比例関係と方程式論の歴史的形成過程 『資本論』/価値方程式論構築の道のり
資本論入門1月号(12月合併号)
第2部 ヘーゲル論理学 「比例論」と 『資本論』 価値方程式 2
等価形態・・・商品世界の一切の神秘、一切の魔術と妖怪」の商品の物神的世界・・・
資本論ワールド編集委員会のご挨拶
新年おめでとうございます
今年もよろしくお願いします
資本論ワールド探検隊の皆さん、そして編集会議に結集された同士の皆さん、昨年1年間本当にご苦労様でした。
難解極まる『資本論』やヘーゲル論理学に悪戦苦闘しながら、なんとか第二幕を迎えることができました。
これもひとえに、皆さんの情熱を支えた忍耐力のお陰であると、深く感謝申し上げます。
「石の上にも、3年」を心がけて、さらに精進を重ねてゆく所存ですので、更なるご支援をお願い申し上げます。
新年早々、激変の空模様です。
アベノミックスとトランプ現象、またアジア・中国とEUの政治経済動向、そして日本と世界の地殻変動の足音・・・。
さて、あなたにも聞こえてきますか?
「人間の意識が人間の存在をきめるのではなく、反対に、人間の社会的存在が人間の意識をきめるのである。
社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階に達すると、自分がそれまでそのなかで動いていた現在の
生産諸関係と、あるいは、
その法律的表現にすぎないが、所有諸関係と矛盾におちいる。これらの諸関係は、生産諸力の発展であったのに、
それをしばりつけるものに変わる。こうして社会革命の時期がはじまる。
経済的基礎が変化すると、それとともに、巨大な上部構造全体が、ゆっくりと、またはすみやかに変革される。
このような変革を考察するにあたっては、つねに、経済的生産諸条件における自然科学的に正確に確認することの
できる物資的変革と、人間がこの闘争を意識してそれを戦い抜こうとする諸形態、すなわち法律的、政治的、宗教的、
芸術的または哲学的、要するにイデオロギー的諸形態とを区別しなければならない。」(『経済学批判』序文)
激動の一年の幕開けとなりました。
私たち資本論ワールド探検隊も、『資本論』の透徹した分析力に助けられながら、
明るい未来への第一歩を踏みしめてゆきたい、と念じつつ新年のご挨拶を申し上げます。
編集委員会事務局より
今年もよろしくお願いします。
新年早々、寒風のなかお集まりいただきましてありがとうございます。
昨年11月に続き、資本論ワールド編集会議を再開してゆきます。年末に12月号HPへの原稿掲載が間に合わず、
ご迷惑をおかけしました。昨年10月から3カ月にわたって、「ヘーゲル比例論と価値方程式」の討論を行ってきましたが、
議論の集約に大変手間取ってしましました。
原因としまして、「価値形態論と商品の物神性」を両立させた「統一理論」のまとめが非常に難しく、何回も原稿の
書き直しを迫られた結果、年内掲載にこぎつけることができませんでした。そこで当面の打開策として、ひとまず
「貨幣形態発生の証明」作業を先行することに致しました。当分の間、「統一理論」形式を保留することになりました。
『貨幣形態発生の証明について』は、「価値形態論」と「商品の物神性」を“いったん区別して扱う”ことにしました。
本来ならば、弁証法的でなければならないのですが、「証明」論を先行させることにしました。
すでにお読みいただいた方は、お気づきになったと思います。「貨幣形態証明の価値形態論」では、ヘーゲル論理学の
方法論が活き活きと躍動している状況をご覧いただけたものと編集部一同心強い思いで(ほっと?)しています。
一方で、商品の物神性論が後退して、「価値形態と物神性の論点が不明確」になってしまいました。
したがって、今回の「資本論入門1月、12月合併号」では、この課題―「価値形態と物神性の論点」-も明確にしながら、
新年のスタートといたします。
まず最初に11月号で宿題となっていました「一般的・(普遍的)等価形態 allgemeine Äquivalentform 」と
「特別の・(特殊な)等価形態 besondre Äquivalentform 」の整理から始めてゆきます。
その後に、価値形態と商品の物神性論についても、たたき台の提案をお願いできればよいのではないでしょうか。
では、昨年に続き、岡本さんよろしくお願いします。
言語文化の岡本:
昨年12月の挨拶は、「今年最後となりましたが、一年間本当にご苦労さまでした。ヘーゲル哲学もいよいよ、
本筋に入ってきた感じで、
これからがぐっと面白くなります。石の上にも3年を経て、希望の灯が見えてくるわけですね。」でした。
そして、新年を迎えましたので、改めて今年もよろしくお願いします。
さて、新年の1月号では、二つの重要なテーマが掲載されています。
第一に、『貨幣形態発生の証明について』、
第二に、『<コラム.3>商品の価値表現と方程式・価値方程式の抄録・『資本論』の論理学研究 序論』です。
