がいるために特別の租税が課されるのを弁護して、公衆にとっては、無頼漢のために自分白身に課税する方が無頼漢たちから課税されるよりいいからである、といっている(前掲書、199頁、岩波文庫版69頁)。これに反して、彼は、富を、働く人から「食い、飲み、歌い、遊び、踊り、形而上学にふける以外に何もしない」人に移す租税を非難している。ペティの著書は、殆んどみな稀覯本に属し、旧い粗悪な版が時々目につくにすぎない。
このことは、
ウィリアム・ペティがイギリスの国民経済学の父であるだけでなく、同時に、イギリス・ホイッグ党の長老ヘンリー・ペティ、別称ランズダウン侯の先祖であるだけに、不思議な気がする。しかし、ランズダウン家は、ペティの著作の全集を間もなく出すようだが、これに彼の伝記を付することはしないらしい。そしてここでも、ホイッグ党の名門の起りについては多くは「言わぬが花」である。クロムウェルの庇護の下にアイルランドで略奪することも、チャールズ二世におべっかを使って略奪者にとって必要な男爵の位を手に入れることも敢て辞さなかった、この放胆に考えることはできても根が猥雑な外科軍医は、公に見せるには余り適当な先祖様ではない。その外、ペティは、その生前に出した多くの著作では、イギリスの繁栄期がチャールズ二世治下に当ることを証明しようとしている。「光栄ある革命」の成果を代々自分たちだけのものにしている人間たちにとっては、これは異端の考えである。

・・・以上・・・