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 ド・ブロスとフェティシズム 2019.07

 (Fetischismus 呪物崇拝、物神崇拝) 

   -
 『資本論』とフェティッシュ・宗教学 ー


  

   資本論ワールド編集部 はじめに


  マルクスは、ド・ブロスによる宗教世界のフェティシズムを商品世界に応用しています

1. 「フェティシズム」の創始者であるシャルル・ド・ブロスは、1709年フランスのブルゴーニュ地方ディジョン市に生まれ、1777年パリで他界しました。ヴォルテールやルソーと同時代のフランス啓蒙思想家で、『百科全書』を通じてディドロとそしてヒュームと今日の比較宗教学の礎を築きました。ド・ブロスは、ヒュームの『宗教の自然史』(1757年)を参照しながら1760年に『フェティッシュ諸神の崇拝』を出版し、「フェティシズム」(呪物崇拝または物神崇拝)概念によって、宗教学を歴史的展開の新機軸に切り開くことに成功しました。


2.
 ド・ブロスは、当時のアフリカ大陸やアメリカ大陸に残存する原初的信仰について研究を行ない、野生人の間に広く伝わる土着宗教をフェティシズムと命名します。従来の偶像崇拝と区別し、動物ないしは神格化された無生物そのものを崇拝対象としていることを明らかにしました。その結果、古代エジプトの信仰はアフリカ黒人の物質・動物崇拝と全く同じものであり、彼らは共通して「フェティシスト」として定義づけられる結論に達することが可能となりました。これにより、人類の歴史的発展段階を比較研究する道筋が初めて可能となったのでした。


3.
 大航海時代が幕を開けた16世紀、西洋の宣教師や神学者たちにとって新大陸にみられる野生人の宗教慣行、すなわち偶像崇拝発生の原因と起源をどのように説明するかという重大な事態に直面しました。カトリックの聖書注解学者たちは、この原因を創造神への崇拝からの堕落者とみなし、偶像崇拝の「迷信」を信奉している異教徒や古代多神教徒の「生き残り」の人々であるとしました。そして彼ら新大陸の住民の改宗と撲滅を正当化してゆくことになります。


4.
  『フェティッシュ諸神の崇拝』の翻訳者である杉本隆司によれば、聖書注解学者の間には、次のような共通する考え方がありました。「歴史の始原において、唯一神(最高存在が実在した、ないしは唯一神を認識できる知的な人々が存在したという原始一神教の論理である。実際、キリスト教理神論の原理は18世紀になると新大陸や中国に渡ったイエズス会の宣教師たちの議論にも少しづつ取り入れられてゆきます。)」

 「
全能の神の手から生まれた原初の民族は当初唯一神を崇めていたが、その後原罪により天の怒りに触れ諸悪の根元である多神教や偶像崇拝・イドラトリのような迷信に陥り、悪魔の導きによって創造主である神の観念を忘却した」というものでした。

 これに対して
人類史の原初時代、民族生活の宗教形態であるフェティッシュ信仰が、ド・ブロスによってはじめて普遍的な一般的な現象であることが明らかにされたのです。


5. マルクスは、ド・ブロスによる宗教世界のフェティシズムを商品世界に応用しています。

 「商品形態は、人間にたいして彼ら自身の労働の社会的性格を労働生産物自身の対象的性格として、これらの物の社会的自然属性として、反映するということである。・・・・このばあい、人間にたいして物の関係の幻影的形態をとるのは、人間自身の特定の社会関係であるにすぎない。類似性を見出すためには、われわれは宗教的世界の夢幻境にのがれなければならない。ここでは人間の頭脳の諸生産物が、それ自身の生命を与えられて、相互の間でまた人間との間で相関係する独立の姿に見えるのである。商品世界においても、人間の手の生産物がそのとおりに見えるのである。
 私は、これを
物神礼拝Fetischismusと名づける。・・・・商品世界のこの物神的性格 Fetischcharakter は、商品を生産する労働の独特な社会的性格から生ずるのである。」(『資本論』第1章第4節商品の物神的性格)


6.
 『資本論』に引用された「Fetischismus」について、日本の解説ではド・ブロス自身の『フェティッシュ諸神の崇拝』とは違った解釈が行われていますので、マルクスの意図を復元する作業からも、まずはド・ブロスに従って、原本自身にあたってみる必要があります。資本論ワールド探検隊の皆さんと一緒にジャングル探訪を始めましょう!


