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ジェームズ・スチュアート 『経済学原理』  1767年  (中野 正訳 岩波書店1978年発行)


  
第2篇 商業と工業について  


  
第1章 商業と工業の相互関係について

 私はこれから商業と工業を論じようとしており、これらは二つの異なった題目であるが、第1篇で取りあつかった題目のように、まったく混りあっているのである。それらは、相互作用において第1篇の題目に類似していて、たがいに補佐しあい助力しあいながら、両者のあいだの均衡の不断の振動(バランス)によって、完成と精緻のきわみに達するのである。
 商業は、商人とよばれる一連の人々の活動であり、これによって個人または団体の富や仕事が、工業をすこしでも中断することなく、また消費をすこしも抑制することなく、あらゆる欲望をみたすのに適した等価物と、交換されることが可能となるのである。
 工業は、商業の手段をつうじて、あらゆる欲望をみたすのに適した等価物を手にいれるために、自由人の創意ある
労働を適用することである。 これらの定義は、私の主題との関係においてだけ、また相互の関係においてだけ、正しいことを断っておかなければならない。というのは、商業は工業なしにも存在することができるからで、そのわけは自然によって生産された一部のものが、人々のあいだで交換されうるからである。工業も商業なしにおこなわれうる、なぜなら人は自分の消費にあてるために、非常に器用な細工をすることがあり、そして交換がないところに、商業はありえないからである。
これと同じように、勤労(industry)は労働(labour)とは異なったものである。勤労という用語は、私の理解するかぎり、自由意志によるものでなければならない。労働は強制されることもある。前者も後者も同じ効果を生産するかもしれないが、その政治的結果は大いに異なったものである。 それゆえ、勤労は自由人だけに適用されうる。労働は奴隷によってなされることもある。この区別が正しいかどうかをいっそうよく試し、それにもとづく結論を指摘するために、それをもうすこし綿密に検討してみよう。
 
 私は増殖の三原理、すなわち奴隷制度、勤労、または慈善のどれか一つの助力なしには、大地の自生の産物に比例する以上の多数の人類を、相互に役だちうるようなかたちで、生存させる可能性はなかったと言ったのである。奴隷制度と勤労とは人間の利己的性質とよく両立しうるもので、したがってどんな社会においても一般に成りたつことができる。ところが慈善は人間性の純化にまつものである。したがって、いつでも当てにはできないはずだ、と考える。
 さて私は奴隷制度と勤労とは、ひとしく大増殖と両立しうるとみるのだが、前者にたいして大きな制限をくわえないと、奴隷制度と勤労とはだかいに共存しがたいものである。奴隷制度が樹立されている国へ、勤労を導入することは非常な難事である。・・・


  
第3章 物々交換の最初の原理と、物々交換が商業にまで発達する仕方について

 商業をそれの最初の原理の形に引きもどすために、私はこれからその源をたどることから始めなげればならない。 あらゆる商業のうちもっとも単純なものは、生活に必要な品目の物々交換としておこなわれるものである。もし土地がその最初の占有者の自由にまかされるとすれば、それを耕すこの人物はまずそこから自分の食物を作りだすだろうし、また剰余は物々交換の対象になるであろう。彼はたれでも自分の他の欲望をみたしてくれる人にたいしてそれを交換にあたえるだろう。このことは(すでにのべたように)当然に〔農耕〕労働によって生産された食物の剰余量と、自由な勤労者(フリー・ハンズ)によって生産される剰余量との双方を想定するのである。というのは農業を営業とするものは他のすべての必需品を、食物と同様に自給することはできないからである。また剰余の食物と交換に農業者にそういう必需品を供給することを営業にしているものは、かの食物の生産に従事することができないからである。人間の必要物が増加すればするほど、他の事情が同じなら、それを供給する自由な勤労者がますます多く必要になる。また自由な勤労者がますます多く必要になればなるほど、彼らの需要をみたすために、いよいよ多くの剰余食物が追加労働によって生産されねばならなくなる。


 これがもっとも単純な種類の商業であって、種々の国のなかで、満たされるべき欲望の種々の程度に応じて、大小さまざまの範囲でおこなわれているものであろう。貨幣というものも、またそれに相当するものもない国では、人間の欲望はわずかな対象にかぎられているだろうと思う。すなわち飢えを凌ぎ、渇を癒やし、寒暑や危険を避けるていのものである。自分の勤労によって単純な生活のあらゆる慰安物を獲得できる自由人は、彼の休養を楽しみ、それ以上は働かないだろう。そして一般に、さきにのべた諸目的のための需要がみたされるようになるとすぐ、仕事の増加はすべて止むだろう。これには明白な理由がある。自由な勤労者が自分たちの労働によって、自分たちの欲望をみたすものを獲得したとき、彼らの大望はかなえられているのである。農耕者は自分たちの欲望の満足に必要な剰余を生産するとすぐ、それ以上は働かない。すると勤労はおのずからそこで停止し、したがって物々交換も止むのである。これをわれわれは第一篇で、人口増大の精神的不可能状態とよんだ。

