資本論入門創刊号 2016年 |
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2016年
『資本論』入門4月号 第1部 ・・・3月号の続き・・・
バーボン・ロック経済論争と対話篇入門 その2
★目 次 お問い合わせ先『資本論』ワールド編集委員会 宛て
第1章. 3月号の要約
第2章. 価値形態の基礎―デカルト方程式
第3章. ロックとバーボンの英語版原本
第4章. 比例関係とアリストテレスの「誤謬論」入門へ
第5章. 交換価値は、交換される関係として現われる
第1章 3月号の要約
事務局:
先月ではバーボンの注をめぐって、本文とバーボンとの対話形式を観察してきました。
① 『資本論』本文とバーボン注を結ぶ結束点として使用価値・商品体の役割
② バーボンの「どんな物でも内的価値というものをもつことはできない」主張と
③ 「一商品種は、もし価値が同一であれば、他の商品種と同じものである」との間に
は、相いれない、矛盾した関係がみられる。
④ しかし、マルクスは「かの老バーボンが言っているように「同一の大いさの交換価
値を有する物の間には、少しも相違または差別がない」などと、肯定的発言をしている。
以上、大きく4点をめぐって見てきました。前回の復習になるところもありますが、
理解を深めるをことを目標に、頑張りましょう。
前回に引き続き、北部資本論研の小島さん、レポーターの小川さんと一緒に
調査・研究を行って参りますので、よろしくお願いします。
小島:
先月は驚きの連続でしたので、充分な質問、討論が不十分でした。
その後、資本論研の仲間と報告会を開き、不明点・疑問点を検討したので、
それらを踏まえてゆきたい。
なお、宿題のうち報告会で検討したレポート「プラトン対話篇とアリストテレス誤謬論」を
作成しましたので、随時参照してゆきます。
レポーター:
小島さんたちのレポートは、大変しっかりした出来栄えです。資本論研の仲間に
敬意を表します。特に、アリストテレスの「誤謬論」は、実に解り易くて参考になりました。
事務局:
3月号では、第6段落から8段落を省略して、9段落の「老バーボンが言っているように
・・・(同一価値の間には相違・差別は存しない)」を取り上げて、
バーボンの発言(注7:内的価値をもたない)とは、“互いに相反しているのではないか”
との指摘がありました。
この相反関係を、アリストテレスの「誤謬論」から分析してゆきことが、
本日の第一の課題となります。
そこで、まず第6段落から見てゆきます。
「一定の商品、1クォーターの小麦は、例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々
と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合で交換される。
このようにして、小麦は、唯一の交換価値のかわりに多様な交換価値をもっている。
しかしながら、x量靴墨、同じくy量絹、z量金等々は、1クォーター小麦の交換価値で
あるのであるから、x量靴墨、y量絹、z量金等々は、相互に置き換えることのできる交換価値、
あるいは相互に等しい大いさの交換価値であるに相違ない。
したがって、第一に、同一商品の妥当なる交換価値は、一つの同一物を言い表している。
だが、第二に、交換価値はそもそもただそれと区別さるべき内在物の表現方式、
すなわち、その「現象形態」でありうるにすぎない。」
第6段落の要点として、
① 「x量靴墨〔x Stiefelwichse〕、y量絹〔y Seide〕、z量金〔z Gold〕等々は、
相互に置き換えることのできる交換価値、相互に等しい大いさの交換価値」
② 「同一商品の妥当なる交換価値は、一つの同一物〔ein Gleiches〕を表わしている」
この2点に注目してゆきます。
「相互に等しい大いさ」とは言っていますが、「どの程度か」を表わす尺度の表示がない
ことです。「等しい大いさ」の量的な関係だとは言いながら、
「数量的、重量的表示がない」ところに特徴があります。
ただ3番目としてマルクスは、「交換価値は、ある内在物の現象形態」と指摘しています。
ここから、謎解きが始まるのでしょうか?
第2章. 価値形態の基礎―デカルト方程式
レポーター:
謎解きの前に、もう一つの謎々からスタートしましょう。
第6段落は、第7段落の「例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄、
この方程式は何を物語るか?」と関連づけて初めて文章全体の意味が理解できます。
「交換価値同士として等しい大いさ」や、「1クォーターの小麦が、x量靴墨
〔x Stiefelwichse:個数表示〕、またはy量絹〔y Seide:寸法表示〕、またはz量金
〔z Gold:重量表示〕等々と交換される」場合の数量あるいは重量などは
どれ位の「値い」になるのでしょうか?これらの尺度機能をいかにして表現されるのでしょうか?
