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ソフィストの哲学

シュヴェーグラー 西洋哲学史
 岩波書店
第11章 ソフィストの哲学

1.ソフィストの哲学とそれ以前の哲学との関係

これまでの哲学者たちは、主観的意識が客観的現実に結びつけられていること、われわれの認識の源泉が客観的なものであることを、暗黙のうちに前提していた。ソフィストとともに新しい原理、主観性の原理があらわれる。すなわち、物とは、それが自我にそう見えるものにすぎず、普遍的に妥当する真理は存在しない、という思想である。主観は、自分を客観的世界、特に国法、習慣、宗教的伝統、民間信仰よりも高いものと認め、この客観的世界に法則を押しつけようし、与えられた客観のうちに理性の歴史的実現を見ないで、主観の気ままになる精神のない素材をのみ見る。ソフィスト哲学の特徴は啓蒙を主とする思考にあり、したがってそれはまた哲学体系ではない。

2.ソフィスト哲学と当時の一般生活との関係

ソフィスト哲学は、ペロポネソス戦争中のギリシャの全実際生活の理論的表現である。プラトンは『国家』のうちで、ソフィストたちの教えはもともと、大多数の人々がその公民的および社会的関係のうちで導かれていた諸原則を言いあらわしたにすぎない、そして実際的政治家たちがソフィストたちを憎み迫害したのは、かれらがソフィストたちをいわば政敵、邪魔者と見てねたんだことを証明する、と言っているが、これは正しい。じっさい、経験的主観の絶対性、すなわち、何が真、正、善であるかを個々の自我が全く任意に決定することができるという見解がソフィスト哲学の理論的原理であるとすれば、当時の公私の生活のあらゆる分野に見られる無制限のエゴイズムはこの原理の実際的適用を示しているのである。

 ペロポネソス戦争中アテナイを震撼させた党派の争いは道徳感を鈍らせ窒息させてしまった。各人は個人的利害を国家び利害および公益よりも重んじ、各人の恣意と利益とのうちに各人のすべての行動と意欲との標準を求めるようになった。人間が万物の尺度である、というプロタゴラスの命題はあまりにも忠実に実行され、民会や裁判における弁舌の力、大衆とその指導者たちとの買収されやすさ、老獪な人間通の目にうつる貪欲や虚栄心や党派性の弱点-それらは上述の命題を実行するあまりにも多くの機会を与えた。

3.ソフィスト哲学の諸傾向
ギリシャのソフィスト哲学が、百科全書的に知識の各方面にわたっている点でも、18世紀のフランス啓蒙哲学と共通しているからである。例えばプロタゴラスは徳の教師として知られていたし、ゴルギアスは雄弁家および政治家として、プロディコスは文法学者および同意語学者として、ヒピアスは博識家として知られていた。要するにソフィストたちは、各々その個性に応じてどんな職業にでもつき、どんな知識分野にでもはいったのであって、かれらすべてに共通なのは方法だけである。ソフィストたちの教養ある公衆にたいする関係を思うと、すなわちかれらが人気と名声と金儲けとに努力していたのを思うと、かれらの研究と仕事とは客観的な学的関心によってではなく、概して外的な顧慮によって導かれ定められていたと思われる。

4.ソフィスト哲学の文化史的意義

ソフィスト哲学の学的および倫理的欠陥はおのずから明らかであるし、その軽薄、背徳、享楽欲、虚栄、利己心、からっぽな見せかけの知恵、論争術をきわめて過酷に非難したのであるから、それはこれ以上詳説するに及ばない。しかし、概して看過されているのは、ソフィストの文化史的功績である。