 つぎに検討しなければならないのは、物々交換が上述の定義によって適切にそうよばれかつ理解されているような商業へどのようにして発達するか、商業がいかにして人間のあいだに広まってゆくか、実用的であるよりもどちらかといえば装飾的な製造業がどのようにして確立されるようになるか、またいかにして人々は自分にかならずしも絶対に必要でないものを獲得するためにすすんで働くようになるか、ということである。 これは、自由社会においては、主として貨幣の導入によるもので、またそれの所有者がいだく余剰なものへの嗜好によるものだと、私は考える。・・・

  相互的な欲望が物々交換によってみたされているときは、貨幣の必要はすこしもない。これは状況のあらゆる組合せのうちもっとも単純なものである。
  欲望が増加すると物々交換は(明白な理由によって)いっそう困難になる。ここに貨幣が導入される。これ〔貨幣〕はすべてのものに共通の価格である。それは、欲望をもつ人々の手中にある固有な等価物であり、勤労によって自分の欲望をみたすことができる人々の必要に応ずるように完璧に工夫されたものである。この買ったり売ったりする活動は、前者よりも少々複雑である、しかしここにはまだ商業という観念はない、なぜならその勤労によって商業を運営する商人が、まだ登場していないからである。・・・


 貨幣が一国に導入されるやいなや、さきにのべたように、それはすべての住民の欲望の普遍的な対象物になる。その結果はこういうことになる、すなわちその国の自由な勤労者はかつては、自分のすべての欲望がみたされたので、働くことを止めていたが、眼前にこの新しい野望の対象物を見るにおよんで、労働に洗練をくわえて、単純な生活様式からくる比較的小さな不便をのぞこうと努力するのである。言ってみれば、以前は四季をつうじて一種類の着物しか知らなかった人々が、製造者の創意と、貨幣をえようとする彼らの熱意から考えだした、うまく夏冬に適したいろいろの種類の衣裳を手にいれるために、すすんでなにほどかの貨幣を手ばなすことになるということだろう。・・・

  するとここに人間が必要にせまられなくてもなぜ働くかの理由がある。人間は、貪欲や野心にうながされて他人の用途にあてるために発明した当の奢侈用具〔贅沢な器物〕を、所有したいと思うようになるのである。以上のべたことは初期の〔幼稚な〕商業の姿、というよりもむしろこの偉大な構造物をつくる材料を表現するものである。 われわれは、奢侈にまでも増長し、それ向けのあらゆる自由な勤労者の充用によって豊富にみたされるようになった、人間の欲望の観念をつくりあげた。しかし工人自身がその製品を処分し、それでもって、農業者から食物を、毛織業者から毛織物を買い、また一般にすべての欲望の満足を、この目的のために直接に充用されている人々の手に仰ぐと想定したならば、これはわれわれの定義にかなった商業の観念を伝えないであろう。

 商業や商取引はこのながい過程を縮めたものである。それは、利得の原理から、商人によって発明され実施され、また貧富をとわずすべての人、大小をとわずすべての社会にとっての、一般的効用の原理から、人々のあいだで支持され拡張された、方式である。
 ピン製造者はピンを、彼の必要とする50人の違った大物の労働と交換するかわりに、貨幣または信用と引替えに全部を商人に売る。そして必要に応じて、彼はすべての必要物を、それを供給する人々から直接にか、または製造者と取引する他の商人から購入するのであり、この商人はピン製造者の商人が彼と取引するのと同じ仕方で、〔他の〕製造者と取引しているのである。 商業のいま一つの長所は、国内の一地方の勤勉な人々が、遠くの他の地方の顧客へ供給することができる点である。彼らはそれぞれの営業にもっとも便利な場所に立地し、相互に助けあって、国内の遠方の場所〔の顧客〕にも彼らの労働に不自由させることがない。同様に彼らは仕事を休んで顧客を探がす必要もない。
 商業は多くのすぐれた利点をうむ。それは製造者にその部門が人手不足であるか、または過多であるかを分からせる。人手不足であれば、彼らが応じきれないほどの需要を見いだすであろう。人手過多であれば、売行きは緩慢であるだろう。
 どの職業においても、聴明な大は、どんなときこれらの現象が偶然的なものであるか、またどんなとき商業の真実の原理から発するものであるかを、容易に発見するだろう。これがここでのわれわれの研究の対象である。