 <目次>
 第1章 シャルル・ド・ブロス著 『フェティッシュ諸神の崇拝』1760年(要約) 探訪
 
第2章 杉本隆司論文
       『啓蒙思想としてのフェティシズム概念』とド・ブロスの直接崇拝
 
第3章 『資本論』に応用された
       「フェティシズム Fetischismus」 商品の物神礼拝


 私たちは、第1章でド・ブロスの著書を参照して「フェティシズム」を探索します。そして第2章において、翻訳者の杉本隆司の論文『啓蒙思想としてのフェティシズム概念』に学びながら、比較民俗学・比較宗教学として「フェティシズム」が果たした役割の理解を深めてゆきます。 こうした作業を通じて、これまで見えてこなかった「フェティシズム」の人類史上の意義とド・ブロス100年後にカール・マルクスによって再認識されたフェティシズム概念を追体験してゆきます。


 第1章 シャルル・ド・ブロス著 

   『フェティッシュ諸神の崇拝』
  1760年(要約)

 序文

 「原初の諸民族がもつ教義的信条の特質や彼らの慣習的儀礼の特異性を説明するには、・・・アフリカの黒人のあいだで存続している、「
フェティッシュ」と称される物質的な地上の特定の対象へ崇拝を軸に行われているからである。そこで、この崇拝を私は「フェティシズム」と呼ぶことにする。それは本来の意味ではアフリカ黒人の信仰と特に関わりがあるのだが、動物ないしは神格化された無生物を崇拝対象としている、その他のどの民族について語る場合にも、同じようにこの表現を用いることをあらかじめお断わりしておく。またその種の対象物を、いわゆる神というよりもむしろ神的な力を授けられた事物であり、そして魔除けであるとしている若干の民族にしばしば言及する場合も同様である。なぜなら、こうした思考様式はどれをとっても実は同じ原因に属しており、またその原因は地上全体にくまなく流布している一般的宗教[ユダヤ・キリスト教]―この宗教は多種多様な異教のなかにあって特殊な一部類をなすため個別に検討を要する―にまつわる付随的な事柄にすぎないということも、疑う余地がないからである。・・・
 私がこれから立ち入る議論の性質上、本書は3部構成になる。現代の諸民族のフェティシズムがいかなるものであるかをまず説明したのち、それと古代人のフェティシズムとの比較検討にはいる。そして最後に、われわれはこの比較から同一の行動は同一の原理をもっているものと判断し、次のことをはっきりと示すだろう。すなわち、これら民族はどれも崇拝慣行の点で同じ行動をとっていたのであるから、その行動を引き起こす思考の面でも同じ考え方をしていたのである、と。



  
第1部  黒人やその他野生民族に現存する
       フェティシズムとはどのようなものか


1.
 アフリカの西海岸の黒人やエジプトの隣国であるヌビアにいたる内陸の黒人たちは、ヨーロッパ人が「フェティッシュ」と呼ぶある特定の崇拝物を礼拝の対象としている。このフェティッシュという用語は、ポルトガル語のFetisso、つまり魔力をもった、魔法がかった、神的なもの、神託を下すものという言葉に基づいて、セネガルと貿易をするヨーロッパ商人たちが作り出した用語であり、Fatum、Fanum、Fari [神意、聖所、預言の意味] というラテン語の語根をもっている。これら神的なフェティッシュは、各民族や各個人がそれぞれ選び、神官たちに儀式で聖別してもらう任意の物的対象にほかならない。なにかしらの樹木であったり、山であったり、海であったり、一片の材木、獅子の尾っぽ、小石、貝殻、塩、魚、植物、花、それに牝牛、牝山羊、象、羊といったある種の動物であって、つまりは想像しうる同種のもののすべてである。そのどれもが黒人にとってことごとく神であり、聖なるものであり、また護符である。黒人はそれを几帳面に敬意をもって崇拝し、祈りを捧げ、生け贄を供し、できるものなら行列で持ち歩き、あるいは大いなる崇敬をこめて身につけたりもする。また重要な場面ではいつもそれに伺いを立てる。

