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 資本論用語事典2021
  2021現代の細胞理論

 資本論ワールド 編集部序   2021.08.10
  物質としての生命
 
資本論ワールド編集部では、5年の歳月を経てようやく全体構成を形づくる段階に到達しました。
 『資本論』の科学史・「
価値」の研究は、「価値の現象形式」を「Elementarform・構成要素の形式/形式化」として解明すること。「価値形態」は「価値の形式・形式化」として把握することから始まり、内容的には順次に展開していゆく「Elementarform」形成史であり、これらが『資本論』第1章第3節「価値形態または交換価値」の論理展開する内容でした。価値形態または交換価値ー参照

 「価値」を商品世界の
社会的な「元素Element」として認識し、古代社会「商品生産」の開始は人類史の画期として科学史に新たな科学を誕生させるものです。「物質理論」の科学の新しい時代の到来と言えるでしょう。
 こうした観点から、今回の研究資料『物質は生きている』-
渡辺一雄「物質としての生命」論文は、今日の理論水準の総括的論文と言えます。ひとつづつ順を追いながら、慎重に研究してゆきましょう。なお、文中の〔〕等は編集部が作成してあります。 ー作業中 2021.08.10

  *関連資料
 → 元素から見た『化学と人類の歴史』-周期表の物語
 →『資本論』のElement-Elementarformの集計
  1. 形態学W-G-Wと 資本の生態系G-W-G´・・(作業中です)

細胞と生物のからだ
Gallert 細胞理論の源泉
自然と労働の物質代謝

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  物質は生きている ー現代の物質観ー
    好村滋洋、岡野正義、星野公三 編 共立出版 1995年発行
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   渡辺一雄著「物質としての生命」
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 〔 1.構造単位 2.階層レベル 3.自己組織化 4.構造の自己組織化能
  5.階層単位 6.構造と物質代謝系 7.自己複製単位 8.淘汰 

    〔 構造単位と固体
 生物以外の物体では、ふつう拡大をくり返すとたちまち分子や原子の均一で退屈な配列が見えてくるのと対照的に、生物の体を順次拡大してみると、器官、組織、組胞、オルガネラ…というように、つぎつぎにいくつもの構造単位が見えてくる。それは、生物の体を構成している物質がいくつもの階層レベルで一定の適応的な意味をもつ自己組織化を行ってきたからである。適応的意味とは、構造の自己組織化能(自己複製能をふくむ)を前提に、生物体に働く淘汰によって生じる。したがって、生物を物質系として理解するには、物質がいかに運動して自己組織化可能ないくつもの多様性を生みだし、ここにいかに淘汰が働いて適応的意味をもつ階層単位が残され維持されるのかを理解しなければならない。生物はその進化の初期に、主としてリン脂質分子とタンパク質分子の、水溶液中における自己組織化にもとづく安定した構造と物質代謝系を保持しつつ、同時に自己複製可能な情報分子DNAをあみだすことにより、細胞というすぐれた階層単位を確立した。本稿では、生物体を構成する階層単位として、とくに『細胞』と、細胞の自己複製を基礎に、細胞が分化をとげて成立する多細胞の『個体』の重要性を強調し、これの自己組織化のやり方に触れる。細胞と個体こそ、階層的意味こそ違え、生物における自己複製単位にほかならず、淘汰は自己複製単位に働くからである
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 渡辺一雄著「物質としての生命」
        
  〔 見出しー編集部作成 〕
〔1〕生物における素構造の解明――細胞の本当の意味の発見
  ・生物とはなにか
  ・ようやく確立した物質科学としての細胞観と細胞生物学
〔2〕生物における複製――細胞の複製と個体の複製
  ・何が遺伝しているのか
  ・試験管のなかの生命――細胞が培養できるということ
〔3〕自己組織化――物質系として生物を理解するためのキ-ワード
  ・生物を構成する階層構造
  ・分子から細胞ヘ――分子の自己組織化と分子間識別
  ・細胞から組織へ――組織細胞の解離と組織再構築
  ・組織のもつ階層単位としてのしたたかな自己組織化能
〔4〕生命の器としての多細胞生物体は「種」にほかならない――種生物学へ



