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 自然と労働の物質代謝・・・19世紀・生命過程の解明・・・
 
 
資本論第1章第2節 
   社会的労働と生命現象の物質代謝
について



★目次
1. はじめに
2. 第1章 生物体は細胞国家

3. 第2章 ウィルヒョウ 「 原子と個体 」
4. 第3章 原形質の本性
5. 第4章 生命現象-物質代謝・物質循環


 
はじめに    2019.11.19

(1)  今回の資料集は、19世紀ドイツを中心に西洋生命科学の展開過程を探訪することで、『資本論』の物質代謝と“Gallert・膠状物”の関連性を「細胞理論と原形質」に沿って究明してゆきます。


(2)
 『資本論』の Gallert は、「単なる労働膠状物」から成長発展して、
 「 一商品、例えば、亜麻布の価値は、いまでは商品世界の無数の他の成素〔Element〕に表現 ー 〔亜麻布20エレ=上衣1着または=茶10ポンドまたは=コーヒー40ポンドまたは=小麦1クォーターまたは=その他〕 される。  すべての他の商品体は亜麻布価値の反射鏡となる。こうしてこの価値自身は、はじめて真実に無差別な人間労働の凝結物 〔als Gallerte unterschiedsloser menschlicher Arbeit : 膠状物(生命体としての細胞単位の実体)〕 として現われる。」のです。(第1章第3節価値形態または交換価値B総体的または拡大せる価値形態)

(3)  「商品の分析」は、ElementーGallert の展開過程として現象していゆきます。
 「資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態/Elementarform 〔構成要素の系列形式〕 として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。」 ー すなわち、「社会の富」は 「価値(労働価値・Gallert)」が「商品価値・Element」として、商品のFetischismus(フェティシズム:物神崇拝)の 現われ/Elementarform である商品物神ー貨幣物神ー資本物神として、認識が深まってゆきます。



  資本論ワールド 序 文


1. 労働の総体と物質代謝
『資本論』では、第2節労働の二重性に関連して、次のように労働の総体について分析しています。
 (5月資料:『資本論』第2節要約参照)
「各種の使用価値または商品体の総体の中に、
有用労働の総体が現われている。-社会的分業である。お互いに商品として相対するのは、独立的でお互いに分かれている私的労働の生産物である。商品生産者の社会においては、多岐に分かれた労働の体制に、すなわち社会的分業に発展する。上衣・亜麻布等、自然に存在しない素材的富のあらゆる要素が現存するようになったことは、特別な人間的要求に特別な自然素材を同化させる特殊的な目的にそった生産活動によって、使用価値の形成者として、人間と自然との間の物質代謝〔Stoffwechsel:素材・質料変換〕であり、永久的自然必然性である。」

2. ここで思い出しておくべきこととして、第1節の「われわれがこれから考察しようとしている社会的形態においては、使用価値は同時に、交換価値の素材的担い手stofflichen Träger des Tauschwerts なしている」ことです。
 商品の使用価値(を形成している有用労働)は、社会的分業の独立の分肢として存在している訳ですから、「使用価値の形成者として、人間と自然との間の物質代謝」は、社会的物質代謝(社会的分業)と相互に連携しながら機能している、と理解されます。こうして「物質代謝」は、自然と社会を結ぶ付ける役割を担っているのです。
 それでは、「物質代謝」の現場を観察してみよう。

3. 19世紀初頭のヘーゲルや生物学者が感じ取っていた「個々の細胞と有機体(生物体)との関係」は、1850年代に飛躍的に解明されてゆきます。細胞原形質の観察から「物質代謝」の概念に到達してゆくプロセスを探索してゆきます。それにつれて、「物質代謝」が、社会構造の分析へと拡張されてゆきます



