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  属性-性質-性格_集計



  文献資料

 『資本論』 
属性 Eigenschaft 要約2020.07.06
http://www.marx2016.com/bs_kati-hyougen_houteisiki.html
『資本論』属性Eigenschaft要約2020.07.06
  →『資本論』 性質2020.07.05
  →属性と性質2020.07.04 ・・・メモ帳

第1節 商品の2要素 使用価値と価値(価値実体、価値の大いさ)

1-2 商品はまず第一に外的対象である。すなわち、その
属性Eigenschaftによって人間のなんらかの種類の欲望を充足させる一つの物 Ding である。

1-3 鉄・紙等々のような一切の
有用なる物 nützliche Dingは、質と量にしたがって二重の観点から考察されるべきものである。このようなすべての物は、多くの属性の全体をなすのであって、したがって、いろいろな方面に役に立つことができる。

1-4 一つの物の有用性Die Nützlichkeit eines Dingsは、この物を使用価値にする(原注4)。しかしながら、この有用性は 空中に浮かんでいるものではない。それは、
商品体の属性 Eigenschaften des Warenkörpers によって限定されていて、商品体なくしては存在するものではない。

1-9 この共通なものは、商品の幾何学的・物理的・化学的またはその他の自然的属性であることはできない。商品の
形体的属性 körperlichen Eigenschaften は、ほんらいそれ自身を有用にするかぎりにおいて、したがって使用価値にするかぎりにおいてのみ、問題になるのである。しかし、他方において 、商品の交換関係をはっきりと特徴づけているものは、まさに商品の使用価値からの抽象である。

1-11 いまもし商品体の使用価値を無視するとすれば、
商品体に残る属性は、ただ一つ、労働生産物という属性だけである。だが、われわれにとっては、この労働生産物も、すでにわれわれの手中で変化している。われわれがその使用価値から抽象するならば、われわれは労働生産物を使用価値たらしめる物体的な組成部分や形態からも抽象することとなる。それは もはや指物労働の生産物でも、建築労働や紡績労働やその他なにか一定の生産的労働の生産物でもない。労働生産物の有用なる性質とともに、その中に表わされている労働の有用なる性質 nützlicher Charakterは消失する 。したがって、これらの労働のことなった具体的な形態も消失する。それらは もはや相互に区別されることなく、ことごとく同じ人間労働、抽象的に人間的な労働に整約される。

 第2節 商品に表わされた労働の二重性
2-16  すべての労働は、一方において、生理学的意味における人間労働力の支出である。そしてこの同一の人間労働、または
抽象的に人間的な労働の属性において、労働は商品価値を形成する。すへての労働は、他方において、特殊な、目的の定まった形態における人間労働力の支出である。そしてこの具体的な有用労働の属性において、それは使用価値を生産する。

第3節価値形態または交換価値
2 相対的価値形態 a 相対的価値形態の内実

8. 上衣の生産においては、事実上裁縫の形態で人間労働力が支出された。したがって、人間労働は上衣の中に堆積されている。この側面から見れば、上衣は「価値の保持者 "Träger von Wert",」である。もちろん、この
上衣の属性 diese seine Eigenschaft そのものは、どんなに糸目がすいていても、のぞいて見えるわけではないが。そして亜麻布の価値関係 Wertverhältnis においては、上衣はただこの側面からのみ、したがって、体現された価値 verkörperter Wert としてのみ、価値体 Wertkörper としてのみ取り上げられている。

10. 
人間労働の抽象的な属性で労働が亜麻布自身の価値を形成することをいうために、亜麻布は、上衣が、亜麻布に等しいとされ、したがって価値であるかぎりにおいて、亜麻布と同一の労働から成っているという風に言うのである。亜麻布の森厳なる価値対象性 Wertgegenständlichkeit が、そのゴワゴワした布の肉体とちがっているというために、亜麻布は、価値が上衣に見え、したがって、亜麻布自身が価値物 Wertding としては、卵が他の卵に等しいと同じように、上衣に等しいという風に言うのである。

  
3 等価形態  Die Äquivalentform

    〔アリストテレスの価値概念の欠如〕

2. もし上衣というような一商品種が、亜麻布のような他の商品種にたいして、等価として用いられるとしても、したがって、上衣が亜麻布と直接に交換しうる形態にあるという独特の属性 charakteristische Eigenschaft を得るとしても、これによって、決して上衣と亜麻布とが交換されうる割合も、与えられているというわけではない。この割合は、亜麻布の価値の大いさが与えられているから、上衣の価値の大いさにかかっている。・・・・