〔1〕生物における素構造の解明――細胞の本当の意味の発見

   生物とはなにか

 生物を素朴にエネルギー機関としてみると、たとえば、自動車はかなりこれに類似した活動を営んでいる。すなわち、そのエンジンはガソリンを酸化的に分解し炭酸ガスを排出しつつ車の運動を生みだし、同時にダイナモをまわして発電して発光も発音も発熱も行う。しかし、いかに精巧な車でも、ガレージのなかで二台が交尾して新しい子供の車を産めるような車はだれも作りだせにない。すなわち、生物を特徴づけるもっともめざましい特性は、この『自己複製能(遺伝性)』にある。

   〔 生物3つ物質系
 生物とは、次の三点を同時にそなえた物質系として定義される。すなわち、
  外界からとり入れた物質(栄養物質)を酸化的に分解してエネルギーを生産し、このエネルギーと代謝中間物質を利用してみずからの構造物質の生合成を行い、その構造を動的に維持しながらエネルギー消費をともなう成長、分化、生活現象(運動、発熱、発光、発音)を営む物質系である《生命と生活機能の保持》。
  以上の性質をそなえた物質系は、その構造と機能の新たな自己再生産(自己複製)を行う能力を内包していて、時間経過のなかでくり返し新しい生命と生活機能を展開維持することができる《自己複製能の保持》。
  この自己複製は、厳密には同一物の複製ではなく、あくまで元の構造を基礎にしながら長い時間のなかでわずかずつ変化することができる《変異性の保持》。
 さて、生物という物質系をこのようにつくっているしくみを探るには、まずその素構造単位とみなされる「細胞」について基本的なことを知らねばならない。

  ようやく確立した物質科学としての細胞観と細胞生物学

 すべての生物は細胞からできており、われわれの体もまた約60兆個の細胞からできている。そして、すべての細胞は細胞みずからの二分裂によってのみ生じる。これは近代自然科学の常識である。しかし、このことの本当の意味を人類が理解したのは、じつはそう古いことではない。それは約40年前、DNAの二重らせん分子模型の確立のときにあった。
 なぜなら、DNAはただの高分子にすぎず、それ自体は何もできないし、何の意味ももたず、細胞という場を得てこそはじめて意味をもつからである。細胞は、DNAの一組(ゲノムという)とその関連酵素群の働きをまとめあげてDNA複製と複製DNAの二細胞への均等配分(染色体形成と細胞分裂にほかならない)を実現し、かつ、DNAの情報の生命機能への展開を可能とする最小の単位なのである。
 このように、DNAの二重らせん分子模型の確立は生物の遺伝現象にたいして画期的な説明を与えたが、細胞を物質系として普遍的に理解しようとするとき、あと二つ、これと対等とさえいえる重要な一般化のあったことが見落とされがちである。

 ひとつは、細胞の膜系が、すべてリン脂質ミセルによる脂質二分子層という共通の構成単位分子の自己組織化によって構成されており、膜の生成から構造変換まで、すべて水溶液中におけるこれの性質によって説明できることの発見である。
 水溶液中の電気絶縁体の閉じた袋としての細胞膜の成立は、周囲の環境から独立した単位としての細胞内部の成立と進化を可能とする大前提であったに違いない。そして、この脂質二分子層による細胞の膜系は、内側へ幾重にも折りたたまれることにより、細胞内部の水溶液系のなかに疎水性の構造基盤を提供し、これが細胞のさまざまな構造や機能の複雑性の進化を可能にしたのである。

 いまひとつは、栄養物質を代謝分解しエネルギーとみずからの体とを生みだす物質の分解と合成の過程が、いくたの回路をふくむ物質循環系として統一的に体系化されたことである。これは、19世紀後半以来の膨大な研究の教科書的規模での集大成であり、むしろエポックメーキングであった前二者と対照的な蓄積型の知識体系である。

