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  生命科学と関係性


21世紀の生命科学と関係性の進化理論


 
〔ヘーゲル『自然哲学』と対比することで、『資本論』の「生命科学」への道のりの手引きとなる〕


■どのように進化は作用するのか?  マーギュリス Lynn Margulis

 ダーウィンの進化についての洞察により、個体群の成長や子孫に伝わる変化の存在、そして自然選択の
力に関して科学的に理科できるようになった。自然は組織されている。生物個体は、個体群からなる群集
のなかで生きている。すべての群集は、異なる種の生物で構成されており、群集によってそれぞれ特徴的
な生息地に棲む。このような自然のなかの組織は、気候や地理、そしてそのほかの環境要因と密接に関係
している。
 生物を識別して名前をつけ、グループ分けをする科学である分類学は、とかく環境要因を無視しがちだ。・・・

 自然選択は生存率の差異化以外の何ものでもない。それは永遠に続くが、創造することはできない。そ
れでは、何が進化的に新しいものを発明するのだろうか?その答えを列挙していくと、個々の遺伝子に起
こる突然変異だけではなく、ずっと長いリストになる。ランダムであれそうではないにせよ、DNAの一
塩基対の変化だけで、新規性が現われ、累積していくのではない。遺伝子や遺伝子のかたまり、あるいは
ウイルスが累積したものやプラスミド、そのほかのDNAの小片が複製したり動いたりして、新規性が生
じ、累積していくのだ。細胞や生物個体は、バクテリアと結合したり染色体を再編したり、あるいは共生
生物ができたり、交雑したりして、長いDNAの断片を新たに獲得する。植物や動物の交雑は、同じ種内
だけでなくほかの種との間でも起こる。こういった現象をすべて考慮すれば、ダーウィンのジレンマは解
決する。私たちは今すでに、新しいものが進化してくる起源がどこにあるかを知っているのだ。その起源
をここにあげてみよう。



 微生物の貢献


 進化がどのように作用するのかを理解するためには、生命にはどんな可能性があるのかを十分に把握す
る必要がある。私たちは細菌の進化の複雑性についてきちんと解明しなくてはならない。細菌は無性生殖
をする。彼らが遺伝子を獲得したり失ったりする方法は、複製もあれば転移もあるし、消化やそのほかに
手段もある。細菌が遺伝子をやりとりするスピードや量、そしてその起源の古さは、私たちを驚かせ
る。・・・



 原生生物を生みだした力


 非常に異なるタイプの細菌が合体し、その状態が恒常化した。それが、最初の嫌気性の核をもつ細胞だ
った。もともとは偶然の関係がもう元には戻れないほど親密な関係になり、そして原生生物は生まれた。
原生生物界のメンバーである原生生物は、それより大きなあらゆる形態の生命の、微生物的な祖先である
。あまり詳しいことはわかっていないが、核をもつ細胞(真核細胞とも呼ばれる。あらゆる原生生物や菌
類、植物、そしてもちろん人間を含めた動物の体をつくる細胞)にも、酸素がなくても幸せに生きている
ものがある。・・・
『生物学、新しい科学革命』 築地書館


 次に進む前に、エンゲルスによるマルクス『経済学批判』の書評のなかから、


   「経済学は商品をもって、つまり生産物が、― 個々人の生産物であれ、自然発生的な共同体の生産
物であれ、― たがいに交換される契機をもって、はじまる。交換にはいりこむ生産物は商品である。しか
し生産物が商品であるのは、ただ、生産物という物に、2人の人物またはふたつの共同体のあいだの関係
が、すなわち、ここではもはや同じ人物に統一されていない生産者と消費者とのあいだの関係が、むすび
つくことによってである。ここでわれわれは、とりもなおさず、経済学全体をつらぬいており、ブルジョ
ア経済学者どもの頭にひどい混乱をひきおこしてきたひとつの特有な事実の一例をもつことになる、すな
わち、
経済学がとりあつかうのは、物ではなくて、人と人とのあいだの関係であり、結局は階級と階級と
のあいだの関係であるということ、しかしこの関係は、つねに物にむすびつけられていて、物としてあら
われるということ、これである
。この連関は、個々のばあいにはあれこれの経済学者の頭にも、漠然とう
かぶことはうかんでいたのであるが、それが経済学全体にあてはまることをはじめて発見し、それによっ
てもっと困難な諸問題を非常に簡単明瞭にして、いまではブルジョア経済学者でさえ、その点を理解する
ことができるようにしたのは、マルクスである。」


 
  ■生物がつくる<体外>構造  J・スコット・ターナー 



  1. 生物のあいまいな境界


 「本書は動物が作る構造物について記した本である。動物が作る構造物は生理器官とみなすべきだとい
う主張を展開する。つまり、腎臓・心臓・肺・肝臓といった通常の定義による器官と基本的には少しも異
ならず、生体の一部になっているという見方だ。


 外部構造が作り手の動物の一部だという考えは、実は新しいものではない。リチャード・ドーキンスが
いみじくも「延長された表現型」と呼んだ概念は、生物学ではすでに確立していて、万人に受け入れられ
たとは言えなくとも、立派な考えとして通っている。私が本書で目指すのは、この概念に生理学的な客観
性を与え、できればリチャード・ドーキンスのようなダーウィニストの考えを補完することだ