■7. だが、ここで比喩は終わるのである。鉄は砂糖塊の重量表現で、両物体に共通なる自然属性 Natureigenschaft、すなわち、それらの重さを代表したのであるが、――他方の上衣は亜麻布の価値表現において両物の超自然的属性übernatürliche Eigenschaft を、すなわち、それらのものの価値を、およそ純粋に社会的なものを、代表しているのである。

■8. 一商品、例えば亜麻布の相対的価値形態は、その価値たることを、何かその物体と物体の属性とから全く区別されたものとして、例えば、上衣に等しいものとして、表現しているのであるが、この表現自身が、一つの社会関係を内にかくしていることを示唆している。等価形態では逆になる。等価形態であるゆえんは、まさに、一商品体、例えば上衣が、あるがままのものとして価値を表現し、したがって、自然のままのものとして、価値形態をもっているということの中にあるのである。・・・

9. 等価のつとめをしている商品の物体は、つねに抽象的に人間的な労働の体現として働いており、しかもつねに一定の有用な具体的労働の生産物である。したがって、この具体的労働は、抽象的に人間的な労働の表現となる。・・・
 すなわちこの物体にたいして、人は、それが価値であるという風に、したがって、亜麻布価値に対象化されている労働から少しも区別されない、労働の凝結物Gallertであるというように、みなしてしまうのである。このような一つの価値鏡を作るために、裁縫自身は、人間労働であるというその抽象的な属性以外には、何ものをも反映してはならない。

10. 裁縫の形態でも、機織の形態でも、人間労働力は支出されるのである。したがって、両者は、人間労働の一般的な属性をもっている。そしてこのために一定のばあいには、例えば、価値生産においては、ただこの観点からだけ考察すればいいのである。すべてこれらのことは、神秘的なことではない。しかし、商品の価値表現においては、事柄は歪(ゆが)められる。・・・


4 単純な価値形態の総体
4.  労働生産物は、どんな社会状態においても使用対象である。しかし、ただある歴史的に規定された発展段階のみが、一つの使用物の生産に支出された労働を、そのものの「対象的」属性として、すなわち、その価値として表わすのであって、この発展段階が、労働生産物を商品に転化するのである。・・・


C 一般的価値形態
1 価値形態の変化した性格  Veränderter Charakter der Wertform
■■7. 商品世界の一般的な相対的価値形態は、この世界から排除された等価商品である亜麻布に、一般的等価の性質Charakter des allgemeinen Äquivalentsをおしつける。
 亜麻布自身の自然形態は、この世界の共通な価値態容gemeinsame Wertgestaltであり、したがって、亜麻布は他のすべての商品と直接に交換可能である。この物体形態Körperformは、一切の人間労働の眼に見える化身としてals die sichtbare Inkarnation、一般的な社会的な蛹化(ようか)die allgemeine gesellschaftliche Verpuppungとしてのはたらきをなす。機織という亜麻布を生産する私的労働は、同時に一般的に社会的な形態、すなわち、他のすべての労働との等一性の形態にあるのである。一般的価値形態を成立させる無数の方程式は、順次に亜麻布に実現されている労働を、他の商品に含まれているあらゆる労働に等しいと置く。そしてこのことによって、機織を人間労働そのものの一般的な現象形態にするのである。このようにして、商品価値に対象化されている労働は、現実的労働のすべての具体的形態と有用なる属性allen konkreten Formen und nützlichen Eigenschaftenとから抽象された労働として、たんに否定的に表示されるだけではない。それ自身の肯定的性質positive Naturが明白に現われるのである。それは、すべての現実的労働aller wirkliche Arbeitenを、これに共通なる人間労働の性質gemeinsamen Charakter menschlicher Arbeit,に、人間労働力の支出に、約元したものなのである。
 労働生産物を、無差別な人間労働のたんなる凝結物Gallertとして表示する一般的価値形態は、それ自身の組立てによって、それが商品世界の社会的表現であるということを示すのである。このようにして、一般的価値形態は、この世界の内部で労働の一般的に人間的な性格allgemein menschliche Charakter der Arbeitが、その特殊的に社会的な性格spezifisch gesellschaftlichen Charakterを形成しているのを啓示するoffenbartのである。

4. それゆえに、商品形態の神秘に充ちたものは、単純に次のことの中にあるのである。すなわち、商品形態は、人間にたいして彼ら自身の労働の社会的性格を労働生産物自身の対象的性格として、これらの物の社会的自然属性として、反映するということ、したがってまた、総労働にたいする生産者の社会的関係をも、彼らのほかに存する対象の社会的関係として、反映するということである。・・・