昨年に続き、事務局から要請のありました「 普遍的 allgemeine 」と「 特別な besonder 」は、
『資本論』とヘーゲル論理学双方にとって非常に重要なキーワードです。『資本論』では、第1形態から貨幣形態に
発展する価値形態の根幹をなしています。また、ヘーゲル論理学では、第3部概念論の3つのモメント(発展の契機)を
構成しているものです。発展の論理を構成するところの弁証法的に言えば、『資本論』の論理学とヘーゲル論理学との
連結環の役割を果たしています。
最初に、議論の土台としてヘーゲル論理学の概念論を説明いたしますので、よろしくお願いします。
なお、「比例関係と方程式論の歴史的形成過程 『資本論』/価値方程式論構築の道のり」として、昨年からの課題は、
「第2部 ヘーゲル論理学「比例論」・・・」がありましたが、昨年の
① <コラム.1> 比例と方程式の関係について
② 『資本論』 商品価値の比例論 抄 録
③ 資本論入門11月号 第2部 ヘーゲル論理学「比例論」と資本論の価値方程式1
④ 資本論入門12月号付属資料『大論理学』の比例論
などで詳細に論じてあります。したがって、「比例論」は、必要に応じてこれらの掲載文を参照する程度に致します。
では、本文に入ります。
第2部ヘーゲル論理学と『資本論』の価値方程式 2
目 次
1. まえがき
『資本論』とヘーゲル論理学・概念論 ― 3つのモメント 「普遍・特殊・個(個別)」
2. 第1節 ヘーゲル論理学の「概念のモメント」 ー 「個・個別」と「普遍」について
3. 第2節 「一般的価値形態」と「特別な等価形態」について
価値形態とヘーゲル論理学との対比 ー 価値形態の展開 ー
4. 第3節 価値形態と価値方程式について
5. 第4節 等価形態の物神的性格・フェティシズム
・・・・商品世界の神秘、魔術と妖怪の物神的世界・・・・
まえがき
『資本論』が大変難しく感じられるのは、翻訳の日本語自体が非常に読みづらいことです。しかも参考書がこれまた、
著者によってまちまちの用語と解釈が行われていますので、読書会やグループ学習での共通用語が確定されない現状と
なっています。この事態を打開してゆくことも、この資本論ワールドの目標の一つです。
また、ヘーゲル哲学についても同様の困難が待ち受けています。これまで私たちが参照してきました『小論理学』
(『エンチュクロペディ』第1篇論理学)ですが、同じ岩波書店からヘーゲル全集1『小論理学』が出されています。
しかし、肝心なところのキーワード(Gleichheit:①『小論理学』相等性、②『大論理学』同等性、③『資本論』等一性)
(Eigenschaft:①性質、③属性、②属性:Attribut)(Verhältnis:①相関、②比例、③関係)などが違う翻訳語になって
います。その違いが『資本論』にも跳ね返ってくる、という状況があります。
私たちがたびたび原書のドイツ語を引用したり参照したりするのは、現状の翻訳出版状況から止むを得ず行なわざるを
得ないのです。これら様々な困難を抱えていることに、まずもって理解していただく必要があります。
つぎに、ヘーゲル哲学と『資本論』の関係についてひと言申し上げなければなりません。
昨今の経済学者や研究者の間で特徴的な、奇異な現象が生じていることです。
どうも意識的にヘーゲルとマルクスの思想的・理論的関連を避けて、探求しない風潮が見られることです。
マルクス自身は『資本論』第2版後書で、
「私は、公然と、かの偉大なる思想家の弟子であることを告白した〔bekennen:公然と認める〕。
そして価値理論にかんする章の諸所で、ヘーゲルに特有の表現法をとってみたりした。」
このようにはっきりと公言しているのですが、当該箇所の分析と解説がなされている『資本論』翻訳書または解説書は
あまり見られません。むしろ、ヘーゲル学者の手によって、積極的にマルクスとヘーゲルとの理論的つながりや「差異」の
研究が深められているのが最近の主だった傾向です。(『ヘーゲル用語事典』未来社など)
したがって、私たちはこれまで通りに、ヘーゲル論理学との関連を中心に探求してゆきます。
『資本論』とヘーゲル論理学・概念論の3つのモメント
・・・一般的価値形態と「普遍」について・・・ 『資本論』 第3節 価値形態または交換価値
第1節 ヘーゲル論理学・「概念のモメント」 ― 「個・個別」と「普遍」について
『小論理学』第3部概念論では、(「a 概念そのもの」163節)
「概念そのものは、次の3つのモメントを含んでいる。」として、
(1)普遍Allgemeinheit、(2)特殊 Besonderheit、(3)個・個別 Einzelnheit から始めています。
特に
A1 「個は現実的なものと同じものであるが、ただ個は概念から出現したものであるから、自己との否定的同一としての
普遍的なものとして定立されている。・・・しかし概念の個別性は、絶対的に産出するものであり、・・・、
自分自身を産出するものである。」
すなわち、