要するに人間を守ってくれるもの、あるいはあらゆる類の災厄に有効な予防薬だと一般には見なされているのである。彼らがそれに立てる誓いは、そのような信用ならぬ連中でも決して破らない唯一の誓約である。大半の野生人同様、黒人も人間を神格化して、偶像崇拝を行うことなどまずありえない。彼らのあいだでは、太陽、あるいはフェティッシュが真の崇拝対象となっているのである。・・・


 
2. さて、フェティシズムはアフリカではきわめて古い宗教と考えられている。・・・
 ギニア海岸に面した小王国であるフエダで今も流布しているフェティシズムに関する話だけはここでどうしても触れておきたい。それはアフリカのその他の地域でも行われている同様の事象すべての典型例として役立つからである。特に黒人のあいだで最も有名な崇拝対象の一つである縞蛇しまへびに払われる崇拝の記述などはこの例証にうってつけである。彼らの崇拝が、エジプト人が聖なる動物―なかでも縞蛇ほど尊敬に値するフェティッシュはおそらくいなかった―に払った崇拝とほとんど違わないことがほどなくわかるだろう。[旧約聖書の]ダニエル書の第14章で語られている、エヴィル・メロダクのフェティッシュである蛇と、このフエダの蛇ほどよく似ているものはないことも、一目でわかる。ダニエルは、バビロンのある神殿内で飼育されていた蛇を、国王のたっての希望により神殿で生ける神として拝むよう強いられたわけであるが、それがバビロニア人にとってフェティッシュの部類に属する本当の崇拝対象であったことは、この章を読んでみれば誰の目にも明らかである。・・・・


3.
 フエダでは、フェティッシュは公共のものと私的なものの二種類に分けられる。私的なものに分類されるフェティッシュは通常、なんらかの動物か生物、あるいは粘土か象牙で粗雑に作られた偶像イドルであるが、それでも公共のフェティッシュに劣らず崇敬されている。重大事があればしばしば奴隷が一人犠牲に捧げられるほどである。だがここでは民族全体に共通のフェティッシュにだけ注目することにしよう。そのようなフェティッシュには4種類あって、蛇、樹木、海、および集会を取り仕切る粘土製の醜い小像である。…人々はこの新たなフェティッシュのために神殿を建立した。蛇は喜びと敬意のあらん限りの証であるあらゆる供え物とともに、儀礼用の絹絨毯の上を運ばれて神殿へ向かい、そこで生きてゆくための糧が与えられた。
蛇に仕える神官が選ばれ、生け贄として若い娘たちも選ばれた。そしてほどなく、この新たな崇拝対象に対して支配権を握った。商業、農業、季節、家畜の群れ、戦争、統治行政などを司ったのである。蛇のお告げの威力を人々はきわめて重くみていたため、まっさらな綿織物、あるいはそういったヨーロッパ製の布地やリキュールの樽や、家畜の群れ丸ごとといった、かなりの貢ぎ物を蛇に贈ったとしても特に驚くにはあたらない。とはいえこの蛇の要求は通常、神官の欲望や貪欲に比例しているので相当なものである。これは民衆の崇拝を蛇に伝え、そのお告げを民衆に伝える役目を引き受けているのが彼ら神官たちであり、神殿に入って蛇に謁見することは神官以外の誰にも許されておらず、王さえも許されていないからである。ところで神格化されたこの蛇の末裔はかなりの数に達している。・・・

 
4. アメリカのユカタン半島では各人がそれぞれ固有の神を持っている。とはいえそれらを共同で礼拝するための集会場所もいくつかあり、スぺインの宣教師が同地へやってきた時などは、そうした場所が教会として利用されたりもした。・・・
 大部分のアメリカ人は、聖別するこれらの対象のどれもが、ことごとく守護霊または精霊(マニトゥ)になるという強烈な先入観を抱いている。・・・
彼ら〔ガスペ半島の人々〕にとって、銃や火薬が恐るべきフェティッシュやマニトゥなのかは、聞くまでもない。だがこの野生人にとって黄金ほど不幸をもたらす崇拝対象はほかになかった。彼らはスペイン人がこの金属に抱いている特別な深い崇敬の念に気づき、彼ら自身の信仰からスペイン人の信仰の性質を推論して、きっとこれがスペイン人のフェティッシュなのだと信じた。キューバの野生人は、カスティリアの艦隊が近くの島に上陸するのを知った時、まずはスペイン人の神を味方につけて、しかるのちその神を追い払わねばならないと考えた。そこで黄金が全部ひとつ籠にかき集められた。彼ら曰く、これを見よ、かの異国人の神だ、この神の加護を受けるために敬意を表して祝祭をあげよう、そのあとこの神にわれらが島から出ていってもらおう、と。彼らは自分たちの宗教儀式に則り、籠のまわりで踊り歌って、それから籠を海中に投げ捨てた。