これが、最初に当面する課題です。
さて、話は変わりますが、様々な量的尺度が問題視された17世紀に、
デカルトが発明した「方程式」ですが、これが画期的なシステムでした。
求められるべき「解」を「未知数」として、すでに知られている「既知数」と同等に扱うことで、
問題を変形しながら解いてゆくシステムを開発したのです。
既知数をアルファベットの先頭順に小文字( a, b, c )で表わし、
未知数には最後尾から( x、y、z )を当てはめたのです。デカルト革命の始まりでした。
デカルト(1596年―1650年)は、ジョン・ロック(1632年―1704年)、
ニコラス・バーボン(1640年―1698年)、ニュートン(1642年―1727年)たちより、
約半世紀前に活躍したフランスの人で、近代哲学の創始者として当時のヨーロッパ世界の
著名人でした。日本では、「われ思う、ゆえにわれ在り」の哲学者と知られていますが、
新しい数学―解析幾何学―の創始者として、その方面の専門家の間で研究されています。
残念なことに私たちにはあまり馴染みがありませんが、「事物の間の比例すなわち関係
について提起されうるあらゆる問題がいかなる理由で内臓されているか、また、これらの問題が
どんな順序で研究されねばならぬかを、私は理解するのである」(『精神指導の規則』第6規則)。
「量の関係」を「比例関係」とする古代ギリシャ思想を革新して、代数方程式を現代風に仕上げました。
デカルト座標上で、直線はy=x、曲線(放物線など)はy=x² などとして、
図形の幾何学と代数(数字の代わりに文字で表わす)の統合の方程式を創始しました。
第6段落「1クォーターの小麦が、x量靴墨〔x Stiefelwichse:個数表示〕、またはy量絹〔y Seide:寸法表示〕、
またはz量金〔z Gold:重量表示〕」のように、アルファベットx、y、z が使われています。
デカルト風に、「未知数」は、アルファベット最後尾「x、y、z」で示し、
「既知数」は、「1クォーター小麦=aツェントネル鉄」の具合に、初めの「a, b, c」で表記しています。
このように、第6、第7段落に登場してくる「諸交換価値の方程式」の謎解きこそ、“デカルト方程式”に
通じる解法が示されます。日本語翻訳では、「x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々」の具合に
「量」の文字が付加されていますが、ドイツ語原本ではそれぞれ「x Stiefelwichse, y Seide, z Gold 」と
だけで表記されています。日本語訳として「・・量」が付加されたことで、
かえって問題の所在が不明確になってしまったとも言えます
。
価値の「量」をめぐる定義や“デカルト方程式”、そしてヘーゲルの「量論」等について、
新着情報で詳しく解説する予定でいますので、関心のある方はそちらをクリックしてください
(4月下旬にUp予定)。
なにはともあれ、これまで『資本論』解説は、「方程式」とすべきところを「等式」と誤訳し、
「価値等式」として誤解したまま半世紀にわたって解釈し続けてきました。
価値方程式の「未知数」問題を解きほぐすことに失敗してきたのです。
この問題については、2月創刊号でも簡潔に「価値方程式」問題として分析・解析して
いますので、併せて参考にしてください。(『資本論』のヘーゲル哲学参照 ★クリック)
事務局:
それでは、“デカルト方程式”はこれくらいとして、本題の「謎解き」を続けてゆきます。
第7段落 「さらにわれわれは二つの商品、例えば小麦と鉄をとろう。その交換価値が
どうであれ、この関係はつねに一つの方程式に表わすことができる。
そこでは与えられた小麦量は、なんらかの量の鉄に等置される。
例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。この方程式は何を物語るか?