  ・・・・~ ・・・・~ ・・・・~ ・・・・~ 

  
現代生物学の基盤を形成したウィルヒョウ・「生物体は細胞国家」
  
<生命単位としての細胞と社会の体制をそなえた個体>
  生命の特質、生命の単位は、高次の体制におけるいずれかある場所、例えば人間の脳にではなく、個々の要素、すなわち、体内の至るところに恒常的に出現する一定の構造にのみ求められるべきものです。
 これによって明らかなように、ある規模をもった体というものは、けっきょくのところ、つねに一種の社会的体制、社会という性格を帯びた体制に帰するものであり、個々の存在[要素]は互いに依存しあう――しかも各要素はそれ自体として独自の働きをもち、たとえその働きが他の要素に由来する刺激に触発されるときも、なおかつその固有の機能は自発のものとして発揮されるのであります。
 (ウィルヒョウ『細胞病理学』)

           ・・・~ ・・・~ ・・・~ ・・・~ 



  第1章 「生物体は細胞国家」


                 ダンネマン『大自然科学史』三省堂より


  Ⅷ 
細胞が植物および動物の基本器官であることがわかる

1.
 どんな生物体(有機体)も次元の低い個々の存在からなり、いわば一つの国家をつくっているということが認められるにつれて、生命についての見解もまた変化を受けた。生命についての見解はもはや、神経系のような一定の中枢に結びつけて、述べられないようになった。このようにして、『生物病理学』において、シュヴァンの説の仕上げをし、またそれを医学に導入したフィルヒョー(1858年)はつぎのように言った。

2.  どの動物も生命をもった単位の総和としてあらわれ、その単位のいずれもが完全な生命の特徴をもっている。
だから
生命の単位は、一定の点、たとえば、脳に求めることではなくて、あらゆる要素がもっている一定の構造に求めることができる、と。この説によると、どの生物体も、個々の存在がたがいに相手をたよりにしている社会的な結合体である。どの細胞も、国家の一人一人の公民のように、自分の特別の活動をおこなっている。しかし、個々の細胞は、他の細胞、または細胞複合体(組織や器官)から受ける刺激をたよりにしている。

3. フィルヒョーが基礎を築いた、細胞病理学とよばれている説によると、私たちが病気とよんでいる異常な過程もまた、個々の細胞、あるいは一定の細胞の分野でおこっているのである。・・・
細胞病理学が確立されてほどなく、細菌は多くの病気の病原体だということが、ますますはっきり知られるようになったが、この発見によって、フィルヒョーが立てた見解が変化を受けることはなかった。というのは、寄生している微生物によって引きおこされる伝染病で問題となるのは、寄生している細菌が分泌する物質の毒作用であるということが、認められからである。



  第2章 ウィルヒョウ 「 原子と個体 」 

      『生命科学の近現代史』 (勁草書房) 

 第4章生命科学と社会科学の交差-19世紀の一断面 市野川容孝著 より

4. ヴィルヒョウ〔フィルヒョー〕は、1859年にベルリンで「原子(Atom)個体(Individuum)」という講演をおこなっている。
 「<
Atom>は、ギリシャ語に、また<Individuum:インディヴィドュウム>はラテン語に各々、語源をもち、どちらも、それ以上、分割することのできない存在を意味してきたが、しかし、両者は厳密に区別すべきものである。<Atom>は、それより小さなものに分割することのできない究極の単位であるのに対し、生命個体を主に指す<Individuum>は、われわれが目で見ても、たとえば諸器官、諸組織、諸細胞という形で、まだいくつかの要素に分解可能である。」
 「
しかし、<Individuum>は、次のような意味で依然、分割不可能であり、しかもその意味は<Atom>の場合とは異なる。<Atom>は、人が思弁によってもそれ以上分割できない不可分の単位である。これに対してIndividuum>は、人がそれ以上分割してはならない単位なのであり、それは分割と同時に破壊されてしまうものなのである」。つまり、いくつかの分割可能な要素から成り立っているが、それらを相互に不可分な形で結びつける力によって支えられており、その力の消滅と同時に非存在になってしまう統一体、それがヴィルヒョウの考える<Individuum>である。