5.
 マニトゥに対して野生人が日常的に祈祷を行なうのは、マニトゥが彼らに害悪を及ぼさない保証を得るためである。太陽や、あるいは霊界を司る精霊[マニトゥ]と、最高存在を取り違えることなく扱っているように思われる若干の野生民族のいるにはいるが、彼らは自分たちを超えた存在よりもマニトゥをはるかに崇敬する。たとえばブラジル人は、トウモロコシの穀粒とか小さな石ころを中に入れが大きな乾燥ひょうたんを日常的なフェティッシュとしており、各世帯にはそれぞれ独自のひょうたんがあって供物が施されている。これが彼らの守護神であって、主に占いに用いられる。彼らはそこに精霊が宿っていて、このような楽器がたてる音に耳を澄ませば、精霊がお告げを下さると信じているのである。

 
6. 新大陸から北極付近の地方に眼を転ずれば、そこにもやはり野生民族が存在しており、彼らもまた上述のフェティシズムに心酔しているのがわかる。もう一度注記しておくが、私は動物や地上の物質を崇敬しているいかなる宗教も、一般にこの名称で呼ぶことにしている。ラップ人やサモード人の風習、すなわち聖油の塗られた石塊ないしはボエティルや樹木の幹に対する彼らの崇敬や、護符や祈祷師等々に対する、彼らの心酔などは、ここで詳述するにはあまりによく知られた事柄である。・・・・


 
7. 南方、西方、北方であれ、われわれが知りうるかぎりの野生民族のあいだで今日一般的に確認される信仰とは、以上のようなものである。ところで、先に進む前に今一つ注意しておかねばならないことがある。それは、特定の自然の産物に対するこの崇拝〔フェティシズム〕が俗に偶像崇拝と呼ばれる、人工物に対する崇拝とは本質的に違うということである。このような人工物は、崇拝の念が本当に向けられる別の対象〔神〕を表象しているにすぎない。
それに対して、
フェティシズムは、生きた動物や植物そのものに直接に向けられているからである



 
第2部 古代民族のフェティシズムを
      現代人のものと比較してみる


 
8. エジプトで動物や無生物にさえも崇敬的礼拝が行われていたことをわざわざ証明するために、私がここで時間を割くことなどとは誰も考えていないだろう。・・・・
 私は古代の作家の証言を利用することになろうが、それはすでに十分に立証されている一事実を確認するというよりも、むしろ
エジプト人の崇拝がニグリシアのフェティシズムと同質であることを証明するためである。われわれが知っている伝承のうちで、ニグリシアほど古い伝承をもつ民族はほとんどいない。同様に、われわれはフェティッシュ崇拝に関してエジプト人の習慣ほど古いものを知らない。実際、野生状態にある地方であればどこにでもあるような臆見が、どんな非文明の時代でも広まっていたと考えるほうが自然である。つまり、エジプトはそのほかの地方と同じく野生時代にあったのである。・・・・

 「エジプト王の歴史にとりかかる前に、この国の古い風習について話しておくのがよかろう。最初エジプト人は、草だけを生活の糧として、湿地で見つけたキャベツや根菜などを好むままに食べていた。特に、ぬかぼという名の草は味も良く、しかも人間の栄養に申し分なく、少なくともこの草が家畜の群れにはもってこいであったのは確かである。エジプト人はこういう記憶や、父親たちから伝わるこの植物の利用法を今日まで覚えていて、草を携えて神殿へ行き神に祈りを捧げるのである。すでに述べたように、彼らは人間が湿地の泥でできた動物の一つだと信じている。エジプト人の第二の食物は魚であった。ナイル河は驚くほど豊かに魚をもたらしてくれる。ナイル河の水が引くと、地面は魚でいっぱいになるからだ。・・・・」