9. 生産物交換者がまず初めに実際上関心をよせるものは、自分の生産物にたいしてどれだけ他人の生産物を得るか、したがって、生産物はいかなる割合で交換されるかという問題である。このような割合は、ある程度習慣的な固定性をもつまでに成熟すると同時に、労働生産物の性質から生ずるように見える。したがって、例えば1トンの鉄と2オンスの金とは、1ポンドの金と1ポンドの鉄が、その物理学的化学的属性を異にするにかかわらず同じ重さであるように、同じ価値であることになる。事実、労働生産物の価値性格は、価値の大いさとしてのその働きによってはじめて固定する。この価値の大いさは、つねに交換者の意志、予見、行為から独立して変化する。・・・

20. 商品形態は、ブルジョア的生産のもっとも一般的でもっとも未発達の形態であり、そのために商品形態は今日と同じように支配的で、したがって特徴的な仕方ではないが、すでに早く出現しているのであるから、その物神的性格Fetischcharakterは、比較的にはもっと容易に見破られていいように思われる。より具体的な形態を見ると、この単純さの外観dieser Schein der Einfachheit.すら消える。重金主義(モネタル・ジュステム)の幻想はどこから来たか?重金主義は、金と銀とにたいして、それらのものが貨幣として一つの社会的生産関係を表わしているが、特別の社会的属性をもった自然物の形態で、これをなしているということを見なかった。そして上品に重金主義を見下している近代経済学も、資本を取扱うようになると、物神礼拝Fetischismusにつかれていることが明白にならないか?地代が土地から生じて、社会から生ずるものでないという重農主義的な幻想は、消滅して以来どれだけの歳月を経たか?

21. ・・・曰く「価値(交換価値)は物の属性であり、富(使用価値)は人の属性である。この意味で価値は必然的に交換を含んでいるが、富はそうでない(注34)」。「富(使用価値)は人間の特性であるが、価値は商品の特性である。一人の人間または一つの社会は富んでいる。一個の真珠または一個のダイヤモンドには価値がある。……一個の真珠または一個のダイヤモンドは、真珠またはダイヤモンドとして価値をもっている(注35)」。

22 これまでまだ、一人の化学者として、真珠またはダイヤモンドの中に、交換価値を発見したものはない。しかし、特別の深い批判力をもっているこの化学的実体の経済学的発見者たちは、物財の使用価値が、その物的属性から独立しているのに反して、その価値は、物としての属性に属しているということを発見している。彼らがここで立証することは、物の使用価値は人間にとって交換なしで実現され、したがって、物と人間との間の直接的関係において実現されるのに、逆にそれらの価値は交換においてのみ、すなわち、社会的過程においてのみ実現されるという特別の事態である。・・・

第2章 交換過程
11. そこで「金と銀はほんらい貨幣ではないが、貨幣はほんらい金と銀である(42)」ということが、それらのものの自然属性とその機能との一致を示している(43)。だが、これまでわれわれは、商品価値の現象形態として役立ち、または商品の価値の大いさが社会的に表現される材料として役立つという、貨幣の一つの機能を識っているのみである。価値の適当な現象形態、または抽象的な、したがってまた等一な人間労働の体化物となりうるものは、ただその見本のどれをとっても、同一の、ことなるところのない質をもっているような物質だけである。他方において、価値の大いさの差異は、純粋に量的なものであるから、貨幣商品は、純粋に量的差異を表わしえなければならない。したがって、随意に分割しえ、またその分割部分を再び合体させうるものでなければならぬ。しかして金と銀とは、このような属性をほんらいもっている。

16. A商品x量=B商品y量というもっとも単純な価値表現において、すでに、ある他の物の価値の大いさを表示している一物が、その等価形態を、この関係から独立して社会的の自然属性としてもっているように見えるということを、われわれは知ったのである。われわれは、この誤った外観〔falschen Scheins:誤った仮象〕がどうして固定していくかを追究した。この外観は、一般的等価形態が、ある特別な商品種の自然形態と合生し〔verwachsen:合体する、合生する〕、または貨幣形態に結晶する〔kristallisiert:結晶する、明確な形をとる〕とともに、完成するのである。一商品は、他の諸商品が全面的にその価値を、それで表示
するから、そのために貨幣となるのであるようには見えないで、諸商品は、逆に一商品が貨幣であるから、一般的にその価値をこれで表わすように見える。・・・

 したがって、貨幣物神の謎は、商品物神の目に見えるようになった、眩惑的な謎であるにすぎないのである。