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資本論用語事典2021
普遍的価値形式Elementarform 形成史

 Elementarform 集計データ 

 Elementarform 集計

 一般的価値形態と周期律・表  2021.01.22作成中
『資本論』 経済学批判
 第1篇 商品と貨幣
 第1章 商 品
  第3節 価値形態または交換価値 Die Wertform oder der Tauschwert
   A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
   B 総体的または拡大された価値形態
   C 一般的価値形態 Allgemeine Wertform     1 価値形態の変化した性格
    2 相対的価値形態と等価形態の発展関係
    3 一般的価値形態から貨幣形態への移行    D 貨幣形態    〔以下、省略・〕
 上着1着      = 
 茶10ポンド    =
 コーヒー40ポンド =
 小麦1クォーター   =   } 亜麻布20エレ
 金2オンス     =
 鉄1/2トン      =
 A商品x量     =
 その他の商品量   =


 1 価値形態の変化した性格  Veränderter Charakter der Wertform

1. 諸商品は、その価値をいまでは第一に、唯一の商品で示しているのであるから、単純に表わしていることになる。また第二に、同一商品によって示しているのであるから、統一的に表わしていることになる。それら商品の価慎形態は、単純で共同的であり、したがって一般的である。
 第一および第二の形態は、二つとも、一商品の価値を、その商品自身の使用価値、またはその商品体から区別したあるものとして表現するために、生じたものにすぎなかった。

2. 第一の形態は、上衣1着 = 亜麻布20エレ、茶10ポンド = 鉄1/2トン 等々というような価値方程式を作り出した。上衣価値は亜麻布に等しいものとして、茶価値は鉄に等しいものとして、というようなふうに表現される。しかしながら、亜麻布に等しいものと鉄に等しいもの、このような上衣および茶の価値表現は、亜麻布と鉄とがちがっているのと同じようにちがっている。この形態が明瞭に実際に現われるのは、ただ、労働生産物が、偶然的な、そして時折の交換によって商品に転化されるような、そもそもの端緒においてである。
 第二の形態は、第一のそれより完全に、商品の価値を、それ自身の使用価値から区別する。なぜかというに、例えば上衣の価値は、ここではその自然形態に、あらゆる可能な形態で、例えば亜麻布に等しいものとして、鉄に等しいもの、茶に等しいもの等として、すなわちただ上衣に等しいものでないだけで他の一切のものに等しいものとして、相対するからである。他方において、ここには商品のあらゆる共通な価値表現は、ただちにできなくされている。なぜかというに、ここでは一商品ごとに価値表現を行なって、すべての他の商品は、ただ等価の形態で現われるにすぎないからである。ある労働生産物、例えば家畜がもはや例外的にでなく、すでに習慣的に各種の他の商品と交換されるようになると、まず拡大された価値形態が、事実上出現するのである。

3. 新たに得られた形態は、商品世界の諸価値を、同一なる、この世界から分離された商品種で表現する、例えば亜麻布で、そしてすべての商品の価値を、かくて、その亜麻布と等しいということで示すのである。亜麻布に等しいものとして、あらゆる商品の価値は、いまやただそれ自身の使用価値から区別されるだけでなく、一切の使用価値から区別されるのである。そしてまさにこのことによって、この商品とあらゆる商品とに共通なるものとして表現される。したがって、この形態にいたって初めて現実に、商品を価値として相互に相関係させ、またはこれらを相互に交換価値として現われさせるようになる。