二つのことなった物に、すなわち、1クォーター小麦にも、同様にaツェントネル鉄にも、
同一大いさのある共通なもの〔求められるべき、方程式での「ある未知数」のことを、
マルクスは“ある共通なもの”と表現しています〕があるということである。
したがって、両つ〔二つ〕のものは一つの第三のものに等しい。この第三のものは、また、
それ自身としては、前の二つのもののいずれでもない。
両者のおのおのは、交換価値である限り、こうして、
この第三のものに整約しうるのでなければならない。〔未知数に解を与えること〕」
では、細かく分割してゆきます。
① 例えば小麦と鉄をとろう。この関係はつねに一つの方程式に表わすことができる。
② 例えば、方程式:1クォーター小麦=aツェントネル鉄は何を物語るか?
③ 交換価値である限り、二つのものは第三のものに整約される
やはり、量的尺度表示が不在のまま、となっています。
ですから、当面する課題は「第三のものに整約されてゆく方程式」として、
小麦にも鉄にも共通して存在する「ある“未知数”問題を解いてゆく手続き・プロセス」を
明らかにすることが求められているのです。
第8段落は、
「一つの簡単な幾何学上の例がこのことを明らかにする。一切の直線形の面積を決定し、
それを比較するためには、人はこれらを三角形に解いていく。
三角形自身は、その目に見える形と全くちがった表現-その底辺と高さとの積の2分の1―に整約される。
これと同様に、商品の交換価値も、共通なあるものに整約されなければならない。
それによって、含まれるこの共通なあるものの大小が示される。」
ここでもやはり、「大小が示される」としていますが、
具体的な数量的・重量的尺度表示は表に出てきません。
そしていよいよ第9段落、老バーボンが登場してきます。
「 この共通なものは、商品の幾何学的・物理的・化学的またはその他の自然的属性である
ことはできない。商品の形体的属性は、ほんらいそれ自身を有用にするかぎりにおいて、
したがって使用価値にするかぎりにおいてのみ、問題になるのである。」
〔「有用にする」ことは、具体的に数量的、または重量的に示す尺度が表示されなければならない〕
「しかし、他方において、商品の交換価値をはっきりと特徴づけているものは、まさに商品の
使用価値からの抽象である。この交換価値の内部においては、一つの使用価値は、
他の使用価値と、それが適当の割合にありさえすれば、ちょうど同じだけのものとなる。
あるいはかの老バーボンが言っているように、
「一つの商品種は、その交換価値が同一の大いさであるならば、他の商品と同じだけのものである。
このばあい同一の大いさの交換価値を有する物の間には、少しの相違または差別がない。」
今度もまた、一行ずつ分解しながら検討します。
① 「他方において、商品の交換価値をはっきりと特徴づけているものは、
まさに商品の使用価値からの抽象である。」
*この「抽象」によって、具体的な数量表示等の尺度機能は消失してゆく。
② 「この交換価値の内部においては、一つの使用価値xは、他の使用価値yと、
それが適当の割合にありさえすれば、ちょうど同じだけのものx=yとなる」
*この「ちょうど同じものだけのもの」が、デカルト代数関係x=yへと変換される。
③ 老バーボンが言っているように、「一つの商品種は、その交換価値が同一の大いさ
であるならば、他の商品と同じだけのものである」
④ 「このばあい同一の大いさの交換価値を有する物の間には、
少しの相違または差別がない」
第9段落において、第6~第8段落の総括的議論が展開されています。
いままでは、数量的、重量的尺度としての大いさには触れずに「ある大いさ」が議論され
ています。これは、“方程式の未知数を解いてゆく過程の手続き”に相当し、経過中に出現
する等式x=y(同じもの)を分析します。
そして、この代数等式に出現する「ある共通なもの」は、「方程式の“未知数”」の関係として
変換され、分析してゆきます。こうして“未知数の性質”を定義づける課題として、
問題提起されることが告知されることになります。
「②交換価値の内部では、割合が同じものは、同じだけのものとなる」、
「④同一大いさの交換価値を有する物では、相違・差別がない」と締めくくりながらも、
その「同一大いさの正体」・「ある共通のもの」が解明されるべき課題であると、暗示されています。
レポーター:
事務局から、第6段落から第9段落まで詳細にわたって報告がありました。
小島さんから、質問、ご意見があれば、
小島:
方程式論の中で、「未知数」の位置づけは良く理解できました。
「未知数」が、本文の「ある共通なもの、他の商品と同じだけのもの」という形態で
存在していると理解しました。この存在形態では、次のような共通の事柄が観察される。
第一に、本文とバーボン双方とも、ある大いさの「同一性」の指摘はあるが、内在している
「尺度標準」や具体的内容を示す「単位」が示されていないこと。
第二に、したがってバーボンにおいては、そもそも「物の交換価値」はどんな物でも、
「数量的・重量的等の尺度表示がなされない属性をもつ物」として議論している。
第三に、バーボンの(注2)「大多数(の物)が価値を有するのは、それが精神の欲望を
充足させる」<関係性>として規定している。
以上、これまでの議論を通じてこの3点が確定したこと。
レポーター:
小島さんの指摘して3点は、重要な論点でした。
つぎに、バーボン自身の(注2)、(注7)、(注8)にも、ある種の「共通性」があります。
1. バーボンの(注3)「物は内的な特性vertueをもっている。物の特性(バーボンの
「使用価値」)はどこに行っても同一である」という点です。
これは、内在している属性は「vertue」であり、交換価値はそもそも物に「内在」していないから、
「互いに相違または差別がない、同一の大いさの交換価値をもっている」という
「共通性」(関係性)だけがあることになる。
これは、例えば単なる数値10、とか100、とかだけが共通ということ。(ただし、単位は不明)
2. バーボンの「交換価値」には、ある種独特な、「バーボン流関係性あるいは数的?関係」と
でもいうような物差しが使われていることになります。(実際には、何を表示すかは不明のまま)
小島:
ようやく、問題が解きほぐれてきたようですね。
しかし、事務局が指摘した、本文で①「この交換価値の内部においては、一つの使用価値は
、他の使用価値と、それが適当の割合にありさえすれば、ちょうど同じだけのものとなる」
と、マルクスは言っている。そうすると、
マルクスの指摘する「違っている使用価値同士が、“同じだけ”のもの」と、
バーボンの(注3)vertue(バーボンの使用価値のことで、物は内的な特性をもつことから、
他の物とは、相違と差別があり、その相違が属性となるもの)とは、
二つの概念規定が、“同じだけ”と“相違があり”とは相反関係となり、一致していないのでは?
第3章. ロックとバーボンの英語版原本の“Value”
事務局:
全くその通りで、私たちもそこにようやく気がつきました。
それで、特別報告として「『資本論』対話篇とバーボン問答法」を準備しながら、
取り急ぎ『資本論』第1章第1節について、ドイツ語版と英語版をHP上にアップしました。
ロックとバーボンの英語版原本(ロックとバーボンはともに17世紀のイギリスの人)を
参考にしながら、比較すると興味深い事実が浮き上がってきたのです。
レポーター:
大分時間も経過しましたので、ここでいったん休憩としませんか。コーヒーを飲みながら、
小島さんの準備した「プラトン対話篇とアリストテレス誤謬論 」、
事務局の「『資本論』対話篇とバーボン問答法」そして 「価値方程式」問題
(『資本論』のヘーゲル哲学参照 )などをゆっくり眼を通しておきたいと思います。
(下線個所をクリックすると当該ページが開きます。)
・・・・ ・・・・・ ・・・・・
事務局:
さあ~てと。コーヒーブレイクも終えて、気分も一新したところで、いよいよ佳境にはいっ
てゆきましょう。
さきほどの「バーボン流関係性」という物差しの分析・解剖に大変役立ちそうです。簡単に
要約します。(詳細な解剖レントゲン写真をお求めの方は、後日の特別報告をクリックして
下さい。4月下旬Up予定)
① ジョン・ロック「あらゆる物の自然価値(natural worth)は・・・物の適性のこと
である」、「“Worth”を使用価値、“Value”を交換価値の意味に・・・言い表わす。」
これを英語版を見ると以下のようになっています。
② 「The natural worth of anything consists in its fitness to supply the necessities,
or serve the conveniencies of human life. 」 「In English・・・we frequently
find “worth”
in the sense of value in use, and “value” in the sense of exchange value.」