   〔 細胞体の個体発生の問題ー細胞分化論

 この三つが1950年から1975年までの約25年間で確立することにより、われわれははじめて生物を物質として理解するための基本単位として細胞の本当の意味を知ることができた。ヒトをはじめとする多細胞体の個体発生の問題に物質科学としてアプローチする立場も、これを基礎にはじめて細胞分化論として成立する。細胞分化論は、じつは細胞の等価な自己複製と多様な機能分化の両方を同時に説明する根本原理としてのDNAの存在を大前提とした概念なのである。今世紀後半に、「細胞生物学」なる用語が確立し、生物学の大きな流れとなったゆえんである。

)ゲノムとは、その生物種を規定し、生存に必要な全遺伝子をふくむ染色体の集合体をさす。


〔2〕生物における複製――細胞の複製と個体の複製
   
   何が遺伝しているのか                               
 前節でみたように、物質系としての生物に固有の特性は自己複製すること、すなわち元(親)の性質が再生産された子孫に遺(のこ)し伝えられる(遺伝する)ことにある。いったい何が遺伝するのだろうか。じつは三つの別のことをふくんでいる。すなわち、まず最も基本的な生命が遺し伝えられる。これをふまえて、次にショウジョウバエとかエンドウマメとかライオンとかの種の特徴が遺し伝えられ、最後に、この生命と種の特徴とをふまえた上で、親の特徴、すなわち毛が長い短いとか、花が赤い白いとかの個体変異が遺し伝えられるのである。
 すなわち、学校で遺伝の法則として学ぶことのほとんどは、遺伝現象のなかで最もささいな種内変異を扱っていることに気づく。そして、分子遺伝学が輝かしかったのは、DNA複製に裏づけられた細胞の自己複製で問題のかたづく生命の遺伝についてあざやかな説明を与えたところにあったわけである。
 こうしてみると、目に見える生物を理解する鍵である「種が遺し伝えられるしくみ」が明確な問題意識となっていないことに気がつく。じつはここに個体発生の問題がふくまれる。すなわち、受精卵という「個の細胞が、増殖(自己複製)しつつ分化と形態形成をとげる個体発生のプログラム全体がくり返し複製されるというまったく新たな問題が生じているのである。多細胞生物において細胞複製の結果できるのは、ただの細胞のかたまりではなく、新しい意味をそなえた「個体」なのである(図23・1、巻頭のグラビア)。

 多細胞生物の個体を構成する細胞は、大きく二種類に分けられる。一つは生殖細胞系列の細胞であり、いま一つは体細胞系列の細胞である。前者は将来の精子または卵をつくる細胞で、受精卵にたち戻る能力を保持することにより、次世代の個体を残す責務を負い、受精卵からはじまる個体発生の初期に、体細胞系列の細胞から区分され保存される。後者は体の本体の形態形成(個体発生)を行う細胞で、いわば生殖細胞系列細胞の器(うつわ)としての多細胞の体(個体)を形成する。
 すなわち、われわれの体のほとんどすべてをつくりあげている体細胞系列の細胞は、細胞複製の能力を有限にすること(寿命を持って死ぬこと)とひきかえに細胞分化と形態形成のしくみを獲得していたのである。いいかえると、細胞はみずからの無限の複製能を売りわたすことによってしか、個体発生(細胞分化、形態形成)の分子機構を獲得できなかったらしいのである。物質系としてみると、体細胞系列の細胞でできたわれわれの体とは、中に納まった生殖細胞系列の細胞が受精をまっとうし次代の個体発生へとつなげることができるようにと、行動し死んでいくようにできているのである。では、われわれの体を構成している細胞は、どこまで「単位としての細胞」であるか?
  
