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 2019 資本論入門 10月号
 <コラム28> 
資本物神性の三位一体 2019.10.25
 
   ~ 
『資本論』のキリスト教神学と「商品の物神性」 ~


 文献資料 
   <目次>
 1. 
『資本論』 第3巻 第48章 三位一体の定
 2. 
『資本論』のキリスト教神学と「商品の物神性」
 3. 
ド・ブロスのフェティシズムと 『資本論』


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  1. 『資本論』 第48章 三位一体の定式 
 
   第3巻 第7篇 諸収入とその諸源泉
  
   
第48章 三位一体の定式

(第48章全文抄録を準備中。11月に掲出予定)


 〔表題の「三位一体」とは、キリスト教の中心的教義の一つ。神の神性として、「父と子(イエス・キリスト)と聖霊」の特有な「関係」を表しています。神は「一つの実体、三つの位格(ペルソナ)」と表現され、神学上の詳細説明は他の箇所で行います。
 第48章「三位一体」は、キリスト教世界の「ペルソナ」の特徴的なあり様の探索によって、「『資本論』の物神性」への一里塚として役立つことでしょう。 では、48章へ。〕

  
〔商品と貨幣の物神性から資本物神性へ〕

1.  「われわれは、すでに資本主義的生産様式の、また商品生産さえもの、もっとも単純な諸範疇のところで、すなわち、商品と貨幣のところで、富の素材的諸要素を、生産でその担い手とする社会的諸関係を、これらの物そのものの諸属性に転化し(商品)、またさらに明瞭に生産関係そのものを、一つの物に転化する(貨幣)神秘化的性質を確証した。
 商品生産と貨幣流通とに達しているかぎり、すべての社会形態がこの逆倒に関与している。しかし、資本主義生産様式においては、そしてその支配的範疇をなし、その規定的生産関係をなす資本にあっては、この魔術にかけられ、逆倒された世界は、さらにはるかにより以上に発展する。」 (岩波文庫(9)p.27)

  
〔資本の人格化〕

2.  「資本、土地、労働! しかし資本は物ではなく、一定の、社会的な、一定の歴史的社会構造に属する生産関係であって、それが一つの物において表示され、そしてこの物に一つの特殊な社会的性格を与えるのである。資本は、物資的は生産された生産手段の総和ではない。資本、それは資本に転化された生産手段で、生産手段それ自体が資本でないことは、金または銀それ自体が、貨幣でないのと同様である。資本は、社会の一定部分によって独占された生産手段であり、生きた労働力に対立して独立化された、この同じ労働力の生産物および活動諸条件であって、これらのものが、 この対立によって資本において人格〔ペルソナ〕化される〔im Kapital personifiziert werden〕のである。
 資本は、独立的な諸力の転化された労働者の生産物、自己の生産者の支配者および買い手としての生産物であるのみではなく、・・・かくしてここに、われわれは、一つの歴史的に作り出された社会的生産過程の諸要因の一つの、一定の、一見きわめて神秘的な、社会的な形態をもつのである。」 (同p.8)

  
 〔資本家は人格化された資本〕

3. ・・・・資本主義的生産過程は特定の物質的諸条件のもとで行なわれるのであるが、この諸条件は同時にまた、諸個人が彼らの生活再生産の過程において入りこむ、特定の社会的諸関係の担い手でもある。かの諸条件も、この諸関係も、一面では資本主義的生産過程の前提であり、他面ではその結果であり所産である。それらはこの生産過程によって生産され、再生産される。さらにわれわれは次のことを見た。資本は― そして資本家は人格化された資本であるにすぎず、生産過程においてはただ資本の担い手として機能する―、かくして資本は、それに対応する社会的生産過程において、一定量の剰余労働を直接生産者または労働者から汲み出す。(同P.14)

  
〔土地所有者が本質的な生産諸条件の人格化として現われる〕

4. 土地所有は、現実の生産過程とはなんの関係ももたない。その役割は、生産された剰余価値の一部を、資本のポケットから自分のポケットにもってくることに、限られている。とはいえ、所有者は資本主義的生産過程において一つの役割を演ずる、というのは、それが資本の上に加える圧力によってのみではなく、また大きな土地所有は、労働者からの労働諸条件の収奪の一前提であり、一条件であるから、資本主義的生産のそれでもあるということによってのみでもなく、とくに、彼がもっとも本質的な生産諸条件の人格化として現われるということによって、その役割を演ずるのである。(同P.18)

  
〔資本主義生産様式の神秘化-経済的三位一体〕

5.   「資本―利潤、またはより適切には資本―利子、土地―地代、労働―労働賃金、この価値および富一般の諸構成部分と、その諸源泉との関連としての経済的三位一体〔dieser okonomischen Trinitat〕において、資本主義生産様式の神秘化、社会的諸関係の物化、素材的生産諸関係とその歴史的社会的規定性との直接的合生は、完成されている。魔法にかけられた、逆倒された、逆立ちさせられた世界、そこではムッシュ・ル・カピタルとマダム・ル・テル〔資本氏と土地夫人〕が社会的諸人物〔soziale Charaktere:社会的にある役割をもって擬人化された役柄〕として、また同時に直接に単なる物として、彼らの魔術を行う。この虚偽な外観と欺瞞、富の種々の社会的要素相互のこの独立化と骨化、この物の人格化と生産諸関係の物化 〔dies Personifizierung und Versachlichung der Produktionsverhaltnisse〕、この日常生活の宗教、これらのものを分解したことは、古典経済学の大きな功績である。」 (同p.32)

・・・・以上で、第48章 三位一体の定式 終わり・・・
 (なお、第48章全文抄録を準備中です。11月に掲出予定)


 <コラム28> 資本物神性の三位一体  
     <目次>
 1. 『資本論』 第3巻 第48章 三位一体の定
 2. 『資本論』のキリスト教神学と「商品の物神性」
 3. ド・ブロスのフェティシズムと 『資本論』