進化生物学者は延長された表現型を、生物の外側の境界を越えて遺伝子の作用が及ぶものととらえ、遺伝
子の次世代への伝達をこれらの延長された表現型がどのようにして助けるかを問う。しかし生理学者は延
長された表現型を装置という観点からとらえ、装置の働く仕組みや、生物内および生物と環境間の物質・
エネルギー・情報の流れがそれによってどう変わるかを問う。これら2つの観点はたしかに補い合うもの
だが、生命の本質について多少異なる結論へ導くものであることを示したいと思う。・・・



  2. 2つの生物学


 進化論者にとっても生理学者にとっても問題の核心は、一見ばかげていると思われそうだが、生物をど
のようなものと考えるかということだ。生物界の最も明白な特徴の一つは、私たちが手に取ったり、顕微
鏡のスライドガラスに載せたり、名前をつけたり、餌やって世話をしたり、分類して博物館のケースに入
れたり、遠くから感嘆の目で眺めたりできる生きものから構成されているということだ。・・・しかし20世
紀の生物学が行き着いた先はここなのだ。すなわち生物とは何かということが全くはっきりしなくなって
しまったのだ。


 2つの知的な探究の末、私たちは現時点で、いわば2つの生物学にたどり着いた。現代の生物学は、一
方では生命を化学・物理・熱力学が適用される特殊な機械装置だとする見解をしゃにむに推し進めてきた
。この機械的な生物学は、細胞の働く仕組みを分子の作用として極限まで突き詰めて詳細に研究すること
に、ほとんどの精力を使ってきた。しかし生物の内へ内へと分け入った結果、予期に反して当の生物が脇
に追いやられて霞んでしまった。生物自体は、手もとの魅力的な細胞や分子の研究から目をそらさせる邪
魔者になってしまった。・・・


 〔他方の〕20世紀には生物学の一貫した体系としてネオダーウィズムも同時に台頭した。ここでもま
た生物は主役の座を降りたが、理由は別だった。ネオダーウィニストにとって生物は、実際の主役である
利己的な遺伝子の「真の」生物学を覆い隠すまぼろしになり下がったのだ。



  3. 見かけの生物を越えて


 延長された表現型の概念は、2つの生物学を橋渡しする1つの方法になる。しかしこの橋を使うには、
いままでとは別の方法で生物について考えなければならない。つまり、この章の初めに示した観点、動物
の作った構造物は作り手の動物にとって外部のものか、それともその動物の一部かという疑問で象徴され
る観点から考えるのだ。動物の作った構造物が完全に外部だと考えるなら、生物とNOT-生物とを区分す
る、生物の外側の境界をさだめなければならない。これは見たところ簡単そうだ。・・・体の外の川や殻は、
非常にはっきりと生物を周囲から区別しているように思われる。しかしこのような方法で生物の境界を定
めて正しいのだろうか?


  ・・・私たちは明白なものを見通すことを厭わず、生物の「外側の」境界の先に何が潜んでいるかを問わ
なければならない。



  4. 境界は物ではなく、生物に永続性を与える作用


 生物も生きているかぎり、体内を流れるエネルギーを変化させる。生物の永続性は、周囲から生物を分
離する明白な境界によってもたらされる。生物の最外層の境界は非常に堅固に見えはするが、実際には透
過性が高く、物質やエネルギーが定常的な流れとなって絶えず通過している。しかしこの境界は、篩のよ
うに受動的に透過させるのではなく、むしろここを通過する物質やエネルギーの流れを、適応的に調節し
ている。・・・

生物は自分と周囲との境界の性質を変えて、流れを維持できるようにする。生物と他と区別し
ているのは境界そのものではなく、境界のなせる業だ。言い方を変えると、境界は物ではなく、生物に永
続性を与える作用なのだ。生物を通り抜けるエネルギーや物質の流れを境界が適応的に調節できるかぎり
、生物は存続し続ける。


 
  5. 環境の生理作用


 生物が外界と一体化しているという考え方は、延長された表現型の概念と同様、新しいものではないが
、・・・生物とは何か、そして生物と環境との真の関係は何かという問題は、定説の範囲に限定するには(わ
かり切ったことだろうが)大きすぎる。・・・

生物は周囲の環境を構造的に変化させて、周囲のエネルギーや
物質の流れ方を操作し、適応的に変えているのだと提唱したい。そうすることによって、生物は自分自身
を流れるエネルギーや物質の流れ方を変えているのだ。


 このように考えると、動物の生理的機能は、実は2種類の生理作用から構成されていることになる。生
物の外皮の内側にある構造や仕組みが司る、従来から定義されている「体内生理作用」と、環境の適応的
な修正の結果として生じる「体外生理作用」だ。


 私はこの見解を支持する主張を大きく3つに分けてまとめた。第1部は生物の従来の境界の外へ広がる
生理作用の概念を組み立てる。・・・体外生理作用が確かにあるということと、環境が生理作用をもちうると
いうことを、納得していただくことだ。・・・周囲の環境中に出現する生理的機能がそれを生み出した当の生
物よりも何倍も大きい規模をもつことだ。・・・


 最後に11章では、社会性昆虫の巣の構造とその内部の生理的機能の相互作用について検討する。動物
が作る最も壮観な構造物だと考えられる、あるアフリカのシロアリが構築する巨大な塚に至って、議論は
頂点に達する。・・・
 地球は並外れた生きもので、そこに存在する生物相は地球規模の生理作用に従事していると主張する仮
説である。私は、ガイア〔地球〕は単に延長された表現型を究極まで推し進めたものであることを立証し
ようと思う。       『みすず書房』



   さて、ここで人は『資本論』のキリスト教神学「ペルソナと三位一体」を思い浮かべることでしょう 。

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