  試験管のなかの生命
――細胞が培養できるということ
 われわれの体を構成する細胞は、体外へ取りだして生かしつづけることができる。いまではこの細胞培養技術は、だれでも簡単に行えるようになったが、この現象自体はじつに瞳目に値することである。これを最初に意識して記載した1913年のカレルの論文の題目、( Permnent life of the cells outside of the organism 」 からはその驚きと高ぶりがよく伝わる。しかも培養された細胞は、ただ生きつづけるだけでなく、著しい分裂増殖さえ行うのである。この技術は、とくに1960年以降、基礎医学からの強い要請とあいまって急速に発達した。

  〔 単位としての細胞ー素構造単位の独立性 〕。

 図23・2に、培養された細胞の例をいくつか示す。多細胞個体を構成する細胞も、体の組織構築から解き放たれると、素構造単位としてこんなにも著しい独立性を展開する能力を秘めていたわけである。このことは数々の本質的で興味深い問題を提起している。ここでは三つとりあげておこう。

 体のなかではなぜ解き放たれないのか。がん細胞とは誤って解き放たれた状態か
 (答) 細胞の接着性と接着時の識別性の問題に、この30年来めざましい研究がなされ、接着にかかわるいくたの分子とその働きが知られ、これらが組織形成やがん化に果たす役割がわかっている。

 多細胞生物体ではもはや無意味と思われるこうした独立性を、なぜ組織細胞はいつまでも保持しているのか。
 (答) じつは組織のなかでの細胞は想像以上に動的な存在で、組織における古い細胞の破棄、新細胞の補充、組織傷害時の修復がさかんに行われている。細胞が独立性にもとづくこの動的な能力を柔軟に保持するしくみのなかにこそ、個体発生プログラミングの成立(進化)を可能にした分子機構がひそんでいるらしい。

  培養された細胞は寿命があるか。再び個体発生できるか。
(答) 培養細胞はある程度増殖すると、急に増殖能が衰えて死滅するので、この限りでは寿命があるといえる。ただし、この過程で一部の細胞が無限の増殖能を獲得する(不死化する)場合が知られている。この場合、一般に細胞は分化能を失っている。現在の知識と方法では、培養細胞から個体をつくることはできない。不死化に際して遺伝子構成に大幅な変更があるうえ、生殖系列細胞を特徴づける独特の細胞質(生殖細胞質)をもっていないからである。不死化の鍵となる分子機構および生殖細胞質の本質について、現在DNAレベルの研究が急速に進んでいる。


〔3〕 自己組織化物質系として生物を理解するためキーワード

 生物は、ミクロからマクロへと多層に積み重なった階層構造でできている。この生物体固有の性質は、じつは生物の体を構成している物質が、いくつもの階層レベルで自己組織化を行っているから可能となっているのである。

   生物を構成する階層構造

 まず、生物を理解するために、次のような下位から上位にいたる階層構造性を指摘したい。
 「――素粒子-原子-分子-分子集合体-細胞内小器官(オルガネラ)-細胞-組織-器官-個体(種)-同種個体群-群集-生態系――」
生物学はこのうち分子集合体から生態系までのきわめて多くの階層を扱う。この階層構造は次のような性質をもつ。

層単位はそれぞれ固有の構造とそれにもとづく性質と意味をもつ
ある階層単位のもつ性質は、その一つ下位の階層単位の性質により規定される。
ある階層単位のもつ性質は、その一つ上位の階層単位に対して意味を与える。
 これらの階層構造単位は、別に神の手を借りなくてもそれぞれ独立に「自己組織化」する性質を示し、こうしてできる新しい(一つ上位の)階層単位は、それ自身新しい固有の性質(意味)を獲得しているのである。問題は、物質がいかに運動して意味をもつ、より上位の階層単位が生みだされ、維持され、変動していくのかである。これを自己組織化と適応という観点から見ていこう。