 
9. 彼らは人間社会に有益な事柄が制度化されたのは、オシリス神のおかげだとしている。この神は人間同士の共食いという忌まわしい風習を廃して、果樹農耕を樹立した。一方、イシス神といえば、小麦と大麦を食用とする習慣を授けたものこそ、この神であった。小麦と大麦は以前から草原に生えていたが、〔食用〕植物としては知られておらず、なおざりにされていたのである。・・・・

 「エジプトに君臨していたオシリス神は、当時営まれていた不幸で困窮した野生の生活からこの民族を救いだした。種まきと栽培を伝授し、律法を定め、神々を崇拝するよう教え、それから学芸を創始し、人間たちを従順にした」。もっと詳細な事柄を知りたければ、おそらくディオドロスの先の書物の別の個所を読むだけで十分だろう。・・・・「しかし次の段階になると、隠れ家として洞窟を掘り、火の使用法を発見し、果樹園を見張ることに気づき、生命を維持するだけでなく、ついには社会の娯楽に一役買うような学芸にまでたどり着いた。こうして必要こと人間の教師であり、この必要から人間は、その他あらゆる動物にもまして人間に対して自然が与えてくれた知性を、言語を、手を使うことを学んだのであった」。

 これらの事実が証明しているのは、その他の多くの地方と同様エジプトもかつては野生であったということであって、これは後で述べるように推論から導かれる証拠によっても示されるであろう。
事実に基づく証拠は、エジプトが動物や植物を崇拝していた、要するにわれわれが呼ぶところの「フェティシスト」であったことを証明しているのであり、この証拠は数も多いしはっきりしているのである。


10. 行動が似ていれば考え方も同じに違いないという想定のもとに、われわれは古代エジプトの宗教とその他のアフリカ人の宗教との対応関係をうち立てたわけだが、次は人類に内在する一般的原因にこの類似性の原理を探すことにしよう。・・・・
たとえば両民族の葬儀には似通った独自の慣習が見られる。黒人には、故人が最も敬愛していたフェティッシュを墓に入れる風習がある。同様に、エジプト人の墓にもミイラとともに、人間の死体と同じように慎重な防腐処理を施した猫、鳥、その他の動物の遺骸が見られる。つまり、かなりの確率で死者と一緒に防腐処理を施されたものがどうもそのフェティッシュであることがわかるのだ。この風習の目的は、将来の復活の時に死者がフェティッシュを思い出せるように、そしてそれまでの間フェティッシュが、死者の魂の平穏をかき乱すと信じられている悪霊への護符として役立つからである。

エジプトでは、獅子や山羊、鰐などがニグリシアのフェティッシュと同様、神託を告げる。また両民族には神格化された存在として神官と巫女がおり、彼らはほかの民衆とは違う一身分を形成し、その役割は子孫へ世襲される。

11.  聖なる動物に捧げられる崇敬の義務の返礼として、動物は民衆に恩恵をふんだんに与えねばならなかった。ところで、この点でエジプト人が野生人とほとんど同じ考え方をしていたということを、さらに私がはっきりと確信したのは、神官がこの恩恵に不満なときは自分たちの神に復讐していた事実の存在である。プルタルコスによれば、「旱魃がこの国に大いなる災厄や悪性の疫病を蔓延させると、神官は聖なる動物を夜のうちに密かに捕まえて、まずそれにきわめて強烈な脅しをかけるところから始め、次にそれでも不幸が続く場合には何も告げずに殺してしまう。これは、彼らによれば悪霊に対する処罰とみなされる」。
 
 中国人もこれとほとんど同じ行動をとる。自分たちの願いがあまり長いこと聞き入れてもらえないと、彼らは偶像を叩き壊すのである。ローマ人も、アウグストゥス帝が暴風により二度も艦隊を失った時など、彼は海神ネプトゥヌスに対し、神々の聖体行列でネプトゥヌス像の運搬を禁じることで懲罰を与えている。
 ・・・以上で、『フェティッシュ諸神の崇拝』の要約終わり・・・



 
第2章 杉本隆司論文『啓蒙思想としてのフェティシズム概念』
     
~ ド・ブロスの直接崇拝 ~


 
1. 2008年『フェティッシュ諸神の崇拝』の訳者あとがきのなかで、杉本は「直接崇拝と間接崇拝」について「ド・ブロスのフェティシズム論の決定的な論点」を指摘しています。