  
  第4章 いかにして財貨の価格は商業によって決定されるか


 財貨の価格のなかには、まったく相異なる二つのものが、実際に存在していると私は考える。すなわち、商品の真実価値(real value)と、それの譲渡にたいする利潤〔譲渡利潤〕(profit upon alienation)とてある。本章の意図は、この区別をはっきりと立て、商業の作用がこの二つの基準のそれぞれにどのような影響をあたえるかを明らかにすることである。いいかえると、そのままではきわめて漠然とした不確定な二つのものを、商業がどのようにして画然と決定的なものに仕上げる効果をもつかを明らかにすることである。


 
一. どんな製造品でも、それが販売されるさいに知られていなげればならない第一のことは、多かれ少なかれその完成に時間を要する製品の性質にしたがって、それのどれだけの量を一人の人間が、一日に、一週間に、一箇月に、仕上げることができるかという点である。このような算定をするさい、注意をはらわなければならないのは、一般にその国の工人が、彼の職業で最良の腕のものであるか最悪の腕のものであるかを考慮にいれないで、また仕事をする場所の特殊な利不利はないものとして、もっぱら、平均して、どれくらい仕事を仕上げることができるだろうかという点である。

 そこからなぜある人々はその勤労によって成功し他の人々は成功しないか、なぜある製造業はある場所では栄え、他の場所では栄えないかという理由が分かる。

 
第二に 知られていなければならないことは、その工人の生活資料と、必要支出との価値であり、両者は彼の個人的欲望をみたし、またその職業にぞくする道 具を用意するための支出であって、これも上記のものと同様に平均として取りあげられなければならない。ただし仕事の性質上、工人が消費地にいることを必要とするばあいをのぞく。というのはある種の営業およびほとんどすべての製造業は、遠方の場所でおこなわれていて、したがってその価格に関しては一つの一般的規制にしたがうが、他〔の仕事〕はその性質上、工人が消費地にいることを必要とするからである。またそのばあい、それらの価格はすべての特殊な場所の状況によって規制されなければならないからである。


 
 第三にそして最後に、知られていなければならないことは、原料(マテリアルズ)、すなわち工人によって使用される第一素材の価値である。もし彼の勤労の対象が、別の工人の製造品であるならば、ならびにに関するものと同様の研究の過程を経なければならない。こうしてどんなに複雑な製造品でも、最後にはもっとも単純なものに還元されてしまう。私はこの製造品の分析において、ここで絶対に必要な限度以上に細かくのべたのであるが、これはそれによってのちに、製造品の価格を低減する方法をいっそう容易に指摘するためである。
 この三つの項目が分かると、製造品の価格が決定される。それはこれらの三つの合計、すなわちその真実の価値よりも低ぐはなりえない。これよりいくらでも高ければ、それはすべて製造者の利潤である。この利潤はいつも需要に比例するであろうし、またしたがって状況に応じて変動するであろう。
 この点から製造業の繁栄を押しすすめるためには大きな需要の必要なことが明らかとなる。
 商人の広汎な取引と、仕事と需要のバランスについての彼らの不断の研究によって、上述の状況がすべて商人に分かってき、また勤 労 者にも分からされてくるのであり、後者は自分たちの一定の利潤に応じて、生計と支出とを調整するのである。私はそれを、一定の、とよぶのである、なぜならこれらの状況のもとでは、勤労者はめったに自分の仕事を過大評価しないし、また過大評価しないことによって、彼らは販売を確保するからである。この点は日常の経験で立証することができよう。


 商業やエ業のおこなわれていない国であなたが一人の工人を使うとせよ、彼は自分の〔仕事の〕価格をつねにあなたの要求の緊急度いかん、またはあなたの支払能力に比例させるが、彼自身の労働に比例させることはめったにないI。商業のおこなわれている国で別の工人を使うとせよ、あなたが仕事の価値に無知なことを予想させるような、見知らぬ人でないかぎり、彼はあなたにつけこむことはしないであろう。ところが同じ工人を、その国ではふううに見かけない仕事、したがって需要がなく、またしたがってその価値については規制がおこなわれていない仕事に使うとすると、はじめの想定と同じようにして彼の〔仕事の〕価値を比例させるであろう。

 それゆえ以上のべたところから、商業が確立している国では、製造業は、即座の売行き、規制された製品の価格、勤労から生ずる一定の利潤にもとづいて、繁栄するにちがいないと、結論することができよう。
つぎにこういう事態の結果を検討しよう。


・・・・ 以上、第4章 終わります・・・

   『経済学原理』 第2篇 第19章 初期商業、外国貿易、国内商業と、
                         それらに影響するいくつかの原理との関連について

 
 『経済学原理』 第2篇 第26章 現代国家の臣民間の富のバランスの振動について