A2 「個Einzelnheitのモメントがはじめて概念の諸モメントを区別として定立する。なぜなら、個は概念の否定的な
自己内反省であり、
したがって最初の否定としてまず概念の自由な区別であるからである。これによって概念の規定性が定立されるが」、
A3 「しかしそれ〔概念の個〕は特殊Besonderheitとして定立される。」(165節)
また、
A4 「抽象的な判断は、個は普遍Allgemeinheitであるという命題である。これが概念の諸モメントがその直接的な
規定性あるいはその最初の抽象態においてとらえられる場合、主語と述語とが相互に持つ最初の規定である
(特殊は普遍である、および個は特殊であるという命題は、判断のより進んだ規定に属する)。・・・
「である」という繋辞〔:ケイジ・主語と述語をつなぐ語、「YはXである」〕は、外化のうちにあっても自己と同一であると
いう概念の本性にもとづいているのであって、個と普遍は概念のモメントであるから、切り離すことのできないものである。
・・・それゆえに判断においてはじめて概念の真の特殊性がみとめられる。判断は概念の規定態あるいは区別であり
しかもこの区別は普遍性を失わないからである。」
(166節)
A5 「主語は、単称〔単独、個体概念〕判断において普遍的なものとして規定されていることによって、
単なる個としての自己を超えていく。「この植物は薬になる」と言えば、それは、この一つの植物だけが薬に
なるのではなく、いくつかの植物がそうであるということを含んでいる。
そしてこれが特称判断を与える(いくつかの植物は薬になる。幾人かの人間は発明の才能を持っている、等々)。
特称によって直接的な個物はその独立性を失い、他のものと連関を持つようになる。“この”人間としての人間は、
もはやこの単一の人間ではなく、他の人々と並んで存在しているのであり、多くの人々のうちの一人である。
しかしまさにこのことによってかれはその普遍に属し、かくして高められる。」・・・
A6 「個々の人間は、かれがまず第一に普遍的に人間そのものであるかぎりにおいてのみ、特殊の人間でありうる。
そしてこの普遍的なものは、単にその他の抽象的な質や単なる反省規定の外に、それらと並んで存在する或るもの
ではなく、あらゆる特殊なものを貫き、それらを自己のうちに含むものである。」(175節補遺)
したがって、概念のモメント「個・個別Einzelnheit」を要約すると、
A1 「個 Einzelnheit は現実的なものと同じものであるが、概念から出現したもので、普遍的なものとして定立されている。
概念の個別性は、絶対的に産出するものであり、自分自身を産出するものである。」
A2 「個 のモメントがはじめて概念の諸モメントを区別として定立する。これによって概念の規定性が定立される」
A3 「しかしそれ〔概念の個〕は特殊 Besonderheit として定立される。」
A4 「抽象的な判断は、個は普遍であるという命題である。主語と述語とが相互に持つ最初の規定であり、
「である」という繋辞は、外化のうちにあっても自己と同一であるという概念の本性にもとづいている。
個と普遍は概念のモメントであるから、切り離すことのできないものである。それゆえに判断は概念の規定態あるいは
区別でありしかもこの区別は普遍性を失わないのである。」
A5 「主語は、単称(単独、個体概念)判断において普遍的なもの Allgemeines として規定されていることによって、
単なる 個 Einzelne としての自己を超えていく。「この植物は薬になる」と言えば、それは、この一つの植物
einzelne Pflanzeだけが薬になるのではなく、いくつかの植物がそうであるということを含んでいる。
そしてこれが特称判断を与える(いくつかの植物は薬になる。幾人かの人間は発明の才能を持っている、等々)。
特称によって“直接的な個物” unmittelbar Einzelne はその独立性を失い、他のものと連関を持つようになる。
“この人間”としての人間は、もはやこの単一の人間ではなく、他の人々と並んで存在しているのであり、多くの人々の
うちの一人である。しかしまさにこのことによってかれはその普遍 Allgemeinen に属し、かくして高められる。」・・・
A6 「個々の人間 einzelne Mensch は、かれがまず第一に普遍的に人間そのものであるかぎりにおいてのみ、
特殊のBesondere人間でありうる。そしてこの普遍的な Allgemeine ものは、あらゆる特殊なもの Besondere を貫き、
それらを自己のうちに含むものである。」
このようにヘーゲルは、「個・個別」と「普遍」、「特殊」の相互関係を位置付けています。これらを継承して
『資本論』では、概念構成の3つモメント(契機)を価値形態の展開過程に活用しています。その現場を観察しましょう。
第2節 「一般的価値形態 Allgemeine Wertform」 と 「 特別な等価形態 besonder Äquivalentform 」