4. 先の二つの形態は、商品の価値を唯一の異種の商品をもってするばあいと、この商品と異なる多くの商品の序列をもってするばあいとの違いはあるが、いずれにしても一商品ごとに表現するのである。両場合ともに、価値形態を与えられるのは、個々の商品のいわば私事である。そして個々の商品は他の商品の協力なしに、このことをなすのである。他の諸商品は、先の一商品にたいして等価形態という単なる受動的の役割を演ずるのである。これに反して一般的価値形態は、商品世界の共通の仕事としてのみ成立するのである。一商品が一般的価値表現を得るのは、ただ、同時に他のすべての商品がその価値を同一等価で表現するからである。そして新たに現われるあらゆる商品種は、これを真似なければならない。このことによって、こういうことがはっきりとしてくる、すなわち、諸商品の価値対象性も、それがこれら諸物の単なる「社会的存在」であるのであるから、その全面的な社会的関係によってのみ表現されうるのであり、したがって、その価値形態は、社会的に妥当する形態でなければならないということである。
5. 亜麻布に等しいものの形態において、いまではあらゆる商品が、ただに質的に等しいもの、すなわち価値一般としてだけでなく、同時に量的に比較しうる価値の大いさとしても現われる。すべての商品が、その価慎の大いさを同一材料で、亜麻布で写し出すのであるから、これらの価値の大いさは、交互に反映し合うのである。例えば 茶10ポンド = 亜麻布20エレ、さらに コーヒー40ポンド = 亜麻布20エレ. したがって、茶10ポンド = コーヒー40ポンド というようにである。あるいは1ポンドのコーヒーには、ただ1ポンドの茶におけるものの4分の1だけの価値実体、すなわち、労働が含まれているというようにである。


6. 商品世界の一般的な相対的価値形態は、この世界から排除された等価商品である亜麻布に、一般的等価の性質をおしつける。亜麻布自身の自然形態は、この世界の共通な価値態容であり、したがって、亜麻布は他のすべての商品と直接に交換可能である。この物体形態は、一切の人間労働の眼に見える化身として、一般的な社会的な蛹化(ようか)としてのはたらきをなす。機織という亜麻布を生産する私的労働は、同時に一般的に社会的な形態、すなわち、他のすべての労働との等一性の形態にあるのである。一般的価値形態を成立させる無数の方程式は、順次に亜麻布に実現されている労働を、他の商品に含まれているあらゆる労働に等しいと置く。そしてこのことによって、機織を人間労働そのものの一般的な現象形態にするのである。このようにして、商品価値に対象化されている労働は、現実的労働のすべての具体的形態と有用なる属性とから抽象された労働として、たんに否定的に表示されるだけではない。それ自身の肯定的性質が明白に現われるのである。それは、すべての現実的労働を、これに共通なる人間労働の性質に、人間労働力の支出に、約元したものなのである。

7. 労働生産物を、無差別な人間労働のたんなる凝結物として表示する一般的価値形態は、それ自身の組立てによって、それが商品世界の社会的表現であるということを示すのである。このようにして、一般的価値形態は、この世界の内部で労働の一般的に人間的な性格が、その特殊的に社会的な性格を形成しているのを啓示するのである。


 2 相対的価値形態と等価形態の発展関係

1. 相対的価値形態の発展程度に、等価形態の発展程度が応ずる。しかしながら、そしてこのことはよく銘記されなければならぬのであるが、等価形態の発展は相対的価値形態の発展の表現であり、結果であるにすぎない。

2. ある商品の単純な、または個別的な相対的価値形態は、他の一商品を個別的な等価にする。相対的価値の拡大された形態、一商品の価値の他のすべての商品におけるこのような表現は、これらの商品に各種の特別な等価の形態を刻印する。最後に、ある特別な商品種が一般的等価形態を得る。というのは、他のすべての商品が、これを自分たちの統一的一般的な価値形態の材料にするからである。

3. しかしながら、価値形態一般が発展すると同じ程度で、その二つの極たる相対的価値形態と等価形態の間の対立もまた発展する。
4. すでに第一の形態―亜麻布20エレ=上衣1着―がこの対立を含んでいる。しかしまだ固定してはいない。同じ方程式が順に読まれるか、逆に読まれるかにしたがって、亜麻布と上衣というような両商品極のおのおのが、同じように、あるときは相対的価値形態に、あるときは等価形態にあるのである。このばあいにおいては、なお両極的対立を固着せしめるのに骨が折れる。

5. 第二の形態では、依然としてまだ各商品種ごとに、その相対的価値を全体として拡大しうるのみである。言葉をかえていえば、各商品種自身は、すべての他の商品がこれにたいして等価形態にあるから、そしてそのかぎりにおいて、拡大せる相対的価値形態をもっているにすぎないのである。このばあいにおいては、もはや価値方程式―亜麻布20エレ=上衣1着 または =茶10ポンド または =小麦1クォーター等々―の両項を移し換えると、その総性格を変更し、これを総体的価値形態から一般的価値形態に転換させてしまうほかはないことになる。