5.
さらに、ヴィルヒョウは、「個体」における分割不可能性を「共同体Gemeinschaft」という言葉で表現する。
 「 Individuumは、そのすべての要素がある同一の目的に向かって共働している、あるいはこう言ってよければ、ある特定の計画にしたがって活動している統一的な共同体である。」、「国家とは一つの有機体だと言ってよい. なぜなら、国家は生きた市民によって構成されているからだ。その逆に、有機体とは一つの国家、一つの社会、一つの家族だと言ってもよい。なぜなら、それは出自を同じくする生きた諸要素によって構成されているからである」



 第3章 原形質の本性  (『大自然科学史』より)

6.  細胞のなかに、生命現象としか解することのできない、奇妙な運動が認められたとき、植物学者の注意は、細胞の内容に向けられた。はじめのうちは、細胞液だけが論じられたが、ついに純粋な水とごくわずかしかちがっていないこの溶液のほかに、なお粘液物質が認められ、それが生命の座だと考えられるにいたった。・・・構成要素として細胞核をふくんでいるこの粘液物質は、最初はゴムとみなされたが、やがて全性状から見て、動物の卵白に似た窒素をふくむ物質(タンパク質、すなわちプロテイン)と認められ、プロトプラズマ(原形質)と名づけられた。

  
細胞と細胞組織の発生
7.
 ネゲリ(1858年)の画期的な研究によって、新しい細胞の形成はつねに既存の細胞の原形質でおこり、成長しつつある植物器官における細胞の増加は、細胞の分裂に基づいていることを示した。この過程は細胞内用の分裂ではじまり、別々になった塊のあいだに、一つの細胞膜(細胞壁)が隔壁としてつくられたときにおわる。

8.  組織要素の研究に新しい段階がはじまった。細胞の内部構造、デンプンや細胞壁の分子構造、核や原形質の分子構造にも、研究の手をのばそうと試みた。この目的のために、顕微鏡的技術がたえず改良され、また化学と物理学の武器庫からもち出された新しい補助手段で、武装されなければならなかった。
・・・また物理学的結晶学のあらゆる方法を利用して、細胞要素の光学的性状から、生命物質(organisierte Substanz)の内部構造を推測できるようになった。ネゲリは、生命物質のミチェレン(分子連合体)は、観察の彼方にある微細な結晶体で、数千個の化学的分子から結晶学的に組み立てられている。原形質の構造についての知識は、この物質の本体を深く究めるための、最初の前提の一つであるから、それは多くの方向からさらに解明する必要があった。

   
原形質の体制

9.
1861年、ブリュッケたちの研究によって、細胞の原形質の内容のなかに、いっさいの動植物生活の基礎があることが、ますます明らかに示された。この重要な成果は ブリュッケの『要素生体 Elementarorganismus 』 についての論文に、言いあらされている。
 この
要素生体という言葉を、ブリュッケは一個の生物の生命単位として、特徴づけるためにつくったのである。細胞内容、すなわち原形質こそ、生命現象が演じられる細胞の真の肉体である
 ブリュッケによると、それだけでも非常に複雑な有機化合物の分子は、生きている細胞のなかでは、細胞体の生きている構造に巧みに連結された、工芸品のような姿を呈している。
 したがって、たとえ顕微鏡によって直接推定することはまだできないにしても、植物の細胞は、植物から組み立てられた植物全体に劣らず、巧みに組み立てられている。