・・・ 『資本論』 第3節 価値形態 または 交換価値 ・・・
まえがき
第3節価値形態では、第1形態:「個・個別のeinzelne」から始まり、第2形態:「特別なbesonder」概念を経て、
第3形態「一般的Allgemeine」の関係が、ヘーゲル論理学に沿って展開されてゆきます。
そして、価値形態の証明の目標である D貨幣形態(第4形態)において、マルクスはヘーゲル論理学「概念の3つのモメント」
(163節「普遍 Allgemeinheit 」、「 特殊 Besonderheit 」、「 個・個別 Einzelnheit 」) を集約的に総括しています。
D 貨幣形態
「 金が他の商品にたいして貨幣としてのみ相対するのは、金がすでに以前に、それらにたいして商品として相対した
からである。すべての他の商品と同じように、金も、個々の交換行為において個別的の等価として
(als einzelnes Äquivalent)であれ、他の商品等価と並んで特別の等価として(als besondres Äquivalent)であれ、
とにかく等価として機能した。しだいに金は、あるいは比較的狭い、あるいは比較的広い範囲で一般的等価として
(als allgemeines Äquivalent)機能した。」(岩波文庫p.128)
すなわち、第3節 価値形態 を開始するにあたり、
「この貨幣形態の発生を証明するということ」(注1)、したがって、商品の価値関係に含まれている価値表現が、
どうしてもっとも単純なもっとも目立たぬ態容Gestaltから、そのきらきらした貨幣形態に発展していったかを
追求するということ」(岩波文庫p.89)
の課題にたいして、ヘーゲル論理学「発展の弁証法」が活用されているのです。
(注1)「この貨幣形態の発生を証明する」については、1月新着情報を参照して下さい。
なお、価値形態の展開にあたって、第1形態の「等価形態」においてすでに「商品の物神的性格」が出現してきます。
この探求については、貨幣形態の後、最後の第4節で行ないます。
では、第4形態「貨幣形態」に至る一連の展開を ヘーゲルと一緒に探索してゆきましょう。
Ⅰ. A 単純な、個別的なまたは偶然的な価値形態Einfache, einzelne oder zufällige Wertform 〔第1形態〕
x 量商品A= y 量商品B (亜麻布20エレ=上衣1着)
< 1 価値表現の両極、すなわち相対的価値形態と等価形態 >
B1 「この単純な形態によっては、一商品Aの価値は、ただ一つの他の種の商品に表現されるのではあるが、
この第二の商品〔等価形態にある商品〕が、どんな種類のものか、上衣か、鉄か、小麦その他の何か、というようなことは、
全くどうでもよいのである。したがって、この商品がある商品種と価値関係にはいるか、それとも他の商品種と
価値関係にはいるかによって、それぞれ同一商品のちがった単純な価値表現が成立する。」
→ 第1形態の「個別的な価値形態 einzelne Wertform」 から分析が始まります。
→ ヘーゲル論理学のA1、A2と対照してください。
< 3 等価形態 >
B2 「第1の特性: 使用価値がその反対物の現象形態、すなわち、価値の現象形態となる。」
「第2の特性: 具体的労働がその反対物、すなわち、抽象的に人間的な労働の現象形態となる。」
「第3の特性: 私的労働がその反対物の形態、すなわち、直接に社会的な形態における労働となる。」
<4 単純な価値形態の総体>
B3 「商品Bにたいする価値関係に含まれている商品Aの価値表現を、くわしく考察すると、その内部において
商品Aの自然形態は、ただ使用価値の姿としてのみ、商品Bの自然形態は、ただ価値形態または価値の姿と
してのみはたらいていることが明らかになった。」
B4 「労働生産物は、どんな社会状態においても使用対象である。しかし、ただある歴史的に規定された発展段階のみが、
一つの使用物の生産に支出された労働を、そのものの「対象的」属性として、その価値として表わすのであって、
この発展段階が、労働生産物を商品に転化するのである。したがって、商品の単純な価値形態は、同時に労働生産物の
単純なる商品形態であり、したがってまた、商品形態の発展も価値形態の発展と一致するという結果になる。」
Ⅱ.総体的または拡大された相対的価値形態 Totale oder entfaltete Wertform 〔第2形態〕
z量商品A=u量商品B または =v量商品C または =w量商品D または =x量商品E または =その他
(亜麻布20エレ=上衣1着 または =茶10ポンド または =コーヒー40ポンド または =小麦1クォーター
または =金2オンス または =鉄1/2トン または =その他 )
B5 「一商品、例えば亜麻布の価値は、いまでは商品世界の無数の他の成素 Element に表現される。
すべての他の商品体は亜麻布価値の反射鏡となる。こうしてこの価値自身は、はじめて真実に無差別な人間労働の