もし言われているように、かれらの功績がソクラテスとプラトンとの反駁をひきおこしたという消極的なものにすぎないとすれば、ソフィストたちのうちあんなに多くの者がもっていたはかりしれなぬ勢力と高い名声、およびかれらが全国民の思考のうえにもたらした革命は説明できない現象であろう。例えば、ソクラテスがプロディコスの講義を聴きに行きたがり、弟子たちをかれのもとへやりたがったということは、もしソクラテスがかれの文法学上の業績と健全な論理学上の功績を認めなかったものとすれば、説明できないことであろう。一般にソフィストたちは、多くの一般的な知識を国民の間にひろめ、多くの実り多い発展の種子をまき、認識論や論理学や言語にかんする研究をよびさまし、人知の多くの部門の方法論的な取扱いに基礎をおき、当時のアテナイの驚嘆すべき精神的活動を創りだしたり促進したりしたのである。

5.個々のソフィストたち

上述のような意味でソフィストと名づけられたといわれている最初の人は、紀元前440年頃がその壮年であったアブデラ生まれのプロタゴラスである。かれはシケリア(シチリア)とアテナイとではじめて報酬をとって教えたが、神々を認めぬ者としてアテナイを追われ、神々について書かれていたかれの著書は公けの広場で焼かれた。その本は、「神々について、かれらが存在するか、それとも存在しないかを、わたしは知ることができない。なぜなら、事柄そのものが明らかでないとか、人間の生涯は短いとか、多くのことが、それを知るのをさまたげるからである」という言葉ではじまっていた。

 知覚する主体にとっては、それが事物および自分自身の不断の流動のうちにあって刻々に知覚し感じるものが真である、したがって理論上では感覚、実践上では無数の人々において無数にちがっているし、同じ主体においてさえ非常に変化するから、ここからさらに次のような結論が生まれた。すなわち、一般に客観的な立言や規定は存在せず、同じ対象についての正反対の主張も同等に正しいと認められるべきであり、あらゆることについて同じ権利をもって賛成することも反対することもでき、誤りとか反駁とかはありえない。なにものも自体的には存在せず、すべては主観の観念、意見、恣意であるという原理は、ソフィスト哲学においては、とくに法律と道徳に適用された。

 プロタゴラスについではゴルギアス(前483-375)がもっとも有名なソフィストであった。かれはシケリアのレオンティノイに生まれ、ペロポネソス戦争中にアテナイにゆき、のちにテッサリアに住み、この地でソクラテスと同じ頃に死んだ。哲学者としてはかれはエレア学派、特にゼノンに結ばれ、その弁証法的図式にもとづいて、何も存在しない、もし存在しても知ることができない、知ることができたとしても人に伝えることができない、ということを証明しようとした。

6.ソクラテスへの移り行きと次の時代の特性

ソフィスト哲学の正しい点は、自由、自己確信の原理を立てたことであり、その誤りは個人の偶然的は意欲と表象とを王座にのぼせたことである。ソフィストたちが破壊にのみ用いていたのと同じ反省という手段をもって客観的思想という真の世界、絶対的に存在する内容を獲得すること、経験的主観性のかわりに絶対的あるいは理想的主観性を定立すること-これが次の時代の課題であった。そしてこの課題を引受けかつ解決したのがソクラテスである。

 わたしの思考、わたしの理性はわたしに特有なものではなく、あらゆる理性的存在に共通なもの、普遍的はものであるから、わたしが理性的な、思考的な存在としてふるまうかぎり、わたしの主観性は一つの普遍的な主観性である。実際思考する者はすべて、自分が権利、義務、善、悪と考えることは、単に自分にそう思われるだけではなくて、すべての理性的存在にそう思われるのだという意識、したがって自分には普遍性という性質、普遍的な妥当、一口に言えば客観性があるという意識をもっている。以上がソフィストに反対するソクラテスの立場であり、したがってソクラテスとともに客観的思想の哲学がはじまるのである。人間が万物の尺度ではあるが、普遍的な、思考する理性的な人間がそうなのだということ-これがソクラテスの教えの根本思想であり、この根本思想によってそれはソフィスト的原理の積極的な補足をなしているのである。

以上