用語辞典2018.01


 物質循環、形態学、生態学について

有 機 体、
社会的生産有機体
形態学、生態学
生態系について

社会的分業と
マニュファクチャ
 
物質代謝・物質循環
  ヘーゲル辞典
 225、80
H文献史料


 ★目次
1. 形態学
2. 生態学の基礎から細胞-原形質
  ①生態学の基礎
  ②細胞説
  ③原形質
3. 生態学
4. 生態系について
5.

 2. シンガー生態学の基礎~原形質20180122



チャールズ・シンガー『科学思想のあゆみ』 第8章機械論的世界
シンガー生態学の基礎     岩波書店 1968年発行
 1). 生態学の基礎、 2). 細胞説、 3). 原形質

第8章機械論的世界

 Ⅱ.生態学の基礎
 植物の生命活動は、化学者のジョゼフ・プリーストリーによって明らかにされた。かれは『種々の空気に関する実験と観察』(1774年」のなかで、水にひたした植物は、われわれが「酸素」と呼んでいる気体を放出することを示した。また、この気体が動物の生命に必要であることを観察した。かれと同時代のラヴォアジェは、呼吸中の諸変化についての定量的実験をおこなった(1774年)。これらは、動物の呼吸の真の性質を明らかにし、二酸化炭素と水が呼吸活動の正常な産物であることを証明した。
 さて一方、ヤン・インヘンホウス(1730-99年)は、動物の生活と植物の生活の間の均衡という非常に重要な概念を導入しつつあった。かれはオランダ人の技師で、ハンターとともにロンドンで仕事をし、1997年に『日なたでは一般空気を浄化し、日かげや夜間では汚染する偉大な力を発見する植物実験』を出版した。そこには、植物の緑の部分は光にあたると大気中の遊離している二酸化炭素を固定することか証明されている。そしてかれは、植物は暗闇のなかではそのような能力をもたず、逆に少量の二酸化炭素を放出することを示した。この最も意義ぶかい発見は、生物の世界の経済についてのわれわれの包括的な概念の基礎になっている。動物の生活は、終局的には植物の生活に依存している。植物は、死んだ動植物の分解の産物とともに大気中の二酸化炭素から自己の実質をつくりあげる。こうして、動物界と植物界には均衡か保たれる。
 ジョン・ハンター(1728-93年)の生物学上の貢献は、とくにつかまえどころがなく、紹介しにくい。かれより年上の同時代人リンネと、かれより年少の同時代人キュヴィエとは、ともに生物の分類に専念した。そのためにかれらは、つねに相違点を探求した。ところがハンターの関心をひきつけたのは、類似点のほうであった。かれは、500をこえる種の実験と解剖をおこなった。それらを通じてかれは、器官、構造、活動に示されるようなさまざまな生命の様相を体系的に跡づけることに着手した。しかしかれの主な仕事は、かれの博物館であった。かれの精神は、多くの古来からの蒐集の動機となった「げてもの集め」とは、およそかけはなれていた。ここではあらゆる蒐集品は、その占めるべき場所をもち、それが加えられた理由をもっていた。さまざまな構造や機能を有機的に系列化して正しく例解するというハンターの蒐集観は、博物館の近代的概念をつくりあげた。