6. 最後の形態である第三形態は、ついに商品世界にたいして一般的社会的な相対的価値形態を与える、それは、唯一の例外を除いて、この世界に属するすべての商品が一般的等価形態から排除されるからであり、またそのかぎりにおいてである。ある商品、すなわち亜麻布は、したがって、他のすべての商品と直接的な交換可能性の形態に、あるいは直接的に社会的な形態にある。というのは、他の一切の商品がこの形態をとっていないからであり、また、そのかぎりにおいてである(24)。
 (24) 人は、一般的な直接的な交換可能性の形態について、その形態が対立的な商品形態であって、直接的な交換可能性でない形態から、一つの電極の陽性が他の極の陰性にたいすると同じように、分離しえないものであることを、事実上すこしも見ようとしない。したがって、すべての商品に、同時に直接的交換可能性の刻印を押しつけることができるという風に、妄想を描いているようである。ちょうどあらゆるカトリック信者を、教皇にすることができると思いこんでいる人があるように。商品生産に人間の自由と個人の独立の nec plus ultra (絶頂)を見る小市民にとっては、この形態に結びつけられている不都合を、ことに商品の直接に交換可能でないということを、除くことは、むろんきわめて願わしいことであろう。この俗人的空想境の色どりを示しているのは、プルードンの社会主義である。それは、私が他の所で示したように、独創という功績すらもっていないのであって、彼よりずっと以前にグレーやブレーその他の人々によって、はるかにうまく展開されたのである。このことは、このようなこざかしさが、今日ある仲間で「科学」の名で流行するというようなことをさまたげないのである。プルードン学派ほどに、「科学」という言葉を乱用した学派はかつてなかった。なぜかというに、 「ちょうど概念のない所へ詞(ことば)が猶予なく差し出ているものだ」〔ゲーテ『ファウスト』第1部、1995、森林太郎訳による〕から。


7. 逆に、一般的等価という役割を演ずる商品は、商品世界の統一的な、したがって一般的な相対的価値形態から排除される。亜麻布が、すなわち、一般的等価形態にあるなんらかのある商品が、同時に一般的相対的価値形態にもなるとすれば、その商品は、自分自身にたいして等価としてつかえるということにならなければなるまい。そうすると、われわれは、亜麻布20エレ=亜麻布20エレという式を得ることになる。これは内容のない繰り返しであって、そこには価値も価値の大いさも表現されてはいない。一般的等価の相対的価値を表現するためには、われわれはむしろ第三形態を引っくり返さなければならない。一般的等価は、他の商品と共同の相対的価値形態をもってはいないのであって、その価値は、すべての他の商品体の無限の序列の中に相対的に表現されるのである。このようにして、いまでは拡大せる相対的の価値形態または第二形態は、等価商品の特殊的な相対的価値形態として現われる。


 3 一般的価値形態から貨幣形態への移行

1.  一般的等価形態は価値一般の形態である。したがって、それは、どの商品にも与えられることができる。他方において一商品は、それが他のすべての商品によって等価として除外されるために、そしてそのかぎりにおいてのみ、一般的な等価形態(第3形態)にあるのである。そして、この除外が、終局的にある特殊な商品種に限定される瞬間から、初めて商品世界の統一的相対的価値形態が、客観的固定性と一般的に社会的な通用性とを得たのである。

2.  そこでこの特殊なる商品種は、等価形態がその自然形態と社会的に合生するに至って、貨幣商品となり。または貨幣として機能する。商品世界内で一般的等価の役割を演ずることが、この商品の特殊的に社会的な機能となり、したがって、その社会的独占となる。この特別の地位を、第2形態で亜麻布の`別の等価たる役を演じ、また第3形態でその相対的価値を共通に亜麻布に表現する諸商品のうちで、一定の商品が、歴史的に占有したのである。すなわち、金である。したがって、われわれが、第3形態において、商品金を商品亜麻布のかわりにおくならば、次のようになる。
D 貨幣形態
亜麻布20エレ    =
   上衣1着      =
   茶20封度      =
   コーヒー40封度   =  } 金2オンス
   小麦1クォーター  =
   鉄1/2トン     =
   A商品x量       =
  ・・・以下、省略・・・