凝結物 Gallert として現われる。」・・・・・「もはやただ一つの個々の他の商品種と社会関係にあるだけでなく、
商品世界と社会関係に立っているのである。それは、商品としてこの世界の市民なのである。」
→ ヘーゲル論理学の A1 「概念の個別性は、絶対的に産出するものであり、自分自身を産出する」、
A2 「これによって、概念の規定性〔真実に無差別な人間労働の凝結物Gallert〕が定立される。」
< 3.特別な等価形態 besonder Äquivalentform>
B6 「上衣、茶、小麦、鉄等々というような商品は、それぞれ亜麻布の価値表現においては、等価として、したがってまた
価値体として働いている。これらの商品のおのおのの特定なる自然形態は、いまでは多くの他の商品とならんで、
一つの特別な等価形態である。」
B7 「同じように、各種の商品体に含まれている特定の具体的な有用な多種多様の労働種は、いまではそれと同じ数だけ、
無差別の人間労働を、特別な実現形態または現象形態でしめすことになっている。」
→ ヘーゲル論理学の A3 「しかしそれ〔概念の個〕は特殊Besonderheitとして定立される。」
< 4. 総体的または拡大された価値形態の欠陥 >
B8 「ここでは無数の他の特別な等価形態とならんで、一つの特別な等価形態であるから、一般にただ制限された等価形態が
あるだけで、その中のおのおのは他を排除するのである。」・・・「したがって十全でない現象形態である。人間労働は、
その完全な、または総体的な現象形態を、かの特別な現象形態の総体的広がりの中にもっているが、なんら統一的の
現象形態をもたない。」 しかしながら、
B9 「拡大された相対的価値形態は、ただ単純な相対的価値表現、または第1形態の諸方程式の総和から成っているだけで
ある。 例えば、
亜麻布20エレ=上衣1着
亜麻布20エレ=茶10ポンド 等々
これらの諸方程式のおのおのは、だが、両項を逆にしても同じ方程式である、 *(注1)
上衣1着=亜麻布20エレ
茶10ポンド=亜麻布20エレ 等々」
*(注1) 「両項を逆にしても同じ方程式」であることが理解できない“先生”が、日本には過去にもたくさん
います。簡単な論理学と数学手法にすぎないのですが、B1、B5、B7、B9を連結して見て下さい。
B10 「実際上、一人の男がその亜麻布を多くの他の商品と交換し、したがってその価値を、一連の他の商品の中に
表現するとすれば、必然的に多くの他の商品所有者もまた、その商品を亜麻布と交換し、したがって、彼らの種々の
商品の価値を同一の第三の商品、すなわち、亜麻布で表現しなければならない。」
→ ヘーゲル論理学のA6 「 個々の人間 einzelne Mensch は、かれがまず第一に普遍的に人間そのもので
あるかぎりにおいてのみ、特殊の Besondere 人間でありうる。そしてこの普遍的な Allgemeine ものは、
単にその他の抽象的な質や単なる反省規定の外に、それらと並んで存在する或るものではなく、
あらゆる特殊なもの Besondere を貫き、それらを自己のうちに含むものである。」
Ⅲ.一般的価値形態 Allgemeine Wertform 〔第3形態〕
上衣1着 | = | ![]() |
亜麻布20エレ |
茶10ポンド | = | ||
コーヒー40ポンド | = | ||
小麦1クォーター | = | ||
金2オンス | = | ||
鉄1/2トン | = | ||
A商品x量 | = | ||
その他の商品量 | = |
B11 「新たに得られた形態(第3形態)は、商品世界の諸価値を、同一なる、この世界から分離された商品種で表現する。
例えば亜麻布で。そしてすべての商品の価値を、かくて、その亜麻布と等しいということで示すのである。」・・・
「この形態にいたって初めて現実に、商品を価値として相互に相関係させ、またはこれらを相互に交換価値として
現われさせるようになる。」・・・
「一般的価値形態は、商品世界の共通の仕事としてのみ成立するのである。一商品が一般的価値表現を得るのは、
ただ、同時に他のすべての商品がその価値を同一等価で表現するからである。そして新たに現われるあらゆる商品種は、
これをまねなければならない。」
B12 「すなわち、諸商品の価値対象性も、それがこれら諸物の単なる「社会的存在」であるのであるから、その全面的な
社会的関係によってのみ表現されうるのであり、したがってその価値形態は、社会的に妥当する形態でなければならない。」
B13 連立方程式から「未知数」を解いてゆく
1. 「亜麻布に等しいものの形態において、いまではあらゆる商品が、質的に等しいもの、すなわち価値一般としてだけでなく、
同時に量的に比較しうる価値の大いさとしても現れる。」
2. 「すべての商品が、その価値の大いさを同一材料で、亜麻布で写し出すのであるから、これらの価値の大いさは、
交互に反映し合うのである。」