 「具体的にド・ブロスとヒュームの宗教思想を一瞥しよう。一見すると、ド・ブロスはフェティシズムを、ヒュームは多神教ないしイドラトリ〔偶像崇拝〕を宗教の起源におき、両者の見解にはズレがあるように見える。・・・・ヒュームの『宗教の自然史』はそれまでのキリスト教の議論の枠を超えており、小著ながら大きな破壊力をもっていたといえよう。
 第2点目は、古代人(特にエジプト人)の宗教が黒人のフェティッシュ崇拝と同じであると論証することで、ド・ブロスはヒュームよりもさらに歩を進め、
多神教・イドラトリ以前の直接崇拝であるフェティシズム段階まで宗教の起源を遡行させたヒュームにとって多神教、ないしはイドラトリはあくまで不可視の間接崇拝であって、ド・ブロスが宗教の起源とみたフェティシズム、すなわち可視の直接崇拝ではない。
この点においては、ヒュームは理神論を批判しながらも、実は完全にその思考から脱しているとはいいがたいようにみえる。

 なぜなら、
間接崇拝とは崇拝対象(天体や偶像)の背後に実体(神)を想定する高尚な思考方法であって、知性ではなく人間の感覚しか必要としない直接崇拝とは違い、唯一神はもちろん、多神であっても不可視で抽象的な実体概念である神を洞察するには、歴史の原初にさえ知性を備えた賢者が実在したに違いないという理神論者たちの批判をかわしきれないからである。

 逆にド・ブロスにとって、動物や石ころは決してなんらかの実体(神)を象徴したものでも、偉人が神格化したものでもなく、
それ自体が神なのである。これこそ、ド・ブロスのフェティシズム論の決定的な論点であった。」


 
2. 2005年、杉本は「啓蒙思想としてのフェティシズム概念」を「一橋論叢」第134巻に掲載します。
 「ド・ブロスが創始したフェティシズム概念は当時はごく一部の思想家を除けばほとんど流通しなかったが、その一方でこの新語の基礎となったフェティッシュという用語は単に野生人の信仰形態を指すだけでなく、18世紀後半から19世紀初頭にかけて哲学や文学の領域へとその用法の広がりを見せている。・・・・ルソーの『エミール』、カントやヘーゲルの「未開」宗教論、あるいはヴォルテールやシャトーブリアンの文学の中にもフェティッシュという用語は見出すことができる。」

 
3. 「神話学者バニエによれば、当初は唯一神だけを崇拝していた最初の人間は、その後これを忘却して太陽が異教の最初の迷信的崇拝対象となり、最後に偉人(預言者)が登場し、宇宙の創造神を再び見つけるものとされる。・・・・17世紀から18世紀初頭にかけて広く出回っていた見方だった。

ド・ブロスが問題とするのは、神を認識するために抽象的能力を必要とする知的な間接崇拝から、感覚的能力しか必要としない物質的な直接崇拝があとから蔓延したという彼らの主張である。

 異教(多神教、イドラトリ)からフェティシズムへと堕落したのではなく、フェティシズムから異教へ、そして最終的に有神論へと進歩するのだとド・ブロスは反論する。“人間精神は、段階をなして低次から高次へと上昇する。この精神は不完全なものから引き出された抽象観念によって完全なものの観念を形作るのだ。・・・・そうして人間精神は、そこから作り出した観念を更に高めて強化し、その観念を神に転化させるのである”。この個所は、この著作のなかで人間精神の進歩の観念が最も明確に述べられているところであるが、実はこの引用こそヒュームの『宗教の自然史』から匿名で借用されている文章の一つであり、またその核心部分なのである。」


 
4. ヴォルテールのキリスト教批判―古代人が偶像を直接に礼拝していたのではなく、キリスト教徒と同様の思考方法、つまり偶像の背後に間接的に神性を認めていたに違いないという確信〔ヴォルテールの誤った確信〕―途中省略―に対して、明確な形でド・ブロスやヒュームとの対立が浮かび上がる論点となる。