 ハンターは、生命体のいろいろな相違性の底に横たわる一般原理をつねに求めていた。すべての生命体にとって最も一般的なものは、あの生命と呼ばれる神秘的なものである。生命は、単独ではけっして示されることはなく、生物の種々な活動のなかに見られる。それらの活動のうちでもハンターは、外科医としては当然のことだが、治癒と回復の能力を強調した。この能力は生体に固有のもので、非生物の世界にはそれに類比できるものはない。生命か何であろうとも、それは、「あまり組織化されていない」存在によって最も強固に保持されている何ものかである、とかれは考えた。したがって生命は、構造とは独立であって、どうやら、すべての有機体が含有しているある物質の一つの属性であるにちがいない。このような思想からは、原形質の概念、すなわち見かけは簡単だが、終局の構造と組成とはとほうもなく複雑であって、これなしには生物は見出せないような物質、という概念が生じる。「原形質」という語は、かれの死後50年(1846年)につくられたもので、かれはこの語を使わなかった。しかしかれは、生命の共通な物質的基礎の概念に手がとどきつつあった。
 生命現象についてハンターやリンネやキュヴィエなどの博物学者がおこなった整然とした観察は、次代の化学研究家たちによって、まったく新しい方向を与えられた。呼吸は、プリーストリーやラヴォアジェやインヘンホウスによってすでに化学的に理解されていた。生体のその他の多くの過程は、今やリービヒとその一派によって化学的に解釈された。
 ユストゥス・フォン・リービヒ(1803-73年)は、ギーセン大学の化学の教授で、たくさんの門人をかかえ、実験室内での授業を大いに採用したきわめて鼓舞的な教師であった。かれは、有機分析の方法を非常に改良し、とくに、溶液中の尿素の量を決定する方法を紹介した。この尿素は、哺乳類の血液や尿のなかに見られ、その当時に非有機物と考えられていたものから調製されたはじめての有機物質であった。尿素は、生理学的に非常に重要である。なぜなら、尿素は、すべての生命物質に関連して特徴的に見出される「タンパク質」として知られる窒素化合物が分解する過程で、動物体内にきまって形成されるからである。
 フリートリッヒ・ヴェーラー(1800-82年)の名は、尿素の再合成(1828年)と結びついている。哺乳類の窒素代謝の主要な産物であるこの尿素は1773年に発見され、1815年にウィリアム・プラウト(1785-1850年)によって研究された。ヴェーラーは、シアン化アムモニウムから尿素を合成したが、当時は
シアン化アムモニウムをその構成諸元素から合成することはできなかった。だからこれは、重要な進展ではあったけれども、よくいわれるように「生体で生じる物質のはじめての合成」と呼ぶわけにはいかない。ヴェーラーは同僚のリービヒとともに、原子が構成する複雑な一有機群―今日のいわゆる「基」―は、一連の多くの化合物中に跡づけることのできる一つの固定した構成要素を形成し得ることを示した。基は、まるで一つの元素であるかのように行動することができるらしい(1832年)。この発見は、生体内の化学的変化に関するわれわれの概念には基本的に重要である。
 1838年以後のリービヒは、生命過程の化学的説明を企てることに専念した。この研究のみちすじで、かれは多方面にわたって先駆的な仕事をしたが、これらはその後、十分に認められるようになった。たとえば、かれは食物を、それらが動物体の経済的な働きのなかではたす機能に基づいて分類(脂肪、炭水化物、タンパク質)したし、動物の熱はすべて燃焼によるものであって、「生来の」ものではないという、当時はほとんど容認されなかった近代的な見解を説いた。
 植物は、その組成である炭素と窒素を大気中の二酸化炭素とアムモニアからひき出し、それらは、腐敗の過程でふたたび植物によって大気中に返されるというリービヒの教えは、非常に重要であった。インヘンホウスの著作からのこの発展によって、自然における「循環」の概念か可能になった。分解されたものはたえず組み立てられ、その後ふたたび破壊される。こうして生命の輪環が回転するか、この原動力は結局、太陽熱からひき出されているのである。