3. 「例えば茶10ポンド=亜麻布20エレ、さらに コーヒー40ポンド=亜麻布20エレ.したがって、茶10ポンド=コーヒー40ポンド
というようにである。あるいは1ポンドの茶におけるものの1/4だけの価値実体、すなわち、労働が含まれているという
ようにである。」
B14 価値関係の「未知数」は「感覚的にして超感覚的」存在物
1. 「商品世界の一般的な相対的価値形態は、この世界から排除された等価商品である亜麻布に、一般的等価の性質を
おしつける。亜麻布自身の自然形態は、この世界の共通な価値態容であり、したがって、亜麻布は他のすべての商品と
直接に交換可能である。」
2. 「この物体(亜麻布)形態は、一切の人間労働の眼に見える化身として、一般的な社会的な蛹化としてのはたらきをなす。」
3. 「機織という亜麻布を生産する私的労働は、同時に一般的に社会的な形態、すなわち他のすべての労働との等一性の形態に
あるのである。」
B15 無数の価値方程式によって「未知数」が実体化し、実在形態を獲得する
4. 「一般的価値形態を成立させる無数の方程式は、順次に亜麻布に実現されている労働を、他の商品に含まれている
あらゆる労働に等しいと置く。そしてこのことによって、機織を人間労働そのものの一般的な現象形態にするのである。」
5. 「このようにして、商品価値に対象化されている労働は、現実的労働のすべての具体的形態と有用なる属性とから
抽象された労働として、たんに否定的に表示されるだけではない。それ自身の肯定的背質が明白に現われるのである。
それは、すべての現実的労働を、これに共通なる人間労働の性質に、人間労働力の支出に、
約元〔Reduktion:還元、(数学:約分、換算)〕したものなのである。」
→ ヘーゲル論理学A6 「個々の人間 einzelne Menschは、かれがまず第一に普遍的に人間そのものである
かぎりにおいてのみ、特殊の Besondere 人間でありうる。そしてこの普遍的な Allgemeine ものは、
あらゆる特殊なもの Besondere を貫き、それらを自己のうちに含むものである。」
B16 「未知数」の実在形態は、Gallertとして、商品世界の社会的表現である
6. 「労働生産物を、無差別な人間労働のたんなる凝結物 Gallert として表示する一般的価値形態は、
それ自身の組み立てによって、それが商品世界の社会的表現であるということを示すのである。このようにして、
一般的価値形態は、この世界の内部で労働の一般的に人間的な性格が、その特殊的に社会的な性格を形成しているのを
啓示する 〔offenbaren:啓示:神が示現する(いろいろな姿をとって現れること)、または宗教的真理を人間へ伝達すること〕
のである。」 (注:『資本論』注24で、カトリック信者と教皇の関係が出されている)
< 5-2. 相対的価値形態と等価形態の発展関係 >
1. 「相対的価値形態の発展程度に、等価形態の発展程度が応ずる。等価形態の発展は相対的価値形態の発展の表現であり、
結果であるにすぎない。」
2. 「ある商品の単純な、または個別的な相対的価値形態 〔 vereinzelte relative Wertform:個別化された相対的価値形態〕は、
他の一商品を個別的な等価 einzelnen Äquivalent にする。相対的価値の拡大された形態、一商品の価値の他のすべての
商品におけるこのような表現は、これらの商品に各種の特別な等価 besonderer Äquivalente の形態を刻印する。
最後に、ある特別な商品種 eine besondre Warenart が一般的等価形態 allgemeine Äquivalentform を得る。というのは、
他のすべての商品が、これを自分たちの統一的一般的な〔普遍的な〕価値形態 einheitlichen, allgemeinen Wertform の
材料 Material にするからである。」・・・
3. 「第2形態では、依然としてまだ各商品種ごとに、その相対的価値を全体として拡大しうるのみである。言葉をかえていえば、
各商品種自身は、すべての他の商品がこれにたいして等価形態にあるから、そしてそのかぎりにおいて、
拡大相対的価値形態をもっているにすぎないのである。このばあいにおいては、
もはや価値方程式 ― 亜麻布20エレ=上衣1着 または =茶10ポンド または = 小麦1クォーター等々ーの両項を
移し換えると、その総性格を変更し、これを総体的価値形態から一般的価値形態に転換させてしまうほかないことになる。」
→ ヘーゲル論理学のA5「主語は、単称(単独、個体概念)判断において普遍的なものAllgemeinesとして規定されている
ことによって、単なる個Einzelneとしての自己を超えていく。「この植物は薬になる」と言えば、それは、
この一つの植物einzelne Pflanzeだけが薬になるのではなく、いくつかの植物がそうであるということを含んでいる。