  分子から細胞ヘ――分子の自己組織化と分子間識別

 1960年代のはじめ、RNA分解酵素、リボヌクレアーゼを熱処理して立体構造をこわし、ポリペプチド鎖を延ばしてしまっても、再び生理的条件に戻すと、なんと驚いたことに、アミノ酸残基間の相互作用によってポリペプチド鎖は「ひとりでに」まるまって元と同じ複雑な立体構造のタンパク質分子に戻り、酵素機能を回復する事実が発見された。これに本当に感動したのは、もちろん当時学生であった筆者ばかりではない。リボヌクレアーゼは確かに特殊な酵素ではあるが、ほかのタンパク質分子も多かれ少なかれ、こうした分子の物理的属性にもとづく自己組織化能をそなえ、意味ある換能を自己組織化する。これは、原始このような潜在能力を秘めた分子として、タンパク質を選択した物質系から、細胞が適応的に進化したのだから当然なのではある。
 さらに、タンパク質の単位分子が多数規則的に寄り集まって、たとえば、たとえば、コラーゲン繊維や細胞骨格分子のような機能構造をつくりあげ、また、4種のRNAと70種を超えるタンパク質が寄り集まってリボソームという機能構造をつくりだし、さらには、細胞内で生合成されたウイルスのタンパク質や核酸が、ウイルス粒子をつくりだすのもまさしく自己組織化にほかならない。水溶液中のリン脂質ミセルが細胞膜をつくるのも、細胞にとって最も基本的な分子の自己組織化である。

 細胞を構成している分子は、構造的な自己組織化を行うとともに、分子間識別といういま一つの重要な属性を示す。転写調節因子の、DNAの塩基配列の識別、酵素の基質識別、細胞表面分子の環境識別などの分子間相互作用がそれである。しかし、じつは識別という用語は適用的な意味を含んでいるので、ここでは、こうした分子間相互作用も広義の分子の自己組織化と扱っておこう。
 大事なことは、生物体内の生理条件下では、これらの分子の自己組織化や識別は環境条件に依存して営まれ、条件が変動すると確率的にその働きも独立にシフトすることである。生物においてはこの動態も徹底的に生理現象に利用しつくされており、意味のある分子機能を生みだす適応と淘汰のすさまじいばかりの歴史を思わせるのである。

  細胞から組織へ――組織細胞の解離と組織再構築

 細胞は集まって組織をつくっているが、これもまた自己組織化によるのだろうか。すなわち、細胞は集まるとひとりでに組織をつくれるものなのだろうか。これもなんとイエスなのである。
 1950年代に、組織をトリプシン(セリン型タンパク分解酵素)で処理すると、その構成細胞は決して死ぬことなく、バラバラに単一細胞に解離されることが発見された。そして、この解離された細胞を寄せ集めておくと、再びもとの意味のある組織構造を再構成するという驚くべき事実もまた同時に明らかにされた。それまで、組織とは個体発生過程で隣接した細胞が必然的に相互密着して形成されると常識的に考えられていたのが、じつは細胞がただの単位として、集まれば「ひとりでに」階層をひとつ登って組織を構成する能力を示したのである。この画期的な事実の発見が、くしくもDNA二重らせん分子模型の発表と、ほぼ時を同じくしてなされたことに歴史の味わいを感ぜずにおれない。
 現在ではこれを出発点に、細胞が組織という高次の階層性を獲得するプロセスについて、多くの重要な知識をわれわれは手にしている。そのいくつかを列挙しておく。

隣の細胞自身、または細胞間を埋めているマトリックス(細胸間基質)分子との接着には、細胞接着分子が関与している。この接着性は、細胞自身あるいは外部環境の変化に敏感に反応する動的なもので、この変動にセリン型タンパク分解酵素が関与している。トリプシン処理で細胞がバラけたのは、この処理自体がいわば細胞自身がよく心得た生理的過程だったからであり、タンパク質の分解が細胞内におよばないしくみを、細胞はちゃんとそなえているのである。
組織細胞は、本来ものにつかまる性質をもっており、いつまでもつかまれないと死んでしまう。これは、細胞の外側の接着分子が細胞膜をはさんで細胞内側の多くの分子と結び合っていて、これが細胞の生存の前提にさえなっていることを物語っている。これによって、個々の細胞の生理的な状態や運動機能が細胞接着を介して組織の機能へと反映され、組織全体としてのさまざまな適応的な意味をもった機能の展開を可能にしているのである。
細胞接着分子として、現在多くの分子が分離同定され、これらの活性調節の機構や、これにともなう細胞の組織化における役割がつぎつぎと明らかこされつつある。細胞自身、相当大きな運動性と変形能力を保持しており、みずからの接着分子と、隣接する他細胞の表面の接着分子との結合の可否、強度、細胞の変形性、運動性との連動によって、実質的な細胞接着時の識別という高次の機能がもたらされるのである。