 現存する生物成分のきわめて大きな部分は、緑色植物のなかに含まれている。この緑色植物は、全動物界にとって、食物の究極的な源泉である。したがって、植物の成分が補給をあおぐ諸源泉の経済的意義は、過大視しすぎるということはない。そのうちで最も重要な源泉は、とくにでんぷんの形での炭水化物であり、炭水化物の形成は、緑色の物質そのものと関係がある。
 今日では、でんぷんは、大気から吸収された二酸化炭素によって植物の体内でつくられることがわかっている。」そしてでんぷんの形成が、緑色物質と密接な関係をもった生きた植物細胞の機能であることもわかっている。さらにまた、この過程は、光が存在する場合にしか働かないこともわかっている。ギリシア語で「葉の緑」を意味する「クロロフィル」〈Chlorophyll〉という語は、1817年につくられた。光合成についての現代の見解へのあゆみは、フランスの実験家アンリ・デュトロシェ(1776-1847年)によってなされた。生体の活動を解きあかす鍵は、大気中の気体が生物の組織と接触をおこなう過程である。動物では、この過程の一般的特徴はかなり明白で、とくに呼吸などでは活発に見られる。しかしながら植物では、その秘密が明らかにされるのに長い間かかった。デュトロシェは、葉の表面の小さな開孔-かれはそれを「気孔」と呼んだ-が葉のなか身にある空間と連絡していることを示した(1832年)が、気孔が気体交換の正常な通路であることが一般に認められたのは、それから60年後であった。デュトロシェはまた、植物が全休として酸素を放出し、二酸化炭素を吸収することも、インヘンホウスから知っていた。そして、緑色物質を含む細胞だけが二酸化炭素を吸収する能力のあることを示した(1837年)。
 さてここで、生物中の含窒素物質の由来と結末についての考察にむかうことにする。デイヴィ、リービヒその他の人たちは、植物の体内の窒素の重要性にはよく気づいていた。リービヒは、窒素がアムモニウム化合物や硝酸塩の形で、根から植物にとり入れられることを示した。かれは、きわめて重要な広範囲の一般化によって、栄養の一般的過程を理解しやすくした。かれは、植物は腐植土の吸収によって成長するという古い考えをはねのけて、二酸化炭素とアムモニアと水とがそれ自身のうちに植物物質の生産に必要なすべての要素を含んでいることと、これらの物質か腐敗の過程の最終産物でもあることを主張した(1840年)。
ヴェルツブルクのユリウス・ザックス(1832-97年)は、1857年以来、植物栄養の問題に没頭した。
かれは、植物体内の緑色物質であるクロロフィルは、組織のなかに分散しているのでなく、ある特殊な物質―のちに(1883年)「葉緑体」と呼ばれた―のなかに含まれていることを実証した。かれはまた、二酸化炭素の吸収における葉緑体の活動を決定するには、日光が決定的な役割を演じることも示した。さらに、葉緑素は光があるときにだけ葉緑体のなかで形成されるし、その上、光の種類がちがえば、二酸化炭素同化の過程も活動の度合いがちがう。これらのザックスの見解と発見は、植物生理学に関する論文(1865年)のなかで集成された。
 フランスの鉱山技師ジャン・バプティスト・ブッサンゴー(1802-87年)は、窒素の問題にしつこくとり組んで成功した。50年代にかれは、植物はともかく窒素の大部分を、大気からではなく、土壌中の硝酸塩から吸収することをうまく立証した。さらにかれは、硝酸塩が存在するならば、有機物または炭素含有物質かなくても植物は成長し得ること、したがって、植物中の炭素は大気中の二酸化炭素からだけに由来することを示した。