そしてこれが特称判断を与える(いくつかの植物は薬になる。幾人かの人間は発明の才能を持っている。等々)。
特称によって直接的な個物unmittelbar Einzelneはその独立性を失い、他のものと連関を持つようになる。
“この”人間としての人間は、もはやこの単一の人間ではなく、他の人々と並んで存在しているのであり、
多くの人々のうちの一人である。しかしまさにこのことによってかれはその普遍Allgemeinenに属し、かくして高められる。」
→ このようにして、ヘーゲル論理学:「普遍は個別として実在する」のである。
また、「Gallert」すなわち「抽象的な人間労働の凝結物、膠状物」として「普遍は実在する」のである。
< 5-3. 一般的価値形態から貨幣形態への移行 >
1. 「一般的〔allgemeine:普遍的〕等価形態は価値一般の形態〔Die allgemeine Äquivalentform ist eine
Form des Werts überhaupt.:
普遍的等価形態は、一般に価値の一つの形態・形式〕である。したがって、それは、どの商品にも与えられることができる。」
2. 「他方において一商品〔亜麻布の例で〕は、それが他のすべての商品によって等価として除外されるために、
そしてそのかぎりにおいてのみ、一般的な〔普遍的な〕等価形態(第3形態)にあるのである。そして、この除外が、
終局的にある特殊な商品種に限定される瞬間から、初めて商品世界の統一的相対的価値形態が、客観的固定性と
一般的に社会的な通用性〔allgemein gesellschaftliche Gültigkeit:普遍的で社会的な妥当性〕とを得たのである。
3. 「そこでこの特殊なる商品種は、等価形態がその社会的に合生する〔verwachsen:合体する〕に至って、貨幣商品となり、
また貨幣として機能する。商品世界内で一般的等価の役割を演ずることが、この商品の特殊的に社会的な機能となり、
したがって、その社会的独占となる。」
4. 「この特別の地位を、第2形態で亜麻布の特別の等価たる役割を演じ、また第3形態でその相対的価値を共通に亜麻布に
表現する諸商品のうちで、一定の商品が、歴史的に占有したのである。すなわち、金である。」
Ⅵ. D 貨幣形態 Geldform 〔第4形態〕
亜麻布20エレ | = | ![]() |
金2オンス |
上着1着 | = | ||
茶10ポンド | = | ||
コーヒー40ポンド | = | ||
小麦1クォーター | = | ||
鉄1/2トン | = | ||
A商品x量 | = |
1. 「第4形態は、ただ亜麻布のかわりに、いまや金が一般的等価形態をもつに至ったということ以外には、
第3形態と少しもことなるところはない。」
2. 「金が他の商品にたいして貨幣としてのみ相対するのは、金がすでに以前に、それらにたいして商品として相対したから
である。すべての他の商品と同じように、金も、個々の交換行為において個別的の等価として(als einzelnes Äquivalent)で
あれ、他の商品等価と並んで特別の等価として(als besondres Äquivalent)としてであれ、とにかく等価として機能した。
しだいに金は、あるいは比較的狭い、あるいは比較的広い範囲で一般的等価として(als allgemeines Äquivalent)機能した。」
3. 「金が、商品世界の価値表現で、この地位の独占を奪うことになってしまうと、それは貨幣商品となる。そして金がすでに
貨幣商品となった瞬間に、やっと第4形態が第3形態と区別される。いい換えると一般的価値形態は貨幣形態に転化される。」
4. 「貨幣形態という概念の困難は、一般的等価形態の、したがって、一般的価値形態なるものの、すなわち、
第3形態の理解に限られている。第3形態は、関係を逆にして第2形態に、すなわち、拡大された価値形態に解消する。
そしてその構成的要素は第一形態である。
すなわち、亜麻布20エレ=上衣1着 または A商品x量=B商品y量である。
5. 「したがって、単純な商品形態〔第1形態〕は貨幣形態の萌芽(Keim:胚細胞)である。」
第3節 価値形態と価値方程式について
・・・『 商品の価値表現と方程式・価値方程式 抄 録 』より・・・
1. 「諸商品は、ある共通な価値形態、貨幣形態をもっています。
ここでは、いまだかつてブルジョア経済学によって試みられたことのない、この貨幣形態の発生を証明するということ、
したがって、商品の価値関係に含まれている価値表現が、どうしてもっとも単純なもっとも態容から、
貨幣形態に発展したかを追求すること、これをもって、同時に貨幣の謎も消えてゆきます。」
2. 「もっとも単純な価値関係は、ある商品が、他のなんでもいいが、ただある一つの自分と違った種類の商品に相対する
価値関係です。したがって、二つの商品の価値関係は、一つの商品にたして最も単純な価値表現を与えています。」