③ “Worth”を使用「価値」=「value」 in use, “Value”を交換「価値」= exchange「value」
このように・・「価値」は、「value」で説明されています。
では、つぎにバーボンの原本英語版を見てみましょう。
④ (注2)「大多数(の物)が“価値”を有するのは、それが精神の欲望を充足させ
るからである」
「The greatest number (of things) have their “value” from supplying the wants of
the mind.」
⑤ やはり“value”が使用されていますが、この“value”は、「value in use」なの
か「exchange value」を示すのか、このままでは分別できず、明確な概念規定に
欠けてしまいます。
⑥ バーボンは、1690年刊行の『交易論』の
「商品の価値と価格についてOf the Value and Price of Wares」のなかで、
次のように主張しています。
「商品の価値 Value は、その有用性 Use から生ずる。
有用性を欠くものは、役に立たないから、価値 Value をもたない」そして
「商品の価格 Price は現在の価値 Value である。なぜなら物の価値はその有用性useに
依存する」
⑦ そして今度マルクスは、バーボン(注8)で、バーボン自身の英語原本から引用し
ています。
「一商品種は、もし価値〔value〕が同一であれば、他の商品種と同じものである。
同一価値の物には相違も差別も存しない。・・・・100ポンドの価値〔worth〕のある鉛または
鉄は、100ポンドの価値〔worth〕ある銀や金と同一の大いさの“交換価値”〔value:翻訳で
は、“交換価値”としているが、必ずしも英文からは判明しない〕をもっている。」
その点に注目しながら、見てみましょう。
「One sort of wares are as good as another, if the value be equal. There is no
difference or distinction in things of equal value ... One hundred pounds worth of
lead or iron, is of as great a value as one hundred pounds worth of silver and gold.
(N.Barbon,I.c. p.53 u.7.)」
つまり「商品種同士の価値“value”が同一“as good as”であれば、100ポンドworthの鉛は、
100ポンドworthの銀と同一“as good as”の 価値“value”をもっている」
このように、バーボンを引用しているのです。
⑧ ここにきて、やっと『資本論』の対話篇の謎解きが開示され、バーボンの「誤謬論」
が披露される仕組みとなっています。
⑨ バーボンが意図的に、“value”の混用を図っていることが暴露されるわけです。
ジョン・ロックの(注4: Worth と Value の区別を参照)
つまり、日本語で「同一」と訳された“as good as” は、英語では「等しいものと考えられる」
程度に使われます。日本語の「同一」(同一物)は、英語では“same” となります。
また、“same”の[類義語]として、
「if the value be equal」の場合、“equal”は、同一物ではないが、
数・量・重さ・大きさ・価値などが等しい:
These are equal in weight. これらは重さが等しい。
などの用例で、使用されます。 (研究社・ライトハウス英和辞典)
⑩ したがって、バーボンが主張している 「同じものas good as another」 「同一の
大いさ things of equal value 」が意味していることと、『資本論』の本文第6段落でマルクス
が定義している「第一に、同一商品 derselben Ware の妥当なる交換価値 gültigen Tauschwerte
は、一つの同一物 〔ドイツ語 ein Gleiches:Gleichheit = 英語 sameness 同一〕
を言い表わしている」
Die gültigen Tauschwerte derselben Ware drücken ein Gleiches aus.