 Ⅲ細胞説
 生物がその体の物質をつくりあげる過程を、化学者たちが自分たちの用語で説明している間に、顕微鏡学者たちは、生物体の肉眼では見えない微細構造を研究しつつあった。未開拓なものの神秘は、顕微鏡下にあるものの世界全体にわたって、その奇怪なすがたと魂をうばうばかりの異様さをもってなお横たわっている。ある人たちは、顕微鏡下の生物に、じっさいには所有していないような複雑な器官を空想的に与えたか、もっと一般には、『自然の微小』〈minima naturae〉は、「最も簡単」で「最も原初的」な存在であるとみなされ、そのなかでこそ、生命の秘密をさぐるには最も希望がもてるだろうという。
このような研究は、さまざまな種類の抽出液では一見「自然発生的」に生じると思える微細な生物―古い名称では、「小動物」〈animalcula〉であった―に関して、とくにおこなわれた。ところがまもなく、滴虫類〈Infusoria〉という用語が、抽出液〈infusion〉のなかの小動物に表面的には類似しているその他のある微細な生物、とくに輪虫類を含むようになった(1764年)。滴虫類の範囲と定義は、長い間論議された。
 よくあるように、この論議は、具体的で理解しやすい理論に一致する線にそう方向にむけられるまでは、不毛であった。すべての非顕微鏡的生物とある種の顕微鏡的生物とは、ある単位の集合体であり、その個々の単位(細胞)は、ある程度独立の生命をもっていることか、次第に認められるようになった。この見地に到達するまでは、滴虫類の正しい定義はできず、この用語は、細胞の集合体は除外して単細胞生物にかぎられた(1841年)。さらにまた、科学の歴史ではよくあるように、この見地は繰りかえしとりあげられ、それがじっさいに確立する以前に、一時的に採用されたことさえあった。このような先駆的な企ては、奔放な思弁的自然哲学者ローレンツ・オーケン(1779-1851年)の企てであった。かれは1805年に、滴虫類を、「より大きな生物休を構成している要素としての粘液胞(細胞)」になぞらえ、「より大きな有機物がみずからの型を形成するのに用いる滴虫塊または原粘液〈Urschleim〉すなわち原形質〈Protoplasm〉について語り、そのような有機体は、「滴虫類の集合」と同等であることを主張した。
 形態と機能はさまざまであるが多少とも独立の生命をもった共通の原型が種々に変化したものとしての「細胞」が、より大きな生体を構成する基礎をなすという考えかたは、徐々に公認の学説になった。その進展は、19世紀前半を通じておこなわれた。この時期のはじめころの命名法は、当然のことながら混乱していた。「細胞」〈cellula〉という用語は、フックにまでさかのぼる(1665年)が、かれはこの用語を、植物細胞の壁にだけ適用した。18世紀の後期と19世紀の初期の筆者たちは、適当な処理をした場合に、大部分の組織のなかに認知できる顕微鏡的大きさの区域を記述ずるために、「細胞」〈cell〉という語をしばしば用いている。「細胞」物質の中心をなしている構造体で、細胞を統轄するものは、核である。この核という用語が今日その名で知られている重要な構造物にはじめて適用されたのは、1823年である。ロバート・ブラウンは1831年に、核は、植物細胞にはきまって見られる特色であることを認め、この語の使用を正規のものにした。
 チエコの偉大な博物学者ヤン・エヴァンゲリスタ・プルキニエ(1787一1869年)は、1835年に、動
物のある部分に密集している細胞塊と植物の場合の細胞塊とがきわめて類似していることに注目した。卜ゥールーズのフェリクス・デュジャルダン(1801-62年)は、非常に透徹した観察者で、おなじ1835年に顕微鏡的形態を精密に検査しはじめた。かれの研究からは、きわめて重要な二つの概念が生まれた。かれは、第一に、単細胞の有機体をそういうものとしてはっきりと見分け、滴虫類を適当に限定した。第二に、生命がつねに、きわめて一定した光学的、化学的、物理的特性をもつ粘液性の物質と結びついていることを識別した。これらに匹敵した線にそって研究していたプルキニェは、それに原形質〈protoplasma〉いう名を与えた(1839年。この語はギリシア語で「最初に形成された」という意味で、もともと神学上の用語である)。あらゆる細胞の生きた部分は、それからできていることか認められるようになった。