 
5. 理神論にはキリスト教神学と共通する根本的な仮説が存在した。それは歴史の始原には唯一神(最高存在)が存在した、ないしは唯一神を認識できる知的な人々が存在したという原始一神教の論理である。「あらゆる宗教の基礎は唯一神」であり、自然宗教も啓示宗教も「共に一つの神、一つの摂理を想定している」(『百科全書』「宗教」の項目)とすれば、啓示と奇跡の論点を除けば両者の境界線はかなり曖昧なものとならざるをえない。特に、この論理は人類の起源は一つであるという聖書の思考枠組みにうまく合致し、単一の人類から宗教や文明が広まったとする伝播説の強力な証左となった。
実際、理神論の原理が17世紀末以降、この伝播の痕跡を探すために新大陸や中国に渡ったイエズス会の宣教師たちの議論にも摂取されていったことはよく知られている。・・・・

 理神論はこのような当時の古代エジプト神話学・ヒエログリフ研究の象徴的解釈と融合し、神の観念なき民族が地上に存在すると主張するリベルタンへの反論、つまりキリスト教神学と理神論にとって当面の共通の敵である無神論に対抗する論拠として当時極めて広範な思想的磁場を張っていたのである。

 
6. ド・ブロスとヒュームの著作には「共通する歴史観つまり人間精神の進歩史観が反映されていた。この歴史観に従えば、いかなる民族といえどもフェティシズムに浸かっていた歴史の原初には、その大多数が無知な民衆からなる「一つの人類」しか存在しない。ゆえに創造神を認識できる知的な人間は当時はまず存在しなかった。

 この「一つの人類」が粗野なフェティシズムから多神教という段階を経て、知的一神教へと到達するのだ、と。人類の最初期にフェティシズム状態を設定することでド・ブロスは、人類史を原始一神教から多神教、さらにイドラトリ(偶像崇拝)への堕落とみる神学者の歴史観や、唯一神の「万人の一致」を唱える理神論者の非歴史主義とはっきり手を切ったのであった。」



 
第3章 『資本論』に応用された
 
「フェティシズム Fetischismu」 
商品の物神礼拝
 
 
1. 「商品世界のこの物神的性格は、先に述べた分析がすでに示したように、商品を生産する労働の独特な社会的性格から生ずるのである。」 
 2. 「生産者たちにとっては、彼らの私的労働の社会的連結は、あるがままのものとして現われる。すなわち、彼らの労働自身における人々の直接に社会的な諸関係としてではなく、むしろ人々の物的な諸関係として、また物の社会的な諸関係として現われるのである。」


 3. 「すなわち、― したがって、彼らの私的労働の社会的に有用なる性格を、労働生産物が有用でなければならず、しかも他人にたいしてそうでなければならぬという形態で ― 異種の労働の等一性の社会的性格を、これらの物質的にちがった物、すなわち労働生産物の共通な価値性格の形態で、反映するのである。」
 4. 「したがって、人間がその労働生産物を相互に価値として関係させるのは、これらの事物が、彼らにとって同種的な人間労働の、単に物的な外被であると考えられるからではない。 逆である、彼らは、その各種の生産物を、相互に交換において価値として等しいと置くことによって、そのちがった労働を、相互に人間労働として等しいと置くのである。」


 5. 「彼らはこのことを知らない。しかし、彼らはこれをなすのである。したがって、価値のひたいの上には、それが何であるかということは書かれていない。価値は、むしろあらゆる労働生産物を、社会的の象形文字に転化するのである。後になって、人間は、彼ら自身の社会的生産物の秘密を探るために、この象形文字の意味を解こうと試みる。」
 6. 「なぜかというに、使用対象の価値としての規定は、言語と同様に彼らの社会的な生産物であるからである。労働生産物が、価値であるかぎり、その生産に支出された人間労働の、単に物的な表現であるという、後の科学的発見は、人類の発展史上に時期を画するものである。」


 7. 「しかし、
決して労働の社会的性格の対象的外観をおい払うものではない。この特別なる生産形態、すなわち、商品生産にたいしてのみ行われているもの、すなわち、相互に独立せる私的労働の特殊的に社会的な性格が、人間労働としてのその等一性にあり、そして労働生産物の価値性格の形態をとるということは、かの発見以前においても以後においても、商品生産の諸関係の中に囚われているものにとっては、あたかもの空気をその成素に科学的に分解するということが、物理学的物体形態としての空気形態を存続せしめるのを妨げぬと同じように、終局的なものに見えるのである。」


 <注> いよいよ最終地点に向かって、私たちは第1章商品と商品の物神性の課題に取り組む地盤に立ってきました。
      資本論入門9月号に続きます。