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資本論用語事典2021
 アリストテレス科学

  形相と質料事物の構造理解の契機

 
資本論ワールド 編集部
  山本 『アリストテレス』


  ■ 四原因説

 自然学はその学の対象として、以上説明したような自然を原理とする自然的諸事物を知ることを目的とする。しかし一般に、学問的に知るということは、存在するものどもについてはそれらが存在することの、生成するものどもについては、それらが生成することの原因を知ることである。自然的諸事物は生成するものである。アリストテレスはそれらが生成して存在するにいたる原因として四つをあげる。

1.  質料因 
事物がそれから生成しその生成した事物に内在しているところのそれ。たとえば銅像においては、その材料となっている青銅、あるいはその青銅の類である金属。

 2. 形相因
 事物の形相、または原型。これらは事物の「そもそも何であるか」(本質)を言い表わす定義である。たとえば1オクターヴにおいてはその本質を規定する1対2の比、あるいはそれの類である数、あるいは定義に含まれる部分としての種差。たとえば「人間は理性的動物である」における理性的。

 3. 起動因
 ものごとの転化または静止の第一の始まりがそれからであるところのそれ。たとえば、或る行為への勧誘者はその行為の起動因、父は子作りの起動因、あるいはそれらそれぞれの類であるところの転化させるもの、作るものが転化させられるもの、作られるものの起動因。

 4. 目的因
 物事の終わり、すなわち物事がそれのためにであるそれ〔目的〕。たとえば、散歩のそれは健康、あるいはその類としての善。
 したがって、自然学はその対象について以上の四つの原因を探求する。しかしそれがその対象について探求するのは、その対象に最も近い第一の原因であって、それの類などではない。たとえば、或る人間が家を建築する場合、それは彼が大工だからであるが、しかし大工が建築するのは、大工術によってである。だから大工術のほうが家に対してはより先の、より近い原因であると言われる。
 だが、以上の四つの原因は論理上の区別であって、事実上は、しばしば形相因と目的因とは全く同一のものであり、これら二つの原因と起動因とは種において同一のものである。後者の俐としてアリストテレスは「人間は人間を生む」というのをあげているが その詳しい説明を与えていない。・・・・〔『自然学』〕


  ■原因論再説

 再び四つの原因に戻ろう。先に説明されたように、それらのうち形相因、目的因、起動因の三つはしばしば一致する。(したがって最初に起動因としてあげられた自然も起動因のほかに形相因と目的因の意味をもつ。そしてこれまでの自然学者たちによって質料因の意味で用いられた自然に対立することになる。)だからアリストテレスの自然学は主として形相因と質料因とを中心にして展開することになる。
 しかしここで注意しておきたいことがある。それは、形相と外観上の形とは同じではなく、また質料と、精神に対立する意味での物質とは同じではないということである。たとえば、先にも触れたように、人間の定義「人間は理性的動物である」は人間の何であるか〔本質〕を表わすものであるが、しかしその「理性的動物」について、類である「動物」は質料であり、種差である「理性的」は形相であると言われる。この定義の場合における類は普遍的なものであって、思惟的質料とも呼ばれ、物質はこれと区別して感覚的質料と呼ばれる。種の「理性的」は形相であるが、もちろん形ではない。
 しかし自然的諸事物においては質料はだいたい物質であり、形相は外面的に形態となって現われる。だが、物質と言っても、それはまた別の形相をもった物質である。動物の形相は霊魂(この点は後で述べる)であり、質料は身体である。身体は目、鼻、心臓、胃、手足などの異質部分からできた器官と血液、脂肪、肉、骨などの同質部分からできた組織から構成されている。しかし異質部分は同質部分からできている。さらに同質部分はいわゆる元素(火、空気、水、土)からできている。そして器官も組織も元素もそれぞれそれに固有な形相をもっている。形相をもたぬ単なる物質というものは現実的には存しない。それはただ元素の質料として論理的に考えられるだけである。このような物質をアリストテレスは第一質料と呼ぶ。しかし同質部分は元素から、異質部分は同質部分から構成されるという意味では、それぞれの質料と呼ばれるが、しかしすでに同質部分の質料となった元素はもとのままの元素ではない。それは同質部分の形相の実現化された元素である。すなわち或る形相は或る質料の形相であり、或る質料は或る形相の質料である、そしてまた形相が違えば、それに応ずる質料も異なるのである。すなわち、形相と質料とは常に相関的である。したがって、或る自然的事物の生成の相において見られるかぎり、形相と質料はその或る事物の構成要素と呼ばれてよいが、存在の相において見られるかぎりでは、その事物の構造理解のための契機であると言ってよい。現に存在する同質部分を実際にいくら分析してみても、そこにそれの形相と元素とがそれぞれ独立の離れた存在としてでてくるわけのものではない。同質部分を形相の方から見ればこれこれで、また質料の方から見ればこれこれである、というにとどまる。同質部分の解体の後に残るものは元素であるが、それはもはや同質部分の質料としての元素であるのではなく、それ自身元素としての形相をもつ現実態としての元素である。
 ・・・・以下、省略・・・