 細胞の知識を一つの原理の主体として適切に提示した最初の人は、ヨハンネス・ミュラーの門人テオドル・シュヴァン(1810-82年)であった。かれは、動植物の体のはじまりである卵子についての論議を展開した。ある動物、たとえばニワトリでは、卵は栄養物質-黄味-でふくらみ、さらにそのまわりを大きな保護物質-白昧あるいはアルブミンーがかこんでいるので、非常に大きい。そのほかカエルの卵のようなものでは、黄味とアルブミンの量ははるかにすくない。さらにその他のもの、たとえば、そのころフォン・ベアが発見した(1828年)ばかりの、哺乳類の顕微鏡的大きさの卵では、黄味と白味は最小限にまで減少している。シュヴァンは、これらがすべて本質的には細胞であり、細胞の特徴的な要素-核、原形質、細胞質膜―をもっていることをつきとめた。
 卵から若い動物(または植物)への発展は、卵細胞の分割によって進行する。この「分割」の過程は、発展の最初の時期にはことに明白であって、このことは、初期の数人の博物学者によって、さまざまな生物体で偶然に注目されていた。シュヴァンは、その過程を胚の発展の正常な一部として論じた。そして卵または「胚細胞」の分割の継続のなかから、諸器官や諸組織か生じることを示し、細胞を基礎にして、五つの群の組織を区別した。
(a)細胞が互いに独立し孤立し分離している組織。これには、血液がある。
(b)細胞が独立してはいるが、ともに密着している組織。これには皮膚かある。
(C)程度の差はあるか結合していて、よく発達した隔壁をもつ組織。これには、軟骨、歯、骨がある。
(d)細胞が細長く繊維になっている組織。これには腱、靭帯、繊維組織がある。
(e)「細胞の壁やくぼみか合着して生じた」組織。かれは、筋肉と神経をこの組織に入れた。
 ついでシュヴァンは、動植物の細胞の起原と構造に関するかれの信念について一般的な叙述をした。かれの結論は、つぎのように、今でも妥当する表現法で示すことかできよう。
 (a)全動植物体は、細胞または細胞から放出された物質によって、構成されている。
 (b)細胞はある程度、それ自身独自の生命をもっている。
 (c)すべての細胞の個々のこの独立した生命は、全体としての有機体の生命に従属している。
 原形質や、単細胞有機体または原生動物や、卵子または胚細胞の観念の統一は、マクス・シュルツエ(1825-74年)によっておこなわれた。かれは、広範囲にわたる動物の組織の研究-「組織学」―に没頭した。
かれは、1861年には細胞を「核をもつ原形質の一塊」と定義し、1863年には原形質を「生命の物理的基
礎」と定義した。かれは、原形質は、動植物の形態の高等下等を問わず、またありとあらゆる組織において、本質的には類似の生理的、構造的性質をもっていることを示した。
 19世紀後半の生物学に大きな影響を与えたのは、自由ベルリン大学教授ルドルフ・フィルヒョウ(1821
ー1902年)であった。かれの主な功績は、『細胞病理学』〈Die Cellularpathologie〉(1858年)に示されている。そのなかでかれは、病気に犯された組織を細胞形成や細胞構造の観点から分析し、「身体は、各細胞を市民とする国家であり、病気は、内乱、すなわち、外部の力によってひきおこされた市民の闘争である」という、今日ではよく知られた考えかたを発表している。さらに、「動物は動物以外の何ものからも生じることはできず、植物は植物以外の何ものからも生じることかできないのと同様に、細胞が生じるところには、それ以前に細胞が存在していたにちかいない。こうして、生物の全系列は、継続的な発展という永遠の法則が支配し、発達したどんな組織も、細胞以外の何ものにもさかのぼることはできない」。
 フィルヒョウはこのことを、「すべての細胞は細胞から」〈Omnis cellula e cellula〉という有名な金言のかたちで具体化した。これを、ハーヴィの「すべての生物は卵から」〈Omne vivum ex ovo〉や、バストゥールの「すべての生物は生物から」〈Omne vivum e vivo〉とならべてみるとよい。この三つは、生物学が到達した最も広汎な一般化である。これらの一般化はすべて、19世紀の中ころの10年間ほどで確証された。というのも、ハーヴィは、これよりずっと以前にこの文句を述べたが、それを裏づける証拠をもっていなかったからである。