10.  ブリュッケはこう言っている。「私たちはいちばん小さな動物を研究するときだけでなく、 動物や植物の細胞を研究するときにも、この意識をもたねばならない。 私たちは細胞のなかに小さな生命をつねに見なければならないし、また細胞と動物のいちばん小さな形態のあいだにある類似を、けっして見のがしてはならない。」
 壁によってへだてられた細胞が、一個の生物体全体のために協力するということは、以前にはまったく不可解であったが、これもまた近代の細胞研究のおかげである程度まで解明された。というのは、個々の細胞の原形質体は、細い糸によってたがいに結びつけられていることが、発見されたからである。これによって、要素生体の個体性(Individualität)についてのこれまでの考え方は、非常な整約を受けるようになったが、他方こういう状態が認識されてからは、これまで近づけなかった多くの問題、たとえば、刺激の伝導や汁液の誘導のような問題は、解決できる可能性が開けるようになった。



  
原形質の化学 (シンガー『生物学の歴史』より)

11. 1838年、オランダの化学者ムルダーはある化合物を発見して、これがすべての有機体の基本的な成分であると信じて、proteine・プロテインと名づけた。(後のタンパク質の命名)そして、生きている原形質がプロテインのほか複雑な混合物であるという概念が最初に登場したのは、1862年ヴァーグナーの『一般病理学ハンドブック』であった。
  
生きている原形質は液状である。それなのに、その性状を知ろうとするとまず、それはかなりの 「粘性」、すまりねばねばしたゼリーのような性質を示す。それで、生きている原形質の性状と、 コロイド colloid状 「(ノリ状)の意」の別の物質性状とを比較することに密接に結びつくようになってきた。
 コロイドについての土台となる知識は、イギリスの化学者
グレアムによる。「コロイド」という言葉はすでに使われていたが、彼はそれを物質の特定の状態にもちいたのである。ほとんどのコロイドは生物由来のものであり、コロイドの表面エネルギーは「生命現象で発揮される力の本源と見なされるかもしれない」 という彼の考えは、生命現象の本性についてのある種の近代的な見方をほぼ予見していた。
     〔グレアムとコロイド化学は、「 グレアムとコロイド化学・膠状物」 参照 〕

 第4章 生命現象-物質代謝・物質循環 (シンガー『生物学の歴史』より)

12.  ヴゥルツブルク大学で植物学の教授であったザクスは、1857年以後、栄養学の問題に没頭した。 二酸化炭素を吸収する際の葉緑素の作用を促すのに陽光が決定的役割を果たすことを示した。ザクスの見解と発見の数々は、偉大な植物生理学の論文に盛られた。
 デンプン生成についての議論で重要なのは、大気中の諸気体が植物組織に接触する過程であった、動物については、とくに肺呼吸を活発に行なっている哺乳動物などでは、この過程はもっと明瞭である。 しかし植物では、それは長いこと解明されずにいた。

13.  ザクスは、二酸化炭素の吸収直後に、葉緑体の中にデンプンの蓄積が起こることを示した。葉緑体の中でのデンプンの生成は本質的には生命現象である。それは生きている葉緑体の中、しかも生きている細胞の中でのみ行われる。葉緑体は簡単な化学物質ではない。

   
窒素循環
14.
 フランスの化学者にして鉱山技師、ブサンゴーは、とうとう窒素の問題について成果を収めた。
 1850年代には、植物が窒素を吸収するのは大気からではなく、土壌の硝酸塩からであると証明した。さらに硝酸塩さえあれば、植物の成長には土壌中の有機物もしくは炭素化合物は不必要であることも示した。それゆえ、植物中の炭素はすべて大気の二酸化炭素に由来するに相違ない。彼は、これらの実験に定量的方法を用い、彼が厚扱った植物に関するかぎり得た結果は正しかった。

15.  細胞理論(シュライデン・シュヴァンそしてウィルヒョウへと発展確立した)の基盤の上に、原形質の粘着性物質・Gallertの解明が進みます。細胞内部における生命現象としての物質代謝・物質循環が明らかにされるにつれて、<生命単位としての細胞と社会の体制をそなえた個体>が実験的にも実証されたのです。時代は、『資本論』が誕生した1850~60年代のことでした。

  これから、本格的に『資本論』の有機体・「物質代謝」へ探索は続いてゆきます。
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