  組織のもつ階層単位としてのしたたかな自己組織化能

 多細胞動物の体の構成上、最も基本となるのは、細胞がタイルを放きつめたように配列し、隙間のない壁面構造をつくった上皮組織である。これは、「決して切れ目(自由末端)をつくらさない性質をもつ」ことによって完全に閉じた袋を構成し、安定した内部環境を提起する(図23・3)。ちょうど、下位の階層を構成する細胞における脂質二分子層膜と同様の働きをするわけである。現在までの知識から、組織というものを成立せしめたプロセスを想像すると、図23・3のようになる。
 このようにして独立した単位である細胞が集まって構成される組織は、たとえば個体発生過程でおこる形態形成運動のとき、それがたくさんの細胞から構成されていることをすっかり忘れさせるほどに、一つの組織全体としてみごとに統一のとれた(意味のある)行動を示すのである(図23・4)。


〔4〕生命の器としての多細胞生物体は「種」にほかならない――種生物学へ

 どんな生物の教科書にも細胞の図が描かれているが、じつは世界中のどこにもそんな「ただの細胞」などは存在しない。あるのは似ても似つかぬ神経細胞や血液細胞である。同様に、「ただの生物個体」などというのも存在しない。あるのは確実になんらかの種(生物種)の個体なのである。生命が普遍的で種が個別的であるがゆえに、種が軽視されてよいいわれはないのだが、実際、近代発生学では、「卵からいかにして親が生じるか」と問題は立てられ、決して「卵からいかにして種が生じるか」とは立てられなかったのである。原因は、生物は複雑すぎて分析科学としての進歩が遅れたことと、種があまりに多様であったことに由来する。今世紀初頭、このために生物学のなかで遺伝学と発生学が訣別した。
 われわれは、種を外見から、固有の形態と行動を示すものとして認識している。そして、行動をつくりだしているのは、じつは生理(適応生理、感覚生理、運動生理)である(厳密には共に形態が基盤となっている)。すなわち、個体発生の結果できてくるのは、この、「種に固有の形態と生理(行動)」なのである。ダーウィンが進化論を書いた当時に当然であったこの視点は、今世紀来約100年間の休眠を余儀なくされていたのである。

 〔個体変異を生みだす分子機構ー種に固有の形態と行動の成立と進化

 ところが生化学と分子遺伝学の進展のおかげで、いまようやくアリストテレスが提起して以来まだだれも解決していない、生物の多様性と斉一性と合目的性をもたらした核心を、DNAとタンパク質の構造と機能からつかみだす手がかりが得られはじめている。遺伝学と発生学の溝が消え、淘汰にかかる形態と行動の個体変異を生みだす分子機構が解明されることにより、種に固有の形態と行動の成立と進化が語られるのである。筆者は掛け値なしに、生物学は胸はずむ新たな革命的時代を迎えたと考えている。

  〔 物質科学としての生物学ー「細胞生物学」「種生物学」〕
    博物学垂水雄二著『悩ましい翻訳語』

 問題は学問としてのこれの受け皿が、十分に準備されていないことである。今から半世紀ほど前まで、生物学の教育体系のなかで重要な位置を占めていた学科に「博物学というのがあった。これは近年の科学の進歩とともに、恐ろしいことに日本では生物学教育のなかから消え去ってしまった。異常なことである。現今、若者の理系離れ、いや学習離れ(自然現象への興味の喪失)が世上をにぎわせている。教育にかぎっても、「目に見える生物の形態や生活のすばらしい多様さ」を伝える体系が軽視されていることにそろそろ本気で反省があってもよいのではないか。これには物質科学としての生物学と、既成のマクロの生物学(系統分類学や生態学など)が協力しあった新しい器としての基礎的学問体系が必要である。筆者は、自己再生産単位として細胞を基準とした「細胞生物学」とともに、個体(種)を基準とした「種生物学」が並立することが自然であると考える(図23・5)。広島大学の総合科学部で、全国の国立大学にさきがけて基礎教育科目として「種生物学」が置かれているゆえんはここにある。
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