  Ⅳ.原形質
すべての生命現象の底には類似した一物質―今日「原形質」と呼ばれている―が存在することが認められて以来、その物質の組成には多大の関心かよせられた。そのころの段階では、この主題を大きく前進させることはできなかった。原形質がとり入れたり吐きだしたりするものについてや、摂取されたり添加されたりした物質にたいして原形質がおこなう局部的反応については、いくらか知られていた。しかし生きた原形質は、化学者の手にはおえなかった。なぜなら、それか化学的に処理されると、生きていることができなくなるし、その活動については、効果的などんな理論もなかったからである。だから19世紀の大部分の期間には、むしろその注意は、顕微鏡下で観察されるような生きた細胞の行動や、固定剤や染色剤にたいして細胞の各構成部分のおこす反応や、または細胞の生産物と含有物にもむけられた。
死んだ原形質は、多数の成分が非常に複雑に混合している。そのうちでも、水分の量が最も多い。その他は大部分タンパク質として知られる複雑な窒素化合物とその誘導体、脂質または脂肪、炭水化物またはでんぷんからなっている。この三つの成分の一般的な重要性は、ユストゥス・フォン・リービヒによって1840年ころ、はじめてはっきりした。
 生きた原形質は液体である。それにもかかわらず、そのふるまいについての基礎的な知識によると、それはかなりの程度の「粘性」を示している。すなわち、それは粘着性、またはゼリー様物質の性質をいくぶんもっている。生きた原形質の内部構造または組成についての近代的な考えかたは、生きた原形質のふるまいと、コロイド(「にかわ様の」)状態にある他の物質のふるまいとを比較してみることと密接な関連を示してきた。コロイド状態の研究は、化学と物理学という古い科学を合併させることにあずかった多くの領域のうちの一つであって、当時ロンドンの造幣局の局長だったトマス・ゲレイアム(1805-69年)によって1850年に着手された。この用語は、すでに使われていたが、かれはそれを、物質の特別な状態に適用した。かれは、溶解性の物質一般をコロイドと結晶質の二つの大きな類に分けた。かれは、ある種の物質が、(a)非常にゆっくり溶解する、(b)結晶しない、(C)生体膜にたいして拡散しないか、または非常にゆっくり拡散する、ことを観察した。にかわは、この種に属する物質の典型であるから、コロイドという名称がつけられた。この部類には、でんぷん(でんぷんのりを参考にされたい)、卵白、ゼラチン(たいていの食卓用ゼリーの素)がある。これらのものにたいして、さっきの三つの点で反対なものが結晶質(クリスタロイド)である。
グレイアムは、ある物質-たとえば珪土-はコロイド状態ででも結晶質ででも存在し得ることに気づいた。かれはまた、不安定性がコロイドの特徴であることも認めた。さらに、大部分のコロイドが有機物に起原をもつことも知った。かれは、コロイドの表面エネルギーは「生命現象にあらわれる力のおそらく第一の源泉とみてよかろう」という概念のなかで、生命活動の本質についてその後に達成された見解を、すでに予見している。
コロイドの根本的な性質についての知識は、20世紀まではほとんど拡大しなかった。コロイド状態と結晶質状態との間の差異に物理的説明を与えたのは、現世代の研究者たちである。
 コロイドのうちで生物学的に最も重要なものは、タンパク質として知られている莫大な一群である。それらは、原形質の形成には必要である。死んだ原形質は、大部分がタンパク質からなっている。タンパク質は、生命物質の成長と回復には欠かすことかできない。それだけでなく、エネルギーと熱の源泉としても生体に用いられているが、これは炭水化物と脂肪にも共通な機能である。化学的には、タンパク質は非常に大きな分子からできている。
 タンパク質に関する近代化学は、1882年以後のエミル・フィツシャー(1852-1919年)の仕事に基づいている。かれは、タンパク質が、アミノ酸として知られている物質の多数の分子の結合から組み立てられていることを実証した。アミノ酸は、各分子内に一つまたはそれ以上のNH?(「アミノ」)群と、一つまたはそれ以上のCOOH(「カルボキシル」)群の存在で特徴づけられる。前者はタンパク質に塩基性を、後者は酸性を与える。どちらが支配的であるかに応じて、アミノ酸は塩基として、または酸として作用する。これらの分子群は、いろいろと変った密接な方法で互いに結合することによって、はてしなく複雑なものになり得る。今日の機械論者の生命観は、すべての生命活動を、アミノ酸の状態と関係の持続的な変化、交替として描いている。これらの現象は、粘性度の部分的変化によって生じると主張された。生きた細胞のその他の多くの現象も、粘性度の変化によるものと解釈された。
 原形質活動のもう一つの面は、「酵素」〈enzyme〉の作用である。この語(ギリシア語で、「酵母のなかに」の意味)は、化学的変化を促す一群の有機物質を識別するために、ヴィルヘルム・キューネ(1837-1900年)によって1876年に採用された。このような酵素は、作用力を失うことなく、無限の量の物質に働くことができる。生命体は、多数の酵素を生産する。これらの酵素は、作用がそれぞれいちじるしく特異である。
 原形質の内部には、その一部をなしてはいないが、しばしば比較的簡単な組成のいわゆる「栄養物質」が多数存在する。この栄養物質のなかへは、糖とその誘導体、脂肪、「貯蔵」タンパク質を含めるべきである。そこで原形質の性質についての問題は、その母体のなかで非常に多数のさまざまな調整された反応がおこなわれるところから、その母体がどういう性質をもっているか、また、どんなやりかたでその母体がこれらの反応に影響を与えるか、ということを研究することに帰着する。単一の細胞内では、瞬間ごとに多くのいろいろな化学的過程がおこなわれている。ともかくそれらの諸過程は、われわれが細胞と呼んでいるあの微細な実験室のなかで空間的に互いに分離されておこなわれているにちがいない。
 ・・・以上、Ⅳ原形質おわり・・・



