ヘーゲル哲学事典2018



 1. 定有 Dasein

 2.

 3.



1. 定有 〔定在〕 Dasein  解説:島崎 隆
                  ヘーゲル用語事典 未来社1991年発行
 
成・定有・質
 上記のカテゴリーがみられる箇所は、『大論理学』初版と第2版とではかなりずれている(とくに「質」の位置づけにかんして)。以下では第2版を中心に説明するが、初版の方が論理的であることも多い。
 成は生成・消滅する不安定な状態を示すが、「定有」はその流動状態がやみ、一定の安定した規定性をもって存在する状態を意味する。成がたえず変色していく状態だとすれば、定有は緑や赤の一定の色として存在することを示す。定有では、以前の有と無が安定的に一体化している。ここでは、緑として存在すること(有)が、とりもなおかず、赤や黄の他の色として存在しないということ(無)を含むといえる。
 定有のもつ規定性は《質(Qualität)》とよばれる。定有していることは、まさに一定の質をもって存在していることに他ならない。そして質が他のものと積極的に区別されて存在するという面から、それは《実在性(Realität)》といわれ、質を他のものでないという否定の面からみると《否定(Negation)》とよばれる(このさいの「否定」が本質論や概念論レベルの高次のものではないことに注意)。たとえば、緑としてあることは赤などの色でないことを意味する。初版では「質」はかなり後で登場し、それは規定と性状の統一体として説明される。

 
或るものと他のもの
 実際に定有しているものは《或るもの(Etwas)》といわれ、その外に存在する別の或るものは《他のもの(他のもの(他者Anderes)》とよばれる。こうして、なにが或るものといわれ、なにが他のものとよばれるかは相対的である。ここには、質的に異なったものが相互に並存している多様な世界が存在する。或るものは時間の過程のなかでは、いつかは他のものへと変化していく。じつは《変化(Veränderung)》とは、語源的にいうと、「他になること」に他にならない。こうして、或るものと他のものとの関係は、空間的には並存の状態とみられ、時間的には或るものから他のものへの変化として語られる。たとえば、緑の葉の周囲には緑以外の色をもったものが多様にあるが、みずからもいつかは茶や赤などの別の色に変化していく。
 ところで、或るものは《即自有(Ansichsein)》と《向他有(Sein-für-Anderes)》の二契機をもつ。「向他方」とは、「他のものにたいしている有、他と向き合っている有」という意味であり、外部の他のものとの関連性がここで考慮される。たとえば、赤という色は他のさまざまの色との関わりのなかではじめて赤と規定される。こうして赤は向他的存在である。赤は桃色、紫などの類似の色や黒、白などの対照的な色との関連で、はじめて赤と規定される。他方、赤は赤という独自の色として現存している。赤色は、結果として、他の色のなかにあって赤としての積極性、独自性を保持している。事物のこの自己完結的な側面が「即自有」である。或るものと他のものというと、この両者は分離しているように響くが、即自有と向他有という両概念は、或るものと他のものがじつは密接に関係していることを明示している。こうして、他のものは或るものにとって、「固有の他者」になる。

 
自己自身の他者 
 そしてさらにヘーゲルは、或るものと他のものとの関係がたんに相対的ではなく、他のものが「自己自身の他者」、「他者それ自体」、「他者の他者」といわれるという。いわば、これは或るひとつのものが絶対的な意味で他者とみなされるということである。ここにはヘーゲルの哲学的思弁がある。たとえば、「物理的自然」は「精神」にたいすれば、絶対的な他者なのである。というのは、ヘーゲルによれば、精神が真の存在とされるのにたいし、自然存在は精神によって補完されるべきものであり、それ自身、非本来的なもの、非自立的なもの、否定されるもの、疎外されているものなのである。
 自然は外的な自然であれ、人間内部の自然性であれ、精神によって一度否定され、克服されることによってはじめて真の存在となる。つまりここで自然は精神化される。たとえば、外部の自然は人間という精神的存在によって加工され、労働生産物とされることによってはじめて真の存在となる。つまり外部の自然は人間社会へ取り込まれることによってはじめて積極的意味をもつのであり、ここにヘーゲル哲学の反自然主義(=反唯物論)および人間中心主義がある。
 こうして、或るものは相対的に他のものなのでなく、精神にたいする自然のように、絶対的に他のものである。したがって、定在する或るものは否定される運命をもつ有限なものということができる(→有限者)。 (島崎 隆)