マルクスの説明(同一物 Gleiches)は、バーボンの(同一 as good as)と、
くい違っていることが判明してきました。
小島:
これでやっと本文に立ち返れるという仕掛けですか。それにしてもやっかいな説明ですね。
資本論研で準備したアリストテレスの「誤謬論」が役立つのはうれしいですが、なんとなく
しっくりしませんね。なせ、こんな謎解きみたいな、込み入った文体をとる必要があるのかなあ・・
もっと、ズバッと単刀直入でいいのでは。
レポーター:
それが、日本と西洋との文化の違いとでも言うしかないのかもしれませんね。
プラトン対話篇のソクラテスなども、かなり“しつっこい”ですよ。
第4章 比例関係とアリストテレスの「誤謬論」入門へ
事務局:
西洋文化の、その疑問を解く鍵となりそうなのが、アリストテレスの「誤謬論」です。最後
の山場へ、後半戦を始めてゆきたいと思います。資本論研の小島さんからレポートをお願い
します。
レポーター:
ちょっと、待って。小島さんの前に。
いやあ~、小島さん!マルクスの「謎解き」はまだまだこれからも続きますよ。
さっき言いそびれていたんですが、第5段落に出てくる「交換価値は、まず第一に量的な関
係quantitative Verhältnisとして、すなわち、ある種類の使用価値が他の種類の使用価値と
交換される比率Proportionとして・・・現われる。・・・商品に内在的な、固有の交換価値
((valeur intrinsèque)は、一つの背理・・・」ここなどは、まるで言葉遊びではないか、と
思われるほどです。
「量的な関係・比例」「quantitative Verhältnis」はドイツ語、「比率・比例」「Proportion」は英語(
ドイツ語も同じ)、「固有の交換価値・値打ち」「valeur intrinsèque」は、フランス語です。
三つの単語Verhältnis、Proportion、valeur に共通している事柄が、「比例関係性」を有して
いることです。とくに、ドイツ語Verhältnis は、「関係」「比例」「比」など文脈に応じて
それぞれ違った日本語に訳されていますので、注意深く、読み込んでいかないと「比例性」
の語源が抜け落ちて理解されてしまうんです。
この「比例性」は、古代ギリシャが発見し産み育ててきた「自然の比例関係」という、それ
こそ紀元前6世紀のタレスやピタゴラスなど西洋自然哲学史を貫くキーワードです。自然と
社会を探究する科学思考の根底にどっしりとすわり続けています。
もちろん、『資本論』もそれを意識的に活用し、援用しています。第3節価値形態論が成立
する地盤の役割を担っています。比例性・比例関係Verhältnis の多義性と統一性の両面の理
解が不可欠となっています。
小島:
レポーターに非礼(比例)のないよう、心がけます。では、前半の続きを受ける形で、報告します。
アリストテレス「詭弁論駁論」は、新しい全集版では、「ソフィスト的詭弁論」と訳されて
います。第1章から4章にかけて、要約的に解説がされていますので、まずご紹介すると、
第1章 「詭弁的な論駁、すなわち、論駁であるように見えるが実際には誤謬推論〔誤りの推
論〕であるに過ぎない言論について、まず、事柄の本質から見て、最も基本的な点から議論
を始めよう。
ところで、ある議論はまことの推論であるのに対し、他の議論は推論であるように見えるが、
実際にはそうではない、ということは明らかである。このことは、他の場合においてもまた、
真なるものと、非なるものとの或る類似性の故に起こることなのであるが、言論の場合
においてもまた、事情は全く同じである。
・・・推論や論駁についても、或るものは真に推論であり論駁であるのだが、在るものは
そうではないにもかかわらず、人々の未経験のためにそうであるように見えるのである。」
第4章 「論駁には二つの型がある。その一つは、(a)「言葉使い」によるものであり、他は、
(b)「言葉使い」とかかわりがないものである。「言葉使い」によって論駁の見せかけを
作り出す仕方は、数にして6つある。すなわち。「語義曖昧〔二義性〕」「文意不明確」
「結合」「分離」「抑揚〔アクセント〕」「表現形式」がそれである。・・・われわれが同じ名前
〔言葉〕や表現を用いたとしても、それによって必ずしも同じものが意味され得るとは
限らないのであって、そのような場合の数はこれだけある、ということに基づく推論に
よってもまた、われわれはそれを確信することができる。」
第12章 「応答者が何か誤謬を犯していることを示すこと」と、「応答者の議論を逆説へ
引き込む」ことについてであるが、これらの目的は、まず第一に、ある聴き出し方と問いの
立て方とによって、実際、最もよく達成されるものである。・・・
相手から逆説的議論を引き出すためには、議論〔推理問答〕の相手が
哲学のどの学派に属しているかを、見極めなければならない。・・・」
さて、ここで、
① 「バーボン問答」を振り返ると、バーボンの「value」は、第4章「言葉使い」の
「同じ名前・言葉や表現を用いたとしても、必ずしも同じものが意味されるとは限らない」
論駁形式であることが理解される。そして、その帰結として第12章「応答者の議論を
逆説へ引き込む」形で、(注7)の「内的価値intrinsick valueをもつことはできない」ことと
(注8)「同一価値equal valueの物には相違も差別も存しない」と発言することにより、
バーボンの「value」論が定義不能の相反関係に陥っています。
そして自己破たんしていることにバーボン自身が気が付いていない。
② バーボンは、1690年に『交易論A Discourse of Trade』を刊行しているが、
「商品の価値と価格 Of the Value and Price of Wares」 において、
次のように「Value」を解説している。
1. すべての商品の価値はその有用性から生ずる。
2. 商品の価格は現在の価値である。
3. 交易の財としての如何なる物にも、固定した価格または価値なるものはない。
そして、次の節「貨幣、信用および利子について」では
4. 金銀貨幣など金属の価値を維持するのは希少性だけであって、金属に内在する性能
または性質でない。
5. 私のこの異議を要約すれば、何物もそれ自身のうちに一定の価値〔Value〕を有する
ものはない、一物は他物のいくばくかに値い〔worth〕する。そしてすべてのものの価値
〔Value〕に差異を与えるのは、時と所である。
To Conclude this Objection, Nothing in it self hath〔have〕 a certain Value ; One thing is
as much worth as another: And it is time, and place, that give a difference
to
the Value of all things.