高橋義人]


 2. 生態学  解説:廣野喜幸-岩波哲学・思想事典より
[英]ecology
英語のecologyには、①生物の暮らし方、生態そのもの、②学問としての生態学、③自然保護思想を指す場合、の3つの主な用法がある。混乱を避けるため、第3の用法は近年エコロジズム(ecologism)と呼ばれる傾向にある。E.スワローによって基礎づけられ、後に家政学に発展した分野も当初エコロジーと呼ばれた。また、歴史的には、生態学とエコロジズムは、密接な関係を保って進展してきたわけではない。
 ある生物(個体であれ集団であれ)の存在の様相は、周囲の生物ならびに物理化学的環境によって規定され、逆にそれらをも規定するというのが、生態学の根本思想である、この相互作用の法則性を探るのが生態学である。
 ヘッケルは『一般形態学』[1866]で、ギリシア語のオイコス(ヘッケルは「家のやりくり」「生の関係」と注を付けている)とロゴスから、エコロジーなる言葉を造語した。ヘッケルによればエコロジーとは「関係生理学」の一部門であり、「動物の無機環境に対する関係および他の生物に対する関係、特に同所
的に住む動物や植物に対する友好的または敵対的な関係」を扱う学問であるとされる(ヘッケル、1870)。
 ヘッケル自身は生態学の分野で具体的な研究はしていない。先の一般的な定義にもかかわらず、ヘッケルの念頭にあったのは、そして1890年頃以降ヴァーミング(1841-1924)らによって生態学の名称のもとで実際行われたのは、植物の地理的適応・季節変異などの生理学的色彩の強い研究であり、生理学との相違は明確ではなかった。ヘッケルは、当時の生理学があまりに環境からの影響を無視しがちな点を憂え、エコロジーを提唱したとされる。ただし、生態学を一部先取りしていたA.フンボルト流科学は、生物と環境の迪環を重く見ていた。
 生態学が自立するのは1930年代になってからであり、エルトン(1900-1991)の活躍に負うところが大きい。エルトンはそれまで十全な顧慮が払われてこなかった生物間の相互作用を主題化することに成功し、食物連鎖・生態的地位などの概念を整備・体系化した。 こうして、階層的ネットワークとしての自然とその中で独自の位置を占める個々の生物といった構図が打ち出され、真に独自な領域が確立されることとなった。力点が〈生理学〉から〈関係〉の方に移行し、〈関係〉を扱う学問という一般的定義の内実が満たされるようになったのである。
 生態学は、相互に作用しあう多数の要素からなる系の構造と変動を時系列にそって扱わなければならず、構造変動論として編成される必要がある。それも全体の変動と個々の相互作用の様相の両者を、物質レベルから具体的な生活のあり方におよぶ様々なレベルで見据えなければならない。だが、この課題を有効に遂行する総合的方法論は確立されていず、現在のところ生態学は比較的独立した各個別学問の集合体という感が強い。→エコロジー。
 〔[文献]〕 D.ウースター(中山茂他訳)『ネイチャーズ・エコノミー』リブロポート、1977; R.マッキントッシュ(大串隆之他訳)『生態学』思索社、1985; ブラムウェル(金子務監訳)『エコロジー』河出書房新社、1992。〔廣野喜幸〕


 生態系について