「亜麻布20エレ=上衣1着または亜麻布20エレは上衣1着に値する」という方程式は、1着の上衣の中にまさに20エレの
亜麻布の中におけると同じだけの量の価値実体がかくされているということ、両商品量は、したがって、同じだけの労働が
加えられている、または同一大いさの労働時間がかけられているということを前提としています。」
3. 「一般的価値形態を成立させる無数の方程式は、順次に亜麻布に実現されている労働を、他の商品に含まれている
あらゆる労働に等しいと置きます。そしてこのことによって、機織を人間労働そのものの一般的な現象形態にするのです。」
4. 「ある商品の金における価値表現 ― A商品x量=貨幣商品y量 ― 〔価値方程式〕は、その商品の貨幣形態であり、
またはその価格です。こうなると、鉄1トン=金2オンスというような個々の方程式は、鉄価値を社会的に通用するように
表示するために、充分なものとなります。
方程式は、これ以上、他の諸商品の〔諸〕価値方程式と隊伍を組んで行進する必要がなくなります。」
5. 「というのは、等価商品である金は、すでに貨幣の性質をもっているからです。 したがって、
「商品の一般的な相対的価値形態」は、いまや再びその本源的な、
「単純な、または個々的な相対的価値形態」の姿をとるにいたっているのです。」
第4節 等価形態の物神的性格
・・・・ 商品世界の一切の神秘、一切の魔術と妖怪の商品の物神的世界 ・・・・
( 『資本論』第1章第4節 商品の物神的性格 抄録 )
「われわれはこういうことを知った・・・亜麻布商品は、それ自身の価値たること〔Wertsein:価値存在〕を自分に
たいして上衣が、その肉体形態〔Körperform:からだ、身体〕とことなった価値形態をとることなくして、
等しいものとして置かれるということである。」
「このようにして、亜麻布は自分自身価値であることを、実際には、上衣が直接に自分と交換しうるものであると
いうことをつうじて、表現するのである。」(3 等価形態 岩波文庫p.103)
このようにして、「単純な商品形態」である亜麻布20エレ=上衣1着の第1形態の価値方程式において、
「商品の物神的性格」が以下のように分析されています。
1. 一商品、上衣の等価形態は、この商品の他の商品・亜麻布にたいする直接的な交換可能性の形態であること。
そして、等価形態の最大の特徴は、以下の通りです。
2. 上衣なる商品種が、価値表現において等価の地位をとることになると、その価値の大いさは、価値の大いさとしての表現を
もたなくなり、その価値の大いさは、価値方程式において、むしろただ一物の一定量として現われるだけです。
3. 等価形態の考察に際して目立つ第一の特性は、使用価値がその反対物の現象形態、すなわち、価値の現象形態と
なるということ、 すなわち、上衣商品の自然形態が価値形態となります。
4. しかし、一物の属性は、他物にたいするその関係から発生するのではなくて、むしろこのような関係においてただ
実証されるだけのものであるから、
上衣もその等価形態を、直接的な交換可能性というその属性を、天然にもっているかのように、見えることになります。
このことから等価形態の「謎」が生まれてきます。
このようにして、商品の物神的性格は、
「単純な商品形態」である等価形態の 「肉体形態の感覚的にして、直接的な交換可能性というその属性を、天然に
もっているかのような超感覚的な」 商品の「Form:形態・形式」そのものに始元があるのです。
マルクスは、第4節商品の物神的性格で、この「謎」について述べています。
「それで、労働生産物が、商品形態をとるや否や生ずる、その謎にみちた性質はどこから発生するのか?
明らかにこの形態〔Form:形式〕自身からである。人間労働の等一性 〔Die Gleichheit der menschlichen Arbeiten:
相等性『小論理学』〕、同等性『大論理学』〕 は、労働生産物の同一なる価値対象性の物的形態をとる。
人間労働力支出のその継続時間によって示される大小は、労働生産物の価値の大いさの形態をとり、
最後に生産者たちの労働のかの社会的諸規定が確認される、彼らの諸関係は、
労働生産物の社会的関係という形態をとるのである。」
私たちは、第3節価値形態または交換価値において、「商品生産にもとづく労働生産物を、はっきり見えないようにしている
商品世界の一切の神秘、一切の魔術と妖怪」の物神的世界〔Fetischismus:フェティシズム〕に入り込んでいたのです。
以上で、2017年 資本論入門1月号を終わります。
編集委員会事務局:
長時間にわたり、ありがとうございました。
「価値形態と商品の物神的性格」についても、最後にまとめていただきました。
本日お集まりいただいた資本論ワールド探検隊の皆さんには、時間の都合で質疑時間がとれませんでした。
次回、議事進行役の坂井さんにお願いして、活発な議論を企画したいと思います。
今年こそ、飛躍の一年となりますように。