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2019 資本論入門 9月号  2019.09.06~2019.10. (作業中です)

 文献資料 
デカルト革命—2-


  ~ デカルト革命の400年と 『資本論』の Elementarform ~



  デカルト革命の400年『資本論』の科学史ハンドブック

 -1. アリストテレスの自然学と宇宙論 ーアリストテレス(紀元前384-322)

    第1回『資本論』の科学史ハンドブック2019-1 (2019.04.30)
   
歴史的に、論理的にアシモス科学史と 『資本論』の “Element”

   古代思想の目的論体系化ーアリストテレス 科学史ハンドブック2019-3


  0. 
デカルトの時代ーデカルト革命誕生の背景

      *デカルトの著作と関連資料 -ルネ・デカルト(1596-1650)
  1. 小林道夫著『デカルト入門』
      
デカルトの自然学と宇宙論デカルト革命とは何か
  2. デカルトの機械論

      *デカルトの延長と「物質進化」
  3. ボイル 「原子論哲学について」 ボイルの化学と実験ーロバート・ボイル(1647-1691)
  4. ニュートン 「初源物質、原子について」 ーアイザック・ニュートン(1643-1727)
  5. 原子論・分子論の原典
(化学史学会編)
      
カント 星雲説」と近代弁証法の源流
 
6. 化学方程式とラヴォアジェの化学革命
  7. 原子論と周期律・表_メンデレーフ
       ・ ヘーゲル 『自然哲学』 と『資本論』の科学史
       ・ シンガー 『エネルギー変換の学説』
      ・  
  8. 電気化学と
ファラデー (10月テーマと連携準備中)
       ・ プラウトの仮説
       ・ ダーウィン進化論と『資本論』の科学史
      ・ エンゲルス 「自然の弁証法」
 (連携準備中)

     ・・・11月作業中・・・
  9. 原子の崩壊と
アインシュタイン方程式(E=mC2
  10. 物質進化ー真空とヒッグス粒子
  11. 
デカルト革命の400年と『資本論』のElementarform



       『資本論』の科学史ハンドブックの課題について
(1)
 『資本論』の科学史ハンドブック2019では、アリストテレス(前384-322)自然学からデカルト(1596-1650)とボイル(1627-1691)を経て、ドルトン(1766-1844)原子論の誕生とメンデレーエフ(1834-907)周期律・表までを探求・追跡してゆきます。「元素・原子論」は、アリストテレスの「四元素と目的論体系」が克服され、「周期律・表の完成」を経てはじめて十全な科学体系としての地位を獲得することが出来ます。
    "
Element" と "価値方程式(A商品x量=B商品y量) "
(2) 『資本論』の "Element" は、「周期律」として表示され、"価値方程式(A商品x量=B商品y量)"として構築されることで、はじめて十全な科学体系としての地位が築かれるのです。これによって、資本主義の原理体系は、"Element" から始まり、「資本制生産様式の支配的である社会の富は、「巨大な商品の集まり」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態 " Elementarform " として現われる、ことになります。・・・・

(3) 私たちは、『精神指導の規則』において、 「系列」 ー 事物の比例すなわち関係について、提起されうるあらゆる問題が、いかなる構造を内に蔵しているか 」を探求してきました。今回、デカルトの『哲学の原理』を参照することによって、デカルトの目ざす「哲学」と「自然学」 ~ 第一哲学 ~ の概要が理解されます。これによって、近代「元素・原子論」の源流となった「デカルト革命-2-」が形成されることになります。

  デカルトの 『哲学の原理』

  デカルト著 『哲学の原理』 桝田啓三郎訳 河出書房新社
   
第4部 地球について
 
201 感覚されない物体の微小部分がある

  個々の物体のうちには、感覚では知覚されないような微小部分がたくさんあると私は考えるが、これは、自分自身の感覚を認識の尺度とする人々のおそらく賛同しないところであろう。けれども、どんな感覚によっても私たちの認めえないほど小さい物体がたくさんあることを、誰が疑いえようか。
 ゆっくりと成長してゆくものに瞬間ごとに何がつけ加えられつつあるか、また<同じように>徐々に縮小してゆくものから何が取り去られつつあるかを考えてみただけでも、疑いようはあるまい。木は日ごとに成長する、その木は、何か他の物体がそれに加えられると考えるのでなければ、以前よりも大きくなると考えられることはできない。しかし、この成長してゆく木に一日のうちにつけ加わるその小物体がどんなものか、感覚で認めた者があるだろうか。少なくとも、<哲学者のなかで>
量というものが無限に分割されるものだと認める人たちなら、物体の部分が<分割されると>どんな感覚でも知覚されないほど小さくされうるものだということを認容せざるをえないであろう。

 私たちが非常に微細な物体を感覚しえないからといって、少しも驚くにはあたらないのである。感覚を生ずるためには対象によって動かされねばならない私たちの神経自体が、ごく微小なものではなく、目の細かい絹のように、いっそう小さい多くの微小部分で複合されたものである。それだから、私たちの神経は極微な物体によって動かされることができないのである。小さい物体に起りはするがそれが小さいばっかりに感覚できないというようなものについて説明するのには、大きい物体に起こることで私たちが感覚で知覚できるようなことがらを模範にして判断する方が、何かしら新しい、感覚されるものとなんらの類似性をももたないようなものを考え出したりするよりも、はるかにまさっていることは、およそ理性を用いる人なら、否定されるようなことはあるまい、と私は考える。・・・・

・・・以下、省略・・・