6. 以上のように、1690年の『交易論』の「Valueの差異は時と所による」と言っていた 。
しかし、1696年のロックへの反論『新貨幣をより軽く改鋳することにかんする論策、
ロック氏の「考察」に答えて』では、(注8)「同一価値equal valueの物には相違も差別も存し
ない」と発言してしまった。バーボンは、収拾できない自己矛盾、背理に陥っているのである。
以上、アリストテレスの「誤謬論」と「バーボン問答」の調査検討の報告をしました。
事務局:
大変な力作、ありがとうございました。北部資本論研の皆さんにもご苦労さまと
お伝えしてください。事務局が準備した「『資本論』対話篇とバーボン問答法」とも、
ほぼ同じ内容でした。
前回の宿題であった、「老バーボン」に、なぜ「老」が付加された理由も分かったように
感じます。1690年版の「価値Velue」の「固定した価値なるものはない」と
1696年版のそれ(「同一価値の物には相違も存しない」)とが、相反関係にはまっているので、
“1690年版『交易論』のバーボン見解と違っていますよ”、という意味で
「老」を付加したものと推測できました。
第5章 交換価値は、交換される関係として現われる
レポーター:
小島報告で、レポーターの仕事も終わってしまったようですが、一言追加させてください
。
本文第5段落において、マルクスは「交換価値は、量的な関係として、・・・交換される
関係として、時とところにしたがって、絶えず変化する関係として、現われる。」と
発言しています。ここも価値の分析過程で大切かと思われます。
なぜなら、第10段落以降の「商品体の使用価値の分析」に関して、
重大な事実誤認が一般に広がっているのです。
ひと昔前から、「マルクスの価値実体の抽出方法は使用価値から抽象した蒸留法だ」という
理論展開・批判される方々が非常に多いのです。この誤解のもとになっているのが、上記の
マルクスの発言を見落としていることです。マルクスは確かに価値について「商品体に残る
属性は、労働生産物だけで、その労働生産物の使用価値から抽象する〔蒸留法?〕と、いま規定された労働生産物の価値が得られる」と分析結果を述べています。
しかし、その分析過程の前提・出発地点は、
「交換関係として、交換関係の内部で、交換価値は現象する」地盤に存在するということです。
これを忘れていては、「バーボン問答」の神髄である誤謬推理・背理を
理解したことにはなりません。
小島:
バーボンが自ら迷路にハマッテしまったのも、交易という交換関係で表面化してくる
「交換価値」を捕え損ねていることに通じる、とう意味ですか?
レポーター:
そうです。商品の価値にしても、貨幣の内在価値を検討する場合でも、W-G-Wという
運動過程、交換関係にあることを忘れないことだと思います。アリストテレスが言うように
「自然の自然らしさは、運動過程にある事物の理解に存する」ことだと思います。
事務局:
以上で、前回と今回をもって、とりあえず「『資本論』の対話篇とバーボン問答法」を
終了してゆくことにします。後日、お気づきの点などありましたら、改めて討論を続行して
ゆきたいと思います。
また、「入門4月号の第2部 膠状物 Gallert 」も大変重要なテーマです。
こちらの検討もよろしくお願いします。
次回は、第2節商品に表わされた労働の二重性、ですが、その前奏曲として第1節第10段
落以降を扱ってゆきます。本日も大変お疲れさまでした。お気